第6話-1 クソ野郎
プロローグ
---
空を制するのに、超能力も、携帯も、コンピュータも要らない。
必要なのは、高校までの知識、適応力、成功するまで諦めない根性、そして共に戦う仲間。それだけだった。
……いや、超能力は必要だったかもしれん。
とかく、共に戦う仲間ってのは、別にいつもいる仲間だけじゃない。
ギルドの職人、技術者、発明家、領主、ほか多数の協力者――各々が直面した、泥臭い挑戦。
成功も、挫折も、苦悩も、その何一つとして、不要なものなどなかったのだ。
だが良いことばかりじゃない。
俺はまだ持っている知識も力も中途半端だと、これまでに思い知らされてきた。
それでも俺は、俺達は、ない知恵を絞って必死に課題を解いてきた。
俺がこの世界に持ち込んだ技術革新が、これまでの古き良き世界を変えていく。
人間は一枚岩になれない。
機械の翼に賞賛を送る者もあれば、敵意を向ける者もまた、当然存在するのだった。
飛行艇は情報の波を飛び越える――俺は創造者か、破壊者か。
さあ、答え合わせの時間だ。
採点の赤ペンは血で書かれるのだ。
---
想定読了時間 ---分
「――あんたの薄情さには、ほとほと呆れたわ」
ナクルの街を軽快に駆ける試験輸送車わだち。もはや半ば自家用車のような気軽さで使われるわだちは、キール造船所に向けてナクルの街並みを走っている。
運転する俺の隣に座るグレアは、さっきからずっと不満を垂れていた。
魔法ってのは便利なもんで、俺の常識では回復に長期間を要したり、あるいは後遺症が残ったりするような怪我でも比較的すぐ治してしまうわけで、グレアもその恩恵を受けて回復した。
俺はその魔法の恩恵の対象外。足を骨折でもすれば、しばらく松葉杖で頑張れ、というのが世知辛い。健康保険料でも支払えば、今すぐ適用してくれるだろうか。
彼女が不満を抱いていたのは、大怪我を負って意識を失っている間に、俺があまり見舞いに訪れず、もっぱらリンと一緒にいたことのようだった。
「一度も顔を見せなかったらしいじゃない」
「行ったさ。メルがお前の手を握って付き添って寝てた。起こすのも悪いと思った」
「行ったって、何回よ?」
「……一回」
一回! たったの一回!?
グレアがあげつらう。我ながらあんたには良くしてきた方だと思ったけど、一回よ!?
あとになって分かったことだが、グレアがリンと一緒に転落したのは、俺とリンに屋上でやりとりしている間、彼女がリンの下階の窓から身を乗り出して、身を投げようとしていたリンを奇襲的に、どうにか取り押さえようとしていたかららしかった。
腰にロープを巻き、メルにその一端を握らせて、出てきたところを巻き込まれたのだ。
メルが意識不明のグレアの傍にずっといたのは、親友であり、その瞬間の当事者だからだった。
後ろの荷台に乗っていたブロウルが、俺とグレアの間に身を乗り出して割り込んだ。
「グレアは、俺とクラリが何度か見舞いに顔を出したけどよ。俺達じゃやっぱ不満だった?」
「――嬉しかったわ。それに引き換えアダチが薄情だと言いたいだけ」
「…………。」
実際、俺はグレアよりも、リンと一緒にいた。ブロウルやクラリ、ガル以外に顔を見せる者もほとんどなかった彼女のそばに居続けることを薄情と言われるのなら、好きにすればいい。
「グレアは実感ないだろうけど、ボスも相当ボロボロになって参ってたんだ。たった一度でも、その重みは普通とは違うんじゃないかな」
「――そうね、謝ったら許してあげるわ」
グレアの意識が戻ったのは、俺がリンの奇跡的な復活を目の当たりにしていた、ちょうどその裏での出来事だった。グレアの意識回復の知らせを伝えたのは彼女の親友のメルであり、リンの蘇生を知らせたのは俺だ。
そして今、荷台にいるのはブロウルだけではない。クラリも、ガルも、そして当の本人、リンもいる。
グレアの言い分も分かるが、リンのいる前で謝るわけにはいかなかった。リンの為に時間を取って傍にいたことは事実だが、それを謝罪することはまた違う。
「…………悪いな。」
「なに、その言い方?」
グレアが吐き捨てるように言う。逆鱗に触れた。
気が済むのなら、一発殴ればいい。奇跡の力で生き返った彼女を、再び孤独に晒して同じ轍を踏むわけにはいかない。
