第6話-38 ブラウンアウト 3 White puff DIVe into the 群青 (前)
俺は魔導モーターの出力を一気に1.0まで押し上げた。
重低音と振動を響かせていたプロペラが徐々に音程を上げ、咆哮を響かせ空気を切り裂く。
毎分350回転付近を指していたプロペラの回転計の針が連動して、一気に駆け上がる。1400の目盛りに届かず頭打ちする。
大質量の機体は重々しく、ゆっくり加速していく。
前回試験の市街地では、クル川の直線区間を使った――人工的に整形された区間だった。
ここは違う。郊外のこの試験場は自然のまま、巨大な半径の緩やかな右曲がりになっている。
飛ぶときは、空を見て。頭を少し持ち上げるように。
前回の試験でリンはそんなことを言ったと思う。川の中で可能な限り直線が取れるラインに機体を合わせ続ける。
確かにそうだよな。主翼の下面に空気を当てないと、揚力は発生しない。主翼の上に当てても機体を押し下げるだけだ。
「うおお! 頑張れボス! やっちまえ!」
緊張で息ができない。前回の重すぎる操縦桿の記憶が脳裏を駆ける。心臓がハンマーで叩かれたかのように激しく鼓動する。
徐々に速度が乗ってきた機体。水流の関係か、機体が小さく跳ねる。機首が下がりそうになるのを、操縦桿を引いて抑える。
コックピットの窓越しの前方の視界。川の水面と青空。両岸の土手に、組み上げた三つの仮設通信台のうち二つが見える。残り一つはさっき通過した。
関係者以外人払いされた空間で、工業ギルドのメンバー、防衛軍が土手脇に立ち、手で庇を作りながらこちらを見ている。一人一人の表情が見えそうなほど鮮明に見える。
前方、左手側から薄黄色の砂煙が上がって空中を漂っているのが見える。
人々の背後でなにかが走っている――伴走車、わだちだ。ガルとリンだ。
TANONを生むための実証実験として生まれた、試験用魔導モーターをひとつ積んだわだち。
生まれた飛行艇は、それ一つでわだちの重量に匹敵するほどの巨大な魔導モーターを四つ。その暴力的なパワーで、砂煙を巻き上げるわだちを追い抜いて、後方へ置き去りにしていく。
「まだだ、まだ飛ばせ……」
空を目指して水上で加速を続ける機体。
いつ機首を引けばよかったか。前回はもう少し早かったか? それとも遅かった? ――分からん。操縦桿が重いことに必死で覚えてられなかった。気づいたら浮いていた。
一瞬、対気速度計に視線をやる。0.0しか書かれていない盤面。剥き出しの針がゼロ点を離れ、空白を指している。盤面のすぐ下で、離水時の速度を記録しようと羽根ペンを持ったまま計器板に触れるグレアの手。ダメだ、参考にできない。
確か、前回の遠隔測定では毎秒200シュ弱だった。ええと、時速なら110か120キロかその辺だったよな。
水面から少し高い位置にあるコックピットの流れる景色は遅い。俺の錯覚なのか、視点が高いからなのか。120ってどれくらいだ?
前と同じ飛び方をするなら、前回より操縦桿を倍動かさないといけない。俺の全力と釣り合ったときの操縦桿の移動量も覚えてねぇ。
空力とレスリングやってたんだ、覚えられるわけがねぇ。
「まだ……足りるか……!?
