残金1,842円|第14話「借りられる理由」
「この最低件数は、いつまでの約束ですか」
柴田は、征一が差し出した条件表の途中で指を止めた。
「まず半年です」
「その後は?」
「更新するか、相談します」
柴田は隣の紙を見た。
征一が作った返済予定表だった。
「こちらは、二年で返す計算ですね」
征一は二枚を見比べた。
半年の仕事。
二年の返済。
毎月の返済額を小さくすれば、荷物が少ない月にも払える。そう考えて、二年に分けていた。
だが、返す期間を延ばしても、仕事を頼まれている期間は延びなかった。
「更新されなかったら、別の仕事を探します」
「見つかるまでの支払いは、どうしますか」
「三か月分は残します」
征一は、手元に残す資金の内訳を出した。
予定より売上が減っても返済できるように残す金。
車を動かすための金。
故障した時のための金。
車の購入に使う金とは分けてあった。
柴田は通帳の残高と照らし、うなずいた。
「この間に、次の仕事を探すということですね」
「はい」
「三か月たっても、見つからなかった場合は?」
征一は口を開きかけた。
車があれば、今より大きな荷物を受けられる。
工場を回って聞くこともできる。
近くの店にも、配達の仕事があるかもしれない。
思いつくことはあった。
決まっていることは、なかった。
「まだ、そこまでは分かりません」
柴田は条件表の余白へ、小さく印をつけた。
征一には、その印が断る準備に見えた。
銀行へ持ってきた鞄は、前より重かった。
配送記録。
工場から入った金を確認できる資料。
運送会社から提示された条件。
別の中古車の見積書。
保険会社へ聞いた内容。
入金予定表と、支払予定表。
前に見送った車は、もう売れていた。
五千円を失った行は帳面に残っている。
その後、原付で運んだ箱数も、受け取った金も、使わずに残した金も増えた。
今回は、三万円を先に出してほしいと言いに来たわけではない。
全部でいくら必要かを考えた。
売上が入る前に出る金も計算した。
予定より荷物が減る場合も入れた。
それでも、まだ聞かれることがあった。
「何年も先まで、仕事があるかなんて分かりません」
征一が言うと、柴田は顔を上げた。
「そうですね」
「分からないと、借りられないんですか」
「先の仕事が全部決まっていなければ貸せない、ということではありません」
「でも、なくなったらどうするって」
「なくなる可能性があるので、伺っています」
柴田は、三か月分の返済資金の欄を指した。
「これを残す計画は分かりました。ただ、返済以外にも、毎月出ていく金がありますね」
倉庫代。
保険料。
車を持っていることで必要になる支払い。
仕事がなくなれば燃料代は減る。
だが、走らないだけで全部がなくなるわけではない。
「この三か月分は、銀行へ返すための金です」
征一は答えた。
「仕事が減った後の支払いは、別に考えます」
「はい。その場合、どの支払いを減らせるかも確認してください」
柴田は、残してきた金を否定しなかった。
ただ、その金で何もかも払えるとは言わなかった。
征一は、返済資金の欄を消さず、別の紙を出した。
「運送会社は、どうして征一さんに声をかけたんでしょう」
「工場の近くへ行く荷物があるからです」
「征一さんのことは、どう知ったんですか」
「倉庫へ来る会社なので。それと、工場長から話を聞いたそうです」
「どんな話を?」
征一は少し迷った。
「時間が読めるって」
「遅れないということですか」
「遅れたことはあります」
配送記録を開いた。
雨の日。
荷物が予定どおり倉庫へ着かなかった日。
外装を確認するため、すぐには運び出せなかった日。
工場へ着いた時刻だけを見れば、遅れた日の記録だった。
その前に、連絡した時刻がある。
「間に合わないと分かった時に、店から電話してもらいました」
「ここですね」
「はい。こっちが、着く予定だと伝えた時刻です」
柴田は、余白まで読んだ。
「工場長は、それを評価されたんですね」
「待つ人の段取りを変えられるって」
柴田は運送会社の条件表へ戻った。
「今度は、届け先が増えますね」
「はい」
「同じように連絡できますか」
「できます」
答えてから、征一は時刻表を出した。
「ただ、運ぶ順番は確認してもらいます」
自分で道を走り、かかった時間を書いていた。
荷物を積む時間と、降ろす時間も入れた。
柴田は目を通したが、その表には印をつけなかった。
「実際に回れるかは、運送会社の方と確認してください」
「銀行では、見ないんですか」
「確認された内容は伺います。ただ、私がこの紙だけを見て、運べると決めることはできません」
征一は時刻表を手元へ戻した。
