残金1,842円|第17話「十五億円を借りる」
「十五億円というのは、今回、新たに必要な金額ですか」
銀行の担当者は、征一が置いた資金計画を見て聞いた。
「はい。ビルの取得時に借りた分の借換えは、含めていません」
「では、既存の残高に、今回の十五億円が加わる計画ですね」
「そうです」
担当者は、二枚の紙を並べた。
一枚は、今まで返してきた借入の一覧だった。
もう一枚は、新しい物流拠点の計画だった。
征一は、鞄からビルの評価資料も出した。
その後に変わった入居状況と、現在の入金実績を添えてある。
担当者は受け取ったが、最初には開かなかった。
「何を、どこまで引き受ける仕事なのか、先に伺えますか」
征一は、机の中央に物流拠点の図面を広げた。
前の晩、引き出しへしまった売却の試算は、今日は持ってきていなかった。
荷主の工場では、朝の出荷場所に、二台のトラックが止まっていた。
一台は積込みを待っている。
もう一台は、積んだ荷物の一部を下ろしていた。
「数が、違ったんですか」
征一が聞くと、工場の物流責任者は首を振った。
「順番です」
午前中に納める荷物が、奥へ入っていた。
先に降ろすためには、手前の荷物を動かさなければならない。
運転手と作業員が、行き先の札を見比べていた。
その横を、工場の別の荷物が通る。
通路が狭くなり、フォークリフトが一度止まった。
「ここへ、原材料も来るんです」
物流責任者が言った。
「出すものと入れるものを、同じ場所でさばいているので」
征一は時計を見た。
最初の車が来てから、まだ動いていなかった。
荷主から受けていた相談は、運賃を安くしてほしいという話だけではなかった。
保管している場所が分かれている。
工場から外の倉庫へ出す。
倉庫から必要な分を戻す。
出荷する荷物は、また別の場所でまとめる。
それぞれの車両には仕事がある。
待っている間にも、運転手の時間は過ぎる。
工場の人も、その対応へ呼ばれる。
「全部、外へ出せばいいとは思っていません」
征一は言った。
「工場に残さなければならない物は、どれですか」
物流責任者は、出荷の予定表を持ち直した。
「今日使う分は、すぐ取れるところに置きたいです」
「明日の分は?」
「生産の変更が入ると、必要になる物が変わります」
「何時までに分かりますか」
責任者は、そこで初めて時計を見た。
建物の広さより前に、聞かなければならない時刻があった。
征一は、工場と外の倉庫を回った。
物の流れを追うと、同じ荷物が短い距離を何度も動いていた。
それを減らせば、運ぶ回数を減らせる。
だが、車の回数を減らすだけでは、工場が困ることも分かった。
今まで一日に何度か取りに行けた物が、まとめた便でしか来なくなる。
工場の予定が変わった時に、間に合わない。
待機を減らすための計画が、工場を待たせる計画になりかねなかった。
「臨時便は、別に決めましょう」
征一は打ち合わせで言った。
「全部、基本料金に入れてもらえませんか」
荷主側の購買担当者が聞いた。
「何回でも、ということですか」
「急に変わることはありますから」
「分かります。ただ、いつでも出せる車と人を置けば、その分の費用がかかります」
購買担当者は、提示された月額を見た。
物流責任者は、工場の予定表を見ていた。
同じ会社の中でも、見ている紙が違った。
征一は、臨時の依頼があった過去の記録を出した。
回数。
時刻。
荷物の量。
どの便で対応したか。
定期の便を動かさずに済んだものと、組み替えたものを分けてある。
「この範囲なら、基本の体制で対応できます。ここを超える場合は、別に相談させてください」
「現場が急いでいる時に、金額の相談をするんですか」
「急いでから決めなくて済むように、今、決めたいんです」
会議室が静かになった。
物流責任者が、記録の一つを指した。
「これは、こちらの連絡が遅かった日ですね」
「誰が悪かったかを決めるためではありません」
征一は答えた。
「同じことが起きた時に、どこまで動けるかを決めるためです」
購買担当者がペンを取った。
基本料金を下げる話だけだった打ち合わせが、少し変わった。
候補地は、使われなくなった工場と、その敷地だった。
建物が残っているから、すぐ使えるとは限らない。
床の状態。
柱の間隔。
出入口の高さ。
トラックが曲がる場所。
雨の日に水がたまる場所。
保管する物に合った設備。
