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残金1,842円|第13話「銀行の窓口」

 三万円を下ろそうとして、二万六千四百円しかなかった。


 窓口の女性は、征一が書いた払戻請求書と通帳を並べた。


「残高が不足しています」


「四日後に、四万八千円入ります」


 征一はすぐに答えた。


 工場から支払われる配送代だった。


 先月は六箱しか運べなかった。


 今月は、すでに六十箱近い。


 荷物が遅れた日もあった。箱の角がつぶれていた日もあった。


 それでも、必要な時刻を聞き、遅れる前に電話を入れ、荷物を届けた。


 月末になれば、その仕事が四万八千円になる。


「入金される予定なんです」


「はい」


 女性は、もう一度通帳を見た。


「ただ、まだ入金されていませんので」


「今日、三万円だけ必要なんです」


「二万六千円まででしたら、お引き出しできます」


 征一は、通帳の残高を見た。


 数字が足りないことは、銀行へ来る前から分かっていた。


 それでも、四日後に入る金のことを話せば、今日の三万円を出してもらえると思っていた。


 工場長は払うと言っている。


 運んだ記録もある。


 受領書も残っている。


 まだ通帳に入っていないだけで、自分の金になることは決まっている。


 そう思っていた。


「四日後には返せます」


 女性の手が止まった。


「お借り入れのご相談でしょうか」


 征一は答えられなかった。


 金を下ろしに来たつもりだった。


 借りに来たつもりはなかった。


「三万円を先に出してもらって、月末に入ったら戻すだけです」


「それは、お借り入れになります」


 女性は責める声ではなかった。


 ただ、征一が避けていた言葉を、そのまま置いた。


 借りる。


 通帳にない金を、先に使う。


 征一は返された払戻請求書を受け取った。


 金額欄には、自分で書いた三〇、〇〇〇が残っている。


 その数字は、口座の中にはなかった。



 三万円は、中古の軽貨物車を押さえるための手付金だった。


 車両価格、十八万円。


 名義変更と整備を含めて、二十一万六千円。


 店の取引先から紹介された車だった。


 車検は半年残っている。


 荷台には、細長い箱も載る。


 小箱なら、原付で二往復していた数を一度で運べる。


 雨の日にも荷物を濡らさずに済む。


 父の軽トラを借りなくていい。


 山崎の車が動くかどうかを気にしなくてもいい。


 運転手の席も、自分で埋められる。


 今日中に三万円を払えば、二日間はほかの人へ売らない。


 そう言われていた。


 だから征一は、四日後に入る四万八千円を、今日へ持ってこようとした。


 銀行なら、それができると思った。



「借りる話をしに行ったんじゃないのか」


 店へ戻ると、父が言った。


 帳場には、仕入れの伝票が日付順に並べてあった。


 牛乳。


 パン。


 菓子。


 洗剤。


 たばこ。


 商品が届いた日と、代金を払う日は同じではない。


「月末に入るから、先に三万円出してもらえないか聞いた」


「通帳にない金をか」


「四日後には入る」


「それを何て言う」


 征一は黙った。


 父は伝票を一枚持ち上げた。


「借りるんだろ」


「でも、入るのは決まってる」


「誰が決めた」


「工場長が」


「銀行は、その話を知ってるのか」


 征一は鞄からノートを出した。


 何月何日。


 何箱届いたか。


 何時に倉庫へ着いたか。


 何時に工場へ届けたか。


 外装に異常があったか。


 受領印。


 一箱八百円。


 全部、書いてある。


「これを見せればよかった?」


「俺に聞くな」


 父はノートを受け取らなかった。


「銀行へ見せて、向こうに聞け」


「さっき断られた」


「何を断られた」


「三万円」


「借りたいって言ったのか」


 征一は首を振った。


「じゃあ、借りる相談はしてないだろ」


「同じ銀行じゃん」


「同じ店でも、レジで仕入れの相談はしない」


 父は、店の奥へ目を向けた。


 母が空き瓶の数を確認している。


 祖母は、届いた新聞を棚へ入れていた。


 同じ店にいても、扱うものは違う。


 銀行にも、預けた金を出す場所と、まだ持っていない金を借りる場所がある。