銀行へ持ってくれば、自分の仕事の分からないところまで、全部確かめてもらえる気がしていた。
運送会社の担当者は、その表を見ると、二軒目と三軒目の間を指した。
「ここ、朝は混むぞ」
「昼に走った時は、これで行けました」
「頼みたいのは朝だ」
征一は鉛筆を出した。
「それと、積むのに十分?」
「箱の数なら、そのくらいで」
「荷物がそろってなかったら?」
「待ちます」
「その時間は?」
表には、なかった。
担当者は最後の届け先を見た。
「ここで受け取る人が出てこなければ、次の仕事へ響く」
「電話します」
「電話すれば、すぐ出てくるとは限らない」
征一は、行と行の間へ線を引いた。
待つ時間を入れる。
連絡する時間も残す。
最後の一件が、工場へ向かう時刻に重なった。
「この一件は、外せますか」
「外すと、その分の売上はなくなるぞ」
「分かっています」
「車の金、大丈夫なのか」
征一は、まだ分からないと答えた。
担当者は顔を上げた。
「じゃあ、銀行へ出す前に直せ」
「相談には、持っていきました」
「契約は?」
「まだです」
担当者は表を机に置いた。
「明日の朝、一度乗ってみろ。積むところから見せる」
征一は集合する時刻を書いた。
翌朝、荷物は全部が同じ場所に置かれているわけではなかった。
一つは奥の棚にあった。
一つは、伝票がそろうまで積めなかった。
運転手は数を確かめ、行き先を見て、荷台へ入れる順番を決めた。
征一が近くの箱へ手を伸ばすと、止められた。
「それは後。先に降ろす」
早く積めば、早く出られると思った。
先に降ろす荷物を奥へ入れれば、着いてから時間がかかる。
出発は、征一の表より遅くなった。
道も、昼に走った時とは違った。
一軒目では、受領印を押す人を待った。
運転手は次の届け先へ電話した。
到着が少し遅れること。
何時ごろになるか。
先方から、受け渡す場所を変える指示があった。
運転手は短く返事をした。
征一は助手席で時刻を書いた。
「毎日、こんなに変わるんですか」
「大体は同じだよ」
運転手は前を見たまま答えた。
「違う日もある」
征一は、最後の一件に線を引いた。
車の荷台には載る。
だが、その日の自分の時間には収まらなかった。
店へ戻り、売上の予定を直した。
運送会社の担当者とは、外した一件を含めずに、回してもらう最低の件数と条件を改めて確認した。
その数字で計算する。
入る金は減った。
走る距離が短くなる分、燃料代も少し減る。
保険料や倉庫代は、同じだった。
返済に回せる金は、前より小さい。
父が帳場から紙を見た。
「減ったな」
「全部は回れなかった」
「もう、走ったのか」
「乗せてもらった」
「それでも、借りるのか」
「この数字で、もう一度見てもらう」
父は、消した一件を見た。
取り戻せとは言わなかった。
「お前の飯は?」
別の欄を指した。
征一は顔を上げた。
「家で食べる」
「その金は、どこにある」
車を動かす金も、返す金も残していた。
その表の外で、自分は毎日、店の飯を食べていた。
その夜、母に、自分の分の食費を聞いた。
「一人分だけ、分けて買ってないもの」
「大体でいい」
「何のために?」
「車を買って、仕事を始めた後の計算」
母は帳面を持ってきた。
米。
食材。
洗剤。
家で使うものにも、店と一緒に買っているものがあった。
正確に一人分へ分けられないものは、母と相談して額を置いた。
父とは、仕事を始めて最初の半年は、家へ入れる金を待ってもらう話をした。
半年後からの額も決めた。
店に立て替えてもらった金は、確認した額と返す時期を別に書いた。
父は、そのページへ手を伸ばさなかった。
「お前が書け」
征一は七か月目の支払いを増やした。
運送会社の仕事を更新するか決める時期と、家へ金を入れ始める時期が重なった。
更新された場合。
更新されず、工場の仕事だけになった場合。
その二つを、別の紙に書いた。
後の紙では、返済と固定の支払いを続ければ、残した金が減っていった。
数字を足し直しても、増えることはなかった。
次の相談には、父にも来てもらった。
今までの配送は、店を通して受けていた。
倉庫も、工場からの入金も、原付も、父の店と切り離されてはいない。
自分の名前で始めると言うだけでは、変わらなかった。
工場には、これからの仕事を征一が受ける相談をした。
契約する相手。
請求する名義。
振込先。
切り替える日。
倉庫を引き続き使う条件も、関係する相手と確かめる必要があった。
運送会社とは、征一を相手とする契約案を確認した。
必要な届出や車両、保険など、仕事を受ける前に整える条件も並んでいた。
柴田は、二人の説明を聞いた。
「今回は、征一さんが事業主として借りるご相談ですね」
「はい」
征一が答えた。
「お父さまが、借入人になられる予定ではない」
