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残金1,842円|第17話「十五億円を借りる」

「十五億円というのは、今回、新たに必要な金額ですか」


 銀行の担当者は、征一が置いた資金計画を見て聞いた。


「はい。ビルの取得時に借りた分の借換えは、含めていません」


「では、既存の残高に、今回の十五億円が加わる計画ですね」


「そうです」


 担当者は、二枚の紙を並べた。


 一枚は、今まで返してきた借入の一覧だった。


 もう一枚は、新しい物流拠点の計画だった。


 征一は、鞄からビルの評価資料も出した。


 その後に変わった入居状況と、現在の入金実績を添えてある。


 担当者は受け取ったが、最初には開かなかった。


「何を、どこまで引き受ける仕事なのか、先に伺えますか」


 征一は、机の中央に物流拠点の図面を広げた。


 前の晩、引き出しへしまった売却の試算は、今日は持ってきていなかった。



 荷主の工場では、朝の出荷場所に、二台のトラックが止まっていた。


 一台は積込みを待っている。


 もう一台は、積んだ荷物の一部を下ろしていた。


「数が、違ったんですか」


 征一が聞くと、工場の物流責任者は首を振った。


「順番です」


 午前中に納める荷物が、奥へ入っていた。


 先に降ろすためには、手前の荷物を動かさなければならない。


 運転手と作業員が、行き先の札を見比べていた。


 その横を、工場の別の荷物が通る。


 通路が狭くなり、フォークリフトが一度止まった。


「ここへ、原材料も来るんです」


 物流責任者が言った。


「出すものと入れるものを、同じ場所でさばいているので」


 征一は時計を見た。


 最初の車が来てから、まだ動いていなかった。


 荷主から受けていた相談は、運賃を安くしてほしいという話だけではなかった。


 保管している場所が分かれている。


 工場から外の倉庫へ出す。


 倉庫から必要な分を戻す。


 出荷する荷物は、また別の場所でまとめる。


 それぞれの車両には仕事がある。


 待っている間にも、運転手の時間は過ぎる。


 工場の人も、その対応へ呼ばれる。


「全部、外へ出せばいいとは思っていません」


 征一は言った。


「工場に残さなければならない物は、どれですか」


 物流責任者は、出荷の予定表を持ち直した。


「今日使う分は、すぐ取れるところに置きたいです」


「明日の分は?」


「生産の変更が入ると、必要になる物が変わります」


「何時までに分かりますか」


 責任者は、そこで初めて時計を見た。


 建物の広さより前に、聞かなければならない時刻があった。



 征一は、工場と外の倉庫を回った。


 物の流れを追うと、同じ荷物が短い距離を何度も動いていた。


 それを減らせば、運ぶ回数を減らせる。


 だが、車の回数を減らすだけでは、工場が困ることも分かった。


 今まで一日に何度か取りに行けた物が、まとめた便でしか来なくなる。


 工場の予定が変わった時に、間に合わない。


 待機を減らすための計画が、工場を待たせる計画になりかねなかった。


「臨時便は、別に決めましょう」


 征一は打ち合わせで言った。


「全部、基本料金に入れてもらえませんか」


 荷主側の購買担当者が聞いた。


「何回でも、ということですか」


「急に変わることはありますから」


「分かります。ただ、いつでも出せる車と人を置けば、その分の費用がかかります」


 購買担当者は、提示された月額を見た。


 物流責任者は、工場の予定表を見ていた。


 同じ会社の中でも、見ている紙が違った。


 征一は、臨時の依頼があった過去の記録を出した。


 回数。


 時刻。


 荷物の量。


 どの便で対応したか。


 定期の便を動かさずに済んだものと、組み替えたものを分けてある。


「この範囲なら、基本の体制で対応できます。ここを超える場合は、別に相談させてください」


「現場が急いでいる時に、金額の相談をするんですか」


