第1話-1 計算式の彼女 祟り
俺の周りで怪事件がいくつも起きている。
宇宙人(幽霊?)にストーカー付きで、
次から次へと飛び込んでくる人の尻拭い――もとい雑用。これ俺じゃなくていいじゃん。
ただでさえHardだというのに、俺だけ人生Extremeモードに勝手にシフト。
俺が腹に力を入れているのは、別に怒りを抑えるためじゃない。
理不尽の耐G試験から生き延びるためなんだ。
誰か……俺と代わってくれ。
替え玉募集中。時給、0円。やりがい、なし。
---
推定読了時間:約4時間48分(288分)
(500文字/分、500文字以下切り上げ)
海水の生臭さで満ちたこの場所に、突然雷が落ちたような爆音が響き、直後海面に小さな水柱が上がる。
某県、加治市港区。夜間海上。沿岸から百メートルほどの沖。
つい先ほどまで夕暮れの美景を演じていた海と空の境界は、いまや闇に溶け、命を吸い込む深黒の空間が広がっていた。
水柱の立った海面に細かい空気の泡が湧き上がり、黒い海面に白く長い髪をした若い女性――大学生だろうか、瞳を閉じ、着衣のまま海面に仰向けに浮かび上がる。赤い角メガネをつけた彼女の顔が海面から浮かぶ。
「…………。」
彼女はそっと瞼を開ける。紅い瞳。
見上げる夜空に浮かぶのは、大気に揺らぐまばらな一等星と、静止衛星の反射光。低軌道を周回する衛星の閃光がゆっくり空を横切る。
彼女は宇宙を眺めながら、無表情のまま離岸流に乗って徐々に沖へ流されていた。
彼女は少し首を傾けて、沖に目を配る。メガネの隅が海水に浸かる。
吸い込まれるような暗い海と空。目を慣らして観察すれば、都市の光害で少しだけ空が明るく、微かに黒い水平線が見えるが、景色はメガネのレンズについた海水で歪む。後方、陸地からの光が、レンズについた水滴の角で反射する。
彼女の視線が、沖から陸地へ移る。
付近に自然の砂浜を残した海岸はなく、あるのは土砂で埋め立てられ、直線的に整形されたコンクリート海岸ばかりである。
そこに立ち並ぶ工場群やコンビナートは、橙色のナトリウム灯と、白色の水銀灯、青みがかったLED灯で彩られ、見れば魅了されるであろう工場夜景を作りだしていた。
黒い海面にライトアップされた工場のシルエットが反射しゆらめき、空には紅白に塗られた高煙突や低層の煙突から水蒸気と処理済みの排ガスが流れる。
その奥には高層ビル群が身を寄せ合うように建ち並び、ゆっくり呼吸するかのように赤い航空障害灯を明滅させ、その繁栄を謳歌している。
彼女は両手を顔の前に持ってくると、手の平と手の甲を交互に眺める。手からメガネに海水が滴る。彼女は、手を握ったり開いたり、指を一本ずつ曲げたり伸ばしたりしていた。
そうこうしている間にも、彼女は沖へゆっくり回転しながら流されていく。
「…………。」
あれだけ大きな音と水柱が上がっても、この都市は一切の反応を返さない。
いまここで聞こえるのは、遠く陸地を駆けるバイクの騒音、工場からときおり響く金属を叩くような小さな音と、機械の駆動音、排気音。それから彼女を洗う静かな波の音だけだった。
*
「え。コウ、マジで?」
電話越しのジョーが言う。
夕食を食い終えた俺は暇になり、携帯片手に俺のクラスメイト――友人である牧田と電話している。牧田のあだ名は、なんでも牧場のジョーからあだ名がついたらしい。「牧」の一文字しかあってねえのに、妙なあだ名をつけられたもんだと思うが、当の本人にとってはどうでも良いことらしかった。
「薄毛がよっぽど気になってたんだろうな。最近じゃ植毛とかパウダーとか巧妙に隠す手段はいろいろあんのに、早まってヅラを買っちまったらしい」
コウというのは俺のあだ名だ。足立光秀。光秀の光からコウ。良条高校の二年生。色々訳あって通称トンチ高校とか、略してトン高とも呼ばれる若干クセのある……特色のある学校である。
