残金1,842円|第18話「人が集まる会社」
午前六時四十二分、七時に出す車の運転手が、来られなくなった。
「救急車は呼びました。夫が、会社に連絡してくれって」
妻からの電話を受けた社員は、机に置いた出勤予定を見た。
男の名前の横には、まだ印がなかった。
「仕事はこちらで引き継ぎます。今は、そちらについていてください」
病院が決まったら、落ち着いてから知らせてほしいと伝えた。
受話器を置き、決めてあった連絡先へかける。
現場責任者は、二度目で出た。
社員は、時刻と便名を伝えた。
積込みは前日に終えている。車両に異常はない。運転手が出勤できない。
責任者は、本人へ直接電話をかけ直すようには言わなかった。
「配車へ連絡します。荷主には、遅れる可能性があると伝えてください。次の連絡は六時五十五分。それまでに代わりが決まっていなくても、こちらから入れます」
社員は復唱し、電話を切った。
壁の時計は、六時四十六分だった。
征一が連絡を受けたのは、その二分後だった。
配車担当は、すでに車と人を探していた。
自社で乗務できる人を確認する。
別の便から回せば、その荷物が遅れる。
勤務を終えて帰った人を、すぐに呼び戻すこともできない。
応援を頼める別拠点にも、その朝の仕事があった。
「外部は」
征一が聞いた。
「一社、車ごと出せます。積み替えになります」
「到着は」
「ここへ七時四十分前後。まだ幅があります」
「発注は、止めていますか」
電話の向こうで、一瞬、間があった。
「いつもの外注単価を超えています。責任者と確認しています」
現場責任者は、代わりの車を探すよう指示できた。
配車担当は、空いている車を見つけられた。
だが、通常と違う費用を負担して、誰が発注するか。
その境目で、手配が止まっていた。
「その車を押さえてください。費用は当社で持ちます。荷主への請求には入れません」
征一は言った。
「相手の到着が確定したら、積替えと出発の見込みを出してください。工場には、先に必要な品目を確認する。全部を一度に届けることより、生産が止まらない順番を探しましょう」
窓の外は、もう明るかった。
征一は上着を取り、家を出た。
新拠点へ着いたのは、七時八分だった。
原材料を積んだ車は、所定の場所に止まっていた。
その横に、現場責任者が立っている。手には、荷物の一覧があった。
「工場の返事です」
先に必要なものには、印がついていた。
工場には、まだ材料が残っている。ただし、予定どおりの順番で生産すれば、途中で不足する。
別の製品を先に動かせば、受け取るまでの時間を延ばせる。
「こちらの都合で変えてもらっています」
責任者が言った。
「はい」
征一は一覧を受け取った。
工場が何とかするから、間に合ったことにしてよいわけではなかった。
荷台の奥にあった原材料を、先に降ろせるよう組み直す。
運送会社へ、積む量と荷姿をもう一度伝える。
早く来られると聞いただけで、必要な荷物を扱える車かどうかの確認を飛ばさない。
現場は動いていた。
受付では、予定どおり到着した別の車を、決めた待機場所へ案内している。
通路は空いていた。
征一は、荷主の物流責任者へ電話した。
「代わりの車は、手配しました。到着予定は七時四十分前後です。優先する荷物から積み替えます」
「工場へは、何時になりますか」
「七時二十分に、出発と到着の見込みを改めて連絡します。今は、予定の時刻より遅れると伝えてください」
「こちらは、生産の順番を変えます」
「ありがとうございます。変えた内容も、後で確認させてください」
電話を切ると、責任者が見ていた。
「何ですか」
「いえ。追加の作業を、こちらで記録します」
「お願いします。運送代だけで終わらせないようにしましょう」
運送会社の車は、七時三十八分に入ってきた。
運転手が降り、荷物と行き先を確かめた。
積み替える。
数を合わせる。
受け渡す書類を確認する。
急いでいるからと、二人が同じ場所へ入らない。
征一は、作業をする人の外側に立っていた。
責任者が出発の時刻を知らせに来る。
工場へ連絡する。
荷物を受ける側の準備を確かめる。
車が門を出た時、征一はようやく時計から目を離した。
仕事は止まらなかった。