「急いでから決めなくて済むように、今、決めたいんです」


 会議室が静かになった。


 物流責任者が、記録の一つを指した。


「これは、こちらの連絡が遅かった日ですね」


「誰が悪かったかを決めるためではありません」


 征一は答えた。


「同じことが起きた時に、どこまで動けるかを決めるためです」


 購買担当者がペンを取った。


 基本料金を下げる話だけだった打ち合わせが、少し変わった。



 候補地は、使われなくなった工場と、その敷地だった。


 建物が残っているから、すぐ使えるとは限らない。


 床の状態。


 柱の間隔。


 出入口の高さ。


 トラックが曲がる場所。


 雨の日に水がたまる場所。


 保管する物に合った設備。


 必要となる用途や消防などの確認。


 征一は技術者と、現場を歩いた。


 荷主からは、保管したい物の種類と量を出してもらった。


 今の工場の使い方を、そのまま図面へ移すことはしなかった。


 何を置くかで、必要な床も設備も変わる。


「この扉を使えば、大型車は入ります」


 仲介の担当者が言った。


 征一は外へ出て、車が通る場所を見た。


「入った後、どこで向きを変えますか」


「この辺りで」


 担当者が指した場所は、図面では空いていた。


 現場には、設備が残っていた。


 撤去する物なのか。


 売主が使い続ける物なのか。


 誰が、いつ片づけるのか。


 確認するまで、そこを車の通る場所にはできなかった。


 征一は、取得する範囲と引渡しの条件を聞いた。


 買える土地と、仕事に使える土地を、図面の色だけで同じにしなかった。



 計画をまとめると、必要な資金は十八億円になった。


 土地と既存建物の取得に、八億四千万円。


 改修と必要な工事に、五億二千万円。


 荷役や保管の設備に、一億四千万円。


 追加する車両に、一億円。


 取得に伴う費用や、開業準備などに、八千万円。


 最初の回収までの運転資金に、一億二千万円。


 会社が出す自己資金は三億円。


 新たに借りる額は十五億円だった。


 経理責任者は、三億円の隣に別の欄を置いた。


 既存事業のために残す金。


 ビルの修繕や更新に備える金。


 今回の三億円へ、重ねて数えてはいなかった。


「十八億円で終わる保証は、ありません」


 経理責任者が言った。


「工事の見積もりが、まだ全部固まっていません」


「未確定のところを、分けてください」


 征一は答えた。


「大きく増えたら、どこを変えますか」


 征一は図面を見た。


 後から増やせる設備はある。


 最初から必要なものもある。


 安全や営業のために必要な工事を、金額を合わせるために削るわけにはいかない。


「ここは、増設できる形にして、最初は減らします」


 保管設備の一部を指した。


「荷主の予定数量には、足りますか」


「今の数量には。ただ、増えた時は、追加の工事が要る」


「その費用は?」


「増える条件と一緒に、荷主と相談します」


 経理責任者は、設備を全部入れた場合の表を消さなかった。


 段階的に入れる場合を、横へ作った。


 安い方だけを残すと、後から何が必要になるかが見えなくなる。



 銀行は、十八億円の表と、売上の計画を並べた。


「借入人は、今回も御社ですね」


「はい。取得、拠点の運営、荷主との契約は、当社で行う計画です」


「十五億円は、全額、新しい拠点に使う」


「既存借入の返済には使いません」


 担当者はうなずいた。


 別の職員が、既存の借入と担保の資料を開いた。


 ビルの取得時に借りた分は、返済が進んでいる。


 残っている債務は、そのまま残る。


 担保として設定されている内容も、登記と契約で確認する。


 今回の新しい借入を、どの資産で担保するか。


 既存の担保が、どの債務まで対象としているか。


 追加の設定や手続きが必要か。


 担当者だけが図面へ線を引いて決められる話ではなかった。


 征一は、二十八億円の資料を机へ出した。


 五階の入居者が代わった後の契約と入金も添えてある。