「まあ、思い返してみりゃ、生え際があんなに不自然だったのは頷ける――いや待て。パウダーじゃ手に負えないからズラってことか」
「やめやめ」
話の内容は生徒の間で度々漂った噂話――まあ俺達の見知った体育教師のハゲ疑惑についてだった。
帰ろうとしていた俺が教室に忘れ物に気づいて取りに戻ったところ、校舎のトイレから渦中の人物が現れたのだ。
「確かにハゲ疑惑は前からあったけどさ」
「あ、ヅラは内緒な? 偶然にも職員用トイレからヅラをセットしながら出てきたヤツを見ただけで、本人は隠せてると思ってる。いやぁ、油断大敵だぜ」
「ヅラするぐらいなら、いっそ初めから素を晒しときゃいいのに。格好いいハゲだっているんだ。コウ。ハゲもファッションだよ」
ジョーが先生を擁護するように言う。
暴走したテストステロンが頭皮にもたらす恐怖は、世の男性の宿命である。遺伝子に仕組まれた爆弾がいつ炸裂するか分からないのだ。
……確かに、洋画に出てくるようなイカツい主人公はハゲが多いし、頭皮に哀しみが漂うこともない。ジョーの理論にも一理あるかもしれん。
ファッション、ねぇ……俺は仮定の話を始める。
「じゃあ、体育の授業終わるとき、俺も先生も一礼するじゃん」
「うん」
「被り物脱げって言われるから、俺ら帽子脱ぐじゃん」
「うん」
「先生も、帽子と一緒にヅラを脱ぐ必要があるな?」
携帯電話からジョーの噴き出す声が聞こえる。
「露わになる輝く頭皮、風にふわりと舞い上がるタンポポの綿毛のように細い髪――」
「ちょっ――おいバカ……やめろって」
「『礼!』で頭部の哀しみを見せつけるように頭を下げて――」
「コウやめろって、想像させんなって!」
「なるほど、道理であの先生の『礼』は頭が高いわけだ」
深々とやるとズラが落ちるからな。
互いに一通り笑ったあと、ジョーが尋ねる。
「先生のハゲは笑えるのに、洋画のハゲはそうでもないよな。なんでだ?」
「知らねえよ、んなもん。堂々と構えてるかどうかだろ」
「まあコウ……散々言ったけど、じゃあお前が将来ハゲたら?」
「潔くヅラを買うね」
「早まんなよ!」
ジョーのツッコミでひと満足する。俺は小心者だからな。
堂々と構える勇気がありゃ、体育の授業でパンイチにだってなれるだろうよ。
「いうかさ、話戻るけどなんであの先生、ヅラ持ってトイレに?」
「さあ? まだ六月だというのにこの暑さだ。蒸れるかなんかで換気したかったんじゃねえの……あれ?」
だとすれば換気扇付きのヅラはビジネスになりそうだと思った瞬間、突然通話が途切れ、通信が切断されたことを示す単調な音が耳に響いた。
「切れやがった」
不満を漏らしながら携帯の画面を見やるとそこには、隅に圏外マークが表示されていた。
……圏外?
俺の部屋は基地局に近く、いつもバリバリのバリ3、最高の通信環境が整っているはずだ。
ちなみに、田舎の実家から1000kmというふざけた場所で俺は独り暮らしをしている。
今の家は、高校生活を送るために親が用意してくれた、家具つき賃貸マンションの一室ってわけだ。閑静な住宅街の中にあって立地も結構いいし、なかなか良い家だ。
そんな好条件の賃貸は高いはずなんだが、俺の家はあまり裕福ではない。俺の感覚的には六畳一間の安い物件あたりが実家の財力の限界だと思っている。
ならばなぜこんな上等物件に入居できたのか、俺にはわからん。
親はカネは工面すると言っていたし、そこら辺は田舎の山奥で金の湧き出る泉とか、徳川の埋蔵金でも見つけたんだろうとでも思って過ごしてる。
「家賃は出世払いじゃ――!!」なんて声が聞こえた気がするが……気にしない。
補足事項をもう一つ付け加えておくなら、家の整頓状態は……ハッキリ言ってよろしくない。部屋のいたるところにチラシやら宣伝のビラが落ちてるわ、コンビニとかスーパーの袋はその場でゴミ袋になってるわ、挙句には空き缶やらペットボトルやらが転がっているわ、そりゃあもうとんでもない有様だ。
