残金1,842円|第12話「遅れない男」
午後一時を過ぎても、トラックは来なかった。
征一は、倉庫の入口に立っていた。
県道を走る車の音がするたび、顔を上げる。
乗用車。
軽トラ。
空のダンプ。
どれも速度を落とさず、倉庫の前を通り過ぎていった。
壁の時計は、一時七分を指している。
今日届く荷物は五箱だった。
小さい箱が四つ。
長さ九十五センチの細長い箱が一つ。
前日に工場から聞いた。
重さ。
外寸。
横にしてよいか。
どの箱を先に届けるか。
全部、ノートに書いてある。
細長い箱と、伝票番号の末尾が三七の小箱。
この二つを一便目に載せる。
午後一時までに荷物が到着したら、午後二時までに工場へ届ける。
そこまで決めていた。
決めていたから、今日は迷わないと思っていた。
「来んな」
山崎が、倉庫の奥から言った。
征一は時計を見た。
一時九分。
「もう少し待ちます」
「待つのはいい」
山崎は棚の前で伝票を揃えていた。
「いつまで待つ」
征一はノートを開いた。
一時までに到着。
その文字の下には、何も書かれていなかった。
「二時には届けます」
「荷物が来ればな」
分かっている。
そう言い返したくなった。
原付で工場までは、いつも十二分ほどかかる。
箱を確認する。
受領印を押す。
荷台へ載せる。
布を詰める。
ゴムで固定する。
それでも、一時半までに来れば間に合うかもしれない。
信号に止まらなければ。
箱がすぐに見つかれば。
伝票に間違いがなければ。
一度で荷台へ載れば。
頭の中に、条件が増えていった。
「電話したか」
「まだです」
「何時に来るか、聞かんのか」
「もうすぐ来るかもしれないので」
山崎は伝票を棚へ置いた。
「電話してる間に来たら、困るのか」
征一は答えず、倉庫の電話へ向かった。
────────────────
工場の事務員は、発送元から予定どおり出たと聞いている、と言った。
「何時に出ましたか」
「そこまでは聞いていません」
「どこからですか」
事務員が黙った。
紙をめくる音がした。
「県外の仕入れ先です」
「今日、工場へ持っていく荷物で合ってますか」
「はい。五箱です」
「運送会社は」
「伝票を見ないと」
征一は受話器を強く握った。
発送元。
運送会社。
倉庫。
工場。
一つの荷物に、四つの場所がつながっている。
そう分かったつもりだった。
しかし、荷物がどこにあるのかを知っている人が、今どこにいるのかまでは考えていなかった。
「分かったら、電話をもらえますか」
「調べてみます」
通話を終えた。
一時十四分。
倉庫の前に、トラックはいない。
征一はノートへ書いた。
一時十二分、工場へ確認。
発送済み。
運送会社、不明。
書いたことで、分からないものがはっきりした。
だが、荷物は一センチも近づかなかった。
「二時はどうする」
山崎が聞いた。
「まだ間に合います」
「聞いてるのは、間に合うかじゃない」
征一は鉛筆を止めた。
山崎は、入口の外を見ている。
「二時に待ってる相手へ、いつ言う」
工場へ電話したばかりだった。
まだ荷物は来ていない。
そう伝えた。
だが、二時の約束をどうするかは話していない。
「一時半まで待ってから」
言った後で、昨日のことを思い出した。
工場長が来たのは五時五十二分だった。
六時には倉庫を閉める。
八分しかない時になって、初めて箱を車へ入れようとした。
入らなかった。
一時半まで待てば、そこから残るのも三十分だった。
「一時半に来たら、二時に着くのか」
「急げば」
山崎がこちらを向いた。
「何を急ぐ」
原付。
そう答えかけた。
工場まで十二分の道を、十分で走る。
信号が黄色でも進む。
細い交差点で速度を落とさない。
小学校の裏を、いつもより速く抜ける。
荷物が遅れた時間を、自分が道路で取り返す。
昨日までは、それを頑張ることだと思っていた。
征一はもう一度、工場へ電話した。
────────────────
「まだ荷物が着いていません」
事務員が、すぐに答えた。
「はい」
「二時には間に合わないかもしれません」
受話器の向こうで、機械の音がしている。
「今日使う物があるんです」
「どの箱ですか」
「細長い箱と、小さい箱が一つです」
それは聞いていた。
ノートにも書いてある。
「何時から使いますか」
初めて聞いた。
事務員は答えず、誰かを呼んだ。
しばらくして、作業着の男が電話へ出た。
以前、箱を受け取ったことのある人だった。
「三時から機械へ付ける予定なんだ」
「二時じゃないんですか」
「二時に来れば、中を確認できるから」
征一はノートへ目を落とした。
二時。
それだけが書かれている。
三時から使うことは、書かれていない。