「この数字を、そのまま余っている担保として見てはいません」


「こちらでも、現在の状況を確認します」


「新しく取得する拠点の土地と建物も、合わせて見ていただきたい」


 銀行は、改修に使う五億二千万円が、そのまま同額の担保価値になるとは扱わなかった。


 この荷主に使いやすい造りと、売却する時に買い手が評価する造りは、同じではない。


「仮にこの事業が終わった場合、どの用途で使えますか」


 担当者が聞いた。


 征一は、特殊な設備と汎用的な部分を分けた図面を出した。


「この部分は、他社の荷物にも使えます。こちらは、荷主の条件に合わせる必要があります」


「その費用を、誰が負担しますか」


 征一はまだ署名されていない契約案を見た。


「そこを、これから詰めます」


 銀行の職員が、該当箇所に印をつけた。



 荷主が初めに提示した契約期間は、三年だった。


 征一が考えていた設備の使い方は、それより長かった。


 銀行へ持っていった返済計画も、三年では終わらなかった。


「三年後に、出られたらどうしますか」


 担当者は聞いた。


 征一は、工場で見た積込みの場所を思い出した。


 荷主にも、外へ任せる理由はある。


 この拠点を使えば、無駄な移動と待つ時間を減らせる。


 だが、荷主の仕事が変われば、保管する物も数量も変わる。


「続くと思います」


 言ってから、征一は首を振った。


「それだけでは、資料になりませんね」


 担当者は、否定も肯定もしなかった。


「荷主も、十年先まで数量を約束できません」


「はい」


「ただ、こちらだけが専用の費用を負担して、三年で何もなく終わる契約にはできません」


 征一は契約案を閉じた。


「条件を、もう一度相談します」


 銀行から戻った後、経理責任者が聞いた。


「融資が通るための契約にしますか」


 征一は顔を上げた。


「仕事を続けるための契約にします」


「それなら、断られることもあります」


「あります」


 答えた時、拠点が遠くなった気がした。


 ただ、欲しい条件を言わずに金だけ借りれば、近づいたように見えるだけだった。



 荷主側との協議は、一度では終わらなかった。


「こちらも、生産を十年先まで固定できません」


 購買担当者が言った。


「十年間、同じ数量を出してほしいとは言っていません」


 征一は、専用に必要となる工事と設備の一覧を置いた。


「この部分を、御社の条件で先に用意します。始まってすぐ契約が終われば、ほかへそのまま使えない費用が残ります」


「倉庫は、御社の資産ですよね」


「はい。土地と建物は当社に残ります。ただ、この設備を作る理由は、御社の荷物です」


「では、うちで負担した方がいいということですか」


「負担する形も、契約期間と料金で回収する形もあります。どちらかを決めたいんです」


 相手の社長は、黙って資料を読んでいた。


 購買担当者だけでは決められない条件になっていた。


 征一は急かさなかった。


 相手にも、負わなければならない責任がある。


 長い契約を結べば、その間に工場の使い方を変えにくくなる。


 途中で出る時の負担があれば、経営判断にも関わる。


「数量が減った月も、同じ額を払うんですか」


 社長が聞いた。


「全部を同じにはしません」


 征一は、料金の案を二つに分けた。


 場所と基本の人員を確保するための部分。


 実際に扱う量や配送に応じて変わる部分。


 荷物が減れば、変動する費用は減る。


 それでも、専用の場所と人を残す費用はある。


 その分を、どう約束するかだった。


「うちの仕事が悪くなった時に、固定で払う部分が重くなる」


 社長は言った。


「はい。ですから、必要な面積を多く見積もり過ぎないように、確認したいです」


 征一は、荷主の都合を否定しなかった。


 自分の借入を返すために、相手が使わない場所まで借りてもらう計画では続かない。


 保管する物を、もう一度洗った。


 工場に残すもの。


 新拠点へ移すもの。


 季節によって増えるもの。


 必ずしも専用にする必要のないもの。


