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残金1,842円|第28話「悠斗」

 父からの電話を、悠斗は取らなかった。


 両手がふさがっていた。


 棚から外した照明器具を、隣にいる男へ渡す。脚立の上で姿勢を戻すと、胸ポケットの振動は止まっていた。


「今の、落とすなよ」


 下から言われた。


「落としてないです」


「電話」


 悠斗は下を見た。


「そっちですか」


「器具もだけどな」


 男は、受け取った器具を床の毛布へ置いた。外したねじを小袋へ入れ、マジックで取付位置を書く。


 悠斗が脚立を下りると、壁際の机に置いていた作業票を指した。


「これ、写真が先。外してからじゃ、元の向きが分からない」


「撮りました」


「端子のところ」


 悠斗は携帯電話を出した。


 着信履歴の上に、父の名前がある。


 それを閉じ、写真を見せた。


 男は画面を拡大した。


「次から、もう一枚。線が重なって見えないところがある」


「はい」


「今は俺が見てるからいい。次に来るやつは、お前が何を見たか知らないんだ」


 悠斗は器具の脇へかがみ、指定された位置から撮り直した。


 携帯電話が、もう一度震えた。


 今度は、短い文章だった。


『手が空いたら電話をくれ。急ぎではない』


 悠斗は、その文を二度見た。


 父の「急ぎではない」は、返事をするまでの時間を、こちらが決めてよいという意味なのか。


 以前、一度聞いたことがある。


 父は笑っていた。


 今回は、笑い声も届かなかった。


 終業後、道具を車へ戻してから折り返した。


「何かあった?」


 つながると、先に聞いた。


「いや。仕事中だったか」


「うん」


「悪かった」


 いつもなら、そのまま用件へ入るところだった。


 父が黙ったので、悠斗も次の言葉を待った。


「母さんのこと、聞いてるか」


「土曜、病院だったんでしょ。昨日、電話した」


「ああ」


「どうかした?」


「いや。家で休んでる」


 道路の向こうで、バスが止まった。


 降りてきた人が、悠斗の前を横切る。片手に下げた弁当の袋が膝へ当たった。


「俺、今から電車」


「今週、帰れる日があるかと思って」


「何で」


 問い返すと、父の呼吸が一つ聞こえた。


「顔を見て、少し話したい」


 悠斗は、足元の白い線を見た。


「会社の話?」


「それもある」


「俺、入らないよ」


 言ってから、少し早かったと思った。


 父は、すぐに否定しなかった。


「まだ、何も言ってないだろ」


「そういう話じゃなければ、ごめん」


「そういう話かどうかも、聞かないのか」


 悠斗は目を閉じた。


 隣の車が発進する。排気の匂いが残った。


「聞いたら、考えるところから始まるでしょ」


「考えることまで駄目なのか」


「駄目じゃない。でも、考えてないのに、考えてることにしたくない」


 電話の向こうが静かになった。


 悠斗は、帰り際の男に手を上げた。男は車の窓から、軽くうなずいて出ていった。


「水曜なら行ける。夜」


「分かった」


「会社の人は呼ばないで」


「呼ばない」


「俺に見せる資料も、まだ用意しないで」


 父は少し間を置いた。


「分かった」


 悠斗は時刻を決めて、電話を切った。


 その後で、自分から母へ連絡した。


『水曜、帰る。体、大丈夫?』


 返事は駅へ着く前に来た。


『大丈夫。食べていく?』


『うん』


 もう一通、届いた。


『お父さんと何を話すかは、二人で話して。私は間に入らないよ』


 悠斗は、画面を見て小さく笑った。


『分かってる』


 送ってから、何を分かっているのだろうと考えた。


 父が何を言うかも、まだ聞いていなかった。


 水曜日、実家へ着いたのは七時半だった。


 玄関には、父の靴があった。


 悠斗は自分の靴を脱ぎ、並べた。革靴と、洗っても白く戻らなくなった作業靴が、同じ方を向いた。


「ただいま」


 台所から母の声がした。


「おかえり」


 居間の戸が開き、征一が顔を出した。


