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残金1,842円|第49話「進入路」

 運搬車の運転手は、門の手前で図面を閉じた。


「ここへは入れます」


 榊原は、ようやく息を吐いた。


「なら、月曜は頼む」


「入れます。ただ、降ろした後に出られません」


 午前八時十六分。


 現場の北側入口には、まだ重機も作業班も来ていなかった。


 月曜に使う運搬車の運転手が、搬入前の下見に来ている。乗ってきたのは小さな営業車だった。荷台へ重機を載せて運ぶ車は、別の場所にあるという。


 男は入口の先を指した。


「昨日いただいた配置図では、ここが土の仮置場になっています」


「月曜の午前だけだ」


「その土を置くと、切り返しに使う場所がなくなります」


 大沢が図面を開き直した。


 青い施工範囲の外側に、細長い四角が描かれている。


 午前中だけ造成の土を置き、午後には準備工事の資材を入れる。昨日、北川土工との契約をまとめるために動かした場所だった。


「重機は七時に降ろす。土を置くのは八時半からです」


「最初の車は、それで出られます」


 運転手は、大沢の鉛筆を借りた。


「迎えに来る時は、どうしますか」


 鉛筆の先が、四角の中で止まった。


「帰りも、ここで向きを変えます。今日は空いていても、引取りの日に資材が入っていれば使えません」


 榊原は門の柱を見た。


 入口は開いている。


 工事に使える土地も、その向こうにある。


 なのに、まだ通れないものが残っていた。


 大沢は運転手の名前を図面の余白へ書いた。


「降ろす時と、引き取る時。両方の車両軌跡を確認しましょう」


「帰りだけ、小さい車に変えられないのか」


 榊原が尋ねた。


「載せる機械の重さは同じです」


 運転手は鉛筆を返した。


「機械が小さくなった分、運べる車の候補は増えました。でも、軽トラックには載りません」


 榊原の隣で、真鍋が眼鏡を押し上げた。


 大沢は何も言わず、昨日の配置図に日付を書き足した。


 午前八時三十四分。


 相原が巻尺を持ってきた。


 運転手が持参した車両寸法と、実際の入口を照らし合わせる。門の幅だけでは終わらなかった。


 道路から曲がる角度。


 車体の後ろが振れる範囲。


 門を越えてから、荷台をまっすぐにする距離。


 重機を降ろす場所の傾き。


 降ろした重機が、青い施工範囲へ移動する経路。


 大沢は、運転手が歩いた場所へ白い印を置かせた。


「この内側へは、資材を置かないでください」


 男が言った。


 相原は杭の位置を確かめた。


「ここまで取ると、仮置場が狭くなります」


「どれくらいだ」


 榊原が聞いた。


「北川土工へ示した広さを、そのままは残せません」


「最初の搬入だけ空ければいいんだろう」


 自分で言ってから、榊原は運転手を見た。


 男は答えなかった。


 代わりに大沢が、別の紙を出した。


「引取りの日に空け直す案もあります。その場合、ここへ置いた資材を、いつ、誰が、どこへ動かすかを決めます」


「動かせば済む」


「その日に使う資材なら、施工を止めて動かすことになります」


「引取りを夕方にすればいい」


 運転手が首を横に振った。


「希望時刻は受けます。ただ、機械の返却先と、次の運搬の予定を確認してからです。今、ここでは約束できません」


 大沢は紙を重ねた。


「一度入れたから、最後も出せるとは限りません。今日はそこまで確認します」


 榊原は、白い印の内側へ入った。


 車が回る場所は、思ったより広かった。


 何も置いていない土地が、ただ余っているわけではないことを、そこで初めて身体で知った。


 午前九時二分。


 現場事務所には、三枚の図面が並んだ。


 昨日、北川土工へ示した初日の仮置場。


 午後から準備工事へ引き渡す資材置場。


 運搬車が切り返すために必要な範囲。


 どの紙にも、同じ場所が使われていた。


「昨日、搬入経路は確認しただろう」


 榊原は大沢へ言った。


「はい。北側から入れる経路と、降ろす位置を確認しました。車両の寸法を受け取って、運転手が現地で確認するのが今日です」


「それで変わるのか」


「変わることはあります。だから、月曜の朝ではなく今日来てもらいました」


「決まったと思うたびに、次が出てくる」


 大沢は答える前に、三枚を少しずつずらした。


「昨日、初日の仮置場を寄せました。北川土工の運搬距離は短くなりました。その配置で、搬入車が戻れるかを今見ています」


「昨日の判断が間違いだったのか」


「土工事だけを見れば、使える案です。ここで直せば、搬入にも使えます」


