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俳句 楽園のリアリズム(パート9・全)

 詩的夢想や詩的想像力や詩的イマージュをめぐる邦訳された2000ページ以上のなかからよりすぐって書き抜いた、私の「バシャラール・ノート」の300くらいのバシュラールの言葉があれば、感性を変革したり詩を味わったりするには十分すぎるほど。私たちには、バシャラールの思想なんてどうでもいいのだし、私たちには、利用させてもらっているバシュラールの言葉がもっともフィットする、俳句という理想の詩があるのだから。

 

「イマージュをたのしみ、イマージュをそれ自体として愛する」


 今回も俳句作品のポエジーに私たちの詩的想像力や詩的感受性や詩的言語感覚を活性化してもらった理想の状態で、高田敏子という詩人の詩を3篇味わってみることになります。

 




 さてきょうも素晴らしいポエジーとの出会いを求めて俳句を読んでいってみよう。


 もうくだくだと言いたてる必要もないだろう。ごくシンプルなかたちでバシュラールの言葉と俳句形式の思寵によって、ポエジーとの出会いをふんだんに実現させてもらうことにしよう。

 世界一の幸福を実現してしまったバシュラールの、遠い東洋の島国の言語に翻訳された言葉のほんの一部が、バシュラール本人抜きで、彼の理想とするような詩型にこの本のなかで奇蹟的にめぐり会い、ほんの2、3の世界の断片しか利用できない俳句形式にしてみれば、邦訳されたバシュラールの言葉にはじめて触れて、自分がポエジーのためには世界一理想的な詩型であることに気がついた……。

 そんな、バシュラールの言葉と俳句形式とのコラボレーションだけでもう十分だろう。  

 そうして、バシュラールの言葉がうまい具合に最高のポエジーをもたらしてくれるように、詩や詩人とあるところを、ここでもすべて俳句とか俳句形式とか俳句作品とかに書き換えて引用させてもらおうと思っている。   

 バシュラールの言葉の助力をえて、この本の一句一句の俳句作品のなかで、俳句形式は、はじめて、ぼくたちに対してだけその新しい可能性を試してくれているのだ。


 《俳句形式が浮き彫りにしてくれるイマージュは、幼少時代の宇宙的な夢想を再現させる、幼少時代の「世界」とまったくおなじ美的素材で作られているので、5・7・5と言葉をたどるだけで、俳句形式が、遠い日の〈イマージュの楽園〉における宇宙的幸福をそっくり追体験させてくれる》


 俳句とは、楽園の果実を盛るための、透明なクリスタルの器。そこに盛られた楽園の果実こそ、イマージュ。


  「常に過去に密着しつつたえず過去から

  離脱しなければならない。過去に密着す

  るには、記憶を愛さなければならない。

  過去から離脱するには、大いに想像しな

  ければならない。そして、このような相

  反する義務こそ、言語を申し分なく潑剌

  と活動させるのである」


  「過去にさかのぼれば、さかのぼるほど、

  想像力―記憶という心理的混合体は分離

  しがたくみえる。詩的なるものの実存主

  義に参加したければ、想像力と記憶の結

  合を強化しなければならない」


  「夢想にふける子供は、ひとりぼっちだ、

  本当に孤独なのである。かれは夢想の世

  界で生きている。この幸福な孤独のなか

  で夢想する子供は、宇宙的な夢想、わた

  したちを世界に結びつける夢想を知って

  いるのである。わたしの意見では、人間

  のプシケの中心にとどまっている幼少時

  代の核を見つけだせるのは、この宇宙的

  な孤独の思い出のなかである。そこでは

  想像力と記憶がもっとも密接に結合して

  いる」


 旅というものの特性が「旅の孤独」をしぜんと遠い日の「宇宙的な孤独」へと移行させて、旅先でぼくたちの幼少時代をいやでも復活させてしまうという事実に気がついたのが、この試みのぼくの出発点なのだった。


 散歩のような小さな旅の旅先でも、幼少時代の思い出と詩的想像力をぼくたちは同時にみつけることができただけではなくて、次第に(そのひとの旅の習熟度と旅先で体験することのできた夢想のレベルにもよるけれど)ほんの少しだけといった程度でも、幼少時代の宇宙的な魂、その宇宙的想像力や宇宙的感受性までもめざめさせてしまうことにぼくたちは成功したのだった。