「早かったな」


「七時半って言ったじゃん」


「ああ。そうだな」


 父は、道を空けた。


 食卓には三人分の皿があった。


 悠斗が洗面所から戻ると、父は湯飲みを並べていた。一つだけ、柄の向きが逆になっている。


 母が、それを直さずに座った。


「仕事、どう」


 食べ始めてしばらくしてから、父が聞いた。


「普通」


「普通って」


「まだ、一人じゃ任せてもらえない」


「何をやってるんだ」


「建物の設備の、点検とか修理の手伝い。今は、外した物を運ぶのと、写真と記録が多い」


「資格は」


「必要なのは、取る」


「取らせてもらえるのか」


「まだ入ったばっかりだよ」


 父の箸が止まった。


 悠斗は汁を飲んだ。


 聞かれたことが嫌なのではなかった。


 父の質問は、いつも先へ行く。


 今、何ができるか。

 次に何を取るか。

 いつ一人で持てるようになるか。


 その順番は、仕事では役に立つのだろう。


 ただ、悠斗が昨日、写真を一枚足りなく撮った話をする前に、数年先の配置が決まりそうになる。


「続けるつもりなのか」


 父が聞いた。


「続けるつもりで入った」


「そうか」


「合わなかったら、考える」


「辞める前提で――」


 征一は、そこで口を閉じた。


 悠斗は父を見た。


「何」


「いや。始めたばかりだもんな」


「うん」


 母が、空になった大皿を手前へ寄せた。


「足りる?」


「足りる」


 悠斗は答えた。


 父も、うなずいた。


 食べ終わると、悠斗は自分の皿を持って立った。


 征一も立ちかけたが、美沙が言った。


「今日は二人で話して。これは私がやる」


「でも」


「私が決めたんだから、いいの」


 母は皿を受け取った。


 悠斗は居間へ移り、ソファの端に座った。父は向かいの椅子へ腰を下ろした。


 机には何もなかった。


 資料を出さないでくれと言ったことは、守られていた。


「工場を買う話がある」


 征一が言った。


「母さんから、少し聞いた」


「まだ買ってない。会社で借りる金の承認は出た。ただ、契約と、当日に確認することが残ってる」


「うん」


「引き受けた後の体制を組んでる。今の仕事を、俺が抜けた分だけ誰かが余計に持つ形にしたくない」


 父の言葉が、そこで一度止まった。


「それで、俺?」


「お前が何をしてるかも、ちゃんと聞いてなかった」


「今の仕事を聞くために呼んだの?」


「それだけじゃない」


 悠斗は、両膝の間で手を組んだ。


 父は机を見た。


「一度、工場を見ないかと思った」


「働くために?」


「まず、見てから」


「父さん」


 征一が顔を上げた。


「俺、見に行ったら、何をする人になるの」


「何もしなくていい」


「向こうの人にも、そう言う?」


「言う」


「社長の息子が来るけど、働く気はないですって」


 征一の眉が動いた。


「そんな言い方をしなくても」


「でも、そうでしょ」


 台所で水が流れ始めた。


 悠斗は、その音が止まるまで待った。


「父さんが連れてきたら、向こうは、俺が何かすると思うよ。何も言われなくても、そう思う人はいる」


「見学だけだって、説明すればいい」


「父さんが説明したら、それで全員が同じように思う?」


 征一は答えなかった。


 悠斗は、父の目を見た。


「俺が社員の人に挨拶したら、何て呼ばれるの」


「悠斗でいいだろう」


「最初に、何て紹介するの」


 父の指が、椅子の肘掛けをつかんだ。


「息子だと、言うだろうな」


「うん」


 悠斗は、それ以上続けなかった。


 父は、組織を大きくしている。


 会ったことのない社員がいる。父の名前を知り、父の判断で予定を変える人がいる。


 その場所へ自分が入れば、何も言わなくても意味がつく。


 意味をつけないでほしいと頼んだところで、相手が何を考えるかまでは決められない。


「外で働くのが嫌なら、戻ってこいと言うつもりじゃなかった」


 征一が言った。


「分かる」


「本当に分かってるか」