「グレアのお嬢ちゃん。いま、荷台に誰と誰が乗ってる?」
荷台の奥から、ガルの声が響く。
俺がわだちを運転している都合、前の景色から目を離せなかった。それでもグレアがどんな顔をしているのかを横目で見たが、結局よく分からなかった。
グレアも、ガルも、それ以上何も言わなかった。
彼女は俺が見舞いに来ない間に何をしていたのかを知っている。ガルの言葉が何を意味するのかを、彼女なら容易に理解できるはずだ。
「なあボス。わだち、ちょっと飛ばしすぎじゃないか?」
俺とグレアの間から顔を出したままのブロウルが気まずそうに言う。
あまり飛ばそうという意識はなかったが、言われてみればそうかもしれなかった。
わだちは、市場になっている街通り、そのひとつ裏の通りを走っていた。
市場の開かれている通りは当然人通りが多く、ましてや道の中央が車道なんて概念もない。
そこに車両が突っ込めば、そこで渋滞になるか、大事故だ――わだちの前方にバンパー代わりの厳ついカウキャッチャーでも取り付けて世紀末仕様にしていれば話は別だが。あとホイールにスパイクも。
わだちは、事故の誘発を避けて快適に移動するために、道幅の割に人の少ない裏通りを駆けていた。全力疾走の自転車より速いくらいだろうか。
飛ばしすぎと言われる心当たりは分かっている。
「あんま言うもんじゃないと思ってたが、俺はな、さっきからずっと我慢してんだよ」
正直言って、俺も色々と溜まっているものはある。
ずっと感じていたが、俺はあえて言わないように我慢していたのだ。
「そう、だよな。でもグレアだって、やっぱり寂しかったん――」
「……ウンコを」
「うん?」
「あー確かに、迎賓館を出る直前に具合は確認したさ。大小ともに異常なし。ところがどっこい、わだちに乗り込んで迎賓館を出たあたりで違和感。たまにあるだろ?」
俺の真横で豆鉄砲をくった鳩のように目を丸くしたブロウルが呟く。
「クソ野郎じゃん」
「そうだよ。しょうがねぇだろ、食ったら出るモン出るんだからよ。それとな――」
どう言おうか少し、迷った。
人通りで踏み固められた道は走りやすかったが、ときおりの凹凸にわだちが跳ね上がる。今の俺には少し刺激が強かった。
「俺はグレアがどうでもいいって訳じゃない」
「……周りが騒がしくて、よく聞こえなかったわ」
*
――キール造船所のトイレは臭かった。
道理で造船所のメンツが貸すのを躊躇ったわけだ。羽虫が飛んでいた。
俺は詳しく語るつもりはないが、換気扇がいかに気の利いた設備なのかということを思い知らされた。
同時に、ビオトープの維持に貢献できたことを誇りに思うね。
今回俺達がここに来たのは、工業ギルドから連絡があったからだった。
まだ機内設備には色々未完成の部分ばかりだが、飛行艇の必要最低限の機能だけはまず完成したのだ。
俺がトイレから戻って皆と合流する。ネルンとナドもいた。
ネルンは小道具班の総合班長。要は飛行艇の内部の道具制作を主に担当してる責任者。
ナドは飛行機班、飛行機全体の設計開発の所属で機械開発の責任者。飛行艇の動力とか機構とかを担当してくれている。この前、原動機の一号機の動作試験でプロペラを回してくれた人物だ。
「まあ、なんか色々急な話が多かったな」
ナドが進路に手を向けこちらへと誘導して歩きだすと、世間話とばかりに俺に話しかけた。
工業ギルドには、リンの件でスケジュールを取りやめたり、防衛軍の介入が決まった件で急に監視が付いたりと迷惑をかけることになってしまった。
「最近はベルゲンの兵隊が、構内を巡回するようになった。理由は聞いてるよ。ヴォルグラドに技術が流れないように、だって?」
「俺の見通しが甘かったんだ。ベルゲンに怒られたよ」
俺はヴォルグラド帝国が歴史上何度もこの都市を後略しようとしてきた敵国とベルゲンやガルから聞いただけで、当事国の人物と会ったり話をしたりした認識はない。
俺達は飛行艇の置かれた、屋内の造船ドックの設備へと足を踏み入れた。屋内のドックの出入口の両脇に、紫紺色の意匠の革、布、金物の鎧を着て、剣を持って武装した兵士が二人、立っていた。確か造船所の出入口から、わだちを敷地内に乗り入れたときも、兵士が立っていた。
