第6話-26 先生と呼ばないで
俺とグレアは早めの食事を済ませ、夜七時すぎにわだちに乗って迎賓館を出た。
出掛けるぞと声をかけると、グレアは「まーた夜にお出かけですか」と普段のジト目をさらに細めて不満を垂れた。
彼女は俺の世話役でもあり、用心棒である。俺の外出となれば、彼女もついて行かざるを得ないのだ。
ガタガタと揺れるわだち。行き先は工業ギルド本部である。
暗がりの中、ハンドルを握る俺の隣に座るグレアの顔を見る。
前照灯の照り返しで浮かび上がるグレアの姿。金色の髪は走行風にたなびき、太ももに肘を立てて頬杖をついている。
彼女の一日の仕事は、俺の一日の終わりとともに終わる。不機嫌そうなその猫背は、彼女の自由時間が削れていくことへの抗議のように見えた。
「早めに切り上げるつもりだ」
「つもり、ね」
ちょっとだけって言いながら、結局長話になるのを知っている身としては、気休めにもならないかしら。
まったく、グレアの言うとおりであった。
俺が話をしたかったもう一人の人物、ヘーゲル。
元々医師兼発明家の彼はいま、日中を医師として患者を診療する一方、それ以外の時間を飛行艇計画のために捧げている。
患者が優先のため、飛行艇開発の組織図からは独立しているが、魔導モーターの制御装置や、わだちのブレーキシステム、さらには飛行艇の冷却用スターリングエンジンといった、この世界になかったモノを生み出せたのは、ヘーゲルの多大な助力があってこそである。
いまや俺の中での彼のあだ名は"ダ・ヴィンチ"である。
最初は彼の自宅で作業してもらっていたのだが、時間が経つにつれて試作品や材料で部屋が溢れてきたため、工業ギルド本部の一室にヘーゲルの作業場を用意して、そこで作業するようになった。
防衛軍の情報の持ち出し管理の観点からも、本部の作業場でやる方が望ましかった。
工業ギルド本部の入り口に兵士が立っている。わだちに乗ったまま彼らに俺の冴えない顔を見せつけ、見事顔パスで敷地に乗り入れ、中庭で降りる。
昼間ならギルドの受付に人がいたりするんだが、今は夜の七時半。受付はもう帰っちまったらしい。
通いすぎて半ば実家のような安心感さえ感じる本部。俺はグレアを連れてそのまま建物の奥に進み、ヘーゲルがいる作業場のドアをノックした。
「はーい」
心なしか疲れたような声が向こうから響いて、ドアが開く。
「お疲れ様でーす」
「あぁ、どうぞ」
彼のかけている木製フレームの丸メガネの向こうに、目の下にクマが見えた。ドアを大きく開いて招き入れる。
作業場には木材や金属材、工具に鉱石などが机の上や床などに雑然と置かれている。
「ちゃんと寝れてる?」
「まあそれなりには、ですがね」
昨夜は夜分に急患だと起こされて、ままならなかったのですよ。
ヘーゲルはそう言いつつ、閉じていたカーテンを一つだけ開く。
暗い夜空を映す窓に、明るい室内の光が鏡のように反射して、彼と俺達、そして作業場の雑多な様子が映る。
ヘーゲルは窓に顔を近づけ、人差し指で目の下を押し下げながら、自分のクマの様子を観察していた。今日はよく眠れそうです、と呟く。
「見ていましたよ。飛行艇が飛ぶところ」
ヘーゲルは先日の離水試験のことを話し始める。あの日ヘーゲルは診療を理由に、試験にも、その後の食事会にも参加していなかった。
「飛ぶというか、浮き上がったというか」
半ば笑い気味に言いながら、彼はカーテンを閉じる。
飛行艇TANON。水飛沫を上げながら豪快に川を駆け抜けた割には、大空に舞い上がるというより、ちょっと浮かんでみました、というのが実態だった。
ヘーゲルの感想に俺も同意する。
「おめでとうございます」
「いやいや、あの飛行はヘーゲルの功績が三割くらい占めていると思う」
「いやそんな」
彼は照れくさそうに笑みをこぼして、多くても一割ですよ、という。
しかし飛行艇に五百人以上のメンバーが携わっていることを考えれば、一割でも十分怪物である……いや、なんでもない。
