七 狂言「六句目」 ――月も寒いと言うてゐる
文台の上に、句が、五つ。
月の婆が去って、燗が一巡りして、センセが講釈の顔になった。
「六句目じゃ。七七で、軽く。表の締めゆえ、荒れず、騒がず、するりと納める。——爺様、そなたの番じゃぞ」
爺は、湯呑みを抱えたまま、囲炉裏の火を見ていた。
聞いているのか、いないのか。
いつものことなので、誰も急かさなかった。
表では、雲が切れたらしい。閉てた戸の隙間から、雪あかりとは違う、青白い明るさが差していた。月が、出たのである。
爺が、その明るさのほうへ、首をすくめて、ぽつりと言うた。
「……月も、寒いと、言うてるよ」
執筆の筆が、下りた。
墨の音がして、座が、しんとなった。
「——待て待て待て」
センセが文台に飛びついた。
「いま書いたか。書いたのか。それは句か? ぼやきか?」
「ん?」と爺が振り向いた。「なにがだい」
「そなた、いま、詠んだであろう」
「詠んどらんよ。月が寒がってたから、そう言うただけで」
センセは、書かれた一行を、指で数えた。
二度、数えた。
「……七七に、なっとらん。字が、余っとる。いや、足りとらんのか? どこから数えても、七七にならん! 式目違反である! これは巻には——」
巻には、もう、入っていた。
筆が下りた句は、巻に在る。誰が決めたのでもない掟が、初手からこの座を回している。執筆の少女は、書き終えた一行の墨が乾くのを、静かに見守っているだけであった。
センセは、頭を抱えた。
抱えたまま、しばらく唸って、それから、指の間から、もう一度、その句を見た。
「……しかしなあ」
と、唸りの調子が、変わった。
「……月も寒いと言うてる、か。……前句は、面影は問はず照らすや、冬の月。——照らす月に、寒いと言わせたか。誰の面影も問わず、千年、照らす一方で……」
「照らしてばっかりで、あったまらないからねえ、月は」
と爺が言うた。当たり前のことを言う調子であった。
「明るいものは、みんな、あれで、寒がりだよ」
女が、燗を注ぎながら、こともなげに言うた。
「あら、いい句」
センセは、まだ頭を抱えていた。抱えながら、ぶつぶつ言うた。
「……字余りの、調べにもならぬ調べ……なれど、これは……後の世の書物に、こういう句ばかり詠む一派が……いや。まさか。まさか、な。二百年も先の話じゃ」
誰も聞いていなかった。
勝手から、無口な大男が出てきて、爺の湯呑みに、いちばん熱い燗を、黙って、注ぎ足した。
それが、この晩いちばん、句の分かった者の仕草であった。
爺は、熱い湯呑みを両手で包んで、月あかりの差す戸の方を、しばらく見ていた。
寒い、とは、言わなかった。
月の代わりに言うてやったから、当分は、いいのである。
文台の上に、句が、六つ。
——月も寒いと言うてゐる
三十六のうち、ひとつだけ、器の違う句が混ざった。
混ざって、巻は、こわれなかった。
こわれない、ということを、この巻は、いま、ひとつ覚えた。




