残金1,842円|第37話「電力の入口」
「発電設備が完成しても、収入が入るとは限りません」
榊原は、工程表に置きかけた指を止めた。
「何が足りない」
「外へ送るための接続です」
翌朝の会議室だった。
電力担当者の安西が、二枚の資料を並べた。
一枚は、設備会社が作った納入工程だった。設計、製作、搬入、据付け、試運転まで、線が途切れずにつながっている。
もう一枚は、電力会社との接続に必要な作業を並べたものだった。
こちらには、日付のない欄があった。
「いつから分かっていた」
榊原が尋ねた。
安西は、資料の端を押さえた。
「接続の回答が出ていないことは、最初から把握していました。ただ、設備側の工程へ、接続の条件を反映できていませんでした」
「完成すれば売れる表になっていた」
「はい」
真鍋が椅子を引いた。
「座って説明してください。今日は、どこまで条件を決めれば検討が進むかを確認します」
安西は座り、敷地の図面を広げた。
高圧の送電線が、候補地の近くを通っている。
そこから敷地へ一本の線が引かれていた。
「この線を引けば済む話ではありません。接続する設備だけでなく、その先の系統に、どのくらい受け入れる余裕があるかを調べてもらいます」
「足りなければ」
「増強が必要になる可能性があります。内容によって、費用も工期も変わります」
藤崎が図面をのぞき込んだ。
「送電線は、目の前にある」
「線が近くても、そのまま接続できるとは限りません」
安西は、敷地から離れた場所を指した。
「この先の設備が検討に関係する場合もあります」
榊原は、図面の線を目で追った。
「こちらから何を出せば、その検討が始まる」
「発電設備の仕様と、最大で外へ送る量。最大で受ける量。それから、施設を動かす時期と運転の条件です」
「何が決まっていない」
「段階的に稼働する場合の、電力の使い方です」
真鍋が計画書を開いた。
「発電が先、物流、その後にデータセンターを増設する予定でしたね」
「はい」
「その間、発電した電気を誰が買うかは」
安西は、収支表へ目を落とした。
「構内で使わない分は、外部へ売る計画です」
「買う相手との条件は」
「未契約です」
「接続も、売る条件も、まだ決まっていない」
「はい」
榊原は収支表を手前へ引いた。
発電開始の月から、収入が並んでいた。
その数字を積み上げ、借入金の返済額と比較している。
「この金額は、誰が置いた」
「私の部署です。想定単価と発電量から作りました」
「想定であることは分かる。聞きたいのは、構内で使い始める前も、この単価なのかということだ」
安西は、表を一行ずつ見た。
「構内供給と外部売電を分けた計算へ、直す必要があります」
「直してくれ。売り先が違えば、条件も違うだろう」
真鍋が、別の欄へ印を付けた。
「こちらもです。データセンター側では、安い電力を使える前提で費用を下げています」
榊原は二つの表を並べた。
発電側には、構内へ供給した分の収入。
データセンター側には、外から買うより安く済む電気代。
「全体では、どう消している」
真鍋が答えた。
「内部の売買は相殺しています。ただ、単価の根拠が、部署ごとに一致していません。発電側の費用を全部賄える単価と、利用企業へ提示したい単価が違います」
藤崎が顔を上げた。
「全体で利益が出ればいい」
「その全体の利益が、まだ確かめられていません」
真鍋は、表の数字を指した。
「同じ電気について、発電側は高く売る見込みで、使う側は安く買う見込みになっています」
榊原は、安西を見た。
「部署の利益を先に作るな。まず、敷地の外へ払う金と、外から受け取る金で出してくれ。内部の負担を決めるのは、その後だ」
安西は、自分の資料へ線を引いた。
「構内供給の単価は、いったん未確定へ戻します」
「利用企業へ伝えた数字も確認しろ。安くなる可能性と、約束した料金を混ぜるな」
情報通信の担当者が、手帳を開いた。
「正式な料金提示はしていません。電力費を抑えられる可能性がある、と伝えています」
「次の協議では、何が未確定かも伝えてくれ」
藤崎が椅子へ座り直した。
「条件が固まるまで何も言えなければ、利用企業は別へ行く」
「何も言うなとは言っていない」
榊原は答えた。
「いつ、何を示せるかを言う。安いと言い続けて、後から上げる方が難しい」
安西が、三段に分かれた図を出した。
発電設備だけが完成した時。
物流施設が動き始めた時。
データセンターが一部稼働した時。
「構内の使用量は、この順に増える想定です。ただ、発電量と使用量は、同じ時刻に一致しません」