「あんまり眠れてないところ、あんまり食欲は湧かないかもしれないが」
俺はグレアに視線を送って、彼女の名を小さく呼んだ。
グレアは空気が抜けたように肩を下ろして答える。
今日は特に世話になっているヘーゲルに差し入れを用意してきたのだ。弁当である。
「寝食を忘れて作業するのも程々にして、くれぐれも身体に障らないように」
「ああ、わざわざありがとうございます。最近は妻のマールに患者対応を任せっきりで、なかなか食事が――」
「はい、残飯の詰め合わせー」
グレアが、やりやがった。
取っ手のついた小さな編みかごをヘーゲルに突き出して。
不機嫌気味だったが、最近おとなしかったグレアだけに、油断していた。俺は咄嗟にグレアの口を手で塞いだ。
「ウ、ウチで出た今日の夕食をパンに挟んでもらったやつだ、残飯じゃない。なんならまだ具はあったかい説ある」
俺が慌てるほどに、グレアの発言の信憑性が増していく気がした。普通にちゃんと頼んで作ってもらったのに。
「お互い、周りに苦労かけてますよねぇ」
「いや、それはもう申し訳ない」
受け取るヘーゲルの苦笑い。俺もいい言葉が絞り出せず、苦笑いを返す。
数瞬の苦笑いタイムの果てに、俺は口を封じたままのグレアに詰め寄る。
「グレアお前なぁ、この人がいねぇと飛行艇飛ばねぇんだぞ? 機嫌を損ねて開発を抜けられでもしたら、お前も困るし、全体の責任とれないだろうが」
「よそよそしくされるよりは、そういう面白いことも言ってもらえる方が、私は好みですがね」
グレアが口を塞ぐ俺の手を掴んで押し下げて言う。ほら、と。
いや、ヘーゲルはお前のことを庇ってくれてんだよ。
大っぴらには言えないにしろ、グレアもリスト外の隠し乗員として神都に向かう方向で調整がついている。飛行艇が飛ばなければ、当然グレアの神都行きのご希望もご破算である。
「で、ご用件は?」
俺が内心突っ込んでいる間に、ヘーゲルは雑多な机の隅に置いた編みかごのフタを指先で押し上げ、手を入れてパンを取り出してひと口齧りついていた。
「さしずめ、私に何か頼み事でもあるんでしょう? わざわざ出向いて食事まで振る舞って、帰ります、とはいかないでしょう」
「お見通しというか、そっちが本題なんだが……」
周囲に負担をかけているよな、と言われた流れのまま、新たな相談事をヘーゲルに持ち込むのも少し言いにくく思った。
そんな俺の様子を、ヘーゲルが一笑に付す。
「ここで、予算をもらって好きなように遊ばせてもらっている身ですよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
俺は部屋の隅の別の机に腰掛けて体重を預けることにした。
「先日の離水試験で、離水、浮上まではできたものの、そのまま離昇できなかった原因なんだが――」
俺はヘーゲルに操縦桿が重く、操縦桿に全力を込めてもなかなか浮上できず、結局少し浮き上がるのが精一杯、それ以上は危険と判断して離昇は中断したのだと伝えた。
「こいつ筋力ないのよ」
「お前はちょっと黙ってろ」
余計な事実を挟み込んでくるグレアに、少し声を落として返す。
ここからは、ふざけながら話す内容ではない。茶化しなしの、真面目な話である。
「なるほど。つまり離昇速度の風に対して、操舵力が負けてしまっているわけですね」
あれだけの規模の、四発飛行艇の制御を一人の操舵力で対応すること自体、言われてみれば確かに無茶だったかもしれません。操舵面も大きいですし。
ヘーゲルはさもありなんと言わんばかりの語調で続ける。
飛行艇は、自然の平地や水辺に離発着するため、低速飛行で小回りがきく方が都合が良かった。それに対応できるように操舵面を大きく、同時に操舵角度の範囲を直角近くまで大きくとる設計になっていた。
「そこで倍力装置、要は軽い操舵力でしっかり操縦できる仕組みを、どうにか作ってほしくて」