必要となる用途や消防などの確認。
征一は技術者と、現場を歩いた。
荷主からは、保管したい物の種類と量を出してもらった。
今の工場の使い方を、そのまま図面へ移すことはしなかった。
何を置くかで、必要な床も設備も変わる。
「この扉を使えば、大型車は入ります」
仲介の担当者が言った。
征一は外へ出て、車が通る場所を見た。
「入った後、どこで向きを変えますか」
「この辺りで」
担当者が指した場所は、図面では空いていた。
現場には、設備が残っていた。
撤去する物なのか。
売主が使い続ける物なのか。
誰が、いつ片づけるのか。
確認するまで、そこを車の通る場所にはできなかった。
征一は、取得する範囲と引渡しの条件を聞いた。
買える土地と、仕事に使える土地を、図面の色だけで同じにしなかった。
計画をまとめると、必要な資金は十八億円になった。
土地と既存建物の取得に、八億四千万円。
改修と必要な工事に、五億二千万円。
荷役や保管の設備に、一億四千万円。
追加する車両に、一億円。
取得に伴う費用や、開業準備などに、八千万円。
最初の回収までの運転資金に、一億二千万円。
会社が出す自己資金は三億円。
新たに借りる額は十五億円だった。
経理責任者は、三億円の隣に別の欄を置いた。
既存事業のために残す金。
ビルの修繕や更新に備える金。
今回の三億円へ、重ねて数えてはいなかった。
「十八億円で終わる保証は、ありません」
経理責任者が言った。
「工事の見積もりが、まだ全部固まっていません」
「未確定のところを、分けてください」
征一は答えた。
「大きく増えたら、どこを変えますか」
征一は図面を見た。
後から増やせる設備はある。
最初から必要なものもある。
安全や営業のために必要な工事を、金額を合わせるために削るわけにはいかない。
「ここは、増設できる形にして、最初は減らします」
保管設備の一部を指した。
「荷主の予定数量には、足りますか」
「今の数量には。ただ、増えた時は、追加の工事が要る」
「その費用は?」
「増える条件と一緒に、荷主と相談します」
経理責任者は、設備を全部入れた場合の表を消さなかった。
段階的に入れる場合を、横へ作った。
安い方だけを残すと、後から何が必要になるかが見えなくなる。
銀行は、十八億円の表と、売上の計画を並べた。
「借入人は、今回も御社ですね」
「はい。取得、拠点の運営、荷主との契約は、当社で行う計画です」
「十五億円は、全額、新しい拠点に使う」
「既存借入の返済には使いません」
担当者はうなずいた。
別の職員が、既存の借入と担保の資料を開いた。
ビルの取得時に借りた分は、返済が進んでいる。
残っている債務は、そのまま残る。
担保として設定されている内容も、登記と契約で確認する。
今回の新しい借入を、どの資産で担保するか。
既存の担保が、どの債務まで対象としているか。
追加の設定や手続きが必要か。
担当者だけが図面へ線を引いて決められる話ではなかった。
征一は、二十八億円の資料を机へ出した。
五階の入居者が代わった後の契約と入金も添えてある。
「この数字を、そのまま余っている担保として見てはいません」
「こちらでも、現在の状況を確認します」
「新しく取得する拠点の土地と建物も、合わせて見ていただきたい」
銀行は、改修に使う五億二千万円が、そのまま同額の担保価値になるとは扱わなかった。
この荷主に使いやすい造りと、売却する時に買い手が評価する造りは、同じではない。
「仮にこの事業が終わった場合、どの用途で使えますか」
担当者が聞いた。
征一は、特殊な設備と汎用的な部分を分けた図面を出した。
「この部分は、他社の荷物にも使えます。こちらは、荷主の条件に合わせる必要があります」
「その費用を、誰が負担しますか」
征一はまだ署名されていない契約案を見た。
「そこを、これから詰めます」
銀行の職員が、該当箇所に印をつけた。
荷主が初めに提示した契約期間は、三年だった。
征一が考えていた設備の使い方は、それより長かった。
銀行へ持っていった返済計画も、三年では終わらなかった。
「三年後に、出られたらどうしますか」
担当者は聞いた。
征一は、工場で見た積込みの場所を思い出した。
荷主にも、外へ任せる理由はある。
この拠点を使えば、無駄な移動と待つ時間を減らせる。
だが、荷主の仕事が変われば、保管する物も数量も変わる。
