↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
創作能楽小説『黒椿歌仙』 連句の巻  作者: 堀吉 蔵人


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
25/38

二十五 狂言「二十四句目」 ――垣の外にも一人居たのに

文台の上に、句が、二十三。


 恋の座の、二句目である。

 順は——また、爺であった。


 冬の折でも、恋の二句目は爺に回った。回り合わせというものは、ときどき、洒落が利いている。


「爺様。恋じゃぞ。二句目じゃ」


「ん」


 爺は、湯呑みを抱えたまま、文台の前句を、遠目に見た。

 名を問へば咲かぬ夕顔、垣の内。


 爺は、しばらく、黙っていた。

 それから、思い出話の調子で、ぽつりと言うた。


「……夕顔の垣ってのはね、いいもんだよ。夕方んなると、白いのが、ぽつぽつ咲いて。……あたしゃ、ああいう垣の外に、よく、座ってたからね。往来の隅っこに」


「ほう」


「そうするとね、垣の内で、逢うんだよ、人が。こっそりね。……こっそりのつもりなんだが、みんな、あたしの前じゃ、隠さないんだよ」


「……なぜじゃ」


「居ないことに、なってるからね、あたしは」


 爺は、湯呑みをすすった。


「垣の外の乞食なんぞ、石ころとおんなじさ。石ころの前でなら、人は、なんでもする。泣くのも、口説くのも、別れるのも。……だからね、忍ぶ恋ってのは、あたしの前でだけは、いっぺんも、忍ばれたことがない」


 座が、静かになった。

 世界中の忍ぶ恋の、ただ一人の目撃者が、囲炉裏の端で湯呑みを抱えている、という話である。


「……見たのを、覚えてるんですか」と女が、静かに聞いた。


「覚えてないねえ」


 と爺は、こともなげに言うた。


「山ほど見たはずなんだが。……ぜんぶ、どこかへ行っちまった。景色の下だよ」


 見られたが、覚えられていない。

 忍んだ恋にとって、これ以上あんばいのよい目撃者は、天下に、いない。世界中の秘めごとは、いちばん安全な蔵にしまわれているのである。鍵は、忘却であった。


 爺は、湯呑みの底を覗いて、続きのように、言うた。


「——垣の外にも一人居たのに」


 執筆の筆が、下りた。


 センセが、文台に飛びついて、指を折った。


「……七七。……また、ぴったり七七じゃ! 二度続けてじゃぞ! 爺様、そなた——まさか、上達しておるのか!」


「なにがだい」


 上達は、しておらぬのである。ぼやきの寸法が、たまたま二度、器に合うただけである。だがセンセは、この晩から、妙な癖がついた。爺のぼやきを、いちいち、指を折って数えるのである。


「(……腰が痛いねえ……五、七、いや、六音……ならぬか……)」

「(……燗がぬるいよ……七……お、七……続きを言え、続きを……)」


 続きは、出ないのである。句になる時と、ならぬ時の差は、爺にも、センセにも、たぶん天地の間の誰にも、分からない。


 女が、書かれた七七を、見た。


 垣の外にも、一人居たのに——。

 垣の内の忍ぶ恋の、垣の外に、もう一人。恋の句として読めば、想いを寄せて入れずにいる者の句である。切ない、良い恋の句である。

 ほんとうに立っていたのが誰かは、いま、湯呑みの底を覗いている。


「……その一人は、黙ってたんでしょうね」


「ん? ああ、黙ってたねえ。……何をだったか」


 何をだったかも、忘れているのである。

 黙っていたことだけが、忘れずに、句になった。


 文台の上に、句が、二十四。


 ——垣の外にも一人居たのに


 恋の座に、居ないことになっている者の席が、ひとつ、増えた。

 増えたことに、気づく者は、垣の内には、いない。

面白かったら評価とブックマークいただけると嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。