 責める口調ではなかった。


 榊原は、それがかえって腹立たしかった。


「入口から真っすぐ入って、帰りは後ろ向きに出ればいい」


「公道まで長く後退させる案にはしません」


「誘導を付けろ」


「誘導者は付けます。その上で、不要な後退を減らせる配置にします」


 運転手は席の端に座っていた。


 榊原が顔を向けると、男は両手を膝へ置いた。


「私が入れると言ったのは、空いている今の状態です。資材が入った後も同じように運べるという返事ではありません」


 大沢がうなずいた。


「その条件を、図面へ残してください」


 午前九時二十八分。


 相原が新しい配置案を描いた。


 切り返しに使う部分を、仮置場から外す。


 土を置く区画は細くなる。そこで一度に受けられる量が減り、北川土工は、たまった土を先に次の置場へ移さなければならない。


「掘り続けられなくなるのか」


「小運搬を挟む回数が増えます」


「昨日の金額では受けないと言い出すぞ」


「まず、北川さんへ聞きます」


 大沢が電話をかけた。


 図面を送り、変更箇所を説明する。


 相手の返事を聞いてから、大沢は受話器を押さえた。


「昼前に来られるそうです。職長の北川さん本人です」


「月曜の朝では駄目なのか」


「月曜朝に変えれば、その場で作業の組み直しになります」


 榊原は壁の工程表を見た。


 北川土工、四人。


 月曜午前七時半、新規入場時教育。


 八時半、作業開始予定。


 昨日、ようやくそろえた名前と時刻だった。


「来てもらえ」


 大沢が受話器を耳へ戻す。


 榊原は相原へ聞いた。


「午後の資材を、別の場所へ置く案は」


「あります。ただ、そのまま使える状態ではありません」


「どこだ」


 相原は、図面の北側の端を指した。


「既存の資材置場の脇です。使えるか、地面と排水を見ます。準備工事の作業員が通る経路も変えなければなりません」


「そこを確かめろ」


 今度は、使えとは言わなかった。


 午前十時十一分。


 大沢は榊原を連れて、資材置場の脇へ歩いた。


 仮囲いの内側に、低い草が残った場所がある。


 その奥では、準備工事の作業員が排水の確認をしていた。


「ここは、うちが使える土地か」


「配置図では管理範囲内です。用地側の記録も確認させています」


「買った土地か、借りた土地か」


「私からは、今、断言しません。小田さんが書類を持ってきます」


 榊原は足元の草を靴で押した。


 柔らかい。


「砕石を入れればいい」


「必要なら入れます。ただ、ここへ何を載せるかで決めます」


「準備工事の資材だ」


 相原が搬入予定の一覧を見せた。


 梱包の大きさ。


 重量。


 荷下ろしの方法。


 次に使う日。


 同じ資材置場でも、置くだけで終わらなかった。取り出す順番を間違えれば、手前の荷をどかして奥の荷を出すことになる。


 榊原は一覧の端を指で押さえた。


「月曜に来る分を、全部ここへ置く必要はないな」


「はい。翌日に使うものを優先すれば、必要な広さは減らせます」


「残りは」


「搬入日を変えられるか確認します。ただ、便を分ければ運送費が変わる可能性があります」


「勝手に分けるな。最初の便は変えずに、置場を分けた場合を出せ」


 相原がうなずいた。


 大沢は、草地の低い部分へしゃがんだ。


 手袋をした指で土を崩し、近くの排水溝へ目を向ける。


「ここを土でふさぐと、雨の時に置場へ水が戻ります」


「溝は残せ」


「はい。使う面積も、そこまでで考えます」


 遠くから、軽トラックの音が近づいてきた。


 小田が降り、透明な袋に入れた図面を広げた。


「この範囲なら、現在の契約で使用できます」


 榊原は、境界を示した線と目の前の杭を交互に見た。


「外へは出すな」


 小田は図面を持ち直した。


「ここで足りなければ、足りないと言ってください」


 午前十一時四十六分。


 北川浩一は、現場事務所へ入る前に靴底の土を落とした。


 こげ茶色の作業着を着た、肩の厚い男だった。


「月曜から、お世話になります」


 榊原が名乗ると、北川は短く頭を下げた。すぐに大沢の方を向く。


「置場、見せてください」


 挨拶より先に現場へ行こうとする男を、榊原は嫌いではなかった。


 三人で入口へ戻った。


 白い印を見た北川は、狭くなる仮置場の端まで歩いた。


 歩数を数え、機械の入る向きと、土を運ぶ経路を確かめる。


「この広さだと、午前中の段取りが変わります」


「金額か」


 榊原が尋ねた。


 北川は、一度大沢を見た。


「まず、作業の話です」


「聞いている」