「どこへ行けばいいの」


「窓口で聞け」


 父は伝票を並べ直した。


「今度は、三万円を出してくれじゃなく、何をしたいのか最初から話せ」



 征一は銀行へ戻った。


 先ほどの女性は、別の客の通帳を扱っていた。


 征一は番号札を取った。


 待合の長椅子に座り、配送記録を膝へ置く。


 欲しい金は三万円。


 だが、車の価格は二十一万六千円だった。


 今日の三万円を払えても、残り十八万六千円が要る。


 月末に入る四万八千円を使う。


 来月も箱を運ぶ。


 売上が増えれば、残りも払える。


 そう考えていた。


 だが、車を買った後にも金はかかる。


 燃料。


 保険。


 税金。


 整備。


 タイヤ。


 故障した時の修理。


 荷物を固定する道具。


 数え始めると、必要な金は二十一万六千円で終わらなかった。


 番号が表示された。


 征一は窓口へ戻った。


「借りる相談をしたいです」


 女性は、先ほどとは違う紙を手に取った。


「事業のお借り入れでしょうか」


「荷物を運ぶ車を買いたくて」


「事業をされているのは、ご本人ですか」


 征一は言葉に詰まった。


 工場から仕事を頼まれている。


 倉庫を使っている。


 荷物を運んでいる。


 一箱八百円を受け取っている。


 仕事をしているのは自分だった。


 だが、倉庫の契約は父の店を通している。


 工場からの支払いも、店の口座へ入る。


 原付は父の名義だ。


「父の店の仕事として受けています。でも、運んでいるのは僕です」


「車を購入されるのは、どなたですか」


「僕です」


「登録名義は」


 答えられなかった。


「お借り入れを申し込まれるのは」


 それも分からない。


 征一の中では、全部が一つだった。


 自分が荷物を運ぶ。


 だから自分の仕事で、自分の車で、自分が借りて、自分が返す。


 だが銀行では、それぞれが別だった。


 仕事を受ける人。


 車を買う人。


 車の名義人。


 金を借りる人。


 返済する人。


 売上を受け取る人。


 一つの荷物に、発送元、運送会社、倉庫、工場があったように、一台の車についても、誰の名前で何を引き受けるのかを決めなければならなかった。


「事業主の方と一緒にご相談いただいた方がよいと思います」


 女性は一枚の紙を出した。


 本人確認書類。


 事業内容が分かるもの。


 確定申告書。


 決算書。


 車の見積書。


 資金の使い道。


 返済の予定。


 征一は上から読んだ。


 見積書はある。


 配送記録もある。


 工場から入る金額も分かる。


 だが、自分の確定申告書も決算書もない。


「まだ始めたばかりです」


「融資担当者に確認します。少々お待ちください」


 征一は、もう一度長椅子へ戻った。


 今度は番号札を持っていなかった。



 灰色の背広を着た男が、征一の前に来た。


 名札には、柴田とある。


 相談用の机へ案内されると、柴田は車の見積書より先に配送記録を手に取った。


「これ、ご自分で書いたんですか」


「はい」


「荷物の到着時刻と、工場へ届けた時刻まで」


「遅れた時に、どこで時間を使ったか分かるように」


 柴田はページをめくった。


 外装の状態。


 伝票番号。


 優先する箱。


 到着予定。


 連絡した時刻。


 箱が大きく、父と母の予定まで変えた日は、そのことも余白へ書いてある。


「工場からの支払いは、いつですか」


「今月分は月末です」


「来月以降は」


 征一は止まった。


 来月から、工場の配送は週二回になる。


 支払いは、月末締めの翌月十日。


 今月末に入る四万八千円は、試しに始めた期間の分だった。


 来月一日に運んだ荷物の金は、その日に入らない。


 翌月十日まで入らない。


 仕事が増えれば、すぐ金も増えると思っていた。


 だが、働く日と、金が入る日は違う。


「翌月の十日です」


 柴田は白い紙へ日付を書いた。


 一日。


 十日。


 二十日。


 月末。


「倉庫の使用料は、いつ払いますか」


「毎月一日です」


「燃料代は」


「入れるたびです」


「山崎さんへの支払いは」


「月末です」


「保険料は」


「まだ分かりません」


