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創作能楽小説『黒椿歌仙』 連句の巻  作者: 堀吉 蔵人


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1/6

一 翁 ――発句は、客じゃ


 枯野の果てに、庵がひとつある。

 センセの庵である。


 庵というより、書物の山に屋根を掛けたものである。壁は書棚、床も書物、囲炉裏(いろり)の回りだけが、かろうじて人の住まいになっている。

 主は、頼まれておらぬ原稿を書いて暮らしている。誰に頼まれたのでもない注釈、誰も読まぬ考証、後の世で読まれる、が口癖である。


 雪の朝、その庵に、文が一通、届いていた。


 誰が届けたのか、足跡はない。

 戸の内の、文台の上に、白い巻き文がひとつ、載っていた。文台など、ゆうべまで、そこに無かった。

 上等の料紙が一束と、筆が一本、添えてある。

 筆の軸が、黒い。漆ではない。木のままで黒い。椿の木は、こんな艶に磨けるものだったか。


 センセは、巻き文を解いた。


〽とうとうたらりたらりら

 たらりあがりららりどう


〽——と、連なるは言の葉の

 前に付きつつ前を去り

 めぐりめぐりて三十六

 果てはいづくに帰るらん


〽野辺の雪をも料紙をも

 いまだ書かれぬ白と見て

 書かれて後もなほ白き

 白のありやと巻いてみん


 署名は、ない。

 ただ、文の末尾に、一行。


 ——発句は、客じゃ。


 センセは、長いこと、文を眺めた。

 眺めて、それから、誰にともなく言うた。


「……わしは、頼んでおらんぞ」


 頼んでおらぬ原稿を三十年書いてきた男が、初めて、頼んでおらぬ依頼を受け取ったのである。

 断る筋合いは、いくらもあった。

 センセは、断らなかった。文台を囲炉裏の脇に据え、料紙を整え、それから急に慌ただしく、庵の書物の山を片づけはじめた。客座敷ひとつぶん、書物を除けるのに、昼までかかった。


 晩に、いつもの顔ぶれが集まった。


 酌をさせたら右に出る者のない女。

 寒い寒いと言うている爺。

 無口な、福々しい大男——これは来るなり勝手に立って、燗の支度を始めた。


「巻をやる」とセンセが言うた。「客が来る。誰かは、知らん」


 誰も、深くは問わなかった。この顔ぶれは、深く問わないことにかけては年季が入っている。


 それから、もうひとり。

 いつからか、囲炉裏の向こうに、少女がひとり、座っていた。

 十かそこらの、どこの子とも知れぬ女児である。

 誰も、来るところを見ていない。

 少女は、文台の黒軸の筆を、当たり前のように取り、執筆の席に膝を進めた。

 筆が、手に大きい。大きいのに、構えると、様になった。


 センセは、何か言いかけて——執筆どのは、と役を問いかけて——やめた。

 筆は、もう、その手に馴染んでいた。問うだけ野暮という馴染み方であった。


 客の円座が、火のいちばん近くに据えられた。

 燗が、静かに付いていく。

 表は、雪。


 料紙が、白い。

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