第6話-39 ブラウンアウト 4 White puff DIVe into the 群青 (後)
俺は操縦桿を倒して、大きく八の字を描く軌道をとった。操縦桿の左右のロールが同じように操縦できるか試すためだ。
何度か、八の字を描いていると、クラリが翼から白いのが出てる、と叫んだ。
念のため旋回をやめ、コックピットの窓から後方の主翼を覗きこむ。主翼後端から、二本の水蒸気が吹き出しているのが見えた。
「ええと冷却水温度は98度、水冷回路の圧力は1.2気圧くらいか。大気との相対圧力差は……0.27だから――」
計器を見る。
冷却水が沸騰して圧力を開放させるバネ式の弁は、圧力差が0.25気圧付近で動く設計だ。0.26なら蒸気が噴き出してもおかしくない。
もう一度主翼を眺める。蒸気は開放弁のある場所から出て、短い線を空に引いている。グレア側の主翼は俺の席からは見えなかったが、尋ねると主翼からも白いものが噴き出ているとグレアが言う。
「なるぅ、なんか白い蒸気みたいなの出てる!!」
「設計通りだ、安心しろ!」
そうか、TANONも条件が良ければ、飛行機雲を作れるのか。俺はあんまり気にしていなかったが、実際の現象を見て気づいた。
乾燥した気候のナクルではすぐに消えてしまうが、気温の低いときやあるいはそれなりの高度に行けば、飛行機雲が長い線となって空を二分する景色を拝めるかもしれん。
いやぁ、いいよな。飛行機雲。
俺一人で勝手に感傷に浸っていると、間もなく座席の間にブロウルが割り込んできた。
彼は俺とグレアの操縦席の背もたれを両手でトン、と叩いて前のめりに顔を出す。
いやもう、マジでスゲェ。まるで家が飛んでるみたいだぜ! ブロウルが興奮気味に語りかける。
「あのさ、地上のガル爺とリンちゃんにさ、飛んでるところもっと近くで見せてやらね?」
俺は沈黙のサムズアップでブロウルの提案に応えた。
「世話になってる工業ギルドのメンツにも見せてやる必要があるな」
「ちょ、え、アダチ!?」
俺はクル川の試験場の終端で止まっている黒い物体、わだちを見つけた。
プロペラの角度を30度に設定し、操縦桿をそっと押し倒す。低回転でゆっくり回るプロペラの音が鳴りを潜め、開放されたままのサイドドアから吹き込む風切り音が主役に躍り出る。
「いぃいいぃ――私ちょっと怖いんだけど!!」
高度800メートルからの緩降下。試験場終端手前に降りるよう、操縦桿を操作する。
速度を上げて解像度が上がっていく地表の様子。リンとガルがわだちに乗っているのが見える。ガルが操縦席、リンがその隣の席。
荷台に浮き輪や小舟、ロープが積まれているのも見える――そういえば、試験場へ移動中に川に落ちた三人組は無事引き上げられたのだろうか。
高度15メートルほどの高さになるよう、かなり早めに機首を引き上げる。倍力装置がついているといえど、さすがに操縦桿はかなり重い。
流れるように早い景色。轟音のような風切り音。対気速度計の針が上昇していく。目盛りがないため目分量だが、速力は2.5以上出ているかもしれない。
降下をやめた飛行艇が空気に押されて減速していくのを、座席から前のめりにさせる加速度で感じる。
砂地の地面を低高度で飛び、直線飛行する機体。そのままクル川の屈曲と合流して、クル川水上の試験区域を猛烈な速度で駆け抜ける。景色の速さは新幹線の車窓の如くである。
通信台と観測所、そして土手で眺めていたギルドと防衛軍の人々。彼らに見せるように直線飛行をして、試験区域の終わりで再び機首を引き上げる。
操縦が上手くいっていることをアピールするために、コックピット前方に向けて手を振る俺。彼らから見えるだろうか。
速度に乗った勢いで空を再び駆け上がるTANON。
途中でスロットルを1.0、プロペラの角度を20度に戻し、大人しかったプロペラが再び轟音を放ち、フライバイで失ったエネルギーを補充していく。
「アダチ!! 飛び初めを迎えたての子供でも、こんな調子乗ったことやらないわ!」
「今の一回だけカンベンな!」
◆
試験場中央に位置する仮設通信台に座っていた工業ギルド、飛行艇計画トップ三人組、ナド、ネルン、ザグールは、離昇成功の興奮と歓喜、として拍手に沸く物見櫓。その欄干に並んで、彼らが生んだ巨鳥――TANONが、悠々と飛ぶ姿を眺めていた。
櫓の欄干に両手をついて、心配そうに顔を出すネルンに、機体の設計製造の責任者であるナドが脇から語りかける。
「いやはや、すごいな……自然の力も借りず、機体の推進力だけであそこまで上昇していきおる」
「上昇が速い――我々の飛行ではまず追いつけませんよ」
「だな」
みな揃って手で庇をつくって、直射日光を遮って機体を眺める。
