第6話-36 ブラウンアウト 1 外套
二回目の試験。
その日の空は、いつものように晴れ渡っていて、最初の飛行試験を思い出すような日射しだった。
造船所からすぐ近くの仮設の桟橋。TANONが前回と同じように係留され、艇体が水面の反射で模様を作っている。
飛行艇の方を操縦したのは先の試験一回だけだ。おまけに前回の試験から数週間が経ち、操縦する感覚は記憶に遠い。
とはいえそれでも操縦感覚もクソもなく、イメトレはそこそこに、ぶっつけ本番であそこまで飛ばした前回の試験を思えば、手応えが残っているだけまだマシである。
ジリジリと照りつける太陽。クラリとブロウルは桟橋の浅瀬に靴を脱いで飛び降りて、水を掛け合って遊んでいた。
この前は川に入るなと言っていたガルも、飛行艇の主翼の影がかかる桟橋の上で、膝を立てて座り込んでその様子を眺めている。
グレアも主翼の日陰で桟橋に素足を投げ出してぶらぶらさせていた。
あと、前回と違うのは……この場にリンが来ていないということくらいだ。
わだちに乗って迎賓館を出るときに、準備が間に合ってないから先に向かってほしいとリンが言ったのだ。正確には、リンの付き添いでメイドをやってるメル経由の伝言だったが。
リン、寝坊でもしたんじゃね。そんなことをみんなで道中言ってたんだが、彼女の姿はまだ見えない。
こんな日射しじゃ、機内も暑いのは間違いない。桟橋と飛行艇の間に渡し板をかけて、飛行艇のドアを解錠する。
案の定、むわっとした空気が顔を舐めるように舞い上がった。
「あちぃー……」
一人先に乗り込んで、飛行艇左右のスライドドアを全開にした。あとは前と同じように、機体中央後部の観測口も開けておくか。
ハシゴの先の観測口を開放して、機体後部に滞留していた熱気にも穴を開ける。
観測口のハシゴから飛び降りて、木の床板にズンと着地。コックピット脇のポケットから魔力供給用のプラグのついた腕輪を取り上げて、今度は下層へのハシゴを降りる。
一応照明はつける予定だが、まだない中は薄暗く、機首前方の主砲が置かれている大きな機首の窓から光が差し込んでいる。
必要は発明の母というが、似たような要求が出れば、そこから生まれるものも似るのかもしれない。昔の爆撃機の様相である。
腕輪をつけてジャックに差し込む。ジャック穴自体は、俺がコックピットにいなくても魔力供給できるように、機内各所に張り巡らせてあるものだ。
魔力供給をはじめると、ヒーンと鳴る風切り音が複数箇所から聞こえる。全部この前俺がヘーゲルに依頼した倍力装置である。
一番大きな塊は、上層では操縦席の足元に当たるところ、下層では主砲のある観測室の天井の部分に増設されている木箱で、箱側面の穴からは数本のロープが飛び出している。
留め金で閉じられている蓋を開ければ、中に送風機と魔導モーターといったメカが組み込まれているのが見える。
倍力装置に使われる魔導モーターの補助力を調節する装置――減衰装置は補助力の調整は飛行中でもできるよう、コックピット中央に増設された。魔力減衰器6系統が新規追加である。
補助翼、昇降舵、方向舵もそれぞれ二重化されて合計6系統である。
ちなみに今回の倍力装置、最大出力でどこまで補助できるのかと、夕べ立ち会ったときにヘーゲルに聞いてみた。
回答は「モーターか機構が限界を迎えるまで」である。冷却以外の保護はない漢仕様らしい。あるだけマシだ。
一箇所に集約すれば便利だが、あえてそうしない設計になっている。そこが損傷を受けると、倍力装置の系統が全滅するからだ。
あとスペースの問題。普通に木箱が書類用の段ボールくらいの大きさがあって、気をつけないと頭をぶつけそうなくらいゴツい。
機械装置はこの世界の技術水準もあって、どうしても重厚長大になりがちなのだ。
倍力装置が下層にはみ出して設置されているのは、操縦席の機械類を納める専用空間に収められなかったからだ。
ヘーゲルとコックピットに置く余剰スペースはないと笑い飛ばしていたが、事実そうなった形だ。
それとついでに、高揚力装置の動作もモーターで強化してもらった。
「暑っつ……」
それしか言ってないが、マジで額から汗が垂れるくらい暑い。ここ下層は天井が日に当たっていないことと、あとは水面に近いことがあるのだろう。上層に比べれば暑くはないが、下層はやや湿気があって涼しいとは言えない。
先日ベルゲン側に託した水噴射ブースターだが、あれはまだ未完成である。ベルゲン書簡曰く、まだ時間が掛かる見込みらしい。
すなわち、この倍力装置の追加による更新が今回の試験の目玉である。