「最初に掘った分を、ここへ置きます。いっぱいになる前に、次の置場へ送る。掘る作業と運ぶ作業を、同じ調子では続けられません」


「四人いるだろう」


「機械は一台です」


 榊原は黙った。


 北川は、土を置ける範囲を靴先で示した。


「初日から、ここまで減るんですね」


「午後の資材を別へ動かせれば、午前中だけで空ける条件は外せます」


 大沢が言った。


「昼までに全部どかさなくていい?」


「その案を確認しています」


「それなら、少しためながらやれます」


 北川はもう一度、青い範囲へ目を向けた。


「午後も使えるなら、作業順を変えて収められるかもしれません。明日まで土を置く約束に変えるのではなく、初日の終わりにどこまで移すかを決めたいです」


 大沢が手帳を開いた。


「確認しましょう」


 榊原は白い印をまたいだ。


「資材置場を変えれば、金額も工程も守れるんだな」


「私の方は、まだ返事をしていません」


 北川の声は低かった。


「そこを先に決められると、月曜に困ります」


 大沢が口を開きかけた。


 榊原は片手で止めた。


「分かった。現場を見てから返事をくれ」


 北川は頭を下げ、今度は仮置場の先へ歩いていった。


 午後零時三十九分。


 事務所の外で、作業員たちが弁当を食べていた。


 北川は持ってきた水筒だけを机に置き、修正図へ赤い線を引いている。


「食事は」


 榊原が聞いた。


「戻ってから食べます」


「今日も仕事か」


「別の現場に三人置いています。午後の積込みに戻ります」


「月曜は、そっちはいいのか」


「今日終わらせます」


 北川は図面から顔を上げなかった。


 月曜に四人が来る。


 そのために、今日、別の場所で終わらせようとしている仕事があった。


 榊原は北川の水筒の横へ、未開封の茶を置いた。


「急がせて悪い」


「変更があるなら、今日で助かります」


 北川は赤い線を止めた。


「初日の土の置き方は、これなら組めます。切り返しの場所を残す。午後も仮置場を使う。最後に移す分を先に決める。この条件なら、今の請負金額で受けます」


 大沢が確認した。


「予定している施工日数は」


「今の条件なら変えません。地面は、月曜にもう一度見ます」


「それは当初どおりです」


「では、図面を差し替えてください」


 北川は榊原ではなく、大沢へ紙を渡した。


 大沢も、そのまま受け取った。


 午後一時二十八分。


 相原が、資材置場の変更案を持って戻った。


 既存の置場と、その脇の使用可能な範囲へ、月曜の荷を分ける。


 運送便は変えない。


 その代わり、草の残る部分を整え、必要な箇所を補強し、歩く経路との間に区画を設ける。荷下ろしの方法と置く順番も、搬入先へ伝え直す。


 大沢は作業内容を読み、準備工事側の担当者と電話をつないだ。


 榊原は、通話が終わるまで待った。


「費用は」


「見積りをまとめます。これは青い範囲の造成工事ではありません。北川土工の注文にも入れません」


 真鍋がメモを取った。


「今ある準備工事の契約で、どこまで含むかを先に確認してください。含む作業を、もう一度請求される形にはしません」


「はい。追加になる部分を分けます」


 榊原は時計を見た。


「月曜に間に合うのか」


「手配できる人員と資材を確認しています。今日のうちに決めないと、週末の作業は頼めません」


 昨日も聞いた期限だった。


 だが、榊原は今度、それに腹を立てなかった。


「見積りと、間に合わせる手順を一緒に出せ」


 午後二時五十二分。


 追加分は、税別十八万円だった。


 整地の一部と区画の移動は、既存の準備工事の範囲で処理する。新たな補強材とその設置、撤去時の処理などを分けた金額だった。


 真鍋は契約書と内訳を照らし合わせた。


「支払いは、今ここではありません。変更内容を文書にして、完了確認後、元の支払条件に合わせます」


「予算は」


「準備工事の追加枠から出す案です。その分、使える残りは減ります」


 榊原は十八万円の欄を見た。


 造成の請負金額は変わらない。


 北川土工の金額も変わらない。


 ただ、その条件を守るために、別の場所で金が要る。


「昨日、金額変更なしと役員会へ出した」


「造成工事については、今も変わっていません」


「全体では増える」


「はい。今日の変更として出します」


「施工会社に持たせられないのか」


 大沢は、すぐには答えなかった。


「搬入車の確認を受けて、置場の使い方を直す必要が出ました。手配や計画に、こちらが負担すべき不備があったかは整理します。ただ、作業を頼む条件を曖昧にしたまま、先に始めさせることはしません」