「続くと思います」
言ってから、征一は首を振った。
「それだけでは、資料になりませんね」
担当者は、否定も肯定もしなかった。
「荷主も、十年先まで数量を約束できません」
「はい」
「ただ、こちらだけが専用の費用を負担して、三年で何もなく終わる契約にはできません」
征一は契約案を閉じた。
「条件を、もう一度相談します」
銀行から戻った後、経理責任者が聞いた。
「融資が通るための契約にしますか」
征一は顔を上げた。
「仕事を続けるための契約にします」
「それなら、断られることもあります」
「あります」
答えた時、拠点が遠くなった気がした。
ただ、欲しい条件を言わずに金だけ借りれば、近づいたように見えるだけだった。
荷主側との協議は、一度では終わらなかった。
「こちらも、生産を十年先まで固定できません」
購買担当者が言った。
「十年間、同じ数量を出してほしいとは言っていません」
征一は、専用に必要となる工事と設備の一覧を置いた。
「この部分を、御社の条件で先に用意します。始まってすぐ契約が終われば、ほかへそのまま使えない費用が残ります」
「倉庫は、御社の資産ですよね」
「はい。土地と建物は当社に残ります。ただ、この設備を作る理由は、御社の荷物です」
「では、うちで負担した方がいいということですか」
「負担する形も、契約期間と料金で回収する形もあります。どちらかを決めたいんです」
相手の社長は、黙って資料を読んでいた。
購買担当者だけでは決められない条件になっていた。
征一は急かさなかった。
相手にも、負わなければならない責任がある。
長い契約を結べば、その間に工場の使い方を変えにくくなる。
途中で出る時の負担があれば、経営判断にも関わる。
「数量が減った月も、同じ額を払うんですか」
社長が聞いた。
「全部を同じにはしません」
征一は、料金の案を二つに分けた。
場所と基本の人員を確保するための部分。
実際に扱う量や配送に応じて変わる部分。
荷物が減れば、変動する費用は減る。
それでも、専用の場所と人を残す費用はある。
その分を、どう約束するかだった。
「うちの仕事が悪くなった時に、固定で払う部分が重くなる」
社長は言った。
「はい。ですから、必要な面積を多く見積もり過ぎないように、確認したいです」
征一は、荷主の都合を否定しなかった。
自分の借入を返すために、相手が使わない場所まで借りてもらう計画では続かない。
保管する物を、もう一度洗った。
工場に残すもの。
新拠点へ移すもの。
季節によって増えるもの。
必ずしも専用にする必要のないもの。
最初の図面から、使い方が変わった。
契約期間は、五年で合意する方向になった。
それで、借入の返済期間と同じになったわけではない。
征一も銀行も、その差を残したまま見た。
契約の更新について答えを出す時期を決めた。
数量が変わった場合に、いつ協議するかも決めた。
荷主の都合で途中終了する場合の、専用設備などの未回収費用の扱いも、根拠と算定方法を確認した。
どんな事情でも全額払ってもらえる、という条文にはしなかった。
征一の会社が仕事をできなくなった場合の責任もあった。
荷物を傷めた時。
決めた体制を維持できない時。
再委託する範囲。
情報の管理。
専門家にも確認してもらい、曖昧なところを減らした。
契約書が厚くなるほど、何も心配しなくてよくなるわけではなかった。
相手が約束どおり払えるかという問題は残る。
五年後には、また仕事を確かめなければならない。
それでも、何を引き受け、何に対して金が入るかは、前より明確になった。
料金の協議で、征一は一度、提示額を下げた。
ただし、同じ仕事を安くするだけではなかった。
午後の定期便を一本減らし、荷主側の出荷をまとめてもらう。
臨時便を頼む判断の時刻を早める。
荷物の情報を、積込みの前に渡してもらう。
現場で待つ時間を減らせるなら、必要な車と人の使い方が変わる。
「現場が、そのとおり動けるか確認します」
物流責任者が言った。
「こちらも、試します」
征一は、既存の仕事を止めない範囲で流れを確かめた。
机の上では一本にまとまった便が、実際には時間内に積めない日があった。
荷主から渡される情報が、前日と当日で変わることもあった。
変わった時に、どこへ連絡するかを決め直す。
積む順番も変える。
現場の作業員が言った。
「この札が先に出ていれば、積み直さなくて済む」
