十八 狂言「十七句目」 ――旅の餞鶴と亀とを
文台の上に、句が、十六。
順は、勝手に回った。大男の番である。
座には、前の折の記憶があった。あの鐘のような声と、七七に五品盛りの膳である。よって今回は、待つ側にも、支度があった。
「五品と見た」とセンセが言うた。
「七品」と女が言うた。
「……三品」と、爺までが、湯呑みの陰から参加した。
賭けの中身は、誰も口にしなかったが、全員が了解していた。盛り数である。
大男は、燗の徳利を置き、前掛けで手を拭い、のっそりと文台の前に立った。
巻を、上から下まで、一度、読んだ。
行く春や、告げぬ別れの、のところで、大きな指が、すこし、止まった。
息を、吸うた。
「——旅の餞鶴と亀とを」
鐘の声が、鳴った。
執筆の筆が、下りた。
座は、勘定に入った。
「……二品」
とセンセが、呆然と言うた。
「二品じゃと? 鶴と、亀。それだけじゃと? 前の折は五品盛ったであろうが! 賭けが、全員、外れたわ!」
女も、指を折り直して、首をかしげた。
「……いえ、センセ。待ってください。品数は二つですけど——鶴は千年、亀は万年ですよ。……盛った量なら、千年と万年。過去最大じゃありませんか」
センセが、文台に飛びついた。
「……む。……むむ。数を減らして、嵩を増やしおった。……盛りの、格が上がっておる……」
盛りの道にも、精進というものがあるのである。
気を取り直して、センセは検分に入った。
「付けは——前句、告げぬ別れの旅衣。別れを告げずに発つ人に、餞を、と。……ふむ。旅立ちに餞。順当と言えば順当じゃが。しかし鶴と亀を旅人に持たせてどうする。荷になるわ。歩けんわ。生き物ぞ」
「持たせるんじゃありませんよ」と女が言うた。「祈りですよ。千年でも万年でも、道中、息災でって。……告げずに発った人は、餞を、もらいそこねてますからね。誰かが、後からでも、持たせてやらないと」
告げぬ別れに、餞を置く。
言われてみれば、それしかない付けであった。言われるまで、誰にも見えない付けでもあった。
さて、その晩、もうひとつ、妙なことが起きた。
大男が、詠み終えて勝手へ戻ると思いきや、のっそりと表へ出ていったのである。
戻ってきた手に、梅が、一枝あった。
どこの梅か、誰も知らない。庵の周りに梅の木があったかどうかも、誰も知らない。あることに、なったのであろう。この庵の表は、そういう表である。
大男は、徳利に水を張り、梅を活け、客の円座の、かたわらに据えた。
据えて、勝手へ戻った。
「……誰か、来るのかい」
と爺が聞いた。
大男は、答えなかった。無口なのである。答えないのが、答えであった。
戸の開く神には、来る客が、匂うのかもしれない。
センセが、活けられた梅を見て、みるみる、青くなった。
「……梅。……梅と、来客。……おい、まさか。まさか次の御方は、あの——いや、それより、待て。あの御方の、あのいちばん有名な歌には、確か——花の字が、入って——」
センセは、頭を抱えた。
「——ご法度を、どう、申し上げればよいのじゃ! よりにもよって、あの御方に!」
誰も、助け舟を出さなかった。式目の番人は、センセなのである。番人の胃だけが、春の夜に、きりきりと鳴った。
文台の上に、句が、十七。
——旅の餞鶴と亀とを
表の夜風が、いつからか、東から吹きはじめている。
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