妻は太陽系の外で死んだはずだった
最終エピソード掲載日:2026/09/20
廊下に果歩が立っていた。
打ち上げの日に着ていた、機構の薄い作業着。左の肩から腹までが、乾ききらない赤で塗られている。髪が首に貼りついていた。靴を履いていない。
「逃げて」
最初に出たのが、それだ。
俺は口を開けて、何も言わずに閉じた。もう一度開ける。
「……誰だ」
「直人」
「誰だって聞いてる」
果歩が上がってきた。土間で足を止めないことに、この人は気づいていない。裸足のままフローリングに赤い跡を置いて、俺の手首を掴んだ。
冷たい、という言い方は正しくない。氷は冷たい。これは、手首の内側から熱を引き抜いていく側の冷たさだった。二秒で指の感覚が鈍った。
俺は引き剥がした。
「あんたが誰か知らないが、あの人は今日、死んだ。全国で流れた。さっき見た」
「見たね。そう報じられることは、知ってた」
「じゃあ証明しろ」
果歩は玄関を振り返った。
「その鍵、まだ直してない」
「それは」
「直そうって言ったの私。今度やるって言ったのあなた。引っかかるたびに舌打ちして、そのあとで必ず謝るでしょう。誰にも言ってない」
俺は黙った。
鍵の話を外でしたことはない。舌打ちのほうは、自分でも忘れているつもりでいた。
本作はカクヨムにも掲載しています。
打ち上げの日に着ていた、機構の薄い作業着。左の肩から腹までが、乾ききらない赤で塗られている。髪が首に貼りついていた。靴を履いていない。
「逃げて」
最初に出たのが、それだ。
俺は口を開けて、何も言わずに閉じた。もう一度開ける。
「……誰だ」
「直人」
「誰だって聞いてる」
果歩が上がってきた。土間で足を止めないことに、この人は気づいていない。裸足のままフローリングに赤い跡を置いて、俺の手首を掴んだ。
冷たい、という言い方は正しくない。氷は冷たい。これは、手首の内側から熱を引き抜いていく側の冷たさだった。二秒で指の感覚が鈍った。
俺は引き剥がした。
「あんたが誰か知らないが、あの人は今日、死んだ。全国で流れた。さっき見た」
「見たね。そう報じられることは、知ってた」
「じゃあ証明しろ」
果歩は玄関を振り返った。
「その鍵、まだ直してない」
「それは」
「直そうって言ったの私。今度やるって言ったのあなた。引っかかるたびに舌打ちして、そのあとで必ず謝るでしょう。誰にも言ってない」
俺は黙った。
鍵の話を外でしたことはない。舌打ちのほうは、自分でも忘れているつもりでいた。
本作はカクヨムにも掲載しています。
第一章 訃報の夜
2026/09/20 11:06
第二章 床下に残したもの
2026/09/20 11:06
第三章 十五時十三分
2026/09/20 11:06
第四章 右手の重さ
2026/09/20 11:06
第五章 車を捨てる日
2026/09/20 11:08
第六章 四つの寝台
2026/09/20 11:08
第七章 放送室の裏側
2026/09/20 11:08
第八章 太陽系の内側
2026/09/20 11:08
第九章 一人分の夕食
2026/09/20 11:08
第十章 白伏山の上
2026/09/20 11:08
第十一章 帰りを呼ぶ声
2026/09/20 11:08
第十二章 助手席を閉ざす
2026/09/20 11:08
第十三章 錆びた扉へ
2026/09/20 11:10
第十四章 火に残る筆跡
2026/09/20 11:10
第十五章 火を継ぐ人
2026/09/20 11:10
第十六章 昔の呼び名
2026/09/20 11:10