結局、必要とされることにはそれなりに動くが、自分の裁量でどうにでもできることは後回し。堕落の成れの果てがこれなのだ。
さて、いきなり切れちまったがどうしようか? 時計は午後九時。
ジョーとは長話してたし、通話も一回切れちまったから、もうこれを皮切りに通話は終了としても良いだろう。だが、ぶつ切りで通話を終わらすのは何となく気持ち悪い。そこでお開きの連絡をすべく、ジョーの携帯にダイヤルする。
「ん、」
……繋がらん。
まあ、圏外って出てるし、当たり前か。圏外になった原因はよく分からんが、何らかの通信障害が起きていることは事実だ。歯切れの悪い終わり方になってしまったが仕方ない。俺は携帯を閉じ、それをベッドの上に放り投げた。
ま、テレビでも見るかな。
俺はリビングに入り、一人用のソファに陣取って、リモコンの電源ボタンをポチ。テレビはイマドキの地デジ対応の液晶テレビで、画面に映るのはどこにでもあるようなバラエティー番組。一ヶ月後に迫ったアナログ放送終了にもきっちり対応済みだ。
だが途中でまるで電波の悪いところでワンセグを見ているように、ところどころ画面に四角いノイズが映るようになった。
「…………。」
映像は次第に飛び飛び、音声も途切れ途切れにになり、次第にそれは酷くなっていく。画面に汚らしい大量のノイズを残してフリーズしたかと思うとついには黒画面、何も映らなくなっちまった。
「――今日は厄日か?」
俺は立ち上がり、古代より受け継がれてきた電化製品、特に映らないテレビの(間違った)処置方法――とにかく叩く、を実践してみるが、一向に良くなる気配はない。
まさかテレビが天に召されたのか?
ここでホラー映画みたくテレビに突然心霊スプラッタ映像が流れるとか、そういうのはない、よな? あったらショック死してる。
「ったく、とんだ不幸だな……」
このテレビはもともと部屋を借りたときから置いてあったもので、高校入学から現在までの約一年と二ヶ月もの間、俺と生活を共にしてきた。
もし故障なら、備え付けである以上どっかに連絡を入れにゃならん。めんどくせぇ。
しかもあと三週間ほどするともう夏休み、怠惰の夏休み生活に必須のテレビの故障は、俺にとっては死活問題だ。
「参ったな……」
俺が頭をポリポリと掻きながらそう呟くと同時に、視界が真っ暗になる。何が起きたのか一瞬理解できなかった俺だが、すぐにこれは停電だと気づいた。
「おいおい……どんな祟りだよ」
祟りじゃ祟りじゃー!! と、声を大にして叫びたくなるほどの踏んだり蹴ったり。これはもうどうみても祟りの領域だろ。
もし神様とやらがいるのならば、その神様はかなり非常識で、理不尽なことを好むらしい。
……分かった。こいつぁハゲの祟りだな?
俺の人生がどんな終わり方をするのかは知らんが、頭髪ネタを少し語ったくらいでここまでとは、度量の小さいヤツだ。
手探りで自室のベッドの上に置かれた俺の携帯を探し当て、ライト機能で暗闇の部屋を照らす。なんにせよ、停電の原因がブレーカーなら元に戻せば済む話だ。暗くなった足元に注意を払いながら玄関の配電盤まで行き、ふたを開けて確認してみる。ブレーカーは落ちていなかった。
「どうにもなんねぇな……」
絶妙な絶望を感じつつ、玄関のドアを開けて外の様子を伺ってみる。漆黒の街並みのシルエットにポツポツと浮かぶ照明。非常用電源の明かりだろうか。
廊下に出て、欄干に両肘を乗せて夜空を見上げる。いつもより星空が綺麗な気がした。
街並みの間をすり抜けるようにして、いつもよりのっそりと動く白いヘッドライトと赤いテールライトの数々。街の信号も消えている。
仮に俺のハゲネタの祟りでこの街の皆様に多大なるご迷惑をおかけしたのなら、謹んでお詫び申し上げたい。しかし連帯責任にしてもやりすぎである。
んー、落雷か?
