残金1,842円|第10話「小さな物流」
最初の荷物には、へこみがあった。
段ボール箱の右下が、親指の幅ほど潰れている。
征一は箱に手を伸ばしかけて、止めた。
触れば、自分がへこませたと思われるかもしれない。
触らなければ、中身の異常を見落とすかもしれない。
運送会社の男は、荷台の横で伝票を持っていた。
「受け取るの、受け取らないの」
腕時計を見ながら言った。
午後三時四十二分。
山崎の倉庫。
依頼主は、先日訪ねた金属加工会社だった。
荷物は一箱。
乾いた部品。
重さ十二キロ。
夕方までの一時預かり。
午後五時までに工場へ届ける。
征一が考えた仕事の形に、ほとんど合っていた。
ただし、箱のへこみだけは、紙に書いていなかった。
「ここ、へこんでます」
征一が指を差すと、運転手は箱を見た。
「ああ。そのくらいなら中は大丈夫だろ」
「大丈夫って、誰が決めるんですか」
運転手の顔が変わった。
「嫌なら持って帰るぞ」
持って帰られたら、仕事にならない。
受け取れば、何かあった時に征一の責任になるかもしれない。
倉庫の中では、山崎が黙って見ていた。
助ける様子はない。
征一は伝票の余白へ書いた。
右下角にへこみあり。
未開封。
午後三時四十二分受領。
「ここに、へこみがあったことを書いてください」
「俺が?」
「はい」
「時間ないんだけどな」
運転手は舌打ちし、征一が書いた横に名前を記した。
征一は伝票の控えを受け取った。
それから箱を持ち上げた。
十二キロ。
持てない重さではない。
だが、つぶれた角を下にすると、中身へ負担がかかりそうだった。
征一は箱の向きを変え、両腕で抱えた。
「床へ置くな」
山崎が言った。
征一は立ち止まった。
板を二枚並べた簡単な置き台が、壁際に作られていた。
昨日、父と一緒に持ち込んだものだった。
箱を置く。
少し傾いた。
板の高さがそろっていない。
征一は箱を抱え直した。
置き台の下へ薄い木片を挟み、もう一度置いた。
今度は傾かなかった。
運転手はすでにトラックへ戻っていた。
エンジン音が遠ざかる。
倉庫の中に、一箱だけが残った。
征一はその箱を見た。
ついに荷物が来た。
うれしいはずだった。
けれど、胸の中に広がったのは喜びより緊張だった。
届いた瞬間から、この箱は自分の責任になった。
空いた倉庫に仕事が置かれたのではない。
責任が置かれたのだ。
────────────────
荷物を受け取る前に、父は三つのことを決めさせた。
誰から受け取るのか。
誰へ渡すのか。
その間に何か起きた時、誰が責任を負うのか。
征一が作った最初の紙には、
荷物を受け取る。
数を確認する。
一時的に置く。
夕方に届ける。
それだけが書かれていた。
父は、その紙を読んで言った。
「なくしたらどうする」
「弁償する」
「いくら」
「中身の値段」
「その値段を誰が決める」
征一は答えられなかった。
段ボール箱を見ただけでは、中身の値段は分からない。
千円の部品かもしれない。
十万円の部品かもしれない。
箱を開けなければ、数も状態も確かめられない。
しかし、勝手に開けるわけにもいかない。
「開けないで受け取るなら、中身まで確認したとは書けない」
父は言った。
「箱の数と、外から見える状態だけだ」
征一は紙に書き足した。
外箱の数を確認する。
外から見える破損を確認する。
中身は確認しない。
封を開けない。
「濡れていたら」
「書く」
「穴が開いていたら」
「書く」
「伝票と箱の数が違ったら」
「受け取らない」
「本当に断れるか」
父は征一を見た。
征一はすぐに答えられなかった。
初めて来た仕事を断るのは怖い。
一度断れば、次は頼まれないかもしれない。
それでも、数が違う荷物を受け取れば、もっと危ない。
「確認が取れるまで受け取らない」
征一が言うと、父はうなずいた。
「それなら仕事になる」
条件はさらに増えた。