太陽も雲も気にせず飛べる飛行艇。あの機体の飛ぶ高度――機影が巨大すぎて遠近感がおかしくなるが――それなりの高度まで自らの翼で上昇しようにも、自然に頼らず羽ばたきのみでは到底息切れしてしまう。羽ばたきをやめ滑空をすれば、稼いだ高度を失う。それは足で山を登るよりも厳しいものだ。
それをあの飛行艇は、四人を乗せるのみならず、疑似貨物の砂袋を積んだ居住空間を丸ごと抱えて、あの高度まで一気に登ってみせたのだ。
遠く空の上で、ゆっくり旋回する赤茶色の機影。間欠的に揺らぐプロペラの音を立てていた機体の機首正面が、こちらを捉えた。こちらに降下してくる。
「どうしたんでしょうかね……何か具合が悪いんですかね?」
「まさか。さっき順調だとコウちゃが言っとったろ」
強い日射しに立ちこめる地上。こちらに正面を向いて接近するTANON。陽炎の向こうで溶ける機影。機体の後ろに巻き上げた荒野の砂塵が、翼端に左右逆回りの渦を巻いて引きずりながら、猛烈な速度で迫ってくるのが見える。
「巨大な渦ができとる。相当速いぞ」
「機体壊れませんかね、大丈夫ですかね?」
「あの程度で壊れるような半端モノは俺が許さん」
ナドはネルンの不安を一蹴して、欄干に両脇を引っかけてもたれかかる。
物見櫓にリーンと金属音が響く。カチチチと打楽器が打ち鳴らす一秒四拍のリズム音。奏者である彼ら防衛軍の音楽隊は、初回の試験と同様に駆り出され、三次元の飛行記録をとるためのリズムを奏でていた。
プロペラの低い風切り音を奏でながら高速接近する飛行艇。
低高度を維持したまま、クル川の試験水域に差し掛かってくる。
背後に立ち上がる砂煙の渦の尾が消え、低空を駆ける機体。胴体直下、水面中央に風圧で切り裂くような暗い色の波の尾が生まれる。
「お、コウちゃが手を振っとる!」
「え?」
遠くにあったはずの機体は、ほんの数秒でコックピットの中の様子を視認できるほどに近くなる。一瞬見えたその様子を逃さなかったのは、ナドだけだった。
「来るぞ来るぞ来るぞ――」
翼幅約30メートル、尾翼含め全高約9.5メートルの巨体が、猛烈な速度でヒシュンと風を切り、物見櫓の目の前の川を通り抜ける。
同時に唸っていたプロペラ音が一段と低くなり、機体が力尽くで押しやった空気が、音以上風未満の圧力波を生んで櫓全体を突き抜ける。
現場にいた彼らが身体でその巨体と速度を実感する頃には、TANONはすでに足で追えば息が上がりそうなほど遠くまで離れていた。
「は、速い……!」
「今の通過速度は!? うおおっ!?」
置き去りにしたTANONを追う強い風が吹く。ネルンとナドは、風とともに目に飛んできた砂塵を腕で覆った。櫓に机を置いて仕事をしていた係の紙が、ビリバラと風に流されそうになる音が広がる。
風が弱まり、周囲を見ると、土手で試験を見ていた誰かのものだろう、帽子が風に飛ばされ宙を舞っていた。
ザグールが、今の速度はどれくらい出ていたのかと声を上げ、手空きの者を見つけて集計するように指示を飛ばす。
その奥で、とひときわ大きなプロペラ音が響く。ネルンが目を懲らして遠く小さくなったTANONを見る。試験水域の端に到達して、機体の背を向けて空へ上昇を始めている音だった。
「秒速450ぐらい、行ったかもしれないですね……」
「ネルン控えめだなぁ、ぇえ? 俺は500くらい行ったと思うけどな!」
少し時間をおいて、物見櫓に信号灯のパタガタと鳴る音が響いたかと思うと、係の誰かが「速報! 二点計測、秒速406シュ!」と叫んだ。
それを聞いた櫓の人々に、雑談と笑い交じりのザワつきが広がる。
おめぇ、アレだけの速度を出して、たった400はねぇべ!
ナドとザグールもそのざわつきに同調して笑い合っていると、同じ係の声が再び響き渡る。
「第二報! 三点計測結果、秒速527シュ!」
櫓の上の男達の間で、おおと歓声が零れる。
手の空いていた誰かが始めた拍手につられて、散発的な拍手が広がった。
ナドとザグールが得意げに予想が外れたな、とネルンを小突くていると、再び係の声が響き渡る。
「第三報! 四点計測結果、秒速574シュ!」
「第四報! 五点計測結果、秒速595シュ!」
第三報が上がった瞬間から、物見櫓で広がっていた和やかなザワつきが鳴りを潜める。
代わりに広がるのは「570?」と繰り返す声。続く第四報。
「最終報! 六点計測結果、推定秒速――ろ、607シュ、です!」
その報せが響き渡る頃には、もはや誰も声も拍手もしなかった――できずにいた。
前人未踏の600の大台。想像を遙かに超えた数値を離昇後一発で軽々と叩きだした事実を信じられず、一同口を半開きにして、互いに顔を見合わせるだけだった。
試験を見に来ていたナクル防衛軍の将官が立ち上がり、速度記録について部外者への箝口を命じたのは、それから間もなくのことだった。