だが、その朝の予定は、征一の会社だけでは取り戻せなかった。
工場は生産の順序を変えた。
原材料を受ける人は、別の作業から離れた。
こちらの倉庫では、予定にない積み替えが入った。
次に出す荷物の準備は、ほかの社員が引き受けた。
借りた十五億円で作った拠点には、車も建物も設備もあった。
運転手が一人来られなくなった朝、それらは全部そろったまま、最初の便が出なかった。
午前中、征一は工場へ行った。
物流責任者と、生産側の担当者が出てきた。
「全体の停止にはなりませんでした」
生産側の担当者が言った。
「ただ、後の工程まで全部、元どおりというわけではありません。今日の分は、これから確認します」
征一は頭を下げた。
「ご迷惑をかけました。こちらでも、変更した仕事を確認しています。分かったことは共有します」
物流責任者は、机へメモを置いた。
「連絡は、決めた時刻にありました。それは助かりました」
六時五十五分。
七時二十分。
その後の出発連絡。
受ける側が書いた時刻が並んでいた。
「次にどうなるかが分かれば、こちらも動けます。ただ」
相手は、征一を見た。
「榊原さんに連絡がつかなかったら、同じ時刻に車を頼めましたか」
征一はメモを見た。
外部の車を見つけた時刻と、発注した時刻の間が浮かんだ。
「そこは、変えます」
「必ずもう一人、待機させてほしいという話ではありません。それを全部料金へ入れられると、こちらも困ります」
「はい」
「ただ、通常と違うことが起きた時に、誰が決めるのかは、決めておいていただきたいんです」
要求は、正しかった。
同時に、いつでも使える余分な人と車の費用を、全額負担するとは言わない。
征一にも、その意味は分かった。
何も起きない日に余るものへ、金を払えるか。
自分が荷主なら、同じことを聞いたかもしれなかった。
会社へ戻ると、外部運送会社からの費用の連絡が届いていた。
緊急手配。
通常とは違う行程。
積み替えに伴う待ち時間。
経理責任者は、確認した内容を一枚にまとめていた。
「承認の記録を、お願いします」
征一は目を通した。
「電話で頼んだ時点で、記録しています。これは、金額を確認した分です」
経理責任者は言った。
急いでいる時に言ったことも、後で紙に戻さなければならなかった。
征一は確認を済ませた。
「本人は」
「病院で検査中です。奥さんから、今日は戻れないと連絡がありました」
「仕事の電話は、こちらからはしないでください。必要な手続きの連絡だけ、窓口を決めましょう」
その日、夕方の車が戻るまで待って、朝の動きを確認した。
責任者。
配車担当。
最初の電話を受けた社員。
経理責任者。
征一。
それぞれの記録を、机へ出した。
連絡先は決まっていた。
実際に連絡もついた。
荷主へ伝える時刻も守った。
代わりの車も見つけた。
「ここで、社長の承認を待っています」
配車担当が言った。
紙の上に、短い空白があった。
「私のところへは、通常より費用がかかるという確認が来ました」
現場責任者が言った。
「いくらまでなら、私が決めてよいか、はっきりしていませんでした」
「荷主の追加依頼なら、料金の承認を取ってから動かせます」
配車担当が続けた。
「今回は、うちが予定どおり出せなかった分です。先方へ確認する話ではないので」
征一はうなずいた。
前の契約協議で決めたのは、荷主から急な変更が来た場合の対応だった。
今日は、引き受けた仕事を、自社の事情で予定どおりできなくなった。
同じ臨時便でも、誰が負担するかが違っていた。
「今朝のような場合は、現場責任者の判断で、代わりを手配できるようにします」
征一が言うと、経理責任者が聞いた。
「条件を決めましょう。金額の上限だけでよいですか」
安ければ、どの運送会社でもよいわけではない。
高ければ、何もせずに待ってよいわけでもない。
相手の会社を確認する。
運べる荷物かを確認する。
予定の便を動かすことで、別の仕事を壊さない。
現場で決められる範囲と、征一へ連絡する範囲を分ける。
征一につながらない場合に、誰が代わって判断するかも決めた。
経理責任者は、一つずつ書いた。
「使った後は、理由と金額を報告します」
現場責任者が言った。
「お願いします」