だが、二時が余分な時間だったわけでもない。
箱を開ける。
傷がないか確認する。
機械を止める前に準備する。
違う物が届いていたら、別の作業へ組み替える。
工場には、届いた後の時間があった。
「到着したら、すぐ電話します」
「頼む。三時に間に合わないようなら、それも早めに教えて」
「分かりました」
征一は受話器を置いた。
二時には間に合わないかもしれない。
三時には間に合わせたい。
同じ荷物に、二つの時刻ができた。
「何て」
山崎が聞いた。
「使うのは三時からです」
「なら、二時は守らんでいいのか」
「違います」
征一はすぐに答えた。
「二時に確認したかったんです」
「そうか」
山崎は、それ以上言わなかった。
征一はノートに書き足した。
約束 二時。
使用 三時。
到着後、内容確認が必要。
二時は、ただ早めに言った数字ではなかった。
誰かが次を決めるための時間だった。
────────────────
トラックが来たのは、午後一時五十八分だった。
倉庫の前を一度通り過ぎ、少し先で止まる。
後ろから車が来ていたため、すぐには下がれなかった。
運転手が窓から手を出し、後続車を先に行かせる。
それからゆっくり後退してきた。
征一は入口から外へ出た。
運転席から降りてきたのは、前に一度見た男だった。
「遅くなって悪いね」
帽子の下に、汗がにじんでいた。
「何かあったんですか」
「前の荷下ろしで待たされてさ。入口に別の車が止まってた」
運転手は、そう言いながら荷台の扉を開けた。
征一は、その続きを聞きたかった。
どこで。
何分。
誰を待ったのか。
しかし運転手は、伝票を見ながら荷台へ上がっている。
「五つね」
「細長い箱と、三七の箱を先に下ろしたいです」
「三七?」
「伝票番号の最後です。工場で先に使うので」
運転手は荷台の中を見た。
細長い箱は、すぐ手前にあった。
小箱は奥だった。
その前に、別の会社へ運ぶ荷物が積まれている。
「順番、逆だな」
運転手は一度降りてきた。
手前の箱をずらすため、台車を寄せる。
征一も荷台へ上がろうとした。
「上がらないで」
運転手に止められた。
「崩れたら困るから」
征一は足を戻した。
昨日は、箱を持ち上げようとして指を挟みかけた。
今日は、手伝う前に止められた。
できることを増やしたいのに、誰かに止められるたび、自分が役に立っていないように感じる。
運転手は、一人で荷物の位置を変えている。
時計を見た。
二時三分。
「急いでもらえますか」
言った瞬間、運転手の動きが止まった。
振り返らないまま、言った。
「これ以上急いで、箱を落としていいなら」
征一は口を閉じた。
荷台の中には、工場の荷物だけがあるのではない。
別の会社の箱。
誰かが待っている荷物。
傾けてはいけないかもしれない物。
自分の二時だけで、全部を動かすことはできない。
「すみません」
運転手は何も答えず、荷物を一つずつずらした。
三七の箱が見えた。
側面に赤い丸印がある。
だが、右上の角が内側へへこんでいた。
────────────────
「ここ、つぶれてます」
征一が言うと、運転手が箱を見た。
「積んだ時からだったと思うけどな」
「中は大丈夫ですか」
「開けないと分からない」
「開けていいですか」
「ここでは開けない方がいい。受け取る会社で確認して」
征一は、へこんだ角へ指を近づけた。
触る前に止める。
昨日の箱には天地無用と書かれていた。
工場長は、自分の荷物だから横にしていいと思った。
だが、中身を知らなかった。
目の前の運転手も、箱の中までは知らない。
持ってきた人だから、全部分かるわけではなかった。
「伝票に書けますか」
山崎が後ろから言った。
運転手は受領書の余白へ書いた。
外箱右上角、つぶれあり。
内容未確認。
征一は、その文字を控えへ写した。
時刻は二時十一分。
残りの箱も外側を確認する。
細長い箱は、聞いていた通り九十五センチだった。
だが、表面が滑りやすい。
原付の荷台に載せるには、ゴムだけでは横へ動くかもしれない。
征一は、用意していた布を下へ敷いた。
箱の端が荷台から出ない向きに置く。
小箱との間にも布を入れる。
ゴムを一本。
もう一本。
手で揺らす。
少し動いた。
結び直す。
運転手は、その間に残りの荷物を元の位置へ戻していた。
征一が顔を上げると、また時計を見ていた。
「少し、話を聞きたいんですけど」
「今?」
「運ぶ仕事のことを」
運転手は荷台の扉を閉めた。
「今日は無理だな」
「いつなら」
「会社に電話して。俺に聞いても決められないから」
「誰に聞けばいいですか」
運転手は伝票の端に印刷された会社名を指した。
「配車の人。営業所にいる」
配車。
