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俳句 楽園のリアリズム(パート2-その2)

最新エピソード掲載日:2025/03/31

 今回は旅先で作られたと思われる森澄雄の俳句を10句まとめて味わうことになります。
 遠い日の旅の記憶がよみがえって、かって旅先で味わったことがあるような、そんな気のするなつかしい旅情がありありと呼びさまされますように。そうして、旅先で思わず夢想なんかして旅情にひたったときみたいに、森澄雄の句が呼びさましてくれた旅情が、俳句で旅情のように快いポエジーをいつでも味わえるようになる、そのきっかけになってくれますように。

 面倒くさい言葉なんかをとおさなくたって、だれもが比較的簡単に旅先で体験してしまう詩よりも純度の高い詩情。それこそが旅情というものにほかならない。それを、言葉をとおして味わってしまうことの意味とは。

 「わたしたちが昂揚状態で抱く詩的なあらゆるバリエーションはとりもなおさず、わたしたちのなかにある幼少時代の核が休みなく活動している証拠なのである」(ガストン・バシュラール)

 旅先で「幼少時代の核」をあらわにすることのできたものだけが、旅人の名にふさわしい。

「しばしばわたしたちが幼い頃へと導く坂道を降りていくことは、偶然として片づけられることではないのである」

 旅に出て知らない住宅街や商店街や田舎道をぶらぶら歩きつづけるだけで「旅の孤独」がいつの間にか、幼少時代を思わせるような「宇宙的な孤独」へと移行してしまって、夢想するための理想状態に旅人を立たせることになる。そうした幸運なひとときに、旅先の風景が旅情を誘うことになるのは、ごく自然ななりゆき。

 「人間のプシケの中心にとどまっている幼少時代の核を見つけだせるのは、この宇宙的な孤独の思い出のなかである」

 
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