第6話-37 ブラウンアウト 2 一号大閘門
飛行艇に乗り込んで、コックピットの背もたれにリンからもらった外套を掛けた。
汗が滲むような気温で、上着を着たままでいるわけにもいかない。
外套をかけて機体後方、居住空間を振り返る。
機内の熱気はクル川の風に押し流され、あらかた取り除かれている。試験中は、皆コックピットのすぐ後ろ、サイドドア付近に集まるはずだ。換気用に開けていた上部観測口は誰も使わないだろう。閉じておくことにした。
蓋を閉じて梯子から下りると、サイドドアから今日の試験に同乗する三人、グレア、クラリ、ブロウルが乗り込む様子が見えた。
クラリは、前回と同じく信号灯を使って通信台と光通信をする担当。グレアも同様、副操縦席に座って計測とか俺の補助をする担当。
新しく飛行艇に乗るブロウルは賑やかしを担当。つまりただの観覧客である。
「アダチ、コレいる?」
俺の操縦席の背に掛けた上着を見たグレアが声を掛けた。
「今日の試験には使わないと思うが。要らんって言うわけにもいかねぇと思って」
「そう。私要らないって言っちゃったわ」
クラリとブロウルが顔を見合わせる。二人も外套を持っていなかった。みんな持ち込むのは断って、受け取ったのは俺だけか。
渡し板外すぞ、と桟橋側のドアからガルの声がして、物音が響いた。
「そのへんに置いときゃ良かったのに。要らないって言われたら、リンがヘコむぞ。安くない買い物なんだからさ」
俺は背後の居住空間を親指で指した。
未完成の居住空間には、疑似貨物の砂袋が置かれている。砂袋の上に上着を置く程度、なんということもない。
「俺とクラリは、リンに『ありがたいけど、試験じゃ使わないと思うから、いったん持ってて』って言ったぜ?」
「それを俺に言って何になるんだよ」
まあ、二人の言い分も分かるが。
珍しく遅刻してまで持ってきた背景までは考えなかったらしい。俺が気を遣いすぎなのか?
「――じゃあ、クラリは前と同じように離岸の案内を頼む」
コックピットに座って、座席脇のポケットから今回の試験計画を取りだす。ええと、まあほぼ暗記しちゃったんだが――
まず魔導モーターのスロットルが四発ともゼロになっていることを確認。それから、前回より俺の魔力が強くなっている分の補正。一次減衰装置の減衰強度を高めに変更。で、プロペラピッチを10度に設定。
魔力供給用の腕輪をつけて、プラグイン。
「グレア。気圧高度計の較正を頼む。針が1.0超えてるのを、1.0に合わせてほしい」
「気圧高度計……これ?」
「そう。その右下の小さいポッチ回したら調整できる。二個あるから両方とも頼む」
副操縦席に足を入れて横から座る彼女に早速作業を頼む。
あとは、倍力装置の操舵補助強度の設定は……具合が分からんから、とりあえずヘーゲル推奨のままで。
「ああ、あと対気速度計も0.0になってなかったら、それも調節して」
「調整要らないわ」
「うい」
主翼のモーターの冷却水残量は満タンの1.0。水温、摂氏31度。水冷回路の圧力は1.01。
ほぼ大気と同じだが、わずかに水冷回路の方が高い。十分、設計の範囲内だが。
「ああそうだ、グレア。今回から座席の新装備を使ってくれ」
「新装備?」
「シートベルト」
「しー……なんて?」
グレアが眉を八の字に寄せて、細い目で俺を見る。
概念実証の試作車わだちがシートベルト非装備の車両だったので、グレアはシートベルトを見聞きしたことがない。
ましてや、当初わだちと同じノリで飛行艇の座席も取り付けちまったがために、シートベルトはお初にお目にかかる、というわけだ。
実際は、彼女もシートベルト追加の話は俺の脇で聞いてたはずなんだが、マトモに聞いておらずこの表情である。
飛行艇の時速100キロを優に超える運動エネルギー。何かしらで衝撃を受けたとき、黄色と黒の丸いシールがトレードマークの衝突試験用ダミー人形の代わりに、人間が本番を担当してコックピットの窓を突き破る実験をすることになると気づいての改修である。