冷蔵品は預からない。
食品は預からない。
液体は預からない。
危険物は預からない。
高価な物は事前確認なしで預からない。
一晩を越えて預からない。
事前に連絡のない荷物は受け取らない。
征一には、断る物ばかり増えていくように見えた。
だが父は言った。
「できることを決めるには、できないことを先に決める」
倉庫を見つけた時、征一は何でも置けると思った。
実際には、何でも置ける場所などなかった。
置く物を決めることは、置かない物を決めることだった。
────────────────
山崎との話も簡単ではなかった。
「お前が受け取った荷物を、この倉庫でなくしたら、誰が払う」
山崎は机の前で聞いた。
「俺です」
「払えるのか」
征一は黙った。
高校生の自分に、弁償できる金はほとんどない。
父から借りた原付代も、まだ返済中だった。
山崎は言った。
「払えない人間が、責任を持ちますと言っても、責任にはならない」
その言葉は厳しかった。
だが、間違ってはいなかった。
結局、榊原商店の名前で仕事を受けることになった。
依頼先との確認は父がする。
荷物を受け取るのは征一。
倉庫での保管場所は山崎が指定する。
何かあれば、征一だけではなく、父にも連絡が行く。
父はすぐには承諾しなかった。
「店の名前を使うなら、お前だけの試しじゃない」
「分かってる」
「失敗したら、店の信用が減る」
「分かってる」
「分かっている顔じゃない」
征一は腹が立った。
やる前から失敗の話ばかりされた。
父はいつも、できる理由より、できない理由を先に出す。
「じゃあ、やるなってこと?」
征一が言うと、父は首を振った。
「やるなら、失敗した時に誰が困るかを先に見ろと言っている」
荷物が届かなければ、工場が困る。
箱が壊れれば、依頼した会社が困る。
倉庫で事故が起きれば、山崎が困る。
店の名前で約束を破れば、父と母も困る。
自分が損をするだけではなかった。
「最初は一社だけだ」
父は言った。
「一日一箱まで」
「少なすぎる」
「一箱も正しく扱ったことがないだろ」
征一は言い返せなかった。
原付配達は、自分の店の商品を、自分の客へ届ける仕事だった。
今度は違う。
他人の商品を預かり、他人の代わりに受け取り、決められた相手へ渡す。
同じ運ぶ仕事でも、預かる責任が増えていた。
────────────────
料金は、一箱八百円に決まった。
受け取りと一時保管で五百円。
工場までの配達で三百円。
最初に征一が出した金額は、五百円だった。
金属加工会社の工場長は言った。
「一回の再配達を防ぐだけなら、そのくらいでいいかもしれない」
征一は喜んだ。
だが父は、電話を切ったあとに聞いた。
「山崎さんへいくら払う」
「一個二百円」
「月の最低三千円は」
征一は黙った。
山崎との条件は、荷物一個につき二百円。
ただし、荷物が少なくても月三千円を払う。
倉庫の一角を空け、山崎がいる時間だけ扉を開ける。
そのための最低額だった。
荷物が月一個なら、三千円かかる。
十個でも三千円。
十五個を超えて、初めて一個二百円の計算になる。
「五百円もらって、山崎さんへ三千円払ったら?」
父が聞いた。
「六個来れば同じになる」
「配達の燃料は」
「別に三百円もらう」
「原付の修理代は」
「それは……」
「電話代は」
「少しだろ」
「紙と伝票は」
征一は黙った。
八百円がそのまま残ると思っていた。
倉庫代。
燃料。
電話。
伝票。
原付の消耗。
自分が使う時間。
一つずつ引けば、残る金は小さくなる。
「いくらなら会社が払うかと、お前がいくら欲しいかだけで決めるな」
父は言った。
「続けるために必要な金を見ろ」
「でも、高くしたら頼まれない」
「安くして続かなければ、もっと頼めない」
結局、料金は八百円になった。
工場長には、最初の一か月だけ試すと伝えた。
荷物が何個来るか。
再配達が何回減るか。