 最初の図面から、使い方が変わった。



 契約期間は、五年で合意する方向になった。


 それで、借入の返済期間と同じになったわけではない。


 征一も銀行も、その差を残したまま見た。


 契約の更新について答えを出す時期を決めた。


 数量が変わった場合に、いつ協議するかも決めた。


 荷主の都合で途中終了する場合の、専用設備などの未回収費用の扱いも、根拠と算定方法を確認した。


 どんな事情でも全額払ってもらえる、という条文にはしなかった。


 征一の会社が仕事をできなくなった場合の責任もあった。


 荷物を傷めた時。


 決めた体制を維持できない時。


 再委託する範囲。


 情報の管理。


 専門家にも確認してもらい、曖昧なところを減らした。


 契約書が厚くなるほど、何も心配しなくてよくなるわけではなかった。


 相手が約束どおり払えるかという問題は残る。


 五年後には、また仕事を確かめなければならない。


 それでも、何を引き受け、何に対して金が入るかは、前より明確になった。



 料金の協議で、征一は一度、提示額を下げた。


 ただし、同じ仕事を安くするだけではなかった。


 午後の定期便を一本減らし、荷主側の出荷をまとめてもらう。


 臨時便を頼む判断の時刻を早める。


 荷物の情報を、積込みの前に渡してもらう。


 現場で待つ時間を減らせるなら、必要な車と人の使い方が変わる。


「現場が、そのとおり動けるか確認します」


 物流責任者が言った。


「こちらも、試します」


 征一は、既存の仕事を止めない範囲で流れを確かめた。


 机の上では一本にまとまった便が、実際には時間内に積めない日があった。


 荷主から渡される情報が、前日と当日で変わることもあった。


 変わった時に、どこへ連絡するかを決め直す。


 積む順番も変える。


 現場の作業員が言った。


「この札が先に出ていれば、積み直さなくて済む」


 征一は、札が出る時刻を書いた。


 銀行へ出す売上の計画より先に、荷台の手前に何を置くかが変わった。



 資金計画の三億円を出すため、会社は別の設備更新を一部後ろへ送った。


 先送りしてよいものか、現場と確かめた。


 安全に関わる交換や、故障が迫っているものは動かさなかった。


 新しい拠点へ金を出しても、今の仕事の車が止まれば、荷主は待たない。


 経理責任者は、既存事業とビル、新拠点を並べて見た。


 新拠点だけが予定どおりでも、会社全体で金が足りなければ返せない。


 ビルで大きな退去が起きた場合も入れた。


 新拠点の稼働が遅れた場合も入れた。


 同じ会社が持つ以上、都合の悪い出来事が別々に起こるとは限らない。


「この二つが重なると、余裕が小さくなります」


 経理責任者が示した。


 ビルの空室と、拠点の立ち上がりの遅れだった。


 征一は表を読んだ。


「追加で借りれば、という欄は作らないでください」


「入れていません」


「最初に残す金と、変えられる支払いで、どこまで持つかを見たい」


 経理責任者はうなずいた。


 借りた後にも、借りられる前提を重ねれば、十八億円の計画はどこまでも広げられた。


 今回は、そこへ置かずに作った。



 銀行は現地へ来た。


 担当者だけでなく、審査のために確認する職員も一緒だった。


 改修前の建物を歩く。


 使える範囲と、工事をする範囲を確かめる。


 征一は、入る車の大きさと、荷物の流れを説明した。


 職員は図面の一か所を指した。


「ここは、将来の増設ですか」


「はい。最初の工事には含めません」


「売上の計画には?」


「この部分で扱う荷物は、入れていません」


 職員は、計画書の数字と照らした。


 工事業者は、着手できる時期を説明した。


 設備の納期にも幅があった。


 征一が希望する稼働日から逆に並べただけでは、工程は確定しなかった。


「契約が整う前に、資材だけ先に押さえることはできます」


 業者が言った。


 征一は、解除する場合の費用を聞いた。


 聞いた上で、その日は頼まなかった。