「ありません」
父の返事は短かった。
征一は膝の上で手を握った。
自分で決めたことだった。
それでも父が銀行で口にすると、身体の内側が少し冷えた。
「生活費を待たれる期間と、立替分の返済については、この内容で承知されていますか」
父は、征一が書いた紙を見た。
「承知しています」
「事業の返済が足りない場合、お店から補う計画ですか」
「それを当てにした計画にはしていません」
柴田は、更新されなかった場合の表を見た。
「この時は、予定を変える必要がありますね」
「はい」
「どの時点で、仕事を続けるか、車を手放すかを判断しますか」
征一は表の三か月目を指しかけた。
残した金が減り切る直前だった。
指を戻した。
そこで売ろうとしても、すぐ買い手がつくとは限らない。
仕事を探す時間も、車を売る時間も、同じ残高から使うことになる。
「更新の返事が出た時に、すぐ相談します」
「その返事は、いつ分かりますか」
「期限を決めてもらえるか、確認します」
柴田はうなずいた。
征一は、契約案の確認する箇所へ書き足した。
配送記録と入金の確認には、時間がかかった。
何箱運んだか。
いくら請求したか。
いつ支払われたか。
父の店の口座には、配送以外の金も入っていた。
通帳の入金が、そのまま全部、征一の仕事の売上になるわけではない。
現金で受け取った配送代もあった。
その分は、通帳だけでは分からなかった。
柴田は、資料を一つずつ照らした。
「これは、何の入金でしょう」
父が説明するものもあった。
征一が受領書を探すものもあった。
数字が合わないところは、そのまま進まなかった。
何度もページを戻すうちに、征一は最初の窓口を思い出した。
四日後に入ると言った。
工場長が払うと言った。
あの時は、それで足りると思っていた。
今、柴田が確かめているのは、征一がそう思っているかではなかった。
運んだ記録がある。
相手が受け取っている。
代金が支払われている。
次に受ける仕事には、どこまで約束がある。
その一つずつだった。
運送会社との確認が進み、更新の回答を求める時期も条件の中に入った。
仕事を続ける約束が二年に延びたわけではない。
終わる可能性を、早めに知るための期限だった。
車屋には、車を手放す場合に何が必要かも聞いた。
「買う前から、売る話か」
男は見積書を置いた。
「返す途中で仕事がなくなった時のことを聞かれました」
「その時の値段は、今は出せないぞ」
「買った額では戻らないのは、聞きました」
「状態にもよる。走った距離にもよる」
征一はうなずいた。
売れば全部返せる、と書くのはやめた。
売却代金で不足すれば、その不足は残る。
借入契約の条件によっては、手放す前に銀行へ相談する必要もある。
分からないことを、車屋の返事だけで埋めずに持ち帰った。
銀行で確かめる項目が、また増えた。
申込書を書いたのは、その次の相談だった。
柴田は、そろった資料を机に重ねた。
「この内容で、審査を進めたいと思います」
征一は背筋を伸ばした。
「借りられるんですか」
「審査は、これからです。金額や期間が、ご希望どおりになるとは限りません」
征一は紙を受け取った。
名前。
住所。
仕事の内容。
資金の使い道。
必要な額。
返済の予定。
前の窓口では、払戻請求書に三万円と書いた。
今回は、その金額だけで終わらなかった。
別の紙に書いてきた内訳も、添えた。
父は隣で待っていた。
征一が書いたところを、代わりに埋めることはしなかった。
返事を待つ間も、荷物は来た。
原付で運べる箱を運ぶ。
運べないものは、先に伝える。
車を買うつもりでも、まだ持っていない車で運ぶ約束はしなかった。
運送会社から、来月の予定を組みたいと連絡があった。
「いつから来られる」
征一は帳面を開いた。
銀行の返事は、まだだった。
車の売買も、事業を始めるための確認も終わっていない。
「まだ、始められる日は約束できません」
「こっちも、人を空けておけないぞ」
「いつまで待てますか」
担当者が日付を言った。
征一は、その日を囲んだ。
「そこまでに決まらなければ、先にほかの人を入れてください」
「いいのか」
よくはなかった。
その荷物が減れば、銀行へ出した予定も変わる。
それでも、できると言ってから断るわけにはいかなかった。
「まだ、できるって言えないので」
電話を切った後、征一は銀行にも連絡した。
待ってもらえる期限を伝える。
その日までの融資を約束してもらえたわけではない。
「仕事の条件が変わったら、すぐ教えてください」
柴田が言った。
「審査も変わりますか」
「返済の前提が変われば、確認し直す必要があります」
征一は受話器を持ち直した。
