残金1,842円|第21話「担保になる未来」
「買っていただく方なら、先にお話しします」
倉庫の持ち主は、貸す条件を書いた紙を裏返した。
その下に、売却の資料があった。
征一は、隣の真鍋を見た。
借りて運営する相談だと聞いていた。
前の倉庫の仕事を見た持ち主から紹介され、今日は、建物と荷物の流れを確かめるために来た。
現場責任者は、まだ図面を開いたままだった。
「売ることも、お考えなんですね」
征一が聞くと、持ち主はうなずいた。
「今の使い方を、いつまでも続けられるわけではないので」
持ち主は、建物を保有する会社の社長だった。
敷地の一部を、自社の仕事に使っている。
残りは、外の会社へ貸していた。
見学した区画には、まだ荷物があった。
その向こうに、使われなくなった古い設備が残っている。
「買うなら、いくらですか」
征一が尋ねると、真鍋は口を挟まなかった。
ただ、貸す場合の紙を、裏返さずに脇へ残した。
持ち主は希望額を示した。
借りるために見ていた床が、その瞬間から、別の値段を持ち始めた。
建物は、幹線道路から少し入った場所にあった。
高速道路の出入口も、遠すぎない。
ただし、地図で近いことと、大型車が毎日使いやすいことは同じではなかった。
現場責任者は、門の外から車が入る角度を見た。
敷地へ入った後、待つ場所と、荷物を下ろす場所を確かめる。
持ち主の担当者が、今の使い方を説明した。
「こちらは、午後になると空きます」
「午前中は」
「入荷があります」
征一は時計を見た。
隣の区画を使っている会社の車が、門へ入ってきた。
受付で一度止まり、建物の裏へ回る。
現場責任者が、図面へ書いた。
「この車と、こちらから出す車が重なると」
「今は、待ってもらっています」
担当者が答えた。
待つ場所はあった。
ただし、毎日同じ時刻に空いているとは限らない。
征一は、空いている区画の広さより先に、使われている時間を聞いた。
借りて運営するなら、自社の仕事をそこへ入れる。
買うなら、今いる利用者との関係も引き受ける。
「こちらの会社は、いつまで使う契約ですか」
真鍋が聞いた。
担当者は、社長へ目を向けた。
「書類は、後で出します」
社長が答えた。
「長い付き合いですから。使ってもらうつもりなら、続くと思います」
真鍋は、その返事を紙へ書いた。
契約済みの期間とは、別の欄だった。
事務所へ戻ると、持ち主は、売った後も一部を使いたいと言った。
自社の荷物を置き、今の仕事を続ける。
買い手となる征一の会社へ、賃料を払う案だった。
「全部、空にして渡す話ではありません」
「分かりました」
征一は答えた。
既に家賃を払っている会社がいる。
売主も残り、使い続ける。
空いている区画は、征一の会社が物流の運営に使える。
建物を買い、その中で仕事も作る。
話がつながるように見えた。
征一は、賃料の案を見た。
「この額なら、長く使われますか」
「今の事業が続く間は」
「修理は、どこまで持っていただけますか」
「建物は、買われる方のものでしょう」
持ち主は、当然のように答えた。
征一も、それは分かっていた。
ただ、賃料の数字を読んだ時、先に入る金を見ていた。
屋根。
外壁。
床。
設備。
買った後に出す金は、その横へ置く必要があった。
「今までの修繕の記録と、現在の賃貸借契約を見せていただけますか」
真鍋が言った。
「購入をお約束する話ではありません。取得した場合の計画を作るために必要です」
持ち主は、希望額の書かれた紙へ手を置いた。
「ほかにも、話をしているところはあります」
「承知しています」
征一が答えた。
「次にいつ、何をお返事するかは合わせたいです。ただ、今日、この金額で買うとは申し上げられません」
持ち主は少し黙り、担当者へ書類をそろえるよう言った。
帰りの車で、現場責任者が後部座席から言った。
「使うだけなら、必要なのはこちら側です」
開いた図面へ指を置く。
建物全体ではなかった。
「買えば、今いる会社の動きも見なければなりません」
「今のままでも、共用の場所は使っていますね」
征一が言った。
「はい。ただ、所有する側になると、向こうの要望も当社へ来ます」
真鍋は、助手席で売却資料を読んでいた。
「借りる案も、残しますか」
征一が聞くと、真鍋は顔を上げた。
「残したいです」
「買った方が、長く使えます」
「はい。変える範囲も決めやすくなります。ただ、当社が必要としているのは、建物全体なのか、仕事をする場所なのかは分けて見たいです」