 ぼくたちだれもがこんなにも簡単にポエジーに出会えてしまったのも、一句一句の俳句作品が、旅先でよみがえったのとおなじような幼少時代の記憶をそのつどもう一度生き生きとめざめさせてくれたからだったし、俳句形式が、旅先以外に持ち込むのはむずかしいと思われた想像力―記憶という心理的混合体(ぼくたち自身の詩的想像力の原型)を上手に利用してくれたからだった。そのうえ、俳句のイマージュがかなりレベルの高い宇宙的幸福をぼくたちに体験させてくれたのも、この本の前半で愛用してきた「心の鏡」の正体とは、どうやら、復活しはじめた宇宙的感受性のことにほかならないらしいからだった。


  「読者は想像力をその本質で知る。とい

  うのはかれは想像力を、その過度な状態

  で、ということは途方もなく異常な存在

  のしるしである信じがたいイマージュの

  絶対的状態で、知るからである」


  「詩的イマージュは、その新しさ、その

  活動において、独自の存在、独自の活力

  をもつ。それは直接の存在論である」


  「詩のイマージュによって魅了された主 

  体の意識」


  「イマージュの頂点にいつも立つ読書は、

  読者に現象学の非常によく規定された練

  習をさせるであろう」


 湖面のようなどこかがイマージュを受けとめればぼくたちはきまってポエジーを受けとることになる、と単純化したことが、知らず知らずのうちに〈イマージュの存在論〉や〈想像力の現象学〉の恩恵を受けることにもつながったのだった。


  「幼い頃を夢想しながら、わたしたちは

  ふたたび夢想のすまい、世界を開いてく

  れた夢想のもとへと戻っていく。わたし

  たちを孤独の世界に最初に住まわせるの

  は夢想なのである。そして孤独な子供が

  イマージュのなかに住むように、わたし

  たちが世界に住めば、それだけ楽しく世

  界に住むことになる。子供の夢想のなか

  ではイマージュはすべてにまさっている。

  経験はその後にやってくる。経験はあら

  ゆる夢想の飛翔の抑制物となる。子供は

  大きく見るし、美しく見る。幼少時代へ

  向う夢想は最初のイマージュの美しさを

  わたしたちに取り戻してくれる」


  「夢想する子供とは何とすばらしい宇宙

  な存在であろうか」

  

  「最初の幸福にたいし感謝をささげなが

  ら、わたしはそれをふたたびくりかえし

  てみたいのである」


 最初のイマージュの最初の美による、最初の幸福。宇宙的想像力と宇宙的感受性がとらえていた、途方もない、宇宙的幸福。まさに、人生の黄金時代、この世の楽園の幸福。

 さてきょうは何%分の<楽園の幸福>を、ふたたび味わいなおすことができるだろうか。



  「幼少時代は、輝きだす瞬間、つまり詩

  的実存の瞬間といっても同じことだが、

  その瞬間にしか現実の存在とならないも

  のである」

 

  「幼少時代の世界を再びみいだすために

  は、俳句の言葉が、真実のイマージュが

  あればいい。幼少時代がなければ真実の

  宇宙性はない。宇宙的な歌がなければポ

  エジーはない。俳句はわたしたちに幼少

  時代の宇宙性をめざめさせる」

 

 大井雅人。5・7・5と言葉をたどっただけで俳句作品がめざめさせてくれる、遠い日の宇宙の記憶とは… …


  

  窓際の樹が暮れてくる秋はじめ


  雪の記憶かの教室のチョーク音


  使わざる校舎の前の桜かな



  

  「あるひとつのイマージュごとに幸福の

  ひとつのタイプが対応する」


  「花を前に、果実を前に、俳句はある幸

  福の誕生にわたしたちを立ちあわせる。

  まさに俳句の読者は<永遠なる幼少時代

  の幸福>をそこに発見するのである」


 加藤(かとう)三七子(みなこ)。俳句作品によるポエジーの贈物。5・7・5と言葉をたどっただけで立ちあうことになる、ひとつの幸福の誕生とは……



  風の街店に林檎の光りをり


  夜の汽車に歯をあつるなり青林檎


  音楽とブランディあり胡桃(くるみ)割る




  「この孤独の状態では、追憶そのものが

  絵画的にかたまってくる。舞台装置がド

  ラマに優先する」


 鷲谷七菜子(わしたにななこ)。俳句作品による「世界」からの贈物。俳句においてはまさに舞台装置が、つまり「世界」のさまざまな事物が、人間的なドラマに優先するのだ。

 