どのくらい時間が浮くか。
それを見て、続けるかを決める。
契約書と呼べるほど立派な紙ではなかった。
だが、預かる物、預からない物、料金、受け取り時間、責任の範囲は書いた。
父と工場長と山崎が確認し、それぞれ名前を書いた。
征一も最後に書いた。
自分の名前だけ、少し力が入りすぎていた。
────────────────
午後三時四十二分に受け取った最初の箱は、午後五時までに届ける約束だった。
残り一時間十八分。
距離だけなら、原付で十分とかからない。
征一はそう考えていた。
しかし、へこみの確認に時間がかかった。
伝票へ書く。
運転手に名前を書いてもらう。
工場へ電話する。
外箱にへこみがあるが受け取ってよいか確認する。
電話に出た事務員は、工場長へ聞くと言った。
折り返しを待つ。
午後三時五十七分。
まだ連絡がない。
箱は倉庫にある。
征一は、その前から離れられなかった。
山崎が言った。
「座ってても箱は直らんぞ」
「返事を待ってます」
「待つのも仕事か」
征一は時計を見た。
午後四時二分。
五分が、長かった。
店の配達なら、多少遅れても顔を知っている客へ謝ることができた。
今回の相手は会社だった。
工場では、この箱を待っている人がいる。
中身がなければ作業が止まるかもしれない。
だからといって、確認しないまま届けてはいけない。
午後四時六分、倉庫の電話が鳴った。
事務員からだった。
「外箱のへこみだけなら受け取ってください。届いた時に工場長が中を確認します」
征一は返事をし、電話を切った。
すぐに箱を原付へ載せようとした。
だが、荷台へ置くと右下のへこみがベルトに当たった。
締めれば、さらに箱をつぶすかもしれない。
向きを変える。
今度は伝票の入った袋が下を向く。
雨は降っていなかったが、路面には朝の雨が残っていた。
箱を落とさないこと。
濡らさないこと。
へこみを広げないこと。
それを同時に満たす積み方が必要だった。
山崎が倉庫の奥から古い毛布を持ってきた。
「これを挟め」
「使っていいんですか」
「汚れてる。商品には直接触れさせるな」
征一は毛布を折り、箱と荷台の間に挟んだ。
ベルトを二本使う。
左右へ揺らす。
箱は動かなかった。
午後四時二十一分。
まだ間に合う。
征一は原付を走らせた。
────────────────
県道へ出る手前で、トラックが二台続けて通った。
右へ曲がれない。
征一は停止線で待った。
一台。
二台。
その後ろから乗用車。
さらに軽トラック。
時計が進む。
やっと県道へ出た。
急げば間に合う。
だが速度を出せば、荷物が揺れる。
道路には小さなくぼみがあった。
いつもなら気にせず通る場所だった。
今日は避けた。
後ろから車が近づく。
征一は左へ寄った。
追い越される。
焦る。
信号が黄色になった。
行こうと思えば行けた。
だが、急に止まれば箱がずれる。
征一は減速した。
信号が赤になる。
止まってから、荷台を振り返った。
箱は動いていない。
午後四時三十九分。
工場まで、まだ少しある。
自分が約束したのは午後五時だった。
誰かに言われた時刻ではない。
できると思って、自分で書いた時刻だった。
遅れたら、誰のせいにもできない。
征一は青信号を待った。
信号が変わる。
急発進はしなかった。
間に合わせることと、壊さずに届けること。
どちらか一つでは仕事にならない。
────────────────
工場へ着いたのは、午後五時七分だった。
七分遅れた。
事務員が入口で待っていた。
「遅かったね」
「すみません」
征一は原付を止め、箱を下ろした。
「受け取った時から、右下がへこんでいました。運転手さんにも確認してもらっています」
伝票の控えを見せる。
工場長が出てきた。
箱を見る。
封を切る。
中には金属部品が六個入っていた。
一つずつ取り出す。
傷はない。
数も合っている。