征一は、札が出る時刻を書いた。
銀行へ出す売上の計画より先に、荷台の手前に何を置くかが変わった。
資金計画の三億円を出すため、会社は別の設備更新を一部後ろへ送った。
先送りしてよいものか、現場と確かめた。
安全に関わる交換や、故障が迫っているものは動かさなかった。
新しい拠点へ金を出しても、今の仕事の車が止まれば、荷主は待たない。
経理責任者は、既存事業とビル、新拠点を並べて見た。
新拠点だけが予定どおりでも、会社全体で金が足りなければ返せない。
ビルで大きな退去が起きた場合も入れた。
新拠点の稼働が遅れた場合も入れた。
同じ会社が持つ以上、都合の悪い出来事が別々に起こるとは限らない。
「この二つが重なると、余裕が小さくなります」
経理責任者が示した。
ビルの空室と、拠点の立ち上がりの遅れだった。
征一は表を読んだ。
「追加で借りれば、という欄は作らないでください」
「入れていません」
「最初に残す金と、変えられる支払いで、どこまで持つかを見たい」
経理責任者はうなずいた。
借りた後にも、借りられる前提を重ねれば、十八億円の計画はどこまでも広げられた。
今回は、そこへ置かずに作った。
銀行は現地へ来た。
担当者だけでなく、審査のために確認する職員も一緒だった。
改修前の建物を歩く。
使える範囲と、工事をする範囲を確かめる。
征一は、入る車の大きさと、荷物の流れを説明した。
職員は図面の一か所を指した。
「ここは、将来の増設ですか」
「はい。最初の工事には含めません」
「売上の計画には?」
「この部分で扱う荷物は、入れていません」
職員は、計画書の数字と照らした。
工事業者は、着手できる時期を説明した。
設備の納期にも幅があった。
征一が希望する稼働日から逆に並べただけでは、工程は確定しなかった。
「契約が整う前に、資材だけ先に押さえることはできます」
業者が言った。
征一は、解除する場合の費用を聞いた。
聞いた上で、その日は頼まなかった。
融資の相談が進んでいることと、支払いを約束してよいことは別だった。
銀行から条件の提示を受けた時、十五億円は、すぐに全部使える金として示されなかった。
事業の支払いに合わせ、確認の上で分けて実行する案だった。
会社が出す三億円も、いつ、どの支払いへ充てるかを合わせる。
取得する土地と建物。
既存のビル。
必要な担保の設定。
現在の契約との関係。
返済期間と、元金の返済を始める時期。
利息を払う日。
報告する資料。
追加の借入や資産の処分などに関して、事前に確認する事項。
征一は条件書を一行ずつ読んだ。
今回の十五億円は、新規の借入だった。
既存の借入は減らない。
実行が進めば、その分だけ会社が返す元金が増える。
使った先が建物や設備になっても、借入残高は残る。
担当者は、個人保証に関する今回の条件も説明した。
征一の個人資産を、そのまま会社の自己資金として数える話ではなかった。
既存の契約を消したり、保証の扱いを一括りにしたりせず、対象と範囲を確かめた。
分からない箇所は、その場で止めた。
担当者が説明し切れない部分は、持ち帰って確認することになった。
征一は、空欄へ勝手に答えを書かなかった。
会社へ戻り、経理責任者と支払日を並べた。
土地と建物の決済。
工事の着手時と、進捗に応じた支払い。
設備の代金。
車両。
採用と研修。
稼働前から発生する給与。
最初の燃料代。
最初の請求。
最初の入金。
十五億円という一行は、日付を入れると、いくつもの行になった。
「工事が遅れた場合、この実行も後ろへ動きます」
経理責任者が言った。
「でも、この給与は始まる」
征一は、採用する人の欄を見た。
稼働日だけに合わせて来てもらえば、すぐ仕事ができるわけではない。
先に覚えてもらうことがある。
遅れるかもしれないからと、いつまでも来る日を決めなければ、別の仕事へ行く人もいる。
「ここは、必要な準備です。運転資金の中で見ます」
「長く遅れたら?」
「工事の見込みが変わった時点で、採用の時期も確認する。始めた後に、給料を待ってもらう計画にはしません」
経理責任者は、二つの工程表を並べた。
建物が使える日。
人が仕事を始める日。
同じ線にはしなかった。
最後に、売却した場合の試算も出した。
征一は、引き出しから紙を取り出した。
売れば、今回の借入を抑えられる可能性があった。
