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創作能楽小説『黒椿歌仙』 連句の巻  作者: 堀吉 蔵人


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九 狂言「八句目」 ――恵比寿大黒鶴亀の膳


 文台の上に、句が、七つ。


 八句目の番が、勝手に回った。

 勝手、というのは順のことではない。台所のことである。

 この座で唯一、まだ一句も詠んでいない者が、そこにいた。


 無口な、福々しい大男である。


 座が、妙に、静かになった。

 考えてみれば——考えるまでもなく——誰も、この男の声を、ろくに聞いたことがないのである。


「あたしは二度、聞いたことがありますよ」と女が言うた。

「ほう。なんと言うた」

「『樽』と、『空いた』」


 期待は、いやが上にも高まった。


 大男は、燗の徳利を置き、前掛けで手を拭い、のっそりと文台の前に立った。

 巻を、上から下まで、一度、読んだ。

 読み終えて、大きく、息を吸うた。


 座が、身を乗り出した。


「——恵比寿大黒鶴亀の膳」


 鐘を撞いたような、思いのほか、良い声であった。


 執筆の筆が——一拍、置いて——下りた。


 センセが、文台に飛びついた。


「盛った! 盛りおったぞこの男、七七に恵比寿と大黒と鶴と亀と膳、五品も盛りおった! 冬の巻に正月の飾りを箱ごと……いや、待て。正月は冬。季は、通っておる。字数も——」


 指を折る。二度、折る。


「——七七。……ぴったり、七七じゃ」


 形式は、完璧なのであった。悔しそうに完璧なのであった。


「なれど付けが! 前句を見よ。御坊が、(もち)の日数を指折り数えておられる句ぞ。静かな、深い、待つ句ぞ。そこへ祝いの膳で付けるやつが、どこの世界に——」


 言いかけて、センセは、止まった。


 指折り数えて、待つ日。

 あの御坊が、待っている日。

 如月(きさらぎ)の、望の日に、あの御坊に、何が——


「…………いや」


 センセの声が、小さくなった。


「……待て。……あの御坊にとって、あの日は……まさに、祝いの、日……」


 座が、しんとした。

 願うた通りの日に、願うた通りの場所で、迎えるものを迎える——それを祝いと呼ばずに、何と呼ぶのか。

 指折り数える人の隣に、膳を据えた。

 この付けより深い付けが、あるのか。


「……めでたい読みしか、できない方ですから」


 と、女が、燗を火にかけながら言うた。


「どんな句にでも、めでたい方から付くんです。それしか、できないんです。——それで、たまに、いちばん深いところへ、届いてしまう」


 大男は、褒められているのかいないのか、意に介するふうもなく、勝手に戻って、全員の燗を、一巡り、注ぎ足して回った。

 いつもより、心持ち、多めであった。

 句の続きを、酌でやっているのである。


 センセは、まだ文台の前で、ぶつぶつ言うていた。


「……念のため、じゃ。六句目と絡んでおらんか、確かめる。打越と言うてな、前々句と絡むのは大罪ぞ。六句目は……月も寒いと言うてゐる。八句目は、恵比寿大黒鶴亀の膳。……月と、膳。……よし。絡んでおらん。指の先ほども、絡んでおらん」


 囲炉裏(いろり)の端の爺と、勝手の大男とは、式目の上で、未来永劫、絡めないのである。

 それを聞いた爺が、ほっとしたのか、がっかりしたのかは、湯呑みの陰で、分からなかった。


 文台の上に、句が、八つ。


 ——恵比寿大黒鶴亀の膳


 表が、騒がしい。

 雪が、いつのまにか、風に変わりはじめている。


 風が、出てきた。

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