「昼と夜か」
「それもあります。発電設備の運転条件と、利用側の負荷の変化を重ねる必要があります」
榊原は、物流施設だけが動く期間を指した。
「ここでは、かなり余る」
「今の規模なら、そうなります」
「余った分を蓄電池へ入れる」
藤崎が言った。
「前の計画にも、調整用として入っていたはずだ」
「時間ごとのずれを調整する案です。外へ送れない期間の電気を、ずっとためることはできません」
「増やせばいい」
「増やした設備の費用と、充放電で失う分、更新費用が加わります。それでも余る場合は、発電を抑える必要があります」
榊原は、収入の欄を見た。
「作れる量と、売れる量が違う」
「はい」
「なら、止める時間も入れて計算しろ。設備が作れる最大量を、そのまま売上にするな」
安西はうなずいた。
「発電規模を小さく始める案も出します。ただ、まとめて作る場合に比べて、単位当たりの費用は上がる可能性があります」
「それも比較する」
「共用設備の一部は、最初から必要です」
「最初に払う金が、どこまで減るかを出してくれ。棟数と同じ割合では減らないんだろう」
「はい」
藤崎は腕を組んだ。
榊原は、その横で図面を広げ直した。
発電設備を先に置けば、次の施設を動かす土台になると思っていた。
だが、先に作ることによって、使う相手が来るまで抱える設備にもなる。
どちらになるかは、建設の速さだけでは決まらなかった。
会議室の扉が開き、調達担当者が入ってきた。
「設備会社から、製造枠について回答が来ました」
真鍋が時計を見た。
「仮押さえの件ですね」
「今月中に基本仕様が固まらなければ、現在の納期は維持できないそうです」
藤崎がすぐに口を開いた。
「ほらな。回答を待っている間に、機器が来なくなる」
調達担当者は、条件書を机へ置いた。
「先方としては、専用部分の設計を進めたいという話です。その部分は、有償にしてほしいと」
「機器の発注まで求めているのか」
榊原が尋ねた。
「今回は設計です。ただ、その後の部材手配へ進む期限も決めたいそうです」
法務担当者が文案を読んだ。
「中止時の精算が、別途協議になっています」
「設計費を払えば、そこで止められるわけじゃないのか」
「今の書き方では、設計以外に何を手配してよいかが曖昧です。成果物を、こちらがどこまで使えるかも確認が必要です」
調達担当者が答えた。
「先方も、人を付ける以上、途中で全部なくなる条件では進めにくいと言っています」
「それは分かる」
榊原は条件書を読み直した。
「専用設計を始めた後で規模を変えたら、何が使えなくなる」
「仕様によります。作り直しになる部分は出ます」
「系統へ出す資料には、どこまで必要だ」
安西が、申込み用の資料一覧を引き寄せた。
「既存の機器資料で出せる部分と、今回の構成を検討しなければ出せない部分があります。ここはメーカーと詰めたいです」
「なら、必要な範囲だけ見積りを取れ。作業内容、上限額、成果物、中止した時の精算まで決める。部材の手配は別の承認にする」
藤崎が尋ねた。
「枠を押さえる金は出さないのか」
「今の条件では出さない」
「納期が半年延びたら、設計費を節約した意味がなくなるぞ」
榊原は、条件書から顔を上げた。
「節約したいんじゃない。何を買う金かを決めたい」
藤崎は黙った。
「接続の検討を進めるために必要な設計なら払う。設備を使えるか分からないまま、買う約束はしない」
「先方が断ったら」
「ほかの案と、納期が延びる場合を出す」
調達担当者は、条件書を手元へ戻した。
「現在の枠は、外される可能性があります」
「ああ。その可能性を、工程表に入れてくれ」
昼前、安西は接続相談の窓口へ電話をかけた。
榊原は、相手の了承を得て同席した。
安西が計画の変更を説明する。
最大規模の一括稼働だけでなく、段階的な稼働も比較していること。
発電側と使用側で、開始時期がずれる可能性があること。
電話の向こうの担当者は、必要な条件を確認した。
「最大規模での条件と、段階的に動かす場合の条件を、分けていただけますか」
「規模が後から変わる場合、検討もやり直しになりますか」
「変更の内容によります。前提が変わる場合は、追加の確認が必要になります」
榊原は、安西のメモを見ながら尋ねた。
「一番大きい規模で申し込んでおけば、その範囲内は自由に変えられる、という理解ではないですね」
「はい。まず、想定される運転の条件をお知らせください」
「今の段階で、接続時期を見込むことはできますか」
「このお電話では、お約束できません」