「車屋さんか、保険会社へ確認できますか」


 征一はうなずいた。


 柴田は、一日の下へ倉庫使用料と書いた。


 十日の下へ、工場からの入金。


 月末には、山崎への支払い。


 日付の下に、入る金と出ていく金が並んだ。


 合計すれば、売上の方が多い。


 それでも、十日に金が入る前に、一日に支払う金がある。


「売上はいくらかという話と、いつ入るかという話は、別なんです」


 柴田が言った。


 征一は、荷物を運ぶ時のことを思った。


 倉庫へ届く時刻。


 工場が受け取る時刻。


 機械へ取り付ける時刻。


 運び終えればよいのではなかった。


 必要な時刻より後に届けても、間に合ったことにはならない。


 金も同じだった。


 売上が決まる日。


 請求する日。


 口座へ入る日。


 そこから支払える日。


 同じ四万八千円でも、四日後の金は、今日には使えない。


「借りた金で払います」


 征一が言うと、柴田は否定しなかった。


「では、入金までに必要な金も、資金計画へ入れなければなりません」


「車の代金だけじゃなくて?」


「車を買った次の日から、仕事をするのであれば」


 車を手に入れる金。


 車を動かす金。


 金が入るまで待つ金。


 征一は、三万円しか見ていなかった。


「いくら必要ですか」


 柴田が聞いた。


「二十一万六千円です」


「それは、車を買う金額ですね」


「ほかに、燃料と保険と」


「金額は分かりますか」


「まだ」


 知らないものを、買った後で何とかしようとしていた。


 山崎の軽トラを見た時と同じだった。


 バッテリーを替えれば動く。


 そう言いかけた。


 いくらするのかも、誰が払うのかも知らないまま。


「調べてきます」


「その方がいいですね」


 柴田は配送記録を閉じなかった。


「それと、返済に回せる金額も必要です」


「売上から返します」


「売上を全部、返済には使えませんよね」


 倉庫代。


 燃料代。


 保険料。


 修理費。


 仕事を続けるための金を引いた後に、返済へ回せる金が残る。


「工場の仕事は、いつまで続く契約ですか」


「来月から週二回です」


「期間は」


「聞いてません」


「最低の箱数は決まっていますか」


「一個八百円です」


「荷物がない日は」


「ゼロです」


 口にすると、急に頼りない仕事に聞こえた。


 工場長は、週二回頼みたいと言った。


 だが、毎週必ず荷物があるとは言っていない。


 荷物がなくても、車の代金は残る。


「工場長は、嘘をつかないです」


 征一は言った。


 柴田は、すぐには返事をしなかった。


「嘘を疑っているわけではありません」


 紙の入金日の横へ、予定、と書いた。


「何が約束されているのかを知りたいんです」


 工場長を信用している。


 工場長も征一へ仕事を頼もうとしている。


 それでも銀行は、「信用しています」という一言を、そのまま金には変えなかった。


 誰が払うのか。


 いくら払うのか。


 いつ払うのか。


 いつまで続くのか。


 減った時はどうなるのか。


 柴田は、征一の答えを一つずつ紙へ書いた。



「今日、借りられますか」


 征一が聞くと、柴田は顔を上げた。


「今日は、ご相談を受けたところです」


「手付金を、今日払わないといけないんです」


「車屋さんとは、今日までという約束ですか」


「はい」


「待ってもらう相談はしましたか」


 征一はしていなかった。


 今日払う。


 払えなければ、別の人へ売る。


 そう聞いてから、三万円を集めることしか考えていなかった。


 期限を変えられるかは、一度も聞いていない。


「電話してみます」


「その方がいいと思います」


 征一は立ち上がりかけた。


 柴田が続けた。


「ただし、待ってもらえたから、借りられるとは限りません」


「分かっています」


 そう答えたが、本当には分かっていなかった。


 銀行へ来れば、貸してもらえるか、断られるか。


 その二つしかないと思っていた。


 実際には、その前が長かった。


 誰が借りるのか。


 何に使うのか。


 全部でいくら必要なのか。


 金はいつ出ていくのか。


 売上はいつ入るのか。


 返済にいくら残るのか。


 仕事はどこまで決まっているのか。