 真鍋が顔を上げた。


「月曜に間に合わせる指示と、最終的な負担の協議を分けましょう。支払義務を誰が引き受けるかも書きます」


 榊原は内訳をもう一度読んだ。


 十八万円を押し返す交渉はできる。


 だが、その間、誰もこの仕事を受けたことにはならない。


「当社の追加発注として進める。負担の整理を放棄する意味ではない。それも残せ」


 真鍋が文面を直した。


 榊原は読み終えてから、承認欄へ署名した。


 午後三時三十一分。


 修正図が運転手へ送られた。


 切り返しの範囲は、機械の引取りまで空ける。


 資材も、土も、作業員の車も置かない。


 月曜七時の搬入時には、大沢側で誘導者を配置する。運搬車が構内から出たことを確認してから、入口付近のほかの搬入を再開する。


 返事は、電話で来た。


「この配置なら、予定の車で行けます」


 榊原は大沢の受話器を見た。


 今朝と同じ、入れるという言葉だった。


 だが今度は、紙の上に帰る経路まであった。


 北川土工にも、差し替えた図面と初日の作業条件が送られた。北川から確認が返ると、大沢は古い図面へ斜線を引いた。


 相原が、壁に貼ったものも外した。


「それは残せ」


 榊原が言った。


「旧版として保管します」


「現場には出すな」


「はい」


 新しい図面が、同じ場所へ貼られた。


 午後四時四十八分。


 入口の内側で、白い線を引く作業が始まった。


 車が切り返すための範囲。


 資材を置く場所。


 人が歩く側。


 相原は作業員と一緒に、表示の向きを確かめていた。


 準備工事の職長が、積んであった杭を数本運んでいく。


「ここへ置いても邪魔じゃなかったんですがね」


 男は笑って、杭を新しい場所へ下ろした。


 榊原は、その跡を見た。


 運搬車がまだ来ていない時には、何も妨げていなかった。


 来ることが決まると、同じ杭が道をふさぐ。


 大沢が白い線の外へ出た。


「この場所は、最後の引取りまで空けます」


「次の資材も来るだろう」


「来ます。今日変えた配置で受けます。入らなくなれば、詰め込む前に相談します」


 榊原は入口から青い範囲まで歩いた。


 当初の進入路の問題が解決したわけではない。北側から、今契約している工事を始められるようにしただけだ。


 大型の機械が次々に入る先の工程まで、この道で済むということでもなかった。


「後の搬入も、車が決まったら同じように見ろ」


 榊原が言った。


「今の入口で入れるものと、入れないものを分けます」


「入らないものは、早く出せ」


 大沢がうなずいた。


 仮囲いの向こうで、作業を終えた小型トラックが動き出した。誘導する男の手が上がる。


 榊原は白い線から一歩下がった。


 午後六時十九分。


 本社へ戻る車の中で、真鍋が電話を終えた。


「追加発注の文書は、施工会社から受領の返事が来ました。週末の作業を手配します」


「月曜の四人は」


「変更条件を確認済みです。下請契約は継続。配置も変わりません」


「工程の二日は」


「戻っていません。昨日消化したままです」


 榊原は窓の外を見た。


 今日は、遅れを取り戻したわけではない。


 来ると決めた人間が来られるように、場所と金と順番を動かした。


「運搬費の調査は」


「最初に戻した機械の分は、まだ回答待ちです。今日の十八万円とは分けています」


「混ぜるな」


「分けたまま、残します」


 真鍋の膝には、二つの図面があった。


 古いものと、新しいもの。


 新しい方には、資材のない細長い場所が残っている。


 榊原はそれを指した。


「ここは、何も作らないんだな」


「機械を出すまで、空けておきます」


 車が交差点で止まった。


 真鍋の電話が震えた。相原から写真が届いている。


 白い線の内側から、最後の杭束を運び出すところだった。


 榊原は画面を受け取り、拡大した。


 その場所には、もう何もなかった。


 しばらくして、もう一枚届いた。


 白い線の手前へ、区画を示すバーが置かれている。作業員がそれを回り、別の経路で戻っていく。


 榊原は写真を真鍋へ返した。


「月曜、俺も七時に行く」


 真鍋は予定表を開いた。


 榊原が窓へ目を戻すと、信号が青に変わった。


 車が前へ進んだ。

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