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残金1,842円

残金1,842円

作者:Nasu Takako
最新エピソード掲載日:2026/11/02
推定純資産4000億円。

榊原征一は、地方の商店の家に生まれ、20代で起業した。不動産、物流、IT、再生可能エネルギー、海外投資、事業再生へと事業を広げ、巨大企業グループを築いた男である。

銀行は彼を信用し、投資家は彼の未来を買い、周囲は彼を「資産4000億円の男」と呼んだ。

だが、その4000億円は現金ではなかった。
自社株、不動産、事業権益、投資先持分、将来収益への期待。数字は大きく見えても、支払日に使える金とは限らない。

総事業費800億円の大型事業。
自己資金300億円、銀行団からの借入500億円。

榊原にとって借入は、未来の収益を現在の投資へ変える道具だった。

「必要なら借りればいい」

その判断は、かつて何度も彼を成功へ運んできた。
しかし、成功した時には正しかった判断が、環境が変わったあとも正しいとは限らない。

工事費の上昇、工程の遅れ、担保評価の見直し、株価の下落、追加担保、銀行団の判断、売却できる資産と支払日に必要な現金の差。

資産はある。
会社もある。
事業も動いている。

それでも、支払日に必要な現金が足りなくなっていく。

一日待つ。
一週間延ばす。
売却を見送る。
追加融資を頼る。
まだ間に合うと判断する。

その小さな遅れが、巨大な信用を少しずつ削っていく。

やがて榊原は、会社の支配権を失い、肩書を失い、個人保証による債務だけが残る。

口座残高は、1,842円。
個人債務は、327億円。

かつて4000億円を動かした男は、コンビニで398円の弁当を見て立ち止まる。半額になった199円の弁当を前に、「買える」と思う。

これは、金持ちが破産する話ではない。
銀行に裏切られる話でもない。
貧困で人間性を取り戻すという安易な美談でもない。

成功した理由によって壊れた男が、生活の小さな数字と向き合いながら、自分の手で信用を作り直していく物語である。
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