 融資の相談が進んでいることと、支払いを約束してよいことは別だった。



 銀行から条件の提示を受けた時、十五億円は、すぐに全部使える金として示されなかった。


 事業の支払いに合わせ、確認の上で分けて実行する案だった。


 会社が出す三億円も、いつ、どの支払いへ充てるかを合わせる。


 取得する土地と建物。


 既存のビル。


 必要な担保の設定。


 現在の契約との関係。


 返済期間と、元金の返済を始める時期。


 利息を払う日。


 報告する資料。


 追加の借入や資産の処分などに関して、事前に確認する事項。


 征一は条件書を一行ずつ読んだ。


 今回の十五億円は、新規の借入だった。


 既存の借入は減らない。


 実行が進めば、その分だけ会社が返す元金が増える。


 使った先が建物や設備になっても、借入残高は残る。


 担当者は、個人保証に関する今回の条件も説明した。


 征一の個人資産を、そのまま会社の自己資金として数える話ではなかった。


 既存の契約を消したり、保証の扱いを一括りにしたりせず、対象と範囲を確かめた。


 分からない箇所は、その場で止めた。


 担当者が説明し切れない部分は、持ち帰って確認することになった。


 征一は、空欄へ勝手に答えを書かなかった。



 会社へ戻り、経理責任者と支払日を並べた。


 土地と建物の決済。


 工事の着手時と、進捗に応じた支払い。


 設備の代金。


 車両。


 採用と研修。


 稼働前から発生する給与。


 最初の燃料代。


 最初の請求。


 最初の入金。


 十五億円という一行は、日付を入れると、いくつもの行になった。


「工事が遅れた場合、この実行も後ろへ動きます」


 経理責任者が言った。


「でも、この給与は始まる」


 征一は、採用する人の欄を見た。


 稼働日だけに合わせて来てもらえば、すぐ仕事ができるわけではない。


 先に覚えてもらうことがある。


 遅れるかもしれないからと、いつまでも来る日を決めなければ、別の仕事へ行く人もいる。


「ここは、必要な準備です。運転資金の中で見ます」


「長く遅れたら?」


「工事の見込みが変わった時点で、採用の時期も確認する。始めた後に、給料を待ってもらう計画にはしません」


 経理責任者は、二つの工程表を並べた。


 建物が使える日。


 人が仕事を始める日。


 同じ線にはしなかった。



 最後に、売却した場合の試算も出した。


 征一は、引き出しから紙を取り出した。


 売れば、今回の借入を抑えられる可能性があった。


 まとまった現金が残っても、家賃は入らなくなる。


 持ち続ければ、家賃は残る。


 その代わり、返済と維持の責任に、新しい借入が加わる。


「どちらを選びますか」


 経理責任者が聞いた。


 征一は、ビルの現在の収支を見た。


 五階で入居者が代わった後の数字だった。


 修繕や更新のための金を残しても、収益があった。


 その場所で、仕事を続けている人がいた。


 次の物流拠点では、今の拠点では受けきれない仕事を引き受けられる。


 荷主との条件も詰めた。


 費用を払った後の返済を、会社全体で確認した。


 余裕がどこまでもあるわけではない。


 それでも、両方を持てると判断した。


「売らずに、進めます」


 経理責任者は、少し間を置いた。


「では、残すと決めた資金は守ります。新拠点で金が要るからと、ビルの更新分まで使う時は、もう一度判断が必要です」


「はい」


 征一は答えた。


 売らないと決めたのは、自分だった。


 銀行が貸すからといって、選んだ責任まで銀行へ移るわけではなかった。



 融資契約を結ぶ前に、土地と建物の売買、工事、設備、荷主との契約がどうつながるかを確認した。


 どれか一つだけ先に進めば、ほかが決まらなかった時に費用が残る。


 解除できる条件。


 期限。


 返金される金と、されない金。


 関係者と日程を合わせた。


 金融機関の承認が出たことだけで、売主や施工会社の予定を勝手に使わなかった。


 契約は、それぞれの当事者が内容を確かめて結んだ。