空中で横倒しになったり、上下反転したときに着座できない対策もこれでOK。
むしろ前回これ無しで試験したと思うと度胸あるよな、俺。
「え、これどう使うの?」
「この、平たい綿の縄、綿バンドを両肩から垂らしてだな、長さを調節して……いいや、俺がつけてやる」
「…………。」
「太もものあたりの綿バンドの先に金具ついてるから、これをこう差し込む……カチッと鳴ったろ?」
「なんか、拷問用の拘束具みたいな……」
「言うなそんなこと。これ命綱なんだから」
進行形で、俺がメイドの女の子を綿バンドで座席に縛りつけてるのは間違いないが、そういう言い方は大変良くない。
説明しながらやってるが、俺もだいぶ気を遣ってんだからな。お前の胸部をどうやって綿ベルトで処理するかとかさ。
「慣れろ。たとえ天地がひっくり返ろうと椅子に座ってないとマズい。外すときはここを押せば簡単に外れるから――な?」
「……ありがと」
グレアのセットアップ完了である。
自分自身もシートベルトを装着しつつ、問いかける。
「クラリ、忘れ物ないよな? 信号灯持ってるか?」
「あるー!」
「よし、じゃあガルに係留索外してもらってくれ。離岸するぞ」
クラリのよく通る甲高い声が、縄外してってー! と叫ぶ。
桟橋に繋ぎ止めていたロープがスルスルと解けて、機体が左右に揺れるように傾き、川の流れに少しずつ流れ始める。
「終わったよ!」
クラリの一言で、俺はスロットルを上げて四発のモーターに魔力を流し込む。静かにうねるような縦の振動が主翼を介して伝わる。
振動と低音の境界線上で唸るTANON。モーターの微妙な回転数の違いがビリリ、ビリリと周期的な振動を艇体に響かせる。
飛行艇の主翼の両端にぶら下がる、小型ボートの形状をしたフロート――自転車の補助輪みたいなヤツを桟橋にぶつけて壊さないよう、主翼外側のモーターの出力を調節しながら離岸する。
やはり、機体の重量と水上での慣性を考慮して操作しないといけない分、この作業はかなり時間と神経を使う。
ドリフトしてるクルマとか、ホバークラフトもこんな感じかもしれないと思える難易度である。
「いってきやーす!!」
ブロウルが開放されたサイドドアから叫ぶのを聞いて、コックピットの脇の窓を見る。
離れていく桟橋の先に、仁王立ちのガルと、編みカゴを両手に提げて立つリンの姿が見えた。距離が遠く、表情は読めなかった。
クル川中央に機体を陣取って、流れに乗って下流に進む。
四基のモーターの推力で、飛行艇TANONは、川の流れの上を小走りに移動する程度で走る。直径3.1メートルの四翅プロペラが低速で風を切る重低音は、猛獣の唸り声のようだ。
後方のサイドドアから、TANONの川波の泡沫のはじけるような音が聞こえる。
このまま、川に沿って試験場に設定した水域に向かう。
「グレア。前回取れなかった離水時の速度記録、頼むぜ」
「私がここに座っている理由くらい、覚えてるわ」
対気速度計には、まだガラスカバーを取り付けていない。針が剥き出しで、触ろうと思えば容易に触れられる状態である。
計器の盤面に0.0だけが刻まれたままだ。1.0は、この機体の離陸速度で決まる。前回の離水試験では、不要に気づかず中断したせいで記録できていなかった。今日の試験であらためて取り直す。
「ボス、いったん街外れまで出るんだっけ?」
操縦席の背もたれの外套の上に両手を乗せて、ブロウルが後ろから話しかけてきた。
俺はそうだと答えた。前回はそのまま造船所を出てすぐの場所の水域で試験をしたが、市街地に囲まれた場所では何かあったときに危ないからと、街外れに試験水域を設定したのだ。
この前リンに指摘されたやつである。
「橋全部落ちてて、よかったな」
「まあそうだけどさ」