ゴオオと唸る音はプロペラの四重奏か、水流の音か。
水面を跳ねようとする飛行艇。飛ぼうとしているのか、水から弾き出されようとしているのか。
TANON、下を見るな。お前は空を見ろ。握る操縦桿にさらに力が入る。
そうだ、当たり前だ。俺達が世界初だ。
誰も正解を教えちゃくれない。正解は自らの手で掴み取れ。ここが正解だと旗を突き立てろ。
「なるぅがんばれー!」
脇目でプロペラの回転計を見る。
四つのうちの手近にあった一つの針は、標準の毎分1450回転のラインを突き破り、毎分1500回転を越えてさらに伸びようとしている。プロペラの角度を再調整して維持する目安の回転数なだけだ。
俺の両手は操縦桿に、両足はラダーペダルにある。水上滑走の最中にプロペラの角度の再調節まで手は回せない。
隣のグレアの顔を見る余裕はないが、速度の記録に集中しているはずだ。プロペラピッチは20度のまま引っ張るしかない。
「い、っけえぇ……頼む!」
ならば、今。
止まっていた息を吐き捨てて、操縦桿を大きく引く。しぼんだ風船に指を突いたときのような弾力のある抵抗が操縦桿から伝わる。
コックピットの川面の水位が下がる。
――川が徐々に視界から沈んでいく。
「飛んだ! 飛んだよ!!」
「おっほぉ、すっげぇ!」
クラリに続くブロウル達の絶叫。
計器板で待機していたグレアの羽根ペンが、速度計の針の位置で素早く線を引く。二つある対気速度計の遠い方に身軽に手を伸ばして、もう片方にも。
対気速度計は、グレアのつけた印の位置で留まっている。
引いていた操縦桿の力を少し抜き、上昇角を抑えて俺は初めてそこで気づく。俺は夢中で気づかなかった。
まだ少し力が要るが、それでも自分の力で操縦桿が動かせていること。ヘーゲルに依頼した倍力装置が、ちゃんと機能していることを。
「うへへへ……飛んだ、飛んじまったなぁ……グレア見ろよ、動くんだよ! 操縦桿が。反応するんだよ、TANONが――」
徐々に高くなるコックピットの景色。高度をとるにつれてクル川が細くなっていく。目に映るすべての景色が縮小して荒野と砂漠の全景がガラス越しに見える。
グレアはニヤつく俺の顔を、副操縦席に座ったまま無言のジト目で眺めていた。
「規格外だわ……あんた」
彼女が振り返って窓の景色を見て、再び振り向き直す。
「この速さで、もうこんな高度まで……アダチ、やっぱあんた化け物よ」
「うへへへ……俺じゃねぇよ、全員で協力して飛んだんだよ! グレアも手伝ってくれただろ」
どうだったかしらね。
グレアが白々しく言いながら羽根ペンを窓脇の収納ポケットに放り込んだ。
そのまま彼女は、おぼつかない手つきでシートベルトを装着していく。
「あれお前いつの間に外した?」
「印つけるとき邪魔で届かなかったから」
「あぁそう」
それからしばしの間、高度をとるため真っ直ぐ上昇を続けた。
操縦桿をぐいと動かそうとすると一瞬固いが、すぐその方向に補助が入ってスッと操縦桿が倒れる。操縦桿を倒し続けていると、倍力装置の補助力が、波のようにゆらゆらと変化するのは独特の感覚だ。
操縦桿の入力を大きくすればするほど、操縦桿に大きな力をかけないといけないが、かえって極端な舵角を制限できて都合がいい。
人が砂粒になるくらいまで遠くなった地上。群青色の空に飛び込んでいく飛行艇。
機体の操縦に問題がないか、自分で操縦できる感覚はどんな物かを掴もうと、夢中になって試す時間はあっという間のことだった。
機体を水平に戻し、展開していたフラップを15度、10度とゆっくりと格納していく。気圧計の値は0.93、異界人用の目盛りを読むと、高度800メートル付近を指している。
手を操縦桿から離すと、操縦桿が文字通りゆらゆらと揺れる。倍力装置の特性か、機体の特性かは判断がつかない。だが手で操縦桿を握っているだけで押さえ込める範疇の話で、さしたる問題ではないように思える。