「その時に、別の会社ならもっと安かった、と戻されると、次は待つと思います」
部屋が静かになった。
責任者は、征一を見ていた。
挑むような目ではなかった。
今日、何を任されたのかを確かめる目だった。
「決めた範囲で、その時に確認できた情報を使って判断したものは、後から私の電話一本で取れたかもしれない値段とは比べません」
征一は答えた。
「ただ、同じことが続くなら、次の手配は一緒に変えたい」
「それなら、できます」
責任者は紙を引き寄せた。
征一は、自分で言った条件を読んだ。
任せるという一言より、ずっと狭かった。
その分、明日の朝に使えるものになっていた。
翌日以降の勤務を組み直すと、別の問題が出た。
新拠点だけを見れば、必要な人はそろっていた。
ただし、別の拠点から来てもらう日があった。
元の拠点では、その人が抜けた分を、残った社員が引き受けていた。
配車担当が、会社全体の表を持ってきた。
新拠点。
以前からの倉庫。
定期の配送。
車両の点検。
休み。
研修。
一人の名前を動かすと、別の欄に空白ができた。
「普段は、ここで吸収しています」
配車担当が指した。
荷物の少ない時間を使う。
帰着した運転手に、次の仕事までの範囲で手伝ってもらう。
休みの希望を先に聞き、応援できる日を合わせる。
どれも、間違った組み方ではなかった。
それで実際に仕事は動いていた。
「今朝のように、当日、一人抜けると」
「重なる時間が、厳しいです」
「一人、採れば解決しますか」
征一が聞くと、現場責任者は首を振った。
「運転できる人を採っても、倉庫の確認を全部任せられるわけではありません。倉庫の人を増やせば、運転手が戻った後の作業は減らせます。配車も、今は一人が見ている部分があります」
人員の欄へ一と書けば、一人分が働くのではなかった。
誰が何をできるか。
その仕事を覚えるまで、誰が横につくか。
覚えた人が休む日に、誰が代われるか。
征一は、倒れた運転手の欄を見た。
そこへ別の名前を入れるだけなら、男が戻った時に、一人余るように見える。
だが、一人も余らない計画だから、その朝が崩れた。
「まず、今いる人の勤務を守れる形で、組み直してください。外へ頼む便も、全部戻す前提にはしない」
経理責任者が、手元へ書いた。
「費用は、上がります」
「出してください」
出してもらうまでは、征一にも、その言葉の重さは分からなかった。
翌週、荷主から新しい仕事の相談があった。
別の製品も、新拠点で扱えないか。
稼働後の仕事を見て、工場側から出た話だった。
荷物の移動は減った。
工場の入口も空いた。
必要な物が、決めた数量で届いている。
あの朝に遅れた事実はあっても、それまでの改善が消えたわけではなかった。
征一は現場責任者と、打ち合わせへ出た。
追加する数量。
入ってくる時刻。
工場で必要になる時刻。
保管する期間。
今の仕事と、朝が重なった。
「面積は、使えますよね」
購買担当者が聞いた。
「既設の設備で扱える範囲か、品目ごとに確認します。将来増設する区画は、今回の能力へ入れていません」
征一は答えた。
相手はうなずき、料金の案を出した。
今の仕事へ追加する分としては、悪い数字ではなかった。
土地も建物も、すでに持っている。
同じ場所で扱えば、新たに拠点を作る費用は要らない。
征一は、受けた場合の動きを頭の中で組み始めた。
朝の作業を早める。
前日に済ませられる分は、先にする。
便の帰着と、次の荷物の準備を合わせる。
横で、現場責任者が紙を置いた。
「この時刻は、今の仕事の積込みがあります」
「その前に、終わらせられませんか」
征一が聞いた。
「入荷が、この時刻です」
責任者は、荷主から出た資料を指した。
征一は、もう一度読んだ。
相手側の製造が終わる前には、荷物は出てこない。
自分の倉庫の工夫だけでは、早くできなかった。
「一度、社内へ持ち帰らせてください」
その帰り、征一は責任者へ聞いた。
「人を増やせば、受けられますか」
「教える期間を取れるなら」
「今いる人で、最初だけ」
言いかけて、征一は止めた。
責任者は窓の外を見ていた。
返事を待っている。
できませんと言えば終わる話でもなかった。
仕事が入れば、会社へ金が入る。
会社へ金が入れば、人も増やせる。