自転車みたいな速度で川の上を走るTANON。試験場まではしばらく時間がかかるので、その合間にひとつ。
ナクル市街地を流れるクル川には、橋が架かっていない――橋が架かっていたが、すべて落とされた、というのが正確である。
先の戦争でここが戦場になったとき、敵軍に重量のある補給物資を川の対岸に運ばせないために、すべて落としてそのままなのだそうだ。
橋の再建に手間取っている間に、橋がない状態での経済ができてしまったらしい。渡し船で生計を立てているとか。
いま、コックピットから見える、クル川を挟むナクルの街並みの中に、川の両端にガレキのような薄黄色の物体が水面から顔を出している場所が見える。
昔、石橋を構成していた残骸である。カドが取れてだいぶ風化してきているが、ナクルにはこうした遺構がまだ数多く残っているのだ。
石橋があるということは、その両端にはそれなりの規模の道があるわけで。渡し船の需要の高い場所でもある。
いま飛行艇で通り過ぎようとしている橋梁跡は、石橋の残骸を船着き場の建材に再利用しているように見えた。
なんでそんなことを知ったかといえば、前回の離水試験で工業ギルドでどこから離水するか検討するときに、メンバーの一人が橋がないからな、とこぼした流れだ。
なんでもキール造船所を建てるときの立地で一悶着あったらしい。仮に橋が架かれば、造船所が扱える船の大きさは、自動的に橋脚の間隔と橋桁の高さに制約されてしまう。船主としては一度に大量輸送できた方が都合が良いから、大型船を求める。
工業ギルドとしてはクル川に架橋しないことを政務院と約束させたのなんのと色々あったらしい。
「クラリ。試験水域の到着前に、通信台との交信は終わらせてくれ。入ったらそのまま滑走する」
「はーい」
「え、前回みたいに止まらねぇんだ?」
「ああ。前は川上に向かって離水したからな。飛行艇の前進と川の流速が釣り合って止められたが、今回は川下でそうはいかない」
川下に向かっている機体を流れに逆らって静止させるということは、後退が必要だ。
プロペラピッチをリバース側に切り替えたり、操作特性が変わったりで大変なのだ。
紙飛行機でもそうだが、後ろ向きに投げても、落下しながらどっかでクルッと反転して前向きに飛んでいく。それと同じように、川下でのバック待機も、前進待機より反転しやすいのだ。
モーターの出力の調整しながら、川の屈曲部分での流速差をやり過ごしたりするうちに、飛行艇の操縦感覚を少し思い出してきた。
飛ぶ方は一瞬すぎて、感覚を覚えるほどに至っていないが。
コックピットの前景から見る清々しいまでの快晴。本当に雲一つない空である。
「なるぅ、問題ないかーって聞かれてる!」
「順調って答えといてくれ」
背後でバシャンと水音がした。クラリかブロウルが飛行艇から川に転落したのかと思って振り返ったが、幸い二人とも機内にいた。
二人揃って、サイドドアの枠を掴んで身を乗り出して、機体後方を眺めていた。
「なんか人降ってきたぜおい、兵隊さん警備しっかりしろよー」
訂正。晴れ、所により一般人。
自分の席からは死角になっていて見えないが、ブロウルが言うには、一般人と防衛軍の兵士二人の三人が水面に浮かんでいるらしい。
さしずめ飛行艇の様子を至近距離で見ようとか思って、飛んで近寄ったところを兵隊に取り押さえられて、そのまま川に落下したのだろう。
俺が拾い上げた方がいいのか、と誰に宛てるわけでもなく尋ねると、無視でいいわ、そのうち船が拾い上げるでしょ、とグレアが答えた。溺れてるわけでもないらしい。
だんだん慣れてきて、遊園地のゴーカートにでも乗っている気分になってきた。
モーターの推力バランスさえ取れればいい。操縦桿から手を離しても、ラダーペダルから両足を離しても構わない。方向舵と繋がっているラダーペダルはわずかに効くかもだが。