 会社で必要な決定と承認も済ませた。


 借入人は会社。


 新規融資は十五億円。


 以前の借入は、以前の返済予定に沿って続く。


 担保の手続きと実行の条件を確かめ、最初の支払いへ進んだ。



 決済の日、征一は新拠点の鍵を受け取った。


 工事は、これからだった。


 銀行の金が実行され、会社の自己資金と合わせて、確認した支払先へ出ていった。


 取得に使った金は、もう会社の口座にはなかった。


 代わりに、土地と建物が会社のものになった。


 まだ、荷主の荷物は一つも入っていない。


 征一は工事業者と、引き渡された状態を確かめた。


 残っている設備。


 撤去する範囲。


 鍵の数。


 使える電源。


 水。


 図面と違うところは、その場で記録した。


「これで、着手できます」


 業者の責任者が言った。


 征一は、工程表に決済済みと書いた。


 次の欄は、工事の着手だった。



 改修が始まると、使える部分と、まだ入ってはいけない部分が分かれた。


 荷主は、途中の状態を見たいと言った。


 征一は業者に確認し、入れる日と場所を決めた。


 現場で、荷主の担当者が保管設備の位置を指した。


「これを、もう少し手前にできませんか」


 業者が図面を開いた。


「変更になります」


「少し動かすだけでも?」


「床との関係と、こちらの通路が変わります」


 征一は、その場で了承しなかった。


 変更する理由を聞く。


 費用と工程への影響を出してもらう。


 必要なら、負担も決める。


 使いやすくするための変更でも、誰かが無償で予定を変えるわけではない。


 最終的には、一部を変えた。


 荷主が追加分を負担する箇所と、征一の会社が引き受ける箇所を分けた。


 変更前の図面は、使わないものとして現場から下げた。


 新しい図面に日付が入った。


 金額だけではなく、現場で見る紙も変えなければならなかった。



 工事と設備の確認に応じて、融資の実行が進んだ。


 十五億円は、一度に会社の残高へ積まれたわけではなかった。


 未実行の分は、自由に使える現金ではない。


 必要な条件と資料をそろえ、予定する支払いへ合わせた。


 請求されたから、そのまま払うのでもなかった。


 契約と見積もり。


 変更の承認。


 工事や納品の確認。


 請求書。


 経理責任者は、そのつながりを確かめた。


 一度、変更前の金額が請求に残っていた。


 問い合わせると、業者側の集計が直っていなかった。


 請求書が差し替わった。


 誰かが悪意で増やしたわけではなかった。


 それでも、気づかなければ、そのまま金が出た。


 征一は、十五億円を借りたことより、いま何を払っているかを見る時間が長くなっていた。



 稼働前の試運転では、最初の車が予定より早く着いた。


 工場からの荷物ではなかった。


 荷主の仕入れ先から、新拠点へ直接入れる荷物だった。


 以前は、いったん工場で受け、別の倉庫へ出していた。


 今度は、ここで受けて保管する。


 工場へ必要な物は、指定された時刻までに、必要な数量を届ける。


 出荷する製品は、ここで行き先別にまとめ、次の配送へ渡す。


 何をどこで受けるかを、荷主と関係する運送会社へ、切り替える前に伝えてあった。


 早く着いた車を、どこで待ってもらうか。


 受付は、誰がするか。


 荷物の数が違った場合、どこへ連絡するか。


 現場責任者が確認した。


 征一は、少し離れて見ていた。


 自分が一台ずつ案内すれば、今日は動くかもしれない。


 明日、自分がいなくても動かなければ、拠点にはならなかった。


 責任者が運転手へ説明し、待つ場所を示した。


 通路は空いたままだった。


 征一は口を出さず、時刻を書いた。



 最初の荷物を出した日、荷主の物流責任者が工場から電話をしてきた。


「今朝は、入口が空いていました」


 征一は、まだ箱の残る事務所で聞いた。


「必要な物は、間に合いましたか」


「はい。確認した数量で来ています」


「不足は?」