通行証か何かを見せる必要があるのかと思ったが、彼らはただ立って監視しているだけで、特に行動を起こすこともない。彼らと一瞬目が合ったが、その後向こうが目を逸らした。
「俺達への支払いが公的に保証されるって点では、安心して仕事ができるぜ。なにより最近は景気がいい」
俺達は二人の衛兵の間を素通りする。彼ら軍の介入が始まってから日が浅く、体制が未整備なのか、それともこのまま進めるつもりなのかは、俺にも分からなかった。
「――設計資料を持ち帰っての仕事が、やりづらくなったという声もあるがな」
衛兵から少し遠ざかったところで、ナドは耳打ちするように俺に呟いた。
「……自宅と作業場が一体になっている工房も多いはずだが、大丈夫なのか?」
「そこは許してくれているが、関連する図面も一緒に持ち帰って確認ってのがな、やりにくい。まあ兵隊が図面見たところで、どれがダメか区別つかないだろうがな」
静かに疑問を投げた俺に、ナドは囁きながら、半ば笑って言った。
施設内から見上げた木鉄構造の天井。ナドが剥落したと語っていた箇所の色違いの修復痕を眺めながら、前に支払うものはちゃんと払ってくれよな、と言われたことを思い出した。もうその心配は必要ないのだ。
ベルゲンが介入したことで、俺は、予想以上に心強い気分を感じていた。肩の荷を下ろした代償は軍事転用であるが、こればかりは、侵攻には使わないと誓ったベルゲンを信じるしかない。
乾ドックの窪みのそば――飛行艇の前まで来る。
上からドックを見下ろす。三階以上はありそうだ。
飛行艇は、依然として乾ドックの窪みに嵌まり、ドックの幅を超える長さの両翼のため、木材で架台を組み上げ、艇体の下全体を抱き上げるようにしてかさ上げして保持されていた。
翼幅は、確か約29.4メートルだったはず。建物にして九階から十階に相当する幅なのだ。
飛行艇は、木の外板で形作られていた。アゼル材と呼ばれる、この世界では日用品や重量に比して強度が要求される場面で多用される軽量で高強度な木材だ。このアゼル材を曲げたり削ったりしたあと、板の外郭を硬くする処理を入れることで、さらに強度を高めている。
木材特有の加工のしやすさが産む滑らかな形状。防水塗料として全体にニスが塗られ、ワックス掛けした床のような、いやそれ以上に美しい光沢を備えていた。その外観は、もはや工業製品というより、木製の楽器のような美術品の風格。美術館か博物館に展示されていても違和感はなく、どこかの宮廷の調度品と言われても不思議ではなかった。
実際、外板の製作を手がけたのは主に家具職人と楽器職人。それらを組み込んだのは、住宅や橋などを手がける大工であった。飛行艇の外見、直線や流れるような曲線が醸す物言わぬ美の哲学は、設計図では語られなかったもので、間違いなく彼らの職人技から滲み出たものだった。
当初、彼ら職人は飛行艇の内装において、彫刻を備える、風格ある重厚な調度品を作ろうと息巻いていたが、飛行艇が航空機である以上、重量の問題があった。
そこで調度品の提案は取り下げたのだが、引き換えに依頼した機体外板製作の方が、彼らにとっては燃え上がる仕事のようだった。
なんでも、シンプルで基礎的な加工がゆえに、職人の技量で美しさが決まるというのだ。作るのが外板であれば、それは飛行艇を印象づける顔になるのだと、俺達が主役なのだと語っていた。
もっとも、シンプルだから簡単かというと、結構頭を悩ませることも多かったようだ。
この飛行艇を屋外に晒して使えば、ほぼ間違いなく傷がつくわけで、正直もったいないと感じた。
「さて、ここから艇内をご案内いたします。最低限の機能は完成いたしましたが、まだ未完成の設備や調整が済んでいないものもありますので、予めご承知おき願います……」
「おぉー!」
ネルンが振り返って両手を組み、どこか自信なさげに告げると、今まで静かについてきていたクラリが、ついに声を上げた。
ナドは、もっと自信持たんか、お客様が、コウちゃんが不安になるぞ、とネルンを笑い飛ばした。
見上げると、巨大な垂直尾翼がそびえ立っている。垂直尾翼だけで三メートルくらいの高さだ。