 「俳句のひとつの詩的情景(イマージュ)ごとに幸福の

 ひとつのタイプが対応する……

 


  藤房の幼くて風素通りす


  滝となる前のしづけさ藤映す


  高空より藤こぼれくる雲明り



 

  「俳句作品を読めば読むほど、わたした

  ちは思い出の夢想のなかに慰めと安らぎ

  をみいだすのではあるまいか」


  「想像的な記憶のなかではすべてが途方

  もなく新鮮によみがえる」


  「イマージュの閃光によって、遠い過去

  がこだまとなってひびきわたる」

  

 菖蒲(しょうぶ)あや。俳句作品によるポエジーの贈物。イマージュの閃光によって、ポエジーのこだまとなってひびきわたる、ぼくたちの遠い日の記憶……



  金魚屋が路地を素通りしてゆきぬ


  夏来る路地知らない人が通り抜け


  路地に生れ路地に育ちし祭髪




  「想像する意識はその対象を絶対的な直

  接性において捉える」


  「わたしたちはイマージュ、いまや思い

  出よりも自由なイマージュに直面してい

  る」


  「イマージュをたのしみ、イマージュを

  それ自体として愛する」 


 山口誓子。俳句作品によるイマージュの贈物。5・7・5と言葉をたどって受けとる、イマージュの絶対的な直接性とは……



  船腹の鉄のふくらみ暑き埠頭


  夏の航終る電線見えだして


  針金の柵や晩夏の海の荒れ


 


  「わたしたちの幼少時代の宇宙的な広大

  さはわたしたちの内面に残されている。

  それは孤独な夢想のなかにまた出現する」


  「俳句が世界の美しいイマージュを革新

  しながら夢想家を援助するとき、夢想家

  は宇宙的な健全さに近づいているのであ

  る」


  「このようにして幼少時代はもっとも大

  きな風景の源泉となる。子供の孤独はわ

  たしたちに無限の広がりの感じをあたえ

  たのである」

 

 大野林火。俳句作品によるイマージュの贈物。5・7・5と言葉をたどっただけでよみがえる、遠い日の宇宙的な広大さとは……



  白き巨船きたれり春も遠からず

  

  夜に入りて木々を白くす春の雪


  降る雪の月をかくさずすでに春



  「俳句作品が世界の美しいイマージュを

  革新しながら夢想家を援助するとき、ぼ

  くたち俳句の読者は宇宙的な健全さに近

  づいているのである……



  いちめんの白雲となる春の坂


  春の夜の屋根つらなれりわが屋根も


  葉となりしさくらに昼の河溢れ




  「対象の影響下に、つまり世界のひとつ

  の果実、あるいは世界の一本の花の影響

  下に世界をおくことによって、俳句がわ

  たしたちに提供する世界のなかに生きる

  ことは、なんとよろこばしいことだろう」


  「ひとつの世界をつくるために万物が一

  致協力する俳句の宇宙論」

 

 清崎敏郎。俳句作品のなかで、まさに俳句形式は、宇宙的な夢想によって、原初の言葉として、原初の事物(イマージュ)として、世界を詠っているのだ……



  トンネルを出れば雪国雪降れり


  なつかしき水の音する深雪(みゆき)かな


  夜に入りて人通りあり雪の町



  「俳句作品がわたしたちに提供する世界

  のなかに生きることは、なんとよろこば

  しいことだろう……



  雪やんで町筋の燈の更けにけり


  通過する雪のホームの(ひとも)れり


  除雪車の通りしあとに雪降れり




  「イマージュは、現前したし、わたした

  ちのなかにありありと出現した。それは、

  俳人のたましいのなかでそれを生みだす

  ことを可能にした一切の過去から切り離

  されて現前したのである」


  「俳句作品を読むことにより、夢想によ

  りイマージュの実在性が再現されてくる

  ため、わたしたちは読書のユートピアに

  遊ぶ気がするだろう。わたしたちは絶対

  的な価値として俳句を扱う」

 