征一は、前の車との距離を確かめた。
既に賃料が入っている。
空いた場所も使える。
取得すれば、自社の事業と不動産の収入を、一つの場所で持てる。
ビルを売らずに新拠点へ進んだ時と、似た形に見えた。
だが、似ていることは、今回の金額が合う理由にはならなかった。
「両方、作ってください」
征一は言った。
「買う案は、残る利用者の条件を確かめてから。こちらが使う区画も、必要な工事を出したいです」
資料は、一度ではそろわなかった。
契約書は届いた。
賃料の入金記録は、後から来た。
修繕の記録には、見積もりだけで、実施したか分からないものがあった。
真鍋が確認すると、一部は実施済みだった。
一部は、次に使う人が決まってから行う予定だった。
征一は、技術者ともう一度現地へ行った。
屋根の補修。
雨水の流れ。
荷物を置く床。
使う設備と、残っているだけの設備。
売主の説明だけで、全てを使えるものへ数えなかった。
今いる利用者にも、持ち主を通して確認の機会を作ってもらった。
どの場所を、どの時刻に使うか。
共用部分で困っていることはないか。
今後も使う意向があるか。
利用者の担当者は、征一を見た。
「買われるんですか」
「まだ決めていません」
「家賃は、上がりますか」
「今日は、そのお約束を変える話ではありません。まず、今の契約と使い方を確認したいです」
相手は契約の控えを持ってきた。
来るたびに、こちらの荷物を動かしてほしいと言われる。
それなら、使い方を考え直す。
担当者は、はっきり言った。
空いているように見えた床にも、別の会社の予定があった。
売主が提示した、自社で使い続ける場合の賃料は、周辺の同種の建物より高めだった。
仲介会社が集めた比較の資料と、真鍋が並べた。
「売った後も、この額で払うと言っています」
征一が言った。
「払っていただければ、収入になります」
真鍋は答えた。
「ただ、現在、外の会社から受け取っている賃料とは違います。こちらは、これから売主と結ぶ契約の案です」
征一は、二つの欄を読んだ。
今、入っている金。
買った後、入る予定の金。
「この額を基に、買値を決めるのは」
「契約期間と、途中で終了する条件、それから払える事業かを見たいです」
売主は、まとまった売却代金を受け取る。
その後、毎月賃料を払う。
代金が残っている間は払えるとしても、それだけで長く続くとは言えない。
今の事業から、払い続けられるか。
途中で出た時、次の利用者にも同じ賃料で貸せるか。
高い賃料を約束してもらえば、高く買ってよいという話ではなかった。
「こちらだけ、都合よく見ていますね」
征一は紙を押さえた。
「売主が残るのは安心だと、思っていました」
「使い続ける理由があることは、確かです。ただ、将来の支払いを、現在の入金と同じにはできません」
真鍋は、売主が出た場合の表を作った。
その区画を空ける。
必要な補修をする。
次の利用者を探す。
同じ賃料では決まらない場合も置いた。
征一は、その間に出ていく費用を見た。
建物は空いても、借入の返済は止まらなかった。
数日後、銀行へ相談した。
買う場合の計画と、借りる場合の計画を両方持っていった。
取得の希望額は、売主の数字だった。
征一の会社が払えると決めた金額ではない。
銀行が担保として認めた額でもなかった。
担当者は、売却資料を読んだ後、収入の一覧を開いた。
「この区画は、御社が使う」
「はい」
「賃料の計画にも、入っていますね」
征一は、表へ目を落とした。
建物全体の収益を見るため、外へ貸した場合の想定賃料を入れてあった。
自社で使う場合、実際にその賃料が外から振り込まれるわけではない。
物流の計画では、同じ区画を使って仕事をする前提だった。
真鍋が、会社全体の資金の表を出した。
「こちらでは、外部への賃貸収入から外しています。物流の仕事から入る代金と、その費用で見ています」
担当者は二枚を照らした。
「この建物から入る金として、二つを足さないということですね」
「はい」
征一は、自分が使う区画へ線を引いた。
借りれば払うはずだった賃料を、払わずに済む。
それは意味がある。
ただ、払わずに済む金と、誰かから受け取る金は同じではない。
設備の費用。
修繕。
税金。
保険。
買えば、所有する側として出す金も増える。
「借りる案との差を、こちらで見ています」
真鍋が示した。
担当者は、低い収入の試算まで読んだ。
「御社のほかの事業から補う場合は、どの程度までですか」
征一は、会社全体の計画を開いた。
