第6話-35 ドクター・クラリのワイルド採血
二回目の試験飛行はいつなのかとブロウルに尋ねられたのは、耳の痛いことしか言わないガルの授業が終わった直後のことだった。
授業が終わったあとに俺を待っていた、採血の準備中の出来事である。
なんで採血してんのかといえば、リンのためだ。
種族の特性として魔力を生成できない彼女。しかし生きるためには、基礎代謝よろしく魔力が必要であって、そうなると外部から定期的に補給し続けねばならない。
俺くらい魔力が強力になってくると、リンに触れるだけである程度渡せる。
飛行艇の副操縦席にリンを座らせる方式は、飛行艇の魔力回路を通して間接的に触れる方式なんだが、効率が悪く時間が掛かる。
で、それよか効率の良い血液を飲ませるという方式のための採血である。俺なのは、一番出血量が少なくて済むからなんだが。
俺の採血のための道具を揃えたクラリ。俺の座る机と向かい合って、その物々しい道具を机に広げる。
小ぶりな白い皿、ナイフ、折りたたまれた白の綿布、包帯、酒瓶。以上。そこに注射針も注射器もない。どう血を抜くかなんざ誰も口にしないが、道具が静かに語る。
さすがに酒瓶は消毒用途のアルコールだと思いたい。まさか景気づけに一杯煽って医療行為に励む用途じゃあるまい。
イスに座って切腹前の武士の如く精神を統一する俺。その周りを介錯だか見物人だかの如く囲っているのがブロウル、グレア、ガル。
リンもブロウルとグレアの後ろにいるんだが、ときおり覗き込んでは視線を外すして気まずそうにしていた。
そんな状況で、ブロウルに二回目の試験飛行の時期を尋ねられたのである。
「二回目の試験飛行はなぁ……まだ二、三週間はかかると思うぜ。この前の試験結果を基に、ほら、あの操縦系統の改修とか進めてるんだが、それが完成して動くことが確認でき次第ってところだ」
「じゃあ、もうちょっと先か。時間かかるな」
「ギルド側も出せる速さでやってっからな」
「ふうん……」
「なるぅ。右腕と左腕どっちがいい?」
「なるほど。犠牲にする腕をどちらか選ばせてやる、と」
「ボスの言い方よ!」
ブロウルとガルが軽く笑う中、俺は腕まくりをして掌を上に、指をグーに丸めて左腕の机の上に乗せた。
温暖な部屋で浮き出た自分の腕の血管を見ながら、左腕の真ん中あたりを人差し指で軽くトントンと叩いて、このへんと伝える。
「なあボス。次の試験は俺も飛行艇に乗せてくんね?」
「なんで」
「いや、普通に乗ってみたいっていう……興味?」
「奇遇だな。ちょうど俺も飛行艇のパイロットには懲り懲りで、誰か代わってくれと思ってたトコでな――ついでだ、ブロウル。お前パイロットやれよ。俺は地上で見とくわ」
「いやいや。それはボスが飛ぶための機械なんだからさ、ボスが練習すべきじゃん。最初飛ぶ怖いのは分かるけどさ」
「やりたくねー……こえぇもんアレ」
「大丈夫だって! 何かあったら俺がお前を抱えて脱出してやるって!」
やだブロウル、イケメン。
元々、俺は二回目の試験は一回目と同じメンバー構成、つまり俺とグレアとクラリの三人で進めるつもりだった。
ブロウルが自由に動ける手伝いとして入ることは、何かあったときの保険としては悪くなさそうである。
「分かった。とりあえず試験手伝いの名目でいいよな?」
「ヨッシャァ!」
ブロウルは嬉しげにガッツポーズを決めた。
そんな会話を聞くクラリだが、発言者が切り替わるたびに獣耳だけがピクピクと動くのは無意識なのだろうか。
「どうせブロウル乗るなら、次の試験ガルとリンも乗るか?」