 鷹羽狩行。俳句作品によるイマージュの贈物。5・7・5と言葉をたどっただけでありありと出現してしまう、この世のユートピアとは……



  ラムネ屋のなつかしきもの立ちて飲む


  うまごやしより身を起す自転車も



  「俳句作品を読むことにより、夢想によ

  りイマージュの実在性が再現されてくる

  ため、わたしたちは読書のユートピアに

  遊ぶ気がするだろう……



  木曾路みな山のなか万緑(ばんりょく)の中


  睡蓮のいづれも浮葉したがへて



  「イマージュをたのしみ、イマージュを

  それ自体として愛する……



  自転車の灯がにこにこと梅雨を来る


  沖の帆をかぞへることも盆休み

  


  

  「夢想する人は夢想の幸福のなかに世界

  をひたし、幸福な世界の安逸のなかにひ

  たる。夢想家はみずからの安楽さと幸福

  な世界との二重の意識である」


  「夢想はわたしたちが世界に住むことを、

  世界の幸福をつかみ、そのなかに安住す

  ることを助ける」

 

  「原型が世界を開くのであり、世界への

  招待なのである」


  「かれは世界に向かって開き、世界はか

  れに向かって開く」

 


 加藤楸邨。5・7・5と言葉をたどっただけで一句ごとに俳句作品が思い出させてくれる、ぼくたちが、この、素晴らしい世界のなかに存在することの、あの、宇宙的幸福とは……



  天の川露地を夜明けの風ながる


  朝焼の露地露地になほ灯がのこる


  梨食ふやあまりに青き秋の天


  かなしめば(もず)金色の日を負ひ()

  


  「わたしたちの幸福には全世界が貢献す

  るようになる。あらゆるものが夢想によ

  り、夢想のなかで美しくなるのである……



  (ひぐらし)の鳴く間も生れ星の数


  坂くだる寒き夕焼に腕を振り


  秋刀魚(さんま)焼く匂の底へ日は落ちぬ


  


  「幼少時代は『絵入りの世界』、最初の

  色彩、本当の色彩で描かれた『世界』を

  眺めている。幼少時代の思い出を夢想し

  つつ甦らせる偉大な昔のときはまさに第

  一回目の世界なのである。わたしたちの

  子供の頃のあらゆる夏は、<永遠の夏>

  の証しである。思い出の季節は永遠であ

  る。なぜなら、それは第一回目の色彩と

  変らぬまったく同じ色彩をもつからであ

  る。わたしたちの夢想のなかでわたした

  ちは幼少時代の色彩で彩られた世界をふ

  たたび見るのである」

  

 山口誓子。俳句作品によるイマージュの贈物。5・7・5と言葉をたどっただけでよみがえる、幼少時代の色彩で彩られた<永遠の夏>とは……


    

  風筋に置きて匂へる青林檎


  樹々とその日輪うつる泉かな


  桐の花塀にまぎれて牛ゐたり


  新緑に美貌の母を子が誇る

      

  夏の夜道母が子に数教へつつ



  「わたしたちの夢想のなかでわたしたち

  は幼少時代の色彩で彩られた世界をふた

  たび見るのである……



  緑陰をなす夾竹桃(きょうちくとう)花に満ち


  とぶ影の樹々にあたりて揚羽蝶


  膝つきて金魚の池に親しめり

  

  廃線と同然草の茂りゐて


  街道の裏ははげしき夕焼田



    

 瀧春一。俳句作品によるイマージュの贈物。 

 

 俳句作品とは、一行の隙間から、この世の夢の楽園を垣間見るための、素晴らしいひとつの装置にほかならない……



  (うみ)めぐる山むらさきに夕焼けぬ


  夕焼の消ゆる湖畔に灯影冴ゆ  


  霧さむく青葉のしづく地をうてり



  「俳句作品のひとつの楽園の情景(イマージュ)ごとに

  幸福のひとつのタイプが対応する……



  青萩のほそみち来れば避暑の家

  

  プラタナス青き(ちまた)の祭かな


  梅雨の街異郷のごとく夕焼す   


  マロニエ咲く河岸(かし)の屋台の古本屋



 山口誓子。俳句作品によるイマージュの贈物。 


 《俳句形式が浮き彫りにしてくれるイマージュは、幼少時代の宇宙的な夢想を再現させる、幼少時代の「世界」とまったくおなじ美的素材で作られているので、5・7・5と言葉をたどるだけで、俳句作品が、遠い日の宇宙的幸福をそっくりそのまま追体験させてくれる……


