第6話-40 ブラウンアウト 5 フライトエリア
試験場を低空で飛び去り、上昇して気圧約0.9、高度約1000メートルまで登った。
与圧装置は当然ない機体である。上昇と下降を繰り返すたびに、機内の気圧が変化する。耳抜きが必要なのはちょっと面倒だった。
俺は機首をナクル市街地方面に向けた。市街地上空には入らないが、空からのナクルの全景を脇から見てみたいと思ったのだ。
まだ、理由はもう一つあるが。
プロペラの低い音と振動が響く中、コックピット脇から眺めるナクルの街。不完全な円状に広がっている広大な街。クル川に沿って広がるように変形した輪郭。構成する低層の建物は、日光が白い壁で反射して輝いて見える。
屋根は赤茶色、灰色、黄色などが見える。ある場所では赤茶色に統一され、別の場所では他の色の屋根がモザイク状に広がっている。
ここまで苦労して飛んだからだろうか、俺にはナクルの街並みがひときわ美しく見えた。
遠くナクルの中央に、領主ベルゲンの居城も見える。地上では坂を登り、見上げていた城が、いまや眼下だ。
ベルゲンはいま、ここで飛んでいるTANONを見ているだろうか。あるいは執務とか別のことに集中していて、気づいていないだろうか。
TANONが飛べたのは、ロケットマンことベルゲンの強力な支援なくしてあり得なかった。金銭的にも、政治的にも、人員的にも、根回しも――いや、支援というかおんぶに抱っこじゃねぇか。
TANONの資金源が領主ベルゲンということは、その元を辿れば民衆の租税から作られた航空機でもあって、前にベルゲンが「目に見えて分かる成果を民衆に見せなければならない」と俺に言ったのもそれなわけで。
ならばナクル人々にTANONがここまで高く飛べるようになったことを、成果として民衆に見せつけておく方がいい。
この距離ならTANONのプロペラの騒音は、地上からでもある程度聞こえているだろう。それも市街地に寄ったもう一つの理由だ。
「クラリちゃーん! ちょっと遠くだけど、古族の居住区が見えるぜ、ほら!」
操縦席の背後からブロウルの声が聞こえる。遠くナクルの森側の地域を指しているに違いない。
対するクラリの反応は、よく聞こえなかった。開放されたままのサイドドアから流れる風の騒音とプロペラの騒音にかき消されて仕舞ったのだ。だが、ブロウルが反応薄いな、と返すくらいには、興味がなさそうな返答をしたらしい。
「だって、あそこのみんな私に意地悪ばっかりするもん!」
ああ、そうか。クラリは元々でイジメられてたもんな。偶然リンがそれを見つけて庇った流れで、クラリがここにいるわけだが。
迎賓館に最初連れてきたときも、クラリ泣いてたっけか。まあ故郷というか地元というか。そこにあまり愛着が湧かないのは分らない話でもない。むしろ、それで愛着を持てという方が難しい話かもしれない。
「事前の打ち合わせの通り、操縦試験を始める。クラリ、観測所から五分おきに空域座標を取得して報告してくれ」
「はーい!」
「クラリ、こっち来い」
操縦席脇に彼女を呼び出して、懐から取り出した懐中時計をクラリの首にかける。
クラリは懐中時計を手に取って、わぁと声を上げた。真鍮に輝く外装がお気に召したらしい。終わったら返せよ、高価で貴重な物だからくれぐれもぶつけて壊すなよと忠告も添えておく。
「時計の読み方は分かるか?」
「分かります! 前が十二時で、右が三時! 後ろが六時で、左が九時!」
「それはクロックコードな……」
「わかってますー! 時間の読み方は習いましたー!」
右手を挙げて元気に答える彼女。ホントかよ。
クロックコードは飛行艇で方位の把握をするのに必要なので、時計の読み方の確認と併せて俺が授業で教えた。
それを覚えての冗談のようだが、時折クラリは大ポカをやらかす事があるせいで、冗談なのかマジなのか区別がつかねぇ。
クラリからの最初の報告によると、空域座標は1,10。試験空域の北東端を1,1とした格子状の空域座標である。現在空域はナクル最寄りの空域、試験空域は北部中央にあたる場所だ。座標を報告してもらうのは、飛行試験となっている空域から逸脱しないためだ。
羽根ペンを持っているグレアに試験記録を書いてもらい、試験空域の中央である砂漠に機首を向け、まずは巡航速度試験から始めた。
プロペラのピッチ角を20度に設定した状態で、出力を六割程度まで落として巡航状態にするとだいたい速力は1.4くらい、時速換算なら180キロというところだろうか。
プロペラのピッチ角を浅く変えると、プロペラの負荷が軽くなって回転数が上がる。逆に深くするとプロペラの負荷が上がって回転数が下がる。これは実際に確認できた挙動だ。
そこからピッチ角を21度、22度、とゆっくり上げていくと、速度計の針がゆっくり上昇して、最後は速度が頭打ちになった。対気速度計は1.5あたりを指している。このへんは目測なので、あとでまた記録すると思うが。
定期的に響くクラリからの位置情報を頼りに、頭の中で空域の中の自分たちの位置を随時更新しながら、上昇下降、旋回を試す試験などを繰り返していく。
実際の使用状況を模擬するために三トン近い水を積み、荷物の代わりに砂袋を大量に乗せてかなり重量があるはずだが、それでも一応川や湖から離昇する際の性能はある程度確保できそうだ、という結果も手に入った。これはかなり嬉しい。