 借りられるかどうかを決める前に、自分が決めなければならないことが並んでいた。


「もう一度来てもいいですか」


「お父さんと一緒に来てください」


 柴田は、日付を書いた紙を征一へ渡した。


「それから、この配送記録も持ってきてください」


「決算書じゃないのに?」


「決算書がないなら、今あるもので仕事を見るしかありません」


 柴田は、受領時刻の並んだページを指した。


「ただ、これだけでは金の流れが分かりません」


 次に、入金日と支払日を書いた紙を指す。


「こちらだけでは、仕事の中身が分からない」


 二つを並べた。


「両方、必要です」



 銀行を出た征一は、公衆電話から車屋へかけた。


「二日、待ってもらえませんか」


「手付けなしで?」


「五千円なら、今日払えます」


 通帳から出す金ではない。


 工場から現金で受け取った臨時の配送代が、店の金庫に入っている。


 父へ相談しなければ使えない。


「五千円で二日か」


 車屋の男が言った。


「二日後に、買えるかどうか返事します。買えなかったら、返さなくていいです」


 自分で言ってから、征一は息を止めた。


 五千円。


 最初の月、一か月働いても残らなかった金額だった。


「明後日の午後五時までだ」


「はい」


「銀行が駄目なら、どうする」


 昨日までなら、別の金を探すと言ったかもしれない。


 父に借りる。


 母に頼む。


 工場長へ前払いを頼む。


 山崎へ相談する。


 空いている人の金や時間を、後から探す。


 征一は受話器を握り直した。


「その時は、買いません」


 言葉にした瞬間、車の荷台が遠ざかった。


「五千円を持って、四時までに来い」


 電話が切れた。



 父は、銀行でもらった紙を読んだ。


「五千円のこと、勝手に決めたのか」


「まだ払ってない」


「誰の五千円を使う」


「配送でもらった分」


「現金でもらえば、全部お前の金か」


 征一は答えられなかった。


 運んだのは自分だった。


 だが、倉庫は店を通して借りている。


 原付も父の名義だ。


 最初の燃料代も店から出た。


「使わせてください」


 言い直した。


「車を二日間、押さえるために」


「二日で何を決める」


「車を買った後に必要な金。保険と燃料と整備。工場の仕事がどれくらい続くか。月に何箱あるか」


「それだけか」


「誰が借りるか。誰が返すか」


 父は初めて顔を上げた。


「誰が返すと思ってた」


「僕の配送の売上から」


「足りなかったら」


 征一は黙った。


 父の店の名義で借りれば、銀行へ返す責任も父に残る。


 配送の売上が足りなくなった時、自分が困るだけでは終わらない。


「それも決める」


「二日で決まるか」


「分からない」


「五千円を失うかもしれないぞ」


「うん」


 父は、しばらく銀行の紙を見ていた。


「金庫から出せ」


 征一は顔を上げた。


「ただし、帳面に書け」


「手付金、五千円」


「それだけじゃない」


 父は帳面の日付欄を指した。


「戻らない条件も書け」


 征一は鉛筆を持った。


 車両仮押さえ金、五千円。


 明後日午後五時まで。


 購入しない場合、返金なし。


 書いた瞬間、五千円が重くなった。


 財布に入っていた時には、一枚の紙幣だった。


 条件と日付を書いたことで、戻らない可能性のある金になった。


 征一は金を持って車屋へ行き、約束した条件を確認して払った。


 受け取った紙を、銀行の資料と一緒に鞄へ入れた。



 翌朝、征一はもう一度、車屋へ行った。


 保険料。


 税金。


 車検の残り。


 整備の範囲。


 タイヤの状態。


 バッテリー。


 次に交換が必要になりそうな部品。


 一つずつ聞いた。


「全部で、いくら見ればいいですか」


「何も壊れなきゃ、見積どおりだよ」


「壊れたら」


「中古車だからな」


 答えになっていないようで、答えだった。


 いつ壊れるかは、誰にも約束できない。


 だから、壊れた時に払う金を先に残す。


 征一は見積書の下へ書いた。


 冬前、前輪タイヤ交換。


 バッテリー交換の可能性あり。


 修理予備費。


 金額はまだ空欄だった。


 次に工場へ行った。


 工場長は機械の横で話を聞いた。