征一は、肩から力が抜けるのを感じた。
工場長は伝票に受領印を押した。
「これなら明日の朝から使える」
事務員が言った。
「昨日みたいに持ち帰られていたら、また午前中が止まってたね」
その言葉を聞いて、征一は初めて、自分が何を届けたのか分かった。
箱を一個運んだ。
それだけではない。
明日の朝、作業員が待たずに済む時間を届けた。
止まるはずだった機械が動く時間を届けた。
トラックが再び同じ道を走る手間を減らした。
けれど、工場長は時計を見た。
「五時までじゃなかったか」
「はい。七分遅れました」
「次から、五時に必要なら何時に出る」
征一は答えようとして、止まった。
早く出ます。
それでは足りない。
受け取り時の確認。
電話の折り返し。
荷台への固定。
県道の交通。
どれも時間がかかる。
「四時半には出られるようにします」
「荷物が四時半に来なかったら」
征一は黙った。
工場長は怒っていなかった。
責めてもいなかった。
ただ、仕事の形を確かめていた。
荷物が到着する時間は、征一には決められない。
運送会社が遅れれば、配達も遅れる。
「遅れそうだと分かった時点で連絡します」
征一は言った。
「五時に届ける、ではなく、受け取ってから何分で届けるかも決めます」
工場長は少し考えた。
「その方が分かりやすいな」
征一は、五時までという約束が間違いだったことに気づいた。
自分で動かせない時間まで、約束に入れていた。
約束は、大きく言えば信用になるのではない。
自分が動かせる範囲を見極めて、守れる形にするものだった。
────────────────
最初の一週間で、荷物は六個来た。
一日一箱の予定だったが、金曜日だけ二箱になった。
二箱目は事前連絡がなかった。
運転手は言った。
「同じ会社の荷物だからいいだろ」
征一は受け取らなかった。
会社へ電話する。
依頼の確認が取れるまで待ってもらう。
運転手は露骨に嫌な顔をした。
「こんな小さい荷物で、いちいちやるのか」
征一は答えた。
「小さい荷物でも、なくしたら同じなので」
声が少し震えた。
運転手はため息をついた。
それでも待った。
会社の確認が取れ、二箱目も受け取った。
その日の帳面には、受領時刻だけでなく、確認に九分かかったと書いた。
六個で売上は四千八百円。
山崎へ払う最低額は三千円。
燃料代は概算で六百円。
電話代。
伝票の紙。
写真を撮るために買った使い切りカメラ代の一部。
それらを引くと、千円も残らなかった。
征一は帳面を見て、ため息をついた。
「こんなにやって、これだけか」
父は店の奥で、醤油の箱を開けていた。
「売上はいくらだ」
「四千八百円」
「残るのは」
「千円ない」
「なら、四千八百円の仕事じゃない」
征一は分かっているという顔をした。
だが、本当には分かっていなかった。
注文が増えると、売上の欄は大きくなる。
帳面の数字が増える。
それだけで、仕事が育っているように見えた。
父は言った。
「お前の時間は入っているか」
「自分でやってるから、金はかからない」
「お前の時間は、ただか」
征一は黙った。
学校から戻る。
倉庫へ行く。
荷物を確認する。
電話する。
原付へ載せる。
工場へ届ける。
伝票を戻す。
帳面を書く。
一箱に三十分で済む日もあった。
一時間以上かかる日もあった。
その間、店の配達はできない。
宿題もできない。
別の注文も受けられない。
金を払っていないから、費用がないわけではなかった。
「時間も書け」
父は言った。
「何時に倉庫へ行ったか。何時に終わったか。待った時間も書け」
「待ってるだけだよ」
「待っている間、別のことができないなら、それも仕事だ」
征一は、その日の帳面に時間を書き足した。
四時十分、倉庫着。
四時十八分、受領。
四時二十六分、確認終了。
四時三十五分、出発。
四時四十八分、配達完了。
五時二分、店へ帰着。