もちろん確保できる滑走距離や、周辺に立ち並ぶ木々や地形によっては、難しかったり断念せざるを得ない状況もあるだろうから、どこでも離着水というわけにはいかないが。
そこに関しては、ベルゲンに投げた水噴射ブースターがうまくできれば、離昇に使える場所がさらに増えると期待している――水噴射ブースターができれば、だが。
まあTANONには、なにも水上だけじゃない。陸上の離発着にも対応するために着陸脚もある。
内陸部で降りる必要があるときだとか、水上では水に接する機体部分の修理のときに使える装備である。
不整地を前提とした着陸脚。相当頑丈でないと持たないと予想されたため、予算と重量を贅沢に割いた代物だ。
ブースター未装備でもここまで一応飛べているし、他のオプションもあるわけだから、最悪なくてもいけそうな気はしているが、選べる手札は多いに越したことはない。
――それは、試験空域外周部に沿って、TANONの最高速を測る試験の最中の出来事だった。
五分おきの位置情報の報告を聞いて、試験空域のどの位置にあるかを、ブロウルに紙に書いてプロットしてもらいながら進めていた試験だった。
最高速試験だから当然モーターの出力は1.0、つまり全開である。
まあ出力レバー自体は、ロックを解除すればさらに高出力側へ倒せるが……それは一時的に出せるオーバーロード出力であって、長時間は出せない。
つまり陸上のスプリントの速さで、フルマラソンを駆け抜けるようなもので、常用できる出力ではないってことだ。
定格の全開とはいえ相当な廃熱を生むモーターが、冷却水の蒸気量を増やし、両主翼の開放弁からの噴出をいっそう激しくさせている。暇を持て余したブロウルの実況報告によれば、だが。
とかく、俺は高度を保ちつつ、TANONが全開出力でどれくらいの速度が出せるのかを、グレアに対気速度計を見てもらいつつ、大雑把ながら記録を取っていた。
進路を維持しながらプロペラの角度を0.1度単位のレベルで微調整して、プロペラが1500rpm以下に収まるように調整することに集中していた俺は、ふと我に返った。
体感だが、もうそろそろ空域の端に到達して、試験空域に収まるよう直角に転進してもいい時間だと思ったのだ。
「グレア、今どのへんの空域飛んでるって言ってたっけ」
「えぇ……クラリちゃん、今どの空域ぃ?」
把握してろよと言わんばかりの眉と視線を俺に向け、そのまま流れるように操縦席の背後に顔を向けて声を上げる。
いやお前も把握してねぇのかよ。
「んうぅ……分かんないです!!」
俺とグレア、さらに脇に聞いていたブロウルの注目までかっさらうクラリだが、変な呻き声を上げたかと思うと、ハッキリと叫んだ。
「うえぇ!? 分かんないってどういうことだよ!?」
「いまどこって、何回も送ってるんだけど、ナクルが返事してくれなくなっちゃったの!!」
「なんでだよ、んなワケあるかよ!?」
思わず俺は素っ頓狂な声を上げちまったよ。試験空域は観測所から位置が測定できる範囲に収まるように決めてあったのだ。現在位置のロストなんざ想定していない。これはマズい。
俺はブロウルに記録していた自機位置の記録を見せてくれと頼んだ。クラリには預けていた懐中時計の現在時刻を教えろ、と伝える。
「グレア、今の速度計の針位置、記録しといてくれ」
最高速試験のために、飛行艇は直線的に飛んでいる。少なくともそのつもりだ。ならば空域マップ上の自機位置の軌跡と速度、それから現在の時間を使えば、おおよその自機位置の予測はできるはずだと思ったのだ。
クラリ、ブロウルが操縦席に集まって、グレアが羽根ペンを走らせて自機位置を求めていくのを見ている。俺はそれを横目に見ながら、操縦桿を握って直進を続ける。
「今の位置は空域23の41……たぶん。計算始めてからちょっと時間かかってるから42、43でもおかしくないわ」
「やべぇじゃん、空域外じゃん!!」
「なんだって?」
俺はグレアの手元の紙を見やる。試験空域は20マス四方のハズだ。多少外れても十分追跡できるはずだが、外れすぎの可能性はある。
なにより一番の謎は、ナクルの観測所からの最後の位置情報の記録は、十五分以上前で途切れていて、ペース上空域内でクラリは時刻の問い合わせをしているはずだということだ。
「今から引き返す。太陽の方角は機首に対して1時の方向、覚えておいてくれ」
「あ、ボスもしかしたら太陽かもしんねぇ!!」
「なにが」
「クラリちゃんが通信できなくなった原因! ナクルから見て俺達が太陽の逆光に隠れてんじゃね?」
「……それは一理ある。とかく引き返すぞ」
全力飛行中のTANONの速度を殺すため、俺は操縦桿を引いて上昇姿勢を取った。
コックピット前面に広がっていた、だだっ広くも眩しい砂漠と地平線の景色が、群青色の空の景色に塗り替えられていく。
サーキットのバンクのついたコーナーのように、上昇しながら機首を地面側に少しずつ倒して、ゆっくり転進する。
太陽と直列になる位置から抜け出して、試験空域に戻らなければ。
一瞬、グレアに目を向けたその瞬間、彼女の足元で何か光ったような気がした。同時に何か重量物を机に叩き付けたような振動と、爆発した金属のような音が響く。
強烈な衝撃音が生み出した、直後の一瞬の無音。
スローに切り替わる世界の中で、グレアが反射的に両足を引いていく様子が見えた。
俺の思考は空白のまま、それが何なのかを理解できるでもなく、ただその不意打ちに反射的に自分の肩が跳ね上がるのを感じるのが精一杯だった。