「月に何箱あるかは、月によるな」


「一番少ないと、どれくらいですか」


「荷物がない週もある」


「週二回って」


「荷物がある週は、二回頼みたいってことだ」


 工場長は、嘘をついていなかった。


 征一が、毎週二回の仕事だと思っていただけだった。


「最低の箱数は決められませんか」


「今は無理だ。こっちも仕入れ次第だから」


「一か月先の予定は」


「分かる分は出せる。でも、増えることも減ることもある」


 征一はノートへ書いた。


 最低保証なし。


 予定数量は月ごとに確認。


 変更あり。


「前払いはできますか」


 工場長が征一を見た。


「車を買うのか」


「まだ決めてません」


「前払いして、荷物が減ったらどうする」


「その後の配送代から引いてもらいます」


「何か月かかるか分からなくなるぞ」


 今日の金を先へ持ってくれば、その後に入る金が減る。


 工場長は腕を組んだ。


「車があれば、頼める荷物は増える」


 征一は顔を上げた。


「でも、車を買えば荷物が増えるとは約束できない」


 欲しかった答えではなかった。


 だが、借りる前に必要な答えだった。



 その夜、父と支払予定を作った。


 車両代。


 名義変更。


 保険料。


 燃料費。


 倉庫使用料。


 山崎へ払う金。


 タイヤ交換。


 故障した時の予備費。


 父は、分からない金額を勝手に埋めなかった。


「保険屋へ聞け」


「明日の朝、聞く」


「タイヤは」


「車屋に見積もりを頼んだ」


「売上は」


 征一は、これまでの箱数を並べた。


 最初の月は六個。


 次の月は三十七個。


 今月は六十個近い。


 増えている。


 だが、来月も六十個あるとは決まっていない。


 父は、一番多い月ではなく、六個の月を指した。


「これでも返せるか」


「無理」


「何個なら返せる」


 倉庫使用料を引く。


 燃料代を引く。


 保険料を月割りで入れる。


 修理のために少し残す。


 その後に残る金から、返済する。


 一箱八百円。


 二十個では足りない。


 三十個なら、少し残る。


 考えている返済額を置くと、四十個は必要だった。


「毎月四十個です」


「約束されてるか」


「されてない」


 紙の上には、買える理由と買えない理由が両方あった。


 車があれば、一度に運べる。


 大きな箱も受けられる。


 雨の日も動ける。


 新しい仕事を受けられるかもしれない。


 だが、今ある仕事だけでは返せない月が出る。


「銀行へ持っていくか」


 父が聞いた。


「持っていく」


「借りるために?」


 征一は、支払予定表を見た。


「借りていいか、決めるために」



 翌日、必要な見積もりを受け取り、父と征一は銀行へ行った。


 柴田は二人を相談用の机へ案内した。


 征一は、車の見積書を出した。


 配送記録。


 入金予定表。


 支払予定表。


 保険料とタイヤ交換の見積もり。


 工場から聞いた予定数量。


 全部並べた。


 柴田は、父の店の決算書を確認した。


 次に、配送の記録を見る。


「売上は増えていますね」


「はい」


「最低数量の契約は」


「ありません」


 征一が答えた。


「荷物がない週もあります。一番少ない月は六個でした」


 柴田は、六個の月も紙へ書いた。


「六個では、返済原資は出ませんね」


「はい」


「四十個なら」


「今考えている返済額なら、払えます。ただ、修理があれば足りなくなるかもしれません」


「その場合は、どうしますか」


「修理のための金を先に残します」


「その分、車両代が不足しますね」


「不足分を用意できるまで、買わない方がいいと思います」


 言うと、五千円の痛みが戻った。


 今日の午後五時までに買わなければ、仮押さえ金は戻らない。


 それでも、車を買った後に返せなくなるより小さい。


 柴田は父へ聞いた。


「お父さまは、店の資金から返済を補うお考えですか」


 父は答えた。


「私が借りれば、返す責任も私にあります」


 一度、言葉を切った。


「ただ、この配送で返せない金を、店の名前で借りるつもりはありません」


「今回は、どうされますか」


 父は征一を見た。


 決めるのは自分だと分かった。