既存事業。
所有する新拠点。
借りて運営する倉庫。
ビル。
今ある借入の返済と、維持に必要な資金は残している。
その上で、今回使える自己資金を置いた。
ビルの更新へ残した金は、今回も動かしていなかった。
銀行の担当者は、希望額の横へ、まだ何も書かなかった。
「担保としての評価は、こちらでも確認します」
「今の賃料から、ですか」
征一が聞いた。
「現在の契約と入金は確認します。ただ、それがずっと同じとは置けません。建物の状態や、別の用途に使えるかも見ます」
担当者は、自社で使う区画を指した。
「御社の物流に合う工事が、売却する時にも同じ価値で認められるとは限りません」
「こちらが使うための費用と、担保の評価は別ですね」
「はい」
担当者は続けた。
「評価した金額の全てを、そのまま融資できるわけでもありません。既存の借入と今回の返済、資金使途を合わせて見ます」
征一はうなずいた。
知っている言葉だった。
それでも、売主の賃料案を最初に見た時には、頭の中で、次に動かせる金まで増えていた。
受け取る約束が、建物の値段になる。
建物の値段が、借りられる金になる。
途中の確認を飛ばせば、どこまでも先へ進めた。
担当者は、その間へ紙を一枚ずつ戻していた。
「売主の希望額では、今の条件のままでは難しいと思います」
そう言われても、征一は資料を閉じなかった。
「どこが変われば、検討できますか」
銀行が求めたのは、売主の賃料をさらに高くすることではなかった。
長く続くと考えられる賃料の水準。
途中終了した場合の扱い。
必要な修繕。
買い手が負担する工事。
会社全体で返す計画。
そして、取得価格だった。
帰り道、真鍋は言った。
「賃料を上げてもらうより、買値を下げる協議をしたいです」
「売主が、そこまで下げるか」
「断られる可能性はあります」
征一は前を見た。
銀行が貸せないから買えない、と伝えることはできた。
だが、それだけでは、相手に値下げを受け入れる理由がない。
売主には売主の使いたい金がある。
既存の借入が残っている可能性もある。
それを知らずに、こちらの採算だけを押しても進まない。
「売った金を、何に使う予定か、聞きたいです」
征一が言うと、真鍋はうなずいた。
「話せる範囲で。売却に伴う返済や、担保を外す手続きも確認する必要があります」
征一は、次の面談を頼んだ。
売主は、最初、金額を変えなかった。
「この賃料で使うと言っているんです。収入は、残ります」
征一は、周辺の比較と修繕の資料を置いた。
「その賃料を前提に、こちらが高く買うと、御社が使い方を変えた時にも、同じ額が必要になります」
「すぐ出るつもりはありません」
「承知しています。ただ、長く使っていただくなら、御社の事業にも無理のない賃料にしたいです」
売主は、真鍋を見た。
「銀行に、そう言われたんですか」
「銀行とも確認しています」
征一が答えた。
「ただ、買う判断は当社です」
真鍋は、契約を終えた場合の数字を出した。
賃料を高く約束する案だけでなく、現実的な水準へ下げ、取得価格も下げる案。
修繕の一部を売主が済ませて渡す案。
征一の会社が引き受け、その分を価格へ反映する案。
売主は、すぐには紙へ手を伸ばさなかった。
「売っても、返す金があります」
ようやく言った。
「手元に残らなければ、売る意味がありません」
征一は、それ以上、値段だけを下げる話をしなかった。
どの時期に売却代金が必要か。
何を引き渡すまで使う必要があるか。
残って事業を続けるために、どの区画が要るか。
売主は、一つずつ答えた。
その日の帰り際、真鍋は担保関係の資料を求めた。
売ると決まった後、権利を外せず止まることを避けるためだった。
翌週、売主から新しい条件が届いた。
希望額は下がっていた。
その代わり、決済までの期間を短くしたい。
自社で使う区画の一部は、一定期間そのまま残したい。
修繕は、引き渡すまでに行うものを絞る。
征一は、真鍋と現場責任者を呼んだ。
値段が下がった分を、そのまま余裕として残すことはできなかった。
こちらが持つ修繕費が増える。
使い始めるまで待つ区画もある。
決済を早めるなら、調査と契約の時間が短くなる。
「この日までに、確認を終えられますか」
征一が聞くと、真鍋は項目を開いた。
「こちらの資料は、届く日を約束してもらう必要があります。専門家の確認も、その日程で可能か聞きます」
現場責任者は、区画を指した。
「ここを待つなら、最初の仕事は、この量で始めることになります」