始める前から全てを用意できた商売ばかりではなかった。
「無理を頼んだ分が、いつ終わるかまで出しましょう」
征一は言い直した。
「人が採れなかった場合も、入れてください」
戻ってから、三つの案を作った。
今の人員で受ける案。
新たに採用して受ける案。
朝の一部を外へ頼み、全体を受ける案。
最初の案は、休みや欠勤が重なった時に持たなかった。
二つ目は、採用と研修の期間が必要だった。
三つ目は、外注費を引くと、先方が示した料金では十分に残らなかった。
征一は、外注先へ自分でも電話した。
条件を伝え、継続して頼んだ場合を聞く。
単発よりは下がった。
それでも、計算が変わるほどではなかった。
責任者は、その電話を聞いていた。
征一は受話器を置いた。
「この金額で、先方へ出します」
採用する場合と、外へ頼む場合。
始められる日も、違う。
荷主へ示すと、購買担当者は資料を読み直した。
「これだと、今の委託先から移す意味が小さくなります」
「はい」
「もう少し、今ある体制でできると思っていました」
「場所はあります。ただ、この時間に動く人が必要です」
「先に始めて、数量が固まってから増やすことは」
征一は、用意してきた勤務の表を出した。
「その場合、いつまでに人を増やすかを決める必要があります。採れなかった時に、今の仕事まで遅らせる形にはできません」
相手は黙って読んだ。
断る理由を探しているようには見えなかった。
自分の会社で、説明できる数字かを見ていた。
「一度、こちらでも検討します」
数日後、当面は今の委託先へ残すと連絡が来た。
征一は受話器を持ったまま、窓の向こうを見た。
朝の作業が終わった倉庫には、空いている場所があった。
今、その時刻だけを見れば、まだできそうに見えた。
「承知しました」
征一は言った。
「条件が変わりましたら、またご相談ください。現在の仕事は、引き続き進めます」
電話を切った後、すぐには席を立たなかった。
現場責任者が、机の前へ来た。
「すみません」
「謝る話ではありません」
征一は答えた。
答えた声が、自分で思っていたより硬かった。
責任者は動かなかった。
征一は息をつき、資料を閉じた。
「取りたかった仕事です」
「はい」
「でも、出してもらった条件が間違っているとは思っていません。次に受けられるようにする話は、続けましょう」
責任者は、ようやくうなずいた。
人員を増やす案は、取り下げなかった。
ただし、追加の仕事が入る前提の採用にはしなかった。
今ある仕事を、休む人が出ても続ける。
配車の補助をできる人を育てる。
倉庫内の確認を、一人だけが抱えないようにする。
採用後に、どの仕事を誰から移すかを決めた。
最初の月は、教える人の負担が増える。
その間に減らす仕事も決める。
外へ頼む便を残した。
経理責任者は、直した月次の計画を征一の前へ置いた。
「当初より、利益は減ります」
征一は表を読んだ。
ビルの収入。
既存事業の収入。
新拠点の収入。
支払う費用。
借入の返済。
利息。
修繕と更新へ残す金。
新しい人の給与は、一度払って終わる費用ではなかった。
「この追加受注の試算は」
「基本の資金計画とは分けています。入らない前提で、こちらを作りました」
「その上で、次の入金まで」
「今の条件で回収できれば、払えます。ただ、余裕はこの分だけ減ります」
経理責任者が、表の下を指した。
征一は、その欄を何度か読んだ。
借入を増やす欄はなかった。
ビルの更新用に残した金も、持ってきていない。
「進めてください」
経理責任者は、日付を書いた。
倒れた運転手は、妻と一緒に会社へ来た。
当面、乗務はできない。
医師の指示に従い、復帰の見通しが分かってから相談することになった。
小さな応接室で、男は座る前に頭を下げた。
「本当に、すみませんでした」
「今、無理に戻る日を決める必要はありません」
「でも、代わりの車が」
「会社で手配しています」
征一が言うと、男は隣の妻を見た。
妻は鞄を膝へ置いていた。
持ち手を両手で握っている。
経理の担当者が、休む間の扱いを説明した。
使える休暇。
給与へ反映される範囲。
必要になる書類。
確認してから返事をする部分。
妻は、支払日を聞いた。