数字を並べると、一箱が場所を使った時間だけでなく、自分を使った時間も見えた。
小さな物流は、小さな荷物だけでできているのではなかった。
小さく分かれた時間を、何度も差し出してできていた。
────────────────
翌週、金属加工会社から電話が来た。
「明日、三箱来る予定なんだけど、受けてもらえる?」
征一はうれしくなった。
仕事が増える。
山崎へ払う最低額を超える日が近づく。
「大丈夫です」
言いかけて、止まった。
「大きさと重さを教えてください」
事務員が伝票を確認した。
二箱は、いつもの大きさ。
もう一箱は、長さ八十センチ。
重さ三十二キロ。
征一は原付の荷台を思い浮かべた。
載らない。
持ち上げるだけなら、二人でできるかもしれない。
だが、原付では運べない。
「三十二キロの箱は運べません」
電話の向こうが少し静かになった。
「倉庫で預かるだけでも?」
「預かれても、工場まで届けられません」
「山崎さんの車は使えないの?」
倉庫の脇には、古い軽トラックが止まっていた。
山崎が片づけに使っている車だった。
借りられれば運べる。
頼めば、貸してくれるかもしれない。
仕事を断らずに済む。
征一は一瞬、そう考えた。
だが、軽トラックを誰が運転する。
高校二年の征一には、運転できない。
山崎へ頼むなら、山崎の時間にも金がかかる。
燃料もいる。
事故が起きた時の責任も変わる。
今ここで「何とかします」と言えば、あとで誰かへ無理を押しつけることになる。
「今の形では受けられません」
征一は答えた。
口にすると、悔しかった。
せっかく来た仕事だった。
断れば、別の会社へ頼まれるかもしれない。
「小さい二箱だけなら受けられます。大きい箱は、別の方法をお願いしたいです」
事務員は、工場長へ確認すると言った。
十分後、電話が来た。
小さい二箱は征一が受け取る。
大きい一箱は、運送会社が翌朝、工場へ直接再配達する。
仕事は三箱から二箱に減った。
売上も八百円減った。
それでも父は言った。
「それでいい」
「よくないよ。運べたら三箱だった」
「運べない物を受け取っても、売上にはならない」
「軽トラがあれば運べる」
父は返事をしなかった。
征一は、倉庫の脇にある山崎の軽トラックを思い出していた。
小さな物流を始める前まで、車はただ運ぶ物だと思っていた。
荷物を積めればいい。
目的地へ着けばいい。
だが実際には違った。
誰が所有するのか。
誰が運転するのか。
燃料を誰が払うのか。
故障したら誰が直すのか。
事故が起きたら誰が責任を負うのか。
荷物が壊れたら誰が弁償するのか。
一台の車を動かすだけで、いくつもの約束が必要になる。
それでも、征一の目は軽トラックから離れなかった。
原付では、一箱ずつしか運べない。
重い荷物は断るしかない。
店と団地を何度も往復する。
倉庫と工場も往復する。
車が一台あれば、動かせる量が変わる。
動かせる量が変われば、受けられる仕事が変わる。
仕事が変われば、入る金も変わる。
そこまで考えて、征一は自分に言い聞かせた。
先に車を欲しがるな。
先に、車が必要な仕事がどれだけあるか確かめろ。
空いた倉庫を見た時と同じ間違いを、繰り返してはいけない。
場所があるから、仕事が生まれるのではない。
車があるから、荷物が集まるのでもない。
運ぶ物があり、待っている人がいて、払う人がいて、守れる約束があって、初めて仕事になる。
征一は帳面に新しい欄を作った。
原付で運べず、断った荷物。
一件。
三十二キロ。
八十センチ。
売上見込み八百円。
まだ失った売上ではない。
そもそも受けられなかった仕事だ。
それでも征一は、その数字を消さなかった。
できなかった仕事を残しておけば、次に何が必要なのか分かる。
倉庫の前には、トラックが向きを変えられる広さがあった。
だが、そこに止まっている車は、まだ山崎の古い軽トラックだけだった。