倍力装置も前日の夕方、ヘーゲルと一緒に中身を開けて、レクチャーと動作確認を済ませている。昨日と変わらない様子であることを確認しに来たにすぎない。長居は無用である。
ジャックからプラグを引き抜いて、早々に下層から退散することにした。
―――――――――――――――
Attempt: 861229
B R O W N O U T
―――――――――――――――
「お前さんは今回も準備が入念だな」
ひと通りの確認を終えて飛行艇から降りた俺は、涼を求めて主翼の影に座るガルの隣に腰を下ろす。
俺は命かかってるからな、と短く答えてあぐらをかいた。
「今日は特に暑いな、コウ」
「飛行艇ん中、今日は蒸し焼きみたいになってた」
「それに俺達を乗せて旅に出るつもりなんだろ? 勘弁してくれ」
俺と並んで、クル川で遊ぶブロウルとクラリの景色を眺めていたガルが、苦そうな顔を俺に向けた。半身仰け反ってそのまま背後の飛行艇を一瞥する。
「とりあえず川の水でも汲んで、屋根にかけとけ。ちったぁ涼しくなるだろうよ」
「そうしたいところだが、あいにく桶がなくてな」
ああそう。
今日飛行艇に乗らないからか、ガルは興味なさげに言って、ぼんやりと遠くまで続く川面の反射に目を細める。
「コウ。子供が空を飛ぶ練習をするのは、朝と相場が決まっている。なぜか分かるか?」
「いや……」
「朝は涼しいからな。暑くなると翼が抱える空気がスカスカになる」
「へぇ」
「お前も今回の試験は、少し強めに助走しとけ」
彼の助言にうい、と短く答えた。
屋根の上を縦横無尽に飛び回る人々。
ちょっとそこまで、の中距離――徒歩でいくと遠すぎるが、自転車で行く分にはそれなりに手軽――のような距離を飛んで移動できるのは、正直羨ましい。
風を掴むのが気持ちよさそうというのもあるが、飛行艇TANONが飛んだとしても、自転車のように小回りが効くわけではない。
川の対岸に人が集まっているのが見える。
恐らく前回の飛行試験の噂を聞いて、飛行艇が動くところを見物しにきた人達だろう。川のこちら側にも興味ありげに俺達を見ている人々が目立つ。前回より人が多い。
彼らが不用意に俺達に近づかないように、防衛軍の兵士が一定間隔で配置されて見張っている。
軍の装備を持ったまま日射しの中を立っている彼らに対し、俺達は水辺の日陰で涼んでいるわけで。それに多少の引け目を感じるのは俺だけではないはず。
これから命をかけて第二回の離水試験に挑むのである。すまんが許してほしい。
桟橋に仰向けに寝転がった。飛行艇に押されて、木製の桟橋が軋む音と振動。桟橋に乗せた頭ごしに感じる。桟橋の下で川のさざ波が当たる音。
試験の時間が永遠に来なければ、俺はどれだけ気楽だろう。
翼幅、片側約14.7メートル、翼弦約6メートル。日陰を作る木製の巨大な主翼を眺め、目を閉じつつ思う。ずっと後回しになれ、と。
神都までの陸路がないなら飛行機しかない、と軽々しく考えた過去の自分を呪いたくなる。
こんな巨大な怪物になるとは思わねぇじゃん。図面の数字も、そうなるってのは言っていたが、実物と相対して初めて分かる威圧感までは図面に書いてないわけで。
ミスや異常を俺が見過ごせば最後、誰も気づかない。誰かが違和感に気づいていても、誰も言いださずに終わる。
仕様の不備も、設計の不備も、点検も、全部俺の責任。
失敗して事故を起こせば、俺の責任である。同乗するブロウル達が死ねば、それも俺の責任である。
この責任を、どうやって取りゃいい? 返すアテのない借金をして、ギャンブルに興じる感覚だ。
しかしさすがに「飛ぶの怖いのでやめます」とは言えねぇ。一度浮いた手前。
こうやって目を閉じて、水辺に冷やされた空気と涼感のある水音、あとクラリとブロウルのはしゃぐ声を延々と聞けてりゃ――
……。
…………。
――おい、おい。
頬をペチペチと叩かれて目を開けると、ブロウルの顔が俺を覗き込んでいた。
気づけばグレアも、ガルもクラリも、主翼の日陰に入って座っていた。いつの間にか、編みかごを持ったリンも主翼の下にいた。
「そろそろ準備を始める時間じゃね、って思って」
「ああ――」
懐から懐中時計を取り出した。まあそろそろ準備を始めるにはいい時間になっている。足を振り上げて上体を起こした。
「ボスも二回目となれば、余裕綽々だな」
「ちげーよ。昨晩寝付けなかったんだよ」
「楽しみすぎて?」
「怖すぎてだよ!!」
楽しみすぎたのはお前だろ。
飛ぶのはそんな怖くないって、と膝を折って座ったブロウルが、俺の背後でからかう。
単に線路の上に寝そべるだけなら怖くねぇよ。縄で縛られた状態なら話が変わってくるだろ。
あ、俺も欲しい!