「父さんは、いい仕事だと思ってるんでしょ。自分がやる価値があると思ってるから、俺にも見せたい」


「ああ」


「俺が来たら、役に立つこともあると思ってる」


「いずれは、そうなるかもしれない」


「そこが、もう違う」


 征一は背を起こした。


 悠斗は、声を下げた。


「俺、まだ自分の仕事でも役に立ってない」


「最初は誰でもそうだ」


「だから、そこで覚えたいんだよ」


 父が黙った。


「写真を撮り直せって言われた。片づける順番も、間違えた。部品をどこへ置いたか、聞かれてすぐ答えられなかった」


「それなら、うちでも――」


「うちじゃなくて」


 悠斗は、初めて父の言葉を遮った。


 自分の声が、思ったより大きく聞こえた。


 台所の物音が、一瞬止まった。


「ごめん」


 悠斗は言った。


「でも、最後まで聞いて」


 征一は、ゆっくりうなずいた。


「今の職場で、俺が何か間違えたら、俺が間違えたことになる。注意した人は、その後で父さんに会う予定なんか考えなくていい」


「俺は、そんなことで――」


「父さんが怒るかどうかの話じゃない」


 言葉を探して、悠斗は息を吸った。


「父さんに見せる報告がある人に、俺を教える仕事まで持ってほしくない」


 征一の手が、肘掛けから離れた。


「普通に扱えと、俺が言えば」


「その、父さんに言ってもらわないといけないところから、始めたくない」


 言い終えると、喉が乾いていた。


 悠斗は湯飲みを取った。


 ぬるくなったお茶を飲む。


 父は、こちらを見ていた。


 怒っているのか、考えているのか、分からなかった。


「名前を出してないのか。今の会社で」


「父さんの会社のこと?」


「ああ」


「聞かれてないから、言ってない」


「隠すようなことか」


 その言葉は、低かった。


 悠斗は湯飲みを置いた。


「隠してるつもりはない」


「言いたくないんだろう」


「入ったばかりで、自分の話より先に父さんの会社の話になりたくない」


 征一が目を伏せた。


 悠斗は、すぐに言い足さなかった。


 父が何を引き受けているか、全部は知らない。


 帰宅が遅かったことは覚えている。電話をしながら、風呂へ入るのが後になった夜も覚えている。


 その金で学校へ通った。


 今、会社の外で働く方を選べることに、その生活が関係していないとは言えなかった。


「学費、出してもらったのは、分かってる」


 悠斗は言った。


「それで、会社へ来いとは言ってない」


「うん。だから、俺も、出してもらってないみたいな顔で断りたくない」


 征一の視線が戻った。


「助かった。今も助かってることはある。だけど、それと、どこで働くかは、別に決めたい」


 父は、鼻から長く息を吐いた。


「お前にやらせるために、学校へ行かせたわけじゃない」


「うん」


「ただ――」


 そこから、言葉が出なかった。


 悠斗は待った。


 父が仕事で黙るところは、あまり見たことがなかった。


 会議を知らないだけかもしれない。家では、返事をするか、電話へ出るか、席を立つかだった。


 何もせず、次の言葉を探している父は、少し年を取って見えた。


「俺は、見てもらいたかったんだと思う」


 征一が言った。


「工場?」


「それも。倉庫も、ビルも。俺が何をやってるか」


「聞いてるよ」


「金の話しか、してなかったかもしれない」


 悠斗は答えなかった。


「働きに来なくていいから、一度見れば、分かると思った」


「何が?」


「ただ、大きくしたいだけじゃないこととか」


 征一は、机の端へ指を置いた。


「残せる仕事があることとか」


 悠斗は、父の指先を見た。


 そこに資料があったら、父は数字を示しただろう。


 今日は、何もなかった。


「父さんがそう思ってるのは、分かるよ」


「でも、来ないか」


「うん」


 言うと、胸の下が少し痛んだ。


 もう少し柔らかく言うこともできた。


 今は忙しい。

 落ち着いたら。

 また今度。


 その言葉で席を立てば、父は次の休みを聞いてくる。自分は、断ったつもりの話をもう一度する。


