創作能楽小説『黒椿歌仙』 連句の巻
最終エピソード掲載日:2026/08/23
枯野の果ての庵に、一通の文が届く。
「発句は、客じゃ」
戸を叩いたのは、旅装の痩せた年寄り――旅に病んで夢は枯野をかけ廻る、と一句だけ残して、雪の中へ消えていった。
以来、庵には、季ごとに、客が来る。
朽ちた船を悔いる将軍。話に埋もれた小町。歌を捨てた帝。愚痴で三位に上った老武者。忍ぶ恋の斎院。手毬の僧。最古の声。旗を返しにゆく将軍。君と呼ぶほかを知らぬ歌人。石をもて追われた青年。
名は、誰も、名乗らない。
黒い椿の筆を持つ少女が、下りた句だけを、書き留めていく。
亭主は、書物の山に埋もれたセンセ。
酌をすれば右に出る者のない女。
寒い寒いと言うている、貧乏神。
そして、無口な、福々しい大男。
一句が付くたび、庵の外の季節が、動く。
枯野に雪が降り、雪が解け、菜の花が咲き、蠅が飛び、柿が実り――やがて、また、枯野に還る。
三十六句、四百年。俳諧と和歌の亡者たちが、名を伏せたまま巻いていく、一巻の歌仙。
【備考・作品解説】
・本作は、俳諧の連歌「歌仙」(発句+三十五句=三十六句で一巻)の形式を、そのまま物語の構造にしています。
・各話の題は、その回で詠まれる一句。発句「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」(芭蕉)ほか、四季の各折の頭の四句は実在の名句、残る三十二句は作中人物の作です。
・「打越を嫌う」(前々句の世界に戻らない)「花の定座」(花の字は決められた席にのみ置く)等の式目を、物語の掟として用いています。花の一字が、三十五句のあいだ一度も詠まれず、最後の一句まで取ってあるのは、そのためです。
・登場する客は、いずれも実在の歌人・俳人ですが、その言動・逸話には創作を含みます。史実の細部と異なる箇所があります。
「発句は、客じゃ」
戸を叩いたのは、旅装の痩せた年寄り――旅に病んで夢は枯野をかけ廻る、と一句だけ残して、雪の中へ消えていった。
以来、庵には、季ごとに、客が来る。
朽ちた船を悔いる将軍。話に埋もれた小町。歌を捨てた帝。愚痴で三位に上った老武者。忍ぶ恋の斎院。手毬の僧。最古の声。旗を返しにゆく将軍。君と呼ぶほかを知らぬ歌人。石をもて追われた青年。
名は、誰も、名乗らない。
黒い椿の筆を持つ少女が、下りた句だけを、書き留めていく。
亭主は、書物の山に埋もれたセンセ。
酌をすれば右に出る者のない女。
寒い寒いと言うている、貧乏神。
そして、無口な、福々しい大男。
一句が付くたび、庵の外の季節が、動く。
枯野に雪が降り、雪が解け、菜の花が咲き、蠅が飛び、柿が実り――やがて、また、枯野に還る。
三十六句、四百年。俳諧と和歌の亡者たちが、名を伏せたまま巻いていく、一巻の歌仙。
【備考・作品解説】
・本作は、俳諧の連歌「歌仙」(発句+三十五句=三十六句で一巻)の形式を、そのまま物語の構造にしています。
・各話の題は、その回で詠まれる一句。発句「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」(芭蕉)ほか、四季の各折の頭の四句は実在の名句、残る三十二句は作中人物の作です。
・「打越を嫌う」(前々句の世界に戻らない)「花の定座」(花の字は決められた席にのみ置く)等の式目を、物語の掟として用いています。花の一字が、三十五句のあいだ一度も詠まれず、最後の一句まで取ってあるのは、そのためです。
・登場する客は、いずれも実在の歌人・俳人ですが、その言動・逸話には創作を含みます。史実の細部と異なる箇所があります。
一 翁 ――発句は、客じゃ
2026/07/20 20:47
二 発句 ――旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
2026/07/20 20:48
三 狂言「脇」 ――筆の氷を焙る囲炉裏火
2026/07/20 20:48
四 実朝 ――大船の朽ちし渚も雪降りて
2026/07/20 20:48
五 狂言「四句目」 ――帰らぬ舟を待つ人のあり
2026/07/21 21:00
六 小町 ――面影は問はず照らすや冬の月
2026/07/22 21:00
七 狂言「六句目」 ――月も寒いと言うてゐる
2026/07/23 21:00
八 西行 ――きさらぎの望の日数を指折りて
2026/07/24 21:00
九 狂言「八句目」 ――恵比寿大黒鶴亀の膳
2026/07/25 21:00
十 崇徳院 ――岩わりし水の末逢ふ雪解かな
2026/07/26 21:00
十一 春の発句 ――菜の花や月は東に日は西に
2026/07/27 21:00
十二 狂言「春の脇」 ――畑打つ人の唄の遠くに
2026/07/28 21:00
十三 忠度 ――唄を背に都は遠き霞かな
2026/07/29 21:00
十四 狂言「十三句目」 ――跡より届く春の便りも
2026/07/30 21:00
十五 和泉式部 ――後朝の文の遅さよ朧月
2026/07/31 21:00
十六 狂言「十五句目」 ――破いた文の数は言わずに
2026/08/01 21:00
十七 業平 ――行く春や告げぬ別れの旅衣
2026/08/02 21:00
十八 狂言「十七句目」 ――旅の餞鶴と亀とを
2026/08/03 21:00
十九 道真 ――餞の遅きも嬉し梅は実に
2026/08/04 21:00
二十 夏の発句 ――やれ打つな蠅が手をすり足をする
2026/08/05 21:00
二十一 狂言「夏の脇」 ――打たぬと決めた庵の夕凪
2026/08/06 21:00
二十二 頼政 ――弓置いて聞く五月雨の声いくつ
2026/08/07 21:00
二十三 狂言「二十二句目」 ――軒のあやめは誰が挿しそめし
2026/08/08 21:00
二十四 式子内親王 ――名を問へば咲かぬ夕顔垣の内
2026/08/09 21:00
二十五 狂言「二十四句目」 ――垣の外にも一人居たのに
2026/08/10 21:00
二十六 良寛 ――まだだよの声のどこやら夕涼み
2026/08/11 21:00
二十七 狂言「二十六句目」 ――見つかるまでが宝なりけり
2026/08/12 21:00
二十八 人麻呂 ――岩枕して待つ人へ秋隣
2026/08/13 21:00
二十九 秋の発句 ――柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
2026/08/14 21:00
三十 狂言「秋の脇」 ――柿はまだあるもいでござれよ
2026/08/15 21:00
三十一 乃木 ――秋風や旗を返しにゆく途中
2026/08/16 21:00
三十二 狂言「三十一句目」 ――連れの草鞋も同じ濡れよう
2026/08/17 21:00
三十三 晶子 ――君と呼ぶほかは知らずよ星月夜
2026/08/18 21:00
三十四 狂言「三十三句目」 ――たずねる家の一つ出来たり
2026/08/19 21:00
三十五 啄木 ――石をもて追はれし里も秋の暮
2026/08/20 21:00
三十六 狂言「三十五句目」 ――円座ひとつを空けて夜長し
2026/08/21 21:00
三十七 芭蕉の精 ――破れ葉に来てひとひらの花泊る
2026/08/22 21:00
三十八 翁 ――よみ人のしらぬがままに三十六
2026/08/23 21:00