通話が終わった。
安西は、必要な資料を指で数え直した。
榊原は、日付のない欄を見た。
相手は遅れているのではなかった。
こちらが、検討するための条件をまだ出し切れていなかった。
「最大規模の案は、いつまとめられる」
「今週中です。段階稼働の案は、情報通信と物流の条件を確認して、来週前半までに」
「その日程で無理が出るものは」
「機器の資料です。メーカーの作業範囲を今日確認します」
真鍋が、担当者ごとの期限を書いた。
「三億円の承認済み調査費と、重なる作業はありますか」
「確認します」
「追加見積りは、既存の発注範囲との差が分かる形でお願いします。総額だけでは承認できません」
安西は、資料を持って席を立った。
午後、設備会社との電話会議が入った。
画面の向こうに、営業担当者と設計担当者が並んだ。
「接続の回答がないことは、こちらも承知しています」
営業担当者が言った。
「ただ、設計を止めたまま納期だけ確保することはできません。他のお客様からも引き合いがあります」
「無償で待ってくれとは言いません」
榊原が答えた。
「検討に必要な設計へは、対価を払います。ただ、今回の支払いが機器の発注へ自動的につながる条件にはできません」
設計担当者が資料へ目を落とした。
「構成の比較までなら、範囲を切れると思います。詳細設計は含めません」
「比較した結果、規模を変えることもあります」
「その場合に使える部分と、作り直す部分を示します」
法務担当者が続けた。
「成果物を接続検討と社内の事業判断に使うことは、認めていただきたいです。その他の利用範囲は、文案で確認します」
営業担当者は、隣の設計担当者と短く話した。
「社内へ持ち帰ります。ただ、納期は、現時点では参考として扱ってください。設計を受注しても、製造枠の確約にはなりません」
榊原はうなずいた。
「その条件で、見積りをください」
会議を終えると、藤崎が言った。
「金を払っても、納期は取れない」
「今回買うのは、判断に使う資料だ」
「資料を買って、結局やめるかもしれない」
「そうだ」
藤崎は、しばらく榊原を見ていた。
「お前が金を動かす時は、もっと早かった」
「使う相手と、返ってくる金が見えた時はな」
榊原は、机の二枚の工程表を重ねた。
「今回は、まだ線がつながっていない」
夕方、真鍋が新しい収支表を持ってきた。
接続が予定に間に合う場合。
発電の開始が遅れる場合。
データセンターを外部からの受電で先に動かす場合。
いずれも、未確定の欄が残っていた。
「発電開始が遅れれば、収入は減ります。一方で、設備の発注も後ろへ動かせるなら、支出の時期は変わります」
「利息は」
「借入の実行時期次第です。融資条件は未確定なので、比較用の仮定を付けています」
「工事費だけ先に払う形にはするな。何を待っている金か、支払予定にも付けてくれ」
真鍋はうなずいた。
「それと、利用企業へ出す説明も直します。構内の発電設備が動かなければ事業を始められないのか、外から受ければ始められるのか。その場合の費用を分けます」
「藤崎にも見せてくれ。相手へ言う言葉をそろえたい」
机の端で、榊原の携帯が震えた。
西野からだった。
火曜日の検品倉庫の見学について、確認事項が届いている。人数は三人。服装と靴の指定。見せられる作業の範囲。
榊原は返信せず、一度最後まで読んだ。
来週の午後八時は、相手と合意した予定だった。
工程表に並ぶ三年後の日付とは、確かさが違う。
「明日の朝、安西と調達を十五分だけ入れてくれ」
榊原が言った。
「資料提出の予定を確認しますか」
「それと、メーカーへ出す作業範囲だ。条件書が直るまでは発注しない」
真鍋は予定表へ書き込んだ。
その後、調達担当者から連絡が入った。
設備会社は、有償の比較検討について見積りを出す。
ただし、無償で置いていた製造枠は、他の案件の引合いにも使う。正式な発注時には、納期を改めて回答する。
「その条件で受けますか」
調達担当者が尋ねた。
榊原は、机の工程表を見た。
予定していた日に設備が来るという線を残しておけば、全体の完成日も変えずに済む。
だが、残せば、その日付を使ってまた別の予定が作られる。
「受ける。納入予定は、確約なしに直してくれ」
電話を切ると、真鍋が工程表を引き寄せた。
機器納入の欄にあった一本の線を消す。
その横へ、再見積り後に更新、と書いた。
榊原は修正された表を読み、設備会社へ送る回答書を承認した。
少しして、調達担当者から送信完了の連絡が入った。
机の上に、空いた納入日の欄が残った。