まとまった現金が残っても、家賃は入らなくなる。
持ち続ければ、家賃は残る。
その代わり、返済と維持の責任に、新しい借入が加わる。
「どちらを選びますか」
経理責任者が聞いた。
征一は、ビルの現在の収支を見た。
五階で入居者が代わった後の数字だった。
修繕や更新のための金を残しても、収益があった。
その場所で、仕事を続けている人がいた。
次の物流拠点では、今の拠点では受けきれない仕事を引き受けられる。
荷主との条件も詰めた。
費用を払った後の返済を、会社全体で確認した。
余裕がどこまでもあるわけではない。
それでも、両方を持てると判断した。
「売らずに、進めます」
経理責任者は、少し間を置いた。
「では、残すと決めた資金は守ります。新拠点で金が要るからと、ビルの更新分まで使う時は、もう一度判断が必要です」
「はい」
征一は答えた。
売らないと決めたのは、自分だった。
銀行が貸すからといって、選んだ責任まで銀行へ移るわけではなかった。
融資契約を結ぶ前に、土地と建物の売買、工事、設備、荷主との契約がどうつながるかを確認した。
どれか一つだけ先に進めば、ほかが決まらなかった時に費用が残る。
解除できる条件。
期限。
返金される金と、されない金。
関係者と日程を合わせた。
金融機関の承認が出たことだけで、売主や施工会社の予定を勝手に使わなかった。
契約は、それぞれの当事者が内容を確かめて結んだ。
会社で必要な決定と承認も済ませた。
借入人は会社。
新規融資は十五億円。
以前の借入は、以前の返済予定に沿って続く。
担保の手続きと実行の条件を確かめ、最初の支払いへ進んだ。
決済の日、征一は新拠点の鍵を受け取った。
工事は、これからだった。
銀行の金が実行され、会社の自己資金と合わせて、確認した支払先へ出ていった。
取得に使った金は、もう会社の口座にはなかった。
代わりに、土地と建物が会社のものになった。
まだ、荷主の荷物は一つも入っていない。
征一は工事業者と、引き渡された状態を確かめた。
残っている設備。
撤去する範囲。
鍵の数。
使える電源。
水。
図面と違うところは、その場で記録した。
「これで、着手できます」
業者の責任者が言った。
征一は、工程表に決済済みと書いた。
次の欄は、工事の着手だった。
改修が始まると、使える部分と、まだ入ってはいけない部分が分かれた。
荷主は、途中の状態を見たいと言った。
征一は業者に確認し、入れる日と場所を決めた。
現場で、荷主の担当者が保管設備の位置を指した。
「これを、もう少し手前にできませんか」
業者が図面を開いた。
「変更になります」
「少し動かすだけでも?」
「床との関係と、こちらの通路が変わります」
征一は、その場で了承しなかった。
変更する理由を聞く。
費用と工程への影響を出してもらう。
必要なら、負担も決める。
使いやすくするための変更でも、誰かが無償で予定を変えるわけではない。
最終的には、一部を変えた。
荷主が追加分を負担する箇所と、征一の会社が引き受ける箇所を分けた。
変更前の図面は、使わないものとして現場から下げた。
新しい図面に日付が入った。
金額だけではなく、現場で見る紙も変えなければならなかった。
工事と設備の確認に応じて、融資の実行が進んだ。
十五億円は、一度に会社の残高へ積まれたわけではなかった。
未実行の分は、自由に使える現金ではない。
必要な条件と資料をそろえ、予定する支払いへ合わせた。
請求されたから、そのまま払うのでもなかった。
契約と見積もり。
変更の承認。
工事や納品の確認。
請求書。
経理責任者は、そのつながりを確かめた。
一度、変更前の金額が請求に残っていた。
問い合わせると、業者側の集計が直っていなかった。
請求書が差し替わった。
誰かが悪意で増やしたわけではなかった。
それでも、気づかなければ、そのまま金が出た。
征一は、十五億円を借りたことより、いま何を払っているかを見る時間が長くなっていた。
稼働前の試運転では、最初の車が予定より早く着いた。
工場からの荷物ではなかった。
荷主の仕入れ先から、新拠点へ直接入れる荷物だった。
以前は、いったん工場で受け、別の倉庫へ出していた。
今度は、ここで受けて保管する。
工場へ必要な物は、指定された時刻までに、必要な数量を届ける。
出荷する製品は、ここで行き先別にまとめ、次の配送へ渡す。