征一は、荷主候補へ出す条件を直した。
将来使える区画の仕事を、最初の売上へ混ぜなかった。
買う案と借りる案を、もう一度比べた。
持ち主は、売却の協議を進める代わりに、貸す場合の長期条件は一度取り下げたいと言ってきた。
両方を、いつまでも手元へ残しておくことはできなかった。
征一は、二枚の紙を読んだ。
買えば、使い方を長く組める。
外からの賃料も入る。
維持と返済の責任を持つ。
借りるだけなら、最初の金は抑えられる。
その代わり、今回、必要な期間の約束が取れるかは、また交渉になる。
「購入の協議を進めます」
征一は言った。
真鍋は日付を確かめた。
「融資の承認と、権利や建物の確認が整う条件は、残します」
「はい」
征一は答えた。
安くなったから買うのではなかった。
引き受ける費用を含めても、持つ理由があると判断した。
銀行の確認は、その後も続いた。
売主が残る区画の契約。
現在の利用者の契約と入金。
預かっている敷金などの扱い。
修繕の範囲。
引渡しの状態。
売主側の担保を外す手続き。
征一の会社が買った後、設定する担保と融資の条件。
銀行が見る評価は、売主の最初の希望額とも、最後に合意する売買代金とも同じではなかった。
買うために出す自己資金と、新たな融資。
取得後の工事と、最初の回収まで必要な資金。
それぞれを分けた。
今回の借入は、既存の借入を消すものではない。
実行した分だけ、会社の残高へ加わる。
その返済を、外から入る賃料と、物流の仕事で残る金から、どう続けるか。
真鍋は、更新されない場合も、修繕が重なる場合も残した。
低い方の収入を置いた表で、征一は最後まで読んだ。
銀行内の承認を経て、正式な条件が提示された。
希望した額を、無条件で借りられる話ではなかった。
必要な自己資金を確保し、契約と手続きを整え、決済へ進む。
会社として、必要な決定と承認を済ませた。
売買の契約を結ぶ日、売主は賃貸借の書類も持ってきた。
売る人が、買い手へ賃料を払う人になる。
同じ机で、二つの立場が変わる。
征一は、売主が使い続ける区画を図面で確認した。
共用の場所。
工事をする日。
使える入口。
賃料が発生する日。
引き渡し前に確認する事項も残っている。
署名しただけで、全ての金と権利が移るわけではなかった。
決済までに、互いが終える仕事があった。
売主は、書類を閉じてから言った。
「ここで、もう少し続けられます」
征一は、事務所の外を見た。
荷物を動かしている人がいる。
相手が受け取る代金には、そこから先の支払いがある。
「こちらも、仕事を始める準備を進めます」
征一は答えた。
決済の日、新たな融資が実行された。
会社の自己資金と合わせ、確認した支払先へ金が出た。
売主側の担保を外す手続きと、所有権の移転、銀行の担保設定がつながるよう、関係者が書類を確かめた。
取得した金額が、そのまま会社の預金として残るわけではなかった。
代わりに、土地と建物、既存の利用者との関係を引き受けた。
鍵は、全部を一人から受け取る形ではなかった。
使い続ける人がいる。
共用部分の管理を、これから変える必要がある。
征一は、現場責任者と引き渡された状態を歩いた。
予定どおり終わった修繕。
後から行うもの。
既存の利用者が使っている場所。
空いた区画。
新しい図面へ、確認した日を書いた。
そこでは、まだ征一の会社の荷物は動いていなかった。
最初の賃料が入った日、経理責任者が確認を持ってきた。
既存の利用者からの入金。
売主が残る区画からの入金。
契約で引き継いだ預り金とは、分けてあった。
真鍋が、維持費と返済の予定を示した。
これから工事へ使う金も残す。
征一は、入金の記録と借入の一覧を並べた。
銀行が評価した数字は、口座へ入っていない。
受け取ったのは、その月、契約どおりに払われた賃料だった。
「入りましたね」
「はい」
真鍋が答えた。
「ただ、自社で使う区画は、まだ仕事の収入がありません。こちらの支払いは、予定どおり出ます」
征一はうなずいた。
買っただけで、建物の全部が稼ぎ始めるわけではなかった。
その時、現場責任者から内線が来た。
荷主候補の担当者が、工事中の状態を確認したいという。
征一は日程を聞き、真鍋の予定も確かめた。
机の上には、担保評価の資料があった。
その横へ、最初の賃料の入金記録を置く。
評価の資料だけを、持って現場へ行くことはしなかった。
征一は工事の図面を取り、まだ荷物のない区画へ向かった。