出航前はできる気がしねぇと思っていたが、操縦を通してTANONと会話するうちに、今度こそは空へ連れて行ってくれる気がした。
徐々に建物が減り、川の両岸に緑の海――川の水を引く作物の畑がポツポツと目立ち始める。何を育てているのだろうか。やっぱ麦か。
川の流れに沿って、景色をゆったり眺める旅も悪くない。これくらいの速度なら、誰かに魔力供給含めて操縦を頼んでも問題ないかもしれない。
遠くに、目印のひとつである一号大閘門と呼ばれる巨大な門と監視塔が見えてきた。
閘門といっても、ここの門は用途が特殊で、川の水は通すが船は通さないコックピットからも川の両岸に控えている門が網目状に組まれているのが見える。引き戸式というかスライド式というか。
隣国ヴォルグラドが川伝いに攻めてきたとき、船をここで足止めして来訪感謝のお焚き上げに処すのが目的らしい。
百メートル以上はあろう川幅を封鎖する閘門は、巨大建築であることは間違いなく、建設に携わったという工業ギルドのトップ、ザグールがめちゃくちゃ自慢していたのを覚えている。
門の閉鎖と開放には、まず門を川に浮かせ、門で水流を偏向させて推力を得て自走させるとかなんとか。
川を封鎖するような巨大構造物を、自然の力を使って動かしてるってのは、こうして目の前に見てみるとすげぇという言葉しか出ない。
俺が操縦するTANONがチンケに見える。
プロペラの重低音。川で小さく揺れる艇体。水を切り裂く音と泡のはじける音。
ふと隣に座るグレアが俺を見ていることに気づいた。
なに。声をかけると、彼女は顔を逸らして、そろそろかしらね、とだけ言って羽根ペンを持って手遊びを始めた。
そうだな。
「お前ら、そろそろ試験水域だから。クラリ、このまま予定通り試験を続けると連絡してくれ」
「はーい!」
「ブロウルは……適当な取っ手に掴まってろ。結構揺れるぞ」
「ういっす」
パタガタ、ガタガタ。クラリの信号灯のシャッターの音が聞こえる。
試験水域、比較的直線が続く水域に、仮設の通信台が一つ用意されている。周囲には前回同様、複数の測位所があり、飛行艇の離水時の軌跡と速度の記録を取得する。
後ろを振り返れば、ブロウルがサイドドア最寄りのドアを片手で掴んでいた。クラリが落ちないよう、もう片手で首の後ろを掴んでいる。
――急に怪力になったと思って。慎重に、繊細に操縦してくださいよ。
夕べのヘーゲルの忠告を思い出す。
ここまで長時間動かしたのは初めてだ。プロペラの角度を10度から20度に変更。
クイ、と背中から押されるような小さな加速感があって、風切り音が一層低くなる。スロットルは変えていないが、プロペラの回転数が下がったのだ。
計器を見る。冷却水、摂氏54度。冷却回路の圧力は1.08まで上昇。設計範囲内だ。
……ああ、そうだ。フラップ角を20度に設定。
大きめに息を吸って、空気を抜くようにゆっくり吐く。毎度のことだが、ここまで流れてきたんだから、もうなるようにしかならねぇ。
なんだろうな。生きていくのに必要なのは、頭脳だとか体力だとか根性だとかより、ええい、ままよと突っ込んでいく度胸かもしれないと思い始めてきた。
少なくとも、今の俺に一番求められているのはソレで違いない。
「なるぅー 飛んでいいよーだって!」
「通信終わり?」
「うん!」
「なんだ、今回はお祈りなしか」
前回は誰かが気の利いたメッセージを贈ってくれたが、当人は今回は担当から外れたのかもしれない。
ま、「神使のご加護のあらんことを」って誰も祈ってくれなかったからって失敗はしないと思うが。
神使に祈れば空を飛べるってんなら、神使は関係者の熱い祈祷に応えて、とうの昔に俺に空を与えてるだろうよ。生きて飛んでるだけかもしれないが。
ま。今回のリベンジには色々アップグレードの上で臨んでるわけで。よすがにするなら神使よりこっちがスジだ。
「よし――行くぞ。お前らちゃんと掴まってろよ!」