図面と模型の実験結果を睨める日々を過ごしていた俺は、このあたりの寸法も、だいたい覚えちまった。
主翼も、念のためと言わんばかりに大事に架台で支えられていたが、こちらは高さ二メートルくらいだろうか。片手を上げれば容易に主翼の下を触れそうな位置にあった。
取り付けられたプロペラの下端が、ちょうど膝上ほどの位置に留まっている。
本来は、主翼端に補助フロート、水上で自転車の補助輪のように機能し、主翼が水面と接触しないようにするための浮き具が据え付けられているはずだが、まだ取り付けられていなかった。
先に取り付けてしまうと、飛行艇を下から支える足場を、嵩上げする必要があるから、後回しにしているのだろう。
「こんなデカブツが空を飛ぶとは信じらんねぇなぁ」
ブロウルも巨大な機体を見て、俺と同じような感想を口にする。
リンを見やる。彼女は無表情のまま、静かに前に両手を組んで立ち尽くしていた。気まずそうにしているのか、本当に何とも思っていないのか分からなかった。ただ、彼女と目が合ったことは間違いなかった。
「コイツが飛ぶんだぜ……たぶんな」
俺はアゴで飛行艇を指してみた。リンの表情がわずかに綻んだように見えた。
「――で、どこから乗り込むんだ?」
陽気に笑っていたナドが、ブロウルの疑問を聞いて「ああ、それなら」と言いかけて、ネルンの顔を見た。
申し訳なさそうに目を逸らすネルンの様子をナドが確認すると、笑顔のまま固まった表情を俺達に向け、まさかと言わんばかりの素早さでネルンを二度見して尋ねる。
「入り口は?」
誤解のないように言っておくが、体制上ネルンはナドより上の職位であり、俺の直属の部下である。
*
「いやぁ大変申し訳ない!」
ドック下へ降りるために、わざわざ大回りしてきた俺を、ナドとネルンが飛行艇のサイドドアから顔を出して交互に頭を下げた。
ドックから飛行艇へ、スライド式のサイドドアから乗り込むための渡し板が撤去されていたのである。
造船所では、飛行艇以外にも他の案件の商船の建造や改修も並行して行われている。どうやら職人が使われていない渡し板だと思って、他の現場のために持ち去ったようだった。
ドックとサイドドアの間は、多少の高低差と三メートルほどの隙間ができたわけだが、それは大した問題ではなかった――俺以外。
みな、有翼人である。この程度の間隙を翼を駆使して飛び越えることは、比較的容易だ――俺以外。
ナドとネルンが一端を機体に結んだロープを投げ下ろし、これを伝って高さ三階相当のサイドドアの入り口まで登ってくるように言った。
これがこの世界のバリアフリーである。
サイドドアの向こう、ネルンとナドの間からグレアが顔を出す。案の定、嫌らしいニヘラ顔。
「あなたの体力じゃ、飛行艇に乗ることも難しいかしら。登り切るだけで良いものを、腕っ節の弱さゆえに叶わず落ちてしまうとは、ああ、哀れ! さようなら。お達者で……!」
「誰が腕力のないカンダタだ!! まだ登ってすらねぇよ!」
大正時代の文豪も想定外の事態とは俺のことであった。
ロープを握りしめ、あるときはぶらさがり、あるときは足場の骨組みや艇体側面を垂直に歩きながら、やっとのことで端まで登り切ると、ブロウルとクラリが息を合わせて慎重に引き上げてくれた。
「あぁ、助かる……」
「本当に申し訳ない」
「とりあえず……ネルンに、安全帯を発注したい……命綱なしで登るのは無理だ……」
息が切れてしまった俺は、サイドドアの縁に手を掛けて座りこんだ。これが国賓待遇ってやつか。
この国、レムノア王国の歴史上、最も雑に扱われた国賓という称号を欲しいがままに――いやいらねぇ。
「アダチ。あんたまだ気付いてないと思うけど」
息の荒い俺にグレアがそう言って近づくと、しゃがみこんでショートの髪を耳の後ろへかき上げた。俺の耳元に顔を近づけて吐息混じりに囁く。
「――帰りもあるのよ?」
「知っとるわ!」
前章のリンの死と復活、弾劾裁判、そしてエリック博士。
しばらくシリアスが続いていたので、いつものギャグが恋しくなっちゃって。
ギャグもないとマジ巻じゃないよね。
グレアは、まだ主人公のことを許せる気持ちじゃないみたいですね。