何をどこで受けるかを、荷主と関係する運送会社へ、切り替える前に伝えてあった。
早く着いた車を、どこで待ってもらうか。
受付は、誰がするか。
荷物の数が違った場合、どこへ連絡するか。
現場責任者が確認した。
征一は、少し離れて見ていた。
自分が一台ずつ案内すれば、今日は動くかもしれない。
明日、自分がいなくても動かなければ、拠点にはならなかった。
責任者が運転手へ説明し、待つ場所を示した。
通路は空いたままだった。
征一は口を出さず、時刻を書いた。
最初の荷物を出した日、荷主の物流責任者が工場から電話をしてきた。
「今朝は、入口が空いていました」
征一は、まだ箱の残る事務所で聞いた。
「必要な物は、間に合いましたか」
「はい。確認した数量で来ています」
「不足は?」
「ありません」
褒めるための電話ではなかった。
切り替えた仕事が、予定どおり動いたという連絡だった。
征一は、机の端へ手を置いた。
十八億円の表を作った時、欲しかったのは、この返事だった。
広い建物が欲しかったわけではない。
工場の入口を空け、必要な物を間に合わせ、その仕事から金が残る場所を作りたかった。
「明日も、変わったことがあれば教えてください」
征一は言った。
電話を切ると、現場から声がした。
次の車が来ていた。
稼働後も、金は先に出た。
給与。
燃料。
電気。
外へ頼んだ配送。
荷主への請求をまとめても、その日に入金されるわけではない。
一億二千万円として用意した運転資金から、必要な支払いをした。
契約どおりに請求しても、内容の確認で問い合わせが来た。
扱った数量と、依頼された臨時便の記録を出す。
基本料金に含むものと、追加のものを照らす。
最初の請求から、何も聞かれず払われるとは限らなかった。
それでも、打ち合わせで決めた条件があった。
記録を出し、確認し、合意した金額を確定する。
最初の入金日、経理責任者が征一の机へ来た。
「入りました」
征一は画面を見た。
十五億円ではなかった。
新拠点が始めた仕事の、最初の代金だった。
そこから、次の支払いを残す。
返済と利息の予定も見る。
借りた時には、できなかった引き算だった。
実際に仕事をして、初めて入った金から引いた。
追加の設備と支払いの確認まで進み、今回の新規融資の実行累計が十五億円に達した時、経理責任者は借入の一覧を更新した。
新しい十五億円。
以前から残っている借入。
返済の始まる日と、続いている日。
会社が背負う数字は、増えていた。
持っている資産も増えた。
売上も、費用も、人も増えた。
どれか一つだけで、成功したとは言えなかった。
征一は月次の実績を見た。
計画より費用がかかったところがある。
待機が減り、想定より効率よく回った便もある。
荷主と確認する変更が残っている。
それでも、仕事は動いていた。
ビルを売らずに、新しい拠点が動いていた。
その月、ビルの家賃も入った。
経理責任者が、二つの入金実績を並べた。
建物の賃料。
物流の代金。
同じ口座の残高だけでは、どちらの仕事で何が残ったか見えなくなる。
征一は、分けた表を読んだ。
ビルの修繕に備える金は、残っている。
既存の返済も続けている。
新拠点にも、次の入金まで払うための金を置く。
全部を引いて、今月の数字を確かめた。
「立ち上がりましたね」
経理責任者が言った。
「ええ」
征一は答えた。
窓の外で、帰ってきた車が速度を落とした。
門を入り、決めた場所へ止まる。
運転手が降り、事務所へ向かって歩いてきた。
借りた金が、車や建物になっただけではない。
そこで働く人が、明日も来る場所になっていた。
夕方、仲介会社から電話があった。
ビルの売却について、相手へどう返事するかという確認だった。
征一は、机の引き出しを開けた。
売却した場合の試算が入っていた。
取り出して広げる。
仮定の価格。
未確定の決済日。
売った後の収支。
その紙を作った頃には、新しい物流拠点はまだ図面だった。
今は、向こうの事務所で電話が鳴っている。
現場責任者が受け、明日の荷物の話をしていた。
「今回は、売りません」
征一は受話器へ言った。
「当面、保有されるということで?」
「はい。検討していただいた方には、お礼を伝えてください」
電話を切った。
試算の右上へ、日付を書いた。
売却見送り。
紙を戻し、引き出しを閉めた。
机に残したのは、十五億円の返済予定表だった。