担当者が答えると、手帳へ書いた。
「家賃が、その翌日なんです」
言ってから、妻は少し笑った。
説明しなくてもよいことを、説明してしまったような顔だった。
征一は、机の上の紙を見た。
会社では、一人分の給与だった。
その家では、翌日まで待たない支払いがあった。
「戻るまで、席はありますか」
男が聞いた。
征一は顔を上げた。
「あります」
「人を、入れると聞いたので」
「一人が休むと、ほかの人が無理をする形を変えます。戻った時も、その形で働いてもらいたい」
男は、しばらく征一を見ていた。
やがて、両膝へ手を置いた。
「働けるようになったら、連絡します」
「お願いします」
帰り際、妻がもう一度、経理の担当者へ支払日を確かめた。
担当者は、持ち帰る紙の同じ日付へ印をつけた。
征一は、そのやり取りが終わるまで待っていた。
面接に来た男は、前の倉庫で何を扱っていたかを、詳しく話した。
現場責任者が、作業の順番を聞く。
間違いが起きた時、どこまで戻って確認したかを聞く。
男は、自分がした失敗も一つ話した。
征一は履歴書の空白より、その説明を聞いた。
「こちらへ来たい理由は」
征一が尋ねると、男は少し黙った。
「勤務の予定が、決まる日を知りたいんです」
責任者が、今の決め方を説明した。
変更が必要になる場合。
連絡する相手。
休みの希望を出す日。
男は、その部分をメモした。
別の日に来た女性は、入出庫の記録を扱っていた。
現場を見てもらった後、こう聞いた。
「数が合わない時は、車を止めて確認していいんですか」
「確認してください」
責任者が答えた。
「出る時刻が近くても」
「そのまま出してよいか、こちらへ知らせてください。何が分かっていないかを確認します」
女性は、責任者と征一を順に見た。
「前のところで、急いでいたからそのまま出したら、後で、なぜ言わなかったと聞かれたことがあって」
征一は、机へ置いた手を動かさなかった。
「ここでも、忙しい日はあります」
そう言うと、女性の表情が少し硬くなった。
「だから、止めた理由を聞きます。その理由があったのに、急いでいるから黙ってほしかった、とは言わないようにします」
女性は、すぐにはうなずかなかった。
その後で、給与の支払日と勤務の時間を聞いた。
採用する側の返事を、その場で全部信じる義務はなかった。
二人が入社する日を決めた。
教える担当を決め、最初に任せる仕事を絞った。
征一が会社の話をする時間も、短く取った。
入社初日、二人の前で、新拠点を作った理由を話した。
工場から出て、外の倉庫へ行き、また工場へ戻っていた荷物のこと。
車が待っていた場所のこと。
ここで受けることで、工場の人が別の仕事へ戻れるようになったこと。
「その仕事を、続けたいと思っています」
征一は言った。
会社を大きくしたいという話も、頭にはあった。
ここで扱える荷物は、まだある。
受けられるようになれば、次も作れる。
ただ、初日に来た二人が、まず知る必要があるのは、今日、どこで誰に教わるかだった。
征一は話を終え、責任者へ引き継いだ。
二人が現場へ出る。
机には、勤務条件の控えが残った。
征一は給与の額を見て、書類を経理へ渡した。
その週、入出庫の記録を教わっていた女性が、数量の違いを見つけた。
予定の数量が、受け取った数として入力されていた。
実際には、一部が届いていなかった。
仕入れ先から、分けて届けるという電話があった。電話の記録は残っていたが、受入れの記録へ反映されていない。
女性は、隣で教えていた社員へ声をかけた。
二人で現物を確認する。
責任者へ知らせる。
荷主へ連絡する。
不足分が届く時刻と、工場が必要とする時刻を合わせる。
翌朝の配送の順序を、一部変えた。
征一が報告を受けた時には、対応は決まっていた。
「こちらへ確認を入れなくてよかったですか」
責任者が聞いた。
「決めた範囲ですね」
「はい。追加の費用も、ここまでです」
征一は記録を読んだ。
自分なら、別の順序にしたかもしれなかった。
だが、その順序でも荷物は届く。
別の便も崩れていない。
「そのまま進めてください」
翌朝、荷物は工場へ届いた。
征一が出社する前だった。
月末、経理責任者の机には、書類が積み上がっていた。