「いや、遠慮しておく。船長が操船にビビってるうちは乗りたかねぇよ」
「リンは?」
俺がリンに振ると、皆の視線が一斉に彼女に集まった。輪に入ろうとせず一人距離をとっていた。
彼女は集まった視線から不快そうに顔を背け、私はいいです、と答えた。
「――乗っても邪魔になると思いますし」
「ブロウルも乗って騒ぐだけで何もしないと思うが。誰も何も言わないって」
「いいです、今回は。地上からできることがあれば、お手伝いしますから」
徐々に強くなる口調に、俺はそこで言うのをやめた。頑なに断るリンを無理やり乗せる理由もない。
ガルが、自分のために刃を入れて血を抜かれるところを見ながら、乗りたいとは言えるタマじゃねぇだろ、と言ってフォローを入れる。それはそうか。
クラリが酒を薄く垂らして山吹色になった綿布に、ナイフの刃先を当てて撫でるように拭く。アルコールの強い匂いを感じた。
それまで黙って見ていたグレアが、ふと思い出したようにクラリちゃん、と彼女を呼ぶ。
「せっかくだから、ちょっと首傾げて、目をかっぴらいて、舌を横に思い切り出しながらやって」
「え……ほぉう?」
「お前クラリに何やらせてんだよ」
クラリは狐耳と尻尾が特徴の、身長低めの女の子。大人でも見た目が子供に見えちゃう古族の特性がちょっとコンプレックス。
そんな彼女がヒャッハーフェイスをすると、どっちかというと、舌を出して溶けてるアホ犬である。
クラリにそんな顔をさせるなと思った矢先、ブロウルがやるならこうだぜ、とクラリにお手本を示すように舌を出して、エアナイフを舐める変顔をかましていた。舌の動かし方が経験者のソレなのよ。
確かにブロウルは過去、そのへんのモブ傭兵として刃物を舐める仕草くらいやった経歴があっても不思議ではないが。
刃物で切るにしても、ふざけたノリのまま浮き出た静脈を切ってしまって、出血大サービスからの倒産――は御免被りたい。
「ガル先生ェ……こいつら大丈夫ですかね」
「知るか。お前が選んだんだろ」
「あ、ハイ」
それにしても、ヒャッハー顔をけしかけたグレアの無表情顔である。
切るよ、とクラリが言って俺の手首を掴んで彼女の元に引っ張る。
魔法で治療が効かない身体なんだから、頼むから血管は切らないでくれよとクラリに軽く釘を刺した。そんな深い傷をつけないですよ、と彼女はナイフの刃先を俺の腕に当てた。
ツー、と紙で指を切った瞬間のような侵襲感があって、横一文字の傷跡から血がじわりと滲む。
血が腕から垂れると、クラリがすかさず滴りそうになる血のすぐ下に皿を置いた。
「なるぅ、どう? ちょっと痛かった?」
「俺はいま、生を実感している……」
バトル漫画の強敵さながらの台詞であるが、実際ただの採血である。
ジンジンと痛む傷口から水風船のように血の玉が膨らんでボタボタ垂れていくのを眺める。社会の教科書で見た大規模農園で樹液採集中の天然ゴムの写真とそっくりである。
「あの――」
「ん? やっぱリンも飛行艇に乗る気になった?」
「いえ……」
ブロウルとグレアの間から顔を覗かせたリン。俺に何か言いたげな視線を合わせたまま外さない。
この前彼女に提案した改名の件の決断でもしたのかと思ったが、リンが口にしたのは、次の試験はどういう計画なのか、ということだった。
「試験計画は未定だが、まあ一応ギルドでは前回踏襲って話になってる。二回目の試験は、一回目で不合格になった内容の追試だからな」
「あの、それじゃ危ないと思うんです。万一市街地に墜ちたら――」
「市街地? あぁーそうか……」
リンの発言を理解するまで首を捻って少し時間をかけたが、彼女の言うことには一理あった。