 征一は、配送記録を見た。


 六個の月。


 三十七個の月。


 荷物が遅れた日。


 角がつぶれていた箱。


 父と母の予定を変えた日。


 必要な時刻に届いた日。


 仕事は増えている。


 だから、今すぐ車を買いたかった。


「今回は、借りません」


 喉が固くなった。


 車の荷台が、自分から遠ざかっていく。


「車も買いません」


 柴田は、すぐに書類を閉じなかった。


「分かりました」


「借りないのに、相談してよかったんですか」


 征一が聞くと、柴田は配送記録を返した。


「借りないと決めるのも、相談の結果です」


 銀行から金は出なかった。


 車も手に入らない。


 五千円も戻らない。


 それでも、何が足りないのかは、最初に窓口へ来た時より分かっていた。


 柴田が言った。


「次に仕事が増えた時は、金が必要になる前に来てください」


「借りるか決めてなくても?」


「決めるために来てください」



 銀行を出たのは、午後四時十二分だった。


 征一は車屋へ電話した。


「今回は、買いません」


 男は短く、分かった、と答えた。


 五千円は返らなかった。


 店へ戻り、帳面に書く。


 車両購入見送り。


 仮押さえ金、五千円。


 返金なし。


 父は、その行を消せとは言わなかった。


「もったいなかった」


 征一が言うと、父は答えた。


「五千円で止まれた」


 車を買っていれば、二十一万六千円では終わらなかった。


 保険料。


 燃料代。


 整備費。


 返済。


 荷物がない日にも出ていく金。


 五千円は高かった。


 だが、まだ払える金額だった。


 征一は新しいページを開いた。


 配送した箱数。


 売上。


 入金日。


 倉庫代。


 燃料代。


 保険料。


 車両購入のために残す金。


 日付ごとに書き直した。


 月末には、四万八千円が入る。


 その金を全部、次の車の手付金にはしない。


 一日に出る金を残す。


 次の入金まで動く金を残す。


 修理のための金も少しずつ置く。


 車を買える日は遠くなった。


 その代わり、次に借りる金額は小さくできるかもしれない。



 二か月後、運送会社から電話が来た。


 小口配送を、週に何件か回せないかという話だった。


 以前、倉庫へ荷物を運んできた会社だった。


 配車の責任者から、近くの工場へ行く便があるなら相談したいと言われた。


 車がなければ受けられない。


 征一は、その場で返事をしなかった。


 荷物の数。


 外寸。


 重さ。


 集荷場所。


 配送先。


 時刻。


 支払日。


 最低件数。


 荷物がなくなった時の扱い。


 一つずつ聞いた。


 電話を切った後、配送記録を開く。


 工場の分と、運送会社の分を分けて書く。


 入金予定表を作る。


 支払予定表も作る。


 保険会社へ電話し、仕事で使う車の保険料を確認した。


 車屋にも、別の中古車があるか聞いた。


 今度は、必要な金が三万円だけには見えなかった。


 車を買う金。


 車を動かす金。


 故障した時の金。


 最初の入金まで待つ金。


 全部を分けてから、父へ見せた。


「銀行へ行ってくる」


 父は紙を受け取った。


「何を借りる」


「車を買う金と、最初の入金まで動かす金」


「返すのは」


「工場と、運送会社の売上。工場は少ない月を見た。運送会社は、最低限頼めると言われた件数で計算した」


「予定より減ったら」


「今残してある金で、三か月は返せるようにした。仕事を続ける金とは、分けてある」


 父は、一番少ない月の数字を見た。


 多い月だけで作った表ではなかった。


「一人で行くのか」


「最初は相談だけする。申し込むなら、また一緒に来てほしい」


 征一は鞄へ書類を入れた。


 通帳も持った。


 印鑑も持った。


 だが、払戻請求書は書かなかった。


 店を出る前に、もう一度、支払予定を開いた。


 月末に入る金の横ではなく、その前に払う金の下へ、鉛筆で線を引いた。


 征一が今度、銀行へ持っていくのは、欲しい金額だけではなかった。


 金が入る日と、なくなる日だった。

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