人が増え、現場の記録は前よりそろうようになった。
そろった記録は、消えるのではなかった。
確認する紙になって、経理へ来た。
外へ頼んだ便。
荷主と合意した追加の費用。
受け取った請求書。
支払った金。
これから払う金。
新拠点の書類の下には、以前からの仕事の分もあった。
ビルの管理会社から来た更新の見積もりが、その横に置かれている。
「入力する人を、増やしましょう」
征一が言った。
「必要です」
経理責任者は答えた。
それから、会社全体の資金の表を出した。
「ただ、それだけでは足りなくなっています」
征一は椅子を引いた。
「何がですか」
「決まった支払いを確認する前に、これから何を引き受けるか、一緒に組める人です」
「今も、見てもらっています」
「見ています。でも、今月の支払いを確かめている間に、来月から始める話が進みます」
征一は、表の右側を見た。
先の日付が並んでいた。
そこへ置かれるのは、経理責任者が自分で増やした支払いではなかった。
征一が受けた仕事。
現場で必要になった変更。
採用した人。
更新する設備。
それぞれに理由があった。
「新しい仕事を止めたいんですか」
征一は聞いた。
経理責任者は首を振った。
「受けるために、先に見たいんです」
その返事を、征一は黙って聞いた。
「今回の追加の仕事も、採用や外注の条件をそろえる時間が、もっと早く取れていれば、別の提案ができたかもしれません」
「取れたとは限りません」
「はい。でも、受けるか断るかが決まる前に、支払いまで含めて話す相手が必要です。社長が一人で全部を持っていると、こちらへ来た時には、もう相手が待っています」
征一は、自分の手帳を開いた。
翌週にも、相談の予定があった。
まだ何も約束していない。
だが、先方は、榊原なら何か考えると思って会いに来る。
そういう仕事を、断らず聞いてきた。
聞いた中から、実際に金になる仕事を見つけてきた。
「私と、一緒に行ける人ですか」
「必要なら。ただ、社長の返事を後から整えるだけの人では、続かないと思います」
征一は、手帳から顔を上げた。
経理責任者は、疲れた顔をしていた。
今日だけ疲れたのではないことが、座って話して、ようやく分かった。
「心当たりは」
「一人います。まず、話を聞いてもらえるか、相談したいです」
「今、勤めている人ですか」
「はい」
「うちへ来る理由が、ありますか」
経理責任者は、少し考えた。
「それは、本人へ聞かなければ分かりません」
征一はうなずいた。
金を出せば、土地は売ってもらえることがあった。
条件を詰めれば、銀行は貸した。
人にも条件はある。
ただ、その人が今いる場所を離れ、こちらへ来るかどうかは、征一の計画だけでは決まらなかった。
「会ってもらえるなら、私から話します」
経理責任者は、表をそろえた。
翌月の勤務が決まった日、現場責任者が一部を征一の机へ持ってきた。
承認を求めるものではなかった。
決めた範囲で組み、共有するためだった。
倒れた運転手の名前も残っていた。
まだ便は入っていない。
復帰の見通しを、本人と確認してから決める。
征一は、その名前を見た。
新しく来た二人の名前が、別の欄にある。
教える社員の名前。
休む人の名前。
外へ頼む便。
一枚の紙に、会社へ来る日と、来ない日が並んでいた。
その週の給与の支払いが終わると、経理責任者が報告に来た。
征一は、会社全体の資金の表を開いた。
次の入金までに払う分は残っている。
ビルの更新へ残す金も動かしていない。
十五億円の返済予定表を、その横へ置いた。
最初に借りると決めた時より、手元へ残る見込みは小さくなっていた。
それでも、拠点は動いている。
工場へ荷物は届いた。
休む人が出ても、仕事は続いた。
征一が知らないうちに見つかった間違いが、征一の返事を待たずに直った。
経理責任者が部屋を出ると、机の電話が鳴った。
取引先からだった。
「御社の担当の方を、お願いできますか」
征一は相手の名前と用件を聞き、内線へ回した。
向こうで、社員が電話を取った。
征一は受話器を置いた。
廊下から、新しく来た女性の声がした。
「はい、うちで確認します」
征一は、開いていた返済予定表から顔を上げた。