征一は、その言葉を初めてノートへ書いた。
「何時なら話せますか」
「午前中は車を出すので忙しい。夕方も帰ってくる車で忙しい」
「じゃあ」
運転手は少し考えた。
「昼過ぎなら、まだいいかもな。でも先に電話して」
「名前は」
運転手は営業所の責任者の名字を教えた。
征一は書き留めた。
今までは、空いている運転手に聞けばいいと思っていた。
だが、運転手の隣に空いた時間があるわけではなかった。
車を出す人。
荷物を並べる人。
どの車がどこへ行くかを決める人。
運転席の向こうにも、人がいた。
トラックが出ていった時、時計は二時十六分だった。
征一は工場へ電話した。
「今、荷物が着きました。これから出ます。二時四十分前には着くと思います」
「分かりました」
「小箱の角がつぶれています。中は、そちらで確認してください」
「現場へ伝えます」
次の時刻を渡す。
電話を切ると、山崎が荷台の箱を押した。
「まだ動く」
征一も押した。
細長い箱が、ほんの少し横へずれた。
「もう一本使います」
三本目のゴムを掛ける。
二時十九分。
急げば、もっと早く出られる。
しかし、途中で箱が落ちれば、三時にも間に合わない。
征一は三本のゴムを順番に引いた。
それからエンジンをかけた。
────────────────
工場までの道には、信号が三つあった。
一つ目は青だった。
二つ目へ近づいた時、青が点滅した。
いつもなら、そのまま進める距離だった。
征一はアクセルを戻した。
停止線の前で止まる。
後ろから来た乗用車も止まった。
赤信号の間、荷台を振り返った。
箱は動いていない。
二時二十四分。
右手の指が、少し痛んだ。
手袋の内側で、絆創膏が丸まっている。
急ぐ。
間に合わせる。
待たせない。
どれも間違っていない。
だが、昨日の自分は、箱を落とせないと思うほど手を離せなくなった。
今日は、遅れを取り戻そうと思えば思うほど、アクセルを戻せなくなる。
青になった。
征一は、いつもの速さで走り出した。
小学校の裏では、道の端に子どもが二人いた。
一人が振り返る。
征一は速度を落とした。
細い交差点で、軽トラを先に行かせた。
二時三十三分。
工場は、もう見えていた。
────────────────
到着したのは、午後二時三十六分だった。
事務員と、作業着の男が入口へ出てきた。
「これが三七です」
征一は小箱を指した。
「角がつぶれています」
男が箱を受け取った。
作業台へ置き、カッターでテープを切る。
中には、油紙に包まれた金属の刃物が入っていた。
緩衝材を外す。
男は刃先を見る。
取り付ける部分を指でなぞる。
光へ向ける。
征一は、息を止めていた。
自分がつぶしたわけではない。
受け取った時からだった。
伝票にも書いた。
それでも、傷があれば、自分が届けた箱の中から出てくる。
「大丈夫だ」
男が言った。
肩から力が抜けた。
細長い箱も開けた。
中身に異常はない。
事務員が受領書へ印を押した。
時刻は二時四十二分。
「遅れて、すみませんでした」
征一が言うと、作業着の男は時計を見た。
「三時から使うから、間には合った」
「でも、二時には」
「遅れたな」
はっきり言われた。
征一は頭を下げた。
男は続けた。
「遅れるって分かった時に電話が来たから、先に別の作業をやった。来る時刻も聞けた。だから、こっちは動けた」
「はい」
「一番困るのは、二時を過ぎても来るのか来ないのか分からないことだ」
征一は、さっきノートへ書いた二つの時刻を思い出した。
約束 二時。
使用 三時。
二時は守れなかった。
三時には間に合った。
そして、その間に電話をした。
一つできれば、他が消えるわけではない。
遅れは遅れのままだった。
ただ、その遅れの中で、相手が選べることを残した。
「残りは急がなくていい」
男は刃物を持ち上げた。
「落とされる方が困るから」
征一は、もう一度頭を下げた。
────────────────
倉庫へ戻ると、山崎は残りの三箱を並べていた。
征一が何も言わないうちに聞いた。
「何時に着いた」
「二時三十六分です」
「工場には何時と言った」
「二時四十分前」
「間に合ったな」
征一はうなずいた。
「二時には遅れました」
「そうだな」
「三時には間に合いました」
「そうだな」
山崎は、どちらも同じ声で答えた。
責めもしない。
慰めもしない。
征一はノートを開いた。
荷物到着、一時五十八分。
確認終了、二時十一分。
積載終了、二時十九分。
工場到着、二時三十六分。
受領、二時四十二分。
一つの仕事に、五つの時刻が並んだ。
今までは、届けた時刻だけを見ていた。
しかし、その前にも時間がある。
荷物が着く。