「分からないから来ないんじゃない」


 悠斗は続けた。


「少し分かるから、今は行かない」


 征一がこちらを見た。


「父さんの仕事、面白そうに聞こえる時はある」


「だったら」


「あるんだよ。本当に。話を聞いてると、自分も何かできる気になる」


 父の口が閉じた。


「でも、今の俺が行って、何ができるかは別でしょ。父さんは、できる仕事を作ってくれるかもしれない。教える人もつけてくれるかもしれない」


「必要なら、そうする」


「今は、それを頼みたくない」


 征一は、何かを飲み込むように喉を動かした。


「外で、困ることもあるぞ」


「あるよ」


「金が足りなくなることも」


「あると思う」


「その時は、どうする」


 悠斗は、膝の上の手をほどいた。


「その時に、何が足りないか見て考える。俺だけでできなかったら、相談する」


「俺には、しないのか」


「するかもしれない。でも、相談したら会社へ来る話になるなら、しにくい」


 征一は、深く椅子へ座り直した。


 長い沈黙があった。


 廊下を、美沙の足音が通った。こちらへは入らず、階段を上がっていった。


「今の勤め先を、変えさせる話はしない」


 征一が言った。


「工場にも、見に来るとは伝えない」


 悠斗は、うなずいた。


「会社の人に、お前の仕事を探させることもしない」


「ありがとう」


 父は、その言葉に少し顔をしかめた。


 礼を言われることではないと思ったのかもしれない。


 悠斗も、ほかに言い方を見つけられなかった。


「工場の話は、聞いてもいい?」


 少しして、悠斗が尋ねた。


 征一の顔が上がった。


「会社へ来るか、とは別に」


「ああ」


「もう買ったみたいに話すから、決まったのかと思ってた」


「まだだ。条件を確認してる」


「買わないこともある?」


「ある」


 父の返事は早かった。


 悠斗は、少し考えた。


「父さんが、買いたいと思ってても?」


 征一の目が、机へ落ちた。


「会社で引き受けられない条件なら、そうする」


「そっか」


「何だ」


「いや。何でも、買いたいって思ったら買うわけじゃないんだなって」


「そんな買い方はしない」


 少しむっとした声だった。


 悠斗は笑いかけ、やめた。


「ごめん。知らないから」


 父は、こちらを見たまま黙った。


「知らないまま、父さんが止めない人だと思ってたところは、ある」


 征一は何も言わなかった。


 悠斗は、さっき自分が言ったことを思い返した。


 聞いてもいないうちに、会社へ誘う話だと決めた。


 実際に、そういう話は含まれていた。


 それでも、父が何を望んでいたかは、途中まで聞かなかった。


「俺も、勝手に決めてた」


「何を」


「父さんが俺に何をさせたいか」


 征一は、小さく首を振った。


「半分は、当たってた」


「うん」


「一緒にやれたらとは、思ってた」


 父は、今度は言葉を選び直さなかった。


 悠斗は、その返事を聞いた。


 なかったことにしてもらうより、少し苦しかった。


 父には、父の望みがある。


 自分がそれをかなえないことも、この部屋に残る。


 どちらも笑って済ませられる答えにはならなかった。


「俺は、今の仕事をやる」


「ああ」


 征一は、うなずいた。


 その後しばらく、二人とも何も言わなかった。


 悠斗が時計を見ると、父も壁の時計を見た。


「帰るか」


「うん。明日、早い」


「送る」


「駅まで歩く。そんな遠くないし」


 征一は立ち上がりかけたまま、止まった。


「そうか」


 悠斗は二階へ声をかけた。


「母さん、帰る」


 美沙が階段を下りてきた。


「もう?」


「明日、仕事だから」


「何か持っていく?」


「いい。冷蔵庫、小さいし」


 母は笑った。


「そうだった」


 玄関で靴を履く。


 片方のひもが、途中で固くなっていた。ほどき直していると、父が後ろから言った。


「底、大丈夫か」


「何が」


「靴。減ってる」


 悠斗は足を上げかけ、やめた。