この純粋な夜空を見るとそうではなさそうだ。遠雷も聞こえなかった。とにかく原因が何であろうが、電力会社の方で復旧してもらうのを待つしかない。大人しく待ってるほかはない。
ドアを閉めて部屋に戻り、やることがなくなった俺は、自分の部屋へと歩いていく。
「いっ――――!」
暗闇の中で俺の足の小指に家具がクリーンヒット。思わず携帯を落っことしちまった。片足で何度か跳ね回る。
「痛ってぇ……」
なかなかの激痛である。思わずハフハフ言いながら小指に息を吹きかけるが、気休めにもならない。
いや、マジで……今日は厄日だ。もしや、あの先公の頭皮にゃ人を呪う呪文でも書いてあるのかよ。理不尽過ぎるだろ。ヅラの祟りを憎みつつ、落とした携帯を手探りで探し当て、立ち上がった。
結局、しばらく待ってみたものの停電が復旧することはなく、しかも蛇口を捻っても水が出てこない。俺が住んでるのがマンションだからかもしれん。定期的にマンションの電気室を業者が点検するのだが、その時は電気も水も使えなくなる。確か給水ポンプかなんかが電気で動くからとかそんな理由だった気がする。勉強するにしても暗くちゃやってらんねえし、家事も電気と水がない今、できることはほとんどない。
俺は痛んだ足を抱えながら、いつもよりも数時間も早くベッドに飛び込んで寝る羽目になった。
翌朝。
そういうわけで、いつもの倍ぐらいの睡眠時間をとったところ、身体はそんな大量の睡眠を一度に受け付けるだけの余裕がなかったらしく、「ごっつあんです」と、いつもよりも多めの睡眠時間をとっただけで、持て余した時間は起床時間の繰上げに使う選択をしたらしい。結果、普段遅刻寸前まで布団をかぶって一体化している俺にしては珍しく、午前6時に起床。携帯を開いてみる。電波を示すアイコンは通信環境は良好、回復したらしい。
早朝にしてはやけに明るい。そう思って天井を見上げると部屋の電灯がつけっぱなしになっている。……ああ、これも俺が寝ている間に復旧したのか。
ベッドを降りると真っ先にシャワーを浴びた。普段は朝シャンはしないが、昨夜は風呂にも入れずに寝ちまったし、何より寝汗を洗い流したかったからな。
タオルで髪に残った水分を拭き取りながらリビングに戻って、テレビの電源を入れてみる。おお、ちゃんと映ってる。
テレビにはいつもの通り、朝のニュース番組が流れていた。バラエティーな香りのスタジオで、アナウンサーがニュースを読み上げている。
"では、次のニュースです。昨夜午後九時過ぎ頃、某県加治市港区の加治第三火力発電所でトラブルがあり、一時同市全域を含む60万世帯以上で大規模な停電が発生しました。このトラブルについて電力会社は、『詳しい原因は調査中だが、中央制御室のシステムになんらかの異常が発生した可能性が高い』との見解を示しており、『今後このようなトラブルが起きないよう、早期に原因究明を行い、最善を尽くす』とのコメントを発表しています――"
昨夜の停電はこれが原因だったのか。まあ、たまにはこういうことがあっても仕方ない。
俺はテレビを凝視しながら、タオルをソファーの背もたれにかけ、トースターにパンを突っ込む。俺はどっちかというとパン派である。朝食に昨日炊いた白米の残りを食う、なんてことも結構あるので、どっちつかずの宙ぶらりん状態だが。テレビのアナウンサーは、さらにニュースを続ける。
"――また、同市を含む周辺地域では当時、電子機器の誤動作やテレビ・ラジオ等の受信障害を起こすほどの非常に強力な電磁波を広帯域に渡って観測しており、管轄の総合通信局では、捜査機関との協力のもと、電波法違反の摘発を視野に、発信者の特定を急いでいます"
昨日の俺の生活からテレビを奪った犯人、早く見つけてほしいもんだ。しかしまあ、ニュースになるほど大規模だったってことは、あれか? 昨夜の祟りはこの周辺の住民はみな体験していたっつうことだよな? 迷惑な話だ。
今日の学校でこの話題が出てくる確率、多分100%。いつもよりも長い朝を満喫した俺は、制服に着替え、いつもの時間に学校へと向かった。
――この時すでに、俺の日常が非日常に変わるカウントダウンが着実に刻み始めていることを、俺はまだ知らなかった。
前に、友人との通話で弁財天さんのことを「銭洗い拭い太郎」って言ったら、突然PCの電源をバツンと落されました。
良い子のみんなは、失礼なことは言わないようにしようね。