外装を確認する。
伝票と番号を合わせる。
載せる。
固定する。
運ぶ。
相手が確認する。
どこを急げて、どこを急いではいけないのか。
数字を並べると、少し見えた。
「運転手さん、前の荷下ろしで待たされたそうです」
征一が言った。
「それで遅れたのか」
「はい」
「その前は」
「聞いてません」
「そこまで聞いても、お前には変えられんぞ」
「でも、運んでくるまでを知りたいんです」
山崎は残りの箱を見た。
「知って、どうする」
すぐには答えられなかった。
トラックが遅れた理由を知ったところで、今日の二時は戻らない。
前の荷下ろし先へ、自分が何かを言えるわけでもない。
「どれくらいなら約束できるか、知りたいです」
言葉にすると、それが一番近かった。
荷物は必ず一時に来る。
そう思って二時を約束した。
だが、運転手には、自分の倉庫へ来る前の仕事がある。
その前にも道路がある。
車もある。
積む順番もある。
別の荷主もいる。
自分が知らない時間の上に、二時という約束を置いていた。
山崎は、残りの箱を一つ持った。
「なら、聞く相手を間違えるな」
征一も反対側を持った。
今度は、足を出す場所を先に見る。
「配車の人に聞きます」
「いつ」
「明日の昼過ぎに、電話していいか聞きます」
「今日は」
「残りを届けます」
山崎が箱から手を離した。
「それでいい」
────────────────
その夜、征一は店の帳場で、一日の時刻を書き直していた。
父が、向かい側へ座った。
「遅れたのか」
「二時には」
「何時に着いた」
「二時三十六分」
「怒られたか」
「遅れたとは言われた。でも、三時から使えた」
父はノートを見た。
「じゃあ、間に合ったのか」
昨日の自分なら、はい、と答えたかもしれない。
工場が使いたい時刻には間に合った。
荷物も壊さなかった。
仕事は止まらなかった。
だが、二時という約束は守っていない。
「二時には遅れた。三時には間に合った。途中で電話したから、工場は別の作業を先にやった」
父は黙って続きを待った。
「だから、全部同じじゃない」
「何が」
「遅れたけど大丈夫だった、だけじゃない。二時に来ないと分かった時に、工場が決め直せた」
父はノートの時刻を指で追った。
「お前は、何時に遅れると分かった」
征一は、指が止まった場所を見た。
一時を過ぎた時。
その時点で、荷物は来ていなかった。
だが、すぐには電話をしなかった。
もう少し待てば来ると思った。
間に合わせたい気持ちが、連絡を遅らせた。
「一時すぎ」
「電話したのは」
「一時十四分と、その後」
父は何も言わない。
十四分。
たった十四分だった。
それでも、工場にとっては、別の作業を始められた十四分だったかもしれない。
「次は、一時に来なかったら連絡する」
征一が言うと、父は首を振った。
「毎回か」
「毎回」
「一分遅れただけでも?」
征一は黙った。
一時一分にトラックが曲がってくる日もある。
そのたびに工場へ電話すれば、向こうの手を止める。
「じゃあ、一時十五分」
「なぜ十五分だ」
昨日も聞かれた。
何時にするかを決めれば、それで終わると思っていた。
だが、時刻には理由が要る。
「一時十五分までに荷物が来れば、確認と積み込みに十五分。工場まで十五分見ても、二時前には最初の便を届けられる」
「箱が傷んでたら」
「確認に時間がかかる」
「伝票が違ったら」
「もっとかかる」
「荷台に載らなかったら」
征一は鉛筆を置いた。
「一時十五分じゃ、遅いかもしれない」
「そうかもしれんな」
父は答えを言わなかった。
征一は、今日の記録を見た。
トラックが来たのは一時五十八分。
確認と積載に二十一分かかった。
昨日までなら、その二十一分を無駄だと思ったかもしれない。
もっと早くできたはずだと思う。
だが、傷を記録した。
中身の優先順位を確かめた。
長い箱を固定した。
どれも削れば、別の危険になる。
「一時に来なかったら、到着時刻を確認する」
征一は言った。
「分からなければ、その時点で工場へ連絡する。到着時刻が分かってから、届ける時刻を決め直す」
父はようやくうなずいた。
「時間を守るっていうのはな」
征一は顔を上げた。
「速く走ることじゃない」
今日、山崎に言われたことと同じだった。
「守れる時間を言うこと?」
「それだけでもない」
父は店の奥を見た。
母が、配達から戻った空き瓶を数えている。
「遅れる前に知らせる。無理なら受けない。受けたなら、誰かの時間を勝手に使わない」
昨日は、大きな箱一つで、山崎の医者が遅れた。
父が倉庫へ行った。
母が朝の配達へ出た。
祖母がレジへ座った。
伝票には、誰の時間も書かれていない。
「今日の運転