「まだ使える。次の給料で、もう一足買う」


 征一の視線が、靴から悠斗の顔へ移った。


「そうか」


 父の手が、ズボンのポケットへ動いた。


 途中で止まり、そのまま脇へ下りた。


 悠斗は、気づかないふりをした。


「母さん、無理しないで」


「あなたもね」


「うん」


 戸を開けると、夜の空気が首へ触れた。


 征一が、玄関の段へ下りてきた。


「悠斗」


 振り返る。


「今の仕事の話、また聞かせてくれ」


「資格をいつ取るか、とか?」


 父は、わずかに苦笑した。


「何をやったかでいい」


 悠斗は、戸の縁へ手を置いた。


「今日、同じ器具が三つあってさ」


「ああ」


「外したやつを、戻す場所が分からなくなりかけた」


「番号をつけてなかったのか」


 そこまで言って、征一が口を閉じた。


 悠斗は笑った。


「今、言おうとした」


「悪い」


「つけてたよ。俺が、置く向きを逆にした。先輩が、まだ外してない方の写真見て、分かった」


「そうか」


「戻す前に、分かってよかった」


「ああ」


 征一は、それだけ答えた。


 悠斗は手を上げ、歩き始めた。


 角を曲がる前に振り返ると、玄関の灯りの下に、まだ父が立っていた。


 その翌朝、征一は会社の机で、工場取得後の担当表を開いた。


 真鍋が向かいに座った。


「引き受ける場合、ここの確認を誰が持つかが残っています」


 紙の一か所を指す。


 征一は、その欄を見た。


 月曜に話したとおり、征一が空いた時間で埋める形にはなっていなかった。現場担当が持つ仕事と、社長の判断が必要な仕事が分けてある。


 それでも、一人分の仕事が、まだ残っていた。


「悠斗さんとは、お話しになりましたか」


 真鍋が聞いた。


「ああ」


「見学の日程は」


「組まない」


 真鍋の指が止まった。


「本人は、今の勤め先で続ける。こっちの人員には入れない」


「分かりました」


「空いている日に手伝ってもらうことも、当てにしないでくれ」


 真鍋は、うなずいた。


 征一は、担当欄へペンを近づけた。


 自分の名を書けば、ひとまず表は埋まる。


 週に何度か現地へ行く。

 今の仕事の間に入れる。

 足りなければ、夜に見る。


 頭の中で、予定が組めた。


 征一は、手を止めた。


「これ、どこまで必要な仕事だ」


 真鍋が資料をめくった。


「立ち上げ時は、毎日確認が要ります。ただし、全部を同じ人が持つ必要があるかは、まだ詰められます」


「現場で分けられるものを、先に出してくれ。それでも残るなら、採用か外への委託で見る」


「費用が増えます」


「分かってる。買った後の経費に入れる。今ある余力で済ませた数字と、並べて見たい」


 真鍋は、紙の余白へ書き込んだ。


「日程も、変わる可能性があります」


 征一は、空欄を見た。


 昨日まで、そこへ入るかもしれないと思っていた顔があった。


「それも出してくれ」


 答えて、ペンを置いた。


 昼前、悠斗の携帯電話へ父から短い連絡が届いた。


『昨日はありがとう。工場へは、お前が来る予定はないと伝える。仕事、気をつけて』


 悠斗は、作業車の脇で読んだ。


 返そうとすると、先輩が建物の入口から顔を出した。


「榊原。先に、昨日の写真見せて」


「はい」


 悠斗は父への返事を閉じ、写真を開いた。


 先輩が画面へ顔を寄せる。


「これ、もう少し引いたのあるか」


「あります」


「それも一緒に残しといて。寄ったのだけじゃ、どこの器具か分からない」


「分かりました」


 必要な写真を選び、作業票の番号と照らす。


 父への返事は、昼休みに送った。


『分かった。ありがとう。また帰る』


 送信すると、携帯電話をポケットへ戻した。


 弁当の蓋を開ける。


 午後に使う道具が、車の後ろへ積んであった。


「榊原、食ったら、こっち一緒に確認するぞ」


 悠斗は箸を止め、顔を上げた。


「はい」


 呼んだ人は、もうこちらを見ていなかった。

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