「ありません」


 褒めるための電話ではなかった。


 切り替えた仕事が、予定どおり動いたという連絡だった。


 征一は、机の端へ手を置いた。


 十八億円の表を作った時、欲しかったのは、この返事だった。


 広い建物が欲しかったわけではない。


 工場の入口を空け、必要な物を間に合わせ、その仕事から金が残る場所を作りたかった。


「明日も、変わったことがあれば教えてください」


 征一は言った。


 電話を切ると、現場から声がした。


 次の車が来ていた。



 稼働後も、金は先に出た。


 給与。


 燃料。


 電気。


 外へ頼んだ配送。


 荷主への請求をまとめても、その日に入金されるわけではない。


 一億二千万円として用意した運転資金から、必要な支払いをした。


 契約どおりに請求しても、内容の確認で問い合わせが来た。


 扱った数量と、依頼された臨時便の記録を出す。


 基本料金に含むものと、追加のものを照らす。


 最初の請求から、何も聞かれず払われるとは限らなかった。


 それでも、打ち合わせで決めた条件があった。


 記録を出し、確認し、合意した金額を確定する。


 最初の入金日、経理責任者が征一の机へ来た。


「入りました」


 征一は画面を見た。


 十五億円ではなかった。


 新拠点が始めた仕事の、最初の代金だった。


 そこから、次の支払いを残す。


 返済と利息の予定も見る。


 借りた時には、できなかった引き算だった。


 実際に仕事をして、初めて入った金から引いた。



 追加の設備と支払いの確認まで進み、今回の新規融資の実行累計が十五億円に達した時、経理責任者は借入の一覧を更新した。


 新しい十五億円。


 以前から残っている借入。


 返済の始まる日と、続いている日。


 会社が背負う数字は、増えていた。


 持っている資産も増えた。


 売上も、費用も、人も増えた。


 どれか一つだけで、成功したとは言えなかった。


 征一は月次の実績を見た。


 計画より費用がかかったところがある。


 待機が減り、想定より効率よく回った便もある。


 荷主と確認する変更が残っている。


 それでも、仕事は動いていた。


 ビルを売らずに、新しい拠点が動いていた。



 その月、ビルの家賃も入った。


 経理責任者が、二つの入金実績を並べた。


 建物の賃料。


 物流の代金。


 同じ口座の残高だけでは、どちらの仕事で何が残ったか見えなくなる。


 征一は、分けた表を読んだ。


 ビルの修繕に備える金は、残っている。


 既存の返済も続けている。


 新拠点にも、次の入金まで払うための金を置く。


 全部を引いて、今月の数字を確かめた。


「立ち上がりましたね」


 経理責任者が言った。


「ええ」


 征一は答えた。


 窓の外で、帰ってきた車が速度を落とした。


 門を入り、決めた場所へ止まる。


 運転手が降り、事務所へ向かって歩いてきた。


 借りた金が、車や建物になっただけではない。


 そこで働く人が、明日も来る場所になっていた。



 夕方、仲介会社から電話があった。


 ビルの売却について、相手へどう返事するかという確認だった。


 征一は、机の引き出しを開けた。


 売却した場合の試算が入っていた。


 取り出して広げる。


 仮定の価格。


 未確定の決済日。


 売った後の収支。


 その紙を作った頃には、新しい物流拠点はまだ図面だった。


 今は、向こうの事務所で電話が鳴っている。


 現場責任者が受け、明日の荷物の話をしていた。


「今回は、売りません」


 征一は受話器へ言った。


「当面、保有されるということで?」


「はい。検討していただいた方には、お礼を伝えてください」


 電話を切った。


 試算の右上へ、日付を書いた。


 売却見送り。


 紙を戻し、引き出しを閉めた。


 机に残したのは、十五億円の返済予定表だった。

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