一回目の試験の時は、操縦桿が重くて、川から離水した直後に中止して着水したから何ともなかった。しかし仮に俺がそのまま飛び続けていれば、操縦桿が重くてクル川上空を飛ぶ想定の航路から逸れて、市街地の上を飛んでいたかもしれない。
「そうだよなぁ、変えるかぁ……」
操縦系統の改良をしたとはいえ、それが飛行中に想定通り正しく動くだろうか。補助力が不足して結局重いままだったらどうだろう。
そう考えると、クル川上空に沿って飛ぶ能力を、TANONが持っているかどうかも分からず、最悪市街地を巻き込んで墜落する可能性も捨てきれないか。ううむ。
「そうだな……離水に必要な距離は前回計測できてっから、それを元に川の線形がいい場所を探してみるか」
試験空域も市街地を外した方がいいかもしれない。リンの言うとおりかもしれん。
二回目の試験日程も未定で流動的だし、期間も十分ある。内容が固まっていない今なら、いくらでも変えられる。
「痛ででで――クラリ痛てぇ」
「なるぅ、ちょっと我慢」
突然なにが痛いって、クラリが血の出が少し悪くなってきたからと、血で閉じかけた傷口を指でパックリ押し広げやがったのである。
ジュワッと出てボタボタと溜まる血を見て、満足したのか指を離す。
くそう、こんなことになるならグレアに注射器と注射針を作ってもらうように頼めば良かったかもしれん。いやできるか?
極細で中空のガラス管を針代わりにして、途中で折れてガラス片が俺の体内に残ることを想像してやめた。普通に大事故だし取り返しがつかねぇ。
にしても。リンが気を悪くすると思って、痛いは言わねぇと内心決めてたんだが。気を抜いた瞬間に言っちまったことに後悔してリンを見る。
目が合う。とりあえず俺も変顔をかまして、ブロウルの舌の動きをマネてリンに見せつける――笑うどころか、表情ひとつ変えない。
使っていない新しい皿に酒をたっぷり注いだクラリは、酒の注がれた皿を両手に持って、一気に口に含んだ。
まさかと思ったがそのまさかで、クラリは俺の左腕を掴み寄せてブッと吹きかけた。
「アァオ!」
いやもう傷口に沁みるのなんの。絶叫したそばから、酒を口に含んだままのクラリが笑いのツボに入ったらしく、頭を震わせて必死に耐えようとしている口先から酒がこぼれる。
「アイテテ、ホッホッホッ、イダイ! クラリ、腕、手離して、アア゙ィ゙!」
ガルとブロウルは面白がって笑ってるが、こぼれた酒が傷口にかかってる俺はたまったもんじゃねぇ。
クラリが目を強く閉じたまま上を向く。ブロウルが慌てて、おいおい飲むな飲むな、吐け吐け布に、と叫ぶのも聞かず、喉が二度、大きく動く。その後クラリは、今度は右手を握って縦に激しく振り始めた。
「あ゙ー……辛かったぁ……」
少しして落ち着いたクラリが、オッサンみたいな声を出しながら、目尻に涙を浮かべて舌を出す。俺も傷口にアルコール漬けにされて辛かったよ。
「クラリおめぇ体格小っこいのに、そんな強い酒一気に煽って大丈夫なのかよ」
「わかんない……」
「分かんねぇかぁ……あとでちゃんと水飲めよ」
「んうぅ」
クラリはまっさらの綿布を傷口に乗せて、包帯で腕を巻いて解けないように結ぶ。
傷口に塩ならぬ酒を塗られた俺よか、クラリの方が心配されてるのが解せん。
「クラリ先生、さっき刃物を消毒するために使ってた布を使い回すんじゃ、ダメだったんですかね?」
「軍医のやり方はこうなので……」
「さいですか」
専門職が言うならそうなんだろう……お前ヤブ医者じゃねぇよな?
よしよしと、クラリに頭を撫でられながら疑いを向ける俺であった。