金だけ先に借りて、なくなった仕事を後から探す。
それでは、持っていった表とは違う仕事になってしまう。
銀行へ呼ばれた日の朝も、征一は工場へ箱を届けた。
戻って手を洗う。
爪の横に汚れが残っていた。
石けんをつけ直すと、父が店先から声をかけた。
「間に合うのか」
征一は時計を見た。
「間に合う」
蛇口を閉め、鞄を持った。
柴田は、条件の書かれた紙を出した。
融資額。
期間。
金利。
毎月の返済額。
契約と実行までに確認すること。
征一は、自分の予定表へ数字を移した。
車の代金に使う自己資金を引く。
仕事を動かす金を残す。
修理のための金を残す。
毎月の返済額が決まったので、三か月分の金も計算し直した。
必要な残高は、確保できる。
征一はもう一度、足した。
支払いを引いた。
柴田は、その間、待っていた。
「この条件で、進めたいです」
「では、車の購入と、仕事を始める準備に合わせて、手続きを進めましょう」
まだ、現金が渡されるわけではなかった。
契約をする。
支払先と支払日を確かめる。
必要な手続きの進み具合を確認する。
条件が変われば、その都度伝える。
征一は、金額を書いた紙の横へ、日付の表を開いた。
「どうして、貸してもらえるんですか」
説明が終わってから、征一は聞いた。
柴田が顔を上げた。
「父の店が、ここを長く使ってるからですか」
「お店とのお取引で、確認できたことはあります」
「それが、理由ですか」
「今回、返済に使う予定なのは、征一さんの事業で残る金です」
柴田は配送記録と、入金を確認した資料を重ねた。
「実際に仕事をして、代金が支払われています。次の仕事を頼まれた経緯と、契約する条件も確認できました」
その上へ、新しい予定表を置く。
「必要な支払いの後に、返済する金が見込めること。ご自身で用意された資金があること。仕事が減った場合の対応も含めて、判断しています」
「絶対、返せるってことではないんですね」
「はい」
返事は短かった。
「銀行でも、分からないんですか」
「この先のことが、全部分かるわけではありません」
「それでも、貸すんですか」
「確認できた内容から、返済できると判断して、この条件をお出ししています」
征一は、半年と書かれた条件表を見た。
それより先に並ぶ、返済予定の日付を見る。
「始まってからの数字も、見せてください」
柴田が言った。
「予定と違ってきたら、早めに相談してください」
「相談したら、また借りられますか」
「その時の状況によります」
征一は、紙を持つ手を緩めた。
次の借入まで約束されたわけではない。
今日、出された条件も、今までに確かめた仕事と資金を前提にしていた。
征一は、持ち帰る紙を一枚ずつ鞄へ入れた。
車屋との売買条件が整った。
代金を払う日。
納車前に行う整備。
車を受け取る日。
必要な届出や保険の手続きも進めた。
運送会社に確認を受け、開始日を決めた。
待ってもらえる期限には間に合った。
工場との取引も、切り替える日を決めた。
店で受けた仕事の代金が、後から父の店の口座へ入る分は残っていた。
それを征一の新しい事業の入金と混ぜないよう、父と帳面を確かめた。
融資の契約をし、条件を満たしたことを確認した上で、実行と車の支払いへ進んだ。
借りられると言われた日。
契約した日。
実際に金が出た日。
車を受け取った日。
帳面には、別々の日付が並んだ。
初めの月は、予定どおりには進まなかった。
一軒目で待つ日があった。
箱が増えた日も、減った日もあった。
工場の受け取り時刻に響きそうになり、先に電話した日もあった。
征一は帰ると、時刻表を直した。
給油するたび、金額と走行距離を書いた。
走った日の売上が、その日に入るわけではない。
燃料代は、用意しておいた運転資金から出した。
最初の入金を確認した時、予定の日付と実際の日付を見比べた。
同じだった。
その金から、次の支払いを残す。
倉庫代。
保険料。
燃料代。
車検や税金、修理に備えて取り分ける分。
残高が増えたからといって、その全部を使えるわけではなかった。
返済用の口座へ移す額を、征一はもう一度数えた。
最初の返済日の前日、征一は銀行へ入った。
窓口には、三万円を下ろそうとした時の女性がいた。
征一は、入金票と現金を差し出した。
女性が数える間、通帳を開いて待った。
返された通帳には、入金後の残高が印字されていた。
翌日の返済額より多い。
征一は確かめ、鞄へしまった。
返済予定表に丸をつけたくなった。
まだ、つけなかった。
翌日、もう一度記帳した。
通帳には、引き落とされた金額があった。
征一は待合の椅子へ座り、予定表を開いた。
一回目の日付の横へ、小さく丸をつける。
その下には、来月の日付が待っていた。