  

  名ある星春(しゅん)(せい)としてみなうるむ


  霞濃し胸おしつくる海の柵


  東風(こち)の波埠頭の鉄鎖(てっさ)濡れそぼつ



  「俳句作品がわれわれに差し出す新しい

  イマージュを前にしたときの、この歓び……


 

  駅を出て春の()り日に向いて帰る


  花暮れて駅には絶えず白蒸気


  眼の濡れし牛にしたしむ春の昼


  春惜しむここも短かき坂の町




 久保田万太郎。5・7・5とたどって受けとる、「世界」からの贈物。

 

 《俳句作品のおかげでぼくたちは夢想するという動詞の純粋で単純な主語となる……



  川上のはやくも灯る五月かな


  なにもかも夏めく影を落すかな


  この街のたそがれながき薄暑かな



  「わたしは読みながらあまりにも夢想す

  る。またあまりにも思い出にふける。読

  書のたびに、個人的な夢想の出来事、思

  い出の出来事に出くわしてしまうのだ……



  さみだれや澄みわたりたる水の底


  (かび)の香にわかれて書庫をいでにけり


  旅人に撫子赤し雲の峰


  夏の夜のふけきりし闇ふかきかな



  「5・7・5と区切るようにしてゆっく

  り言葉をたどると、なんと多くの夢想が

  湧き上がってくることだろう……



  青芝に置きたる椅子の五つほど


  百合活けてあり沖よりの風の中


  梅雨冷えのサラダのトマト赤きかな


  秋近したちまち道のぬれし雨




 ためしに高田敏子という詩人の詩をつづけて少しだけ読んでみようと思う。散文を行分けしただけのような読みやすさ。それでいてしっかりと、詩的な喜びや感動を味わわせてくれる詩人だと思う。

 最初からむずかしい詩を読んでみても、意味をたどることに心を奪われて、イマージュの美しさに気がつかなくなってしまうおそれがある。その点、高田敏子の詩はやさしすぎるほどだから、むしろイマージュの美しさを受けとらずに読みとおすほうがかえってむずかしいかもしれない。

 詩を読んではじめて詩的な喜びを味わうためには、大木実とおなじように、うってつけの詩人といえるだろう。748篇も収録された「高田敏子全詩集」(花神社)から3篇を選んでみよう。




  春の雨


 どこからか

 いいにおいが……

 ああ あれは沈丁花


 アパートの窓から

 母と子がのぞいている

 湯あがりのような

 もも色のほおをならべて……


 あかるんだ

 西空にむかって

 若い人が歩いてゆく

 そのカサにも

 あたたかな春の雨……




  買いもの


 買いものの帰り道

 何気なくのぞいた放課後の校庭

 青葉はそよぎ

 白いボールはとび


 少年が庭をはいている

 美しい五月!

 まだ少女のような先生が

 光の窓から笑いかける


 私の買いものカゴにも

 美しい五月の重み

 初がつお そらまめ

 そして

 つややかなレモンがひとつ




  花火


 夏休みがきても

 もう どこへゆくあてもない


 娘や息子は

 友だちと海や山へゆくのを

 たのしむ年ごろになった


 湯上がりの散歩もひとり……


 いけがきの道をゆくと

 おもざしのよく似た兄妹が

 花火をかこんでいる

 かたわらに 母親らしいひとが 

 マッチをもってほほえんでいる

 かつての私と子どもたちのように……



  「ああ、わたしたちの好きなページは、  

  わたしたちにいかに大きな生きる力を

  あたえてくれることだろう」


  「詩人に助けられて、わたしたちは無関 

  心の眠りから目ざめる。しかり。こうい   

  うものを前にしてどうして無関心でなど

  いられよう」


  「詩人によって創り出されたこの世界を

  前に、恍惚として見とれている意識はじ  

  つにすなおにその扉をひらく」


  「わたしたちは書物のなかで眠りこけて

  いる無数のイマージュを契機として、み

  ずからの詩的意識を覚醒させることがで

  きるのである」


  「詩的言語を詩的に体験し、また根本的

  確信としてそれをすでに語ることができ

  ているならば、人の生は倍化することに

  なるだろう」





 次回のふつうの詩だけを読むことになる(パート10・全)は、新しい読者を開拓するという意味でも「その他」の「詩」というジャンルに投稿しようかなと考えています。

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