突然ブロウルが何かに向けて言い放って歩いていく。
背後のブロウルのその奥で、リンがクラリとガルに、水筒から小さなコップに飲み物を注いで配っていた。
「なに、遅刻した詫びに水持ってきたわけ?」
「そう、ですね……」
「ふうん……珍しく気が利くじゃん」
リンにぎこちない笑みを浮かべさせたグレアも、彼女から一杯もらっていた。
みんな貰ってんなら俺も欲しい。普通に喉渇いてるし。
「水、まだある?」
「はい」
リンから水をもらって一息つく。あぁー……
井戸から汲みたてだったのか、冷たさが残っていて喉ごしがいい。
ひとこと礼を言ってコップをリンに返そうとすると、あの、と一言呼び止められた。
「あの良かったら、これ……使ってください」
リンが編みかごに手を入れながら取り出したのは、折りたたまれた厚手の上着だった。
俺は思わずカンカン照りの青空を見上げた。こんなクソ暑いのに上着を?
「これは?」
「…………。」
リンは何も言わなかった。
俺は畳まれていた上着を広げた。黒緑色とも黒茶色とも言えそうな、暗色の外套である。かなり厚手の綿生地でごわごわしている。内側もモコモコのファーがついていて、明らかに冬仕様である。
外套の両肩を持って背中側をひっくり返すと、両肩部とカーテン状の背中の中央部分の三分割構成。有翼人の衣類特有の構成で、背の翼を出せる形になっている。後ろの腰あたりにベルトがついていて、着たら最後にそこを留めて、三分割された生地を固定するのだ。
外套は古着じゃない。仕立てたばかりの手触りだ。新品特有の匂いというか、臭みもある。
「大きすぎたらって思ったんですけど、小さいよりはいいかな、って……」
「あーこれ、自腹? 自腹だよな?」
俺の衣類は迎賓館に用意してもらってるが、専用に仕立ててくれている。
つまり、迎賓館経由で何か頼んだのなら、迎賓館は俺の寸法を知っているはずで、リンの懸念するようなサイズの不一致はありえないし、翼を通す穴のついた上着が出てくることもない。
リンは俺と目を合わせたが、気まずそうに視線を逸らした。
「高いところにいると、凍えてきますから……」
「わかった……気を遣わせて悪いな」
万年雪が積もるような高度まで飛ぶつもりはない。一時的に高度2000mまで上昇するとしても、外気は10℃台だろう。
そのうえ飛行艇の機体が飛行中の風を遮ってくれるから、風で体温が奪われることもない。長時間その高度を飛ぶなら隙間風が凍えてくるかもしれないが、冷却水を循環させた機内暖房も一応ある。
今回上着は必要なくても大丈夫である。
だからといって、わざわざ自腹切って持ってきてくれたらしい物を、突き返せるわけがねぇ。俺は上着を羽織ることにした。
日陰の編みカゴの中にあっただけあって、袖を通すと生地がひんやり冷たかった。
俺が羽織ると、リンは緊張が解けたように口元を綻ばせた。
「あ、ちょっと大きかったですね」
「まあ、防寒着はデカい方がサマになるからな」
指で袖を握って腕を上げてみる。肩幅は気持ちデカいし、袖も手の甲が隠れるくらいまである。袖は折ればいいし。
生地は膝下くらいまで伸びる、冬のファッションである。さっきまでブロウルとクラリが川で水遊びしてたんだぞ。
「一応、皆さんの分も用意してて……」
「いぃ……」
いいって。言いかけて口をつぐむ。
引っ込み思案のリンが、せっかく珍しく自分で行動を起こしているのだ。
「余計なことはしなくていい」と言えば、それがリンに効きすぎてしまって、また元の木阿弥になるような気がした。
一番の心配は、全員分の外套を用意したリンの懐事情である。決して安くないはずだ。
「あとで、かかった費用を教えてくれ。いずれ用意しようと思っていたし、飛行艇の開発費から出せるから」
「…………。」
「意匠も俺好みだよ。リンはいい感性持ってると思うぜ!」
俺の場違いな外套に気づいたクラリが声を上げる。
俺は皆の分あるってよ、と一言放り投げて先に飛行艇に乗り込んだ。
外套の重みが肩にのしかかる。