フラップ格納が終わり、ふと気づくとプロペラの回転速度計が、毎分1600回転付近を指していた。さすがにちょっと下げるか。
対気速度計の針は……グレアの目印を1.0とするなら1.5に届かないくらいを指していた。つまり離昇に必要な速度の1.5倍弱くらい出ている――時速160から180キロくらいだ。
回転速度計の針を見ながら、スロットルを下げていく。同時にトロンボーンの低音のような風切り音を響かせるプロペラがより低く、小さく変わる。毎分1400回転弱まで下がったところで絞るのをやめると、スロットルは0.7くらいになった。
グーッと操縦桿を回し、機体を右に傾けて旋回を試す。遠く背後にあった試験場がコックピット脇の窓、右手側に見える。試験場の通信台からの明滅信号も、遠く第一観測要塞の建物からも、こちらに光の明滅で信号を送っていた。
「ボス、地上からお手紙だぜ」
「『空へようこそ。機体は制御できるか?』だって!」
「完璧だと返信してくれ! 空から見るこの世界は、絶景の一言に尽きる、感動で泣きそうとな!」
コックピットの脇からブロウルとクラリが縦に並んで顔を出す。
飛んでいるんだという実感がじわじわ身に沁みて、正直涙が出そうになる。
「嬉しくて涙が出そうだよ俺は」
「泣くのは終わってからにしてくれる? 涙で前が見えねぇとか言われたら、たまったもんじゃないわ。まだ誰も交代できないんだから」
「善処するぜ……」
飛行艇計画を思いついた瞬間から、ずっと俺がコックピットに座って操縦する様子をイメージしてきたのだ。
まあ計画初期こそ誰かに操縦してもらって、俺は客席で悠々と窓から景色を眺めるイメージも多少持ってたが、そんな細かいことはどうでもいい。
この世界で空を飛び、その景色を窓越しに眺める要求を見事に達成したと。この飛行艇で神都ラグルスツールまで旅をする、その計画が現実に成果を結んで大きく前進したと。
ハッキリ言えば、無茶だと自嘲する気持ちは内心常にあった。
電気も動力もなく、主機関の魔導モーターから、俺自身が発明しなければいけないほど何もなかった。お金も知見も材料も、マジで何もないところからのスタートだった。
そこから工業ギルドとヘーゲルと、領主ベルゲンと……何百人もの人々に協力してもらって、寝不足になるほど頑張って、職人に怒られ、驚かされ、共に悩んで、ようやっとここまでたどり着いたのだ。
「空へようこそ」と歓待されて、心動かされないヤツなんかいるかよ!!
いや、分からねぇかもしれねぇ。これがもしテレビのドキュメンタリー番組なら、俺はすまし顔でその映像を眺めて茶を飲んでいるだけかもしれねぇ。
この、飛び上がってウィニングランよろしく駆け回りたい衝動を感じるこの気持ちは、もう体験するまで誰も分からないかもしれねぇ。
だがこれだけはハッキリ言える。体験したら98パーセントの確率で、泣けると。
「なぁグレア……コレどうやって降りるん?」
「しいぃ……知るか!! あんたの飛行艇でしょ!!」
「フハハハ、冗談に決まってんだろ、降り方ぐらい知ってるぜ! 実際できるかどうかは別だがな!!」
「私もう脱出しようかすごく迷ってる」
コウ君おめでとう!! やっと飛べたね!!
???「ちょっといいですか?」
私「ん、はい」
~別室連行~
Q:飛行機作る!!から実際に飛ばすまで何日かかった?
A:14年1ヶ月と7日です……ハイ……ハイ、スミマセン(2012/7/20公開分より起算)
もう令和やないかい!!
実機でも開発してたのかな? 型式証明、取りました?(取ってない)
他の作品なら3話後には飛んでそう。
数値が結構多いので、迷った挙げ句一部アラビア数字を使う選択をしています。
漢数字とアラビア数字の混在はあんま良くないと思うんですけど、媒体や便宜などを総合的に考慮した形です。
あちらが立てばこちらが立たず。