「ふーん、なるほど。いいですよ」
「二つ返事とは早いな」
これまでに、何度無茶振りされたと思ってるんですか。学習しますよ、何振られるか分からずとも。
ヘーゲルが肉の挟まったパンを食べながら言う。
「人間の操舵力で追いつかないのならば、風の力なり、魔導モーターなりで加勢するしかないじゃないですか」
ヘーゲルは囓った跡のついたパンを片手に、もう片方の手で、立ったままのグレアに木製の小さな椅子を、床の上を滑らせて差し出す。受け取った彼女は何も言わずに静かに座って瞳を閉じ、そのまま首を落とす。
今日はだいぶ眠かったらしい。眠くなると機嫌が悪くなるタイプであることは、もはや言うまでもない。
「うーん……そうですね。いま私が思いつく計画は、二種類です。一つは、操舵力を伝える操縦索に魔導モーターが加勢する方式。もう一つが、動翼に駆動用の魔導モーターを直結する方式です」
彼は説明しながら、親指と人差し指を順に立てる。
前者の場合は、操舵にかかる力を小さくは出来ると思うが、操舵力はまだ多少必要になる。その代わり、操舵を補助する装置が機能しなくても、完全な人力操舵の可能性を残せる。
後者の場合は、操舵面と操縦桿が機械的に繋がらないので、操舵力は一番小さく出来ると思う。その代わり、装置が機能しなくなると、その操舵面は何をしても動かない。
ヘーゲルは、その二案を並べて論じた。
「その二案なら、操舵補助式の前者かな」
「あーですよね。言ってて私も思いました。コウさん、何か装置の話をすると、いつも『壊れたらどうする?』って言いますし」
相談事を投げてから、彼が案を出して対称に並べながら論じるまでの圧倒的な速さにビビらされる。俺とは次元が違う。
後部貨物用の扉を閉めるときに使った、小型の魔導モーターが、大きさも駆動力も手頃なので使えそうです。ヘーゲルは部屋の隅に並べて置いてある、五、六個の魔導モーターを指差す。
「一応、モーター自体の作り置きはあるので」
小型の魔導モーターとはいいつつ、手のひらの長さより一回り長いくらいの直径をもつ円筒形である。
元いた世界でおもちゃに使われるような、指でつまめるサイズの電気モーターと比べればかなり大きい。しかし、わだちや飛行艇の動力源として使われる魔導モーターの基準では、片手で持てるだけ、まだ小型なのである。
「あとは……そうですね、操縦索にかかる引っ張る力を検出する必要があるので……うーん、操縦索の途中にバネとか仕込んで、張力を長さに変換しますか。魔導モーターの出力をバネの長さに応じて変えるようにすれば、いけそうな気が、あ、うんいけます」
「簡単に言うよなぁ……」
「まあ、魔導モーターの出力を減衰させる機構を、人が直接操作するか、バネの変位が操作するかの違いだけですから。結果は、やってみてからのお楽しみです」
平然と答えるヘーゲル。
長年やってきた熟練の人が、こういうことをサラッと言うのは、経験と勘だとまだ納得できる。ヘーゲルがいる領域は、この世界では前人未踏の機械工学の最前線である。
魔導モーターも、出力制御の技術も、飛行艇TANONのための世界初の技術だ。彼は、まだ実用に供せるかに不安のある、TANON専用の設計技術を言語の土台にして、息をするように次の話をしているのだ。
「つまり装置一式につき、モーターひとつか」
「魔導モーター冷却のために送風機も欲しいので、操縦索ごとに2つ。上下、左右、回転で装置は6つ必要だから、モーターは12個です」
「なるほど、だいぶ多いな」
「あ、そうだ、操縦索は切断対策で二重に冗長化していましたよね?」
「そういえばそうだな」
「じゃあ装置は倍の12が必要で、モーターは24個必要、ですね……」
そこまで会話して俺とヘーゲルは黙って顔を見合わせた。
彼は黙って、木製の眼鏡のレンズ越しに俺の顔を見つめたまま、編みかごから新しいパンを取り出して囓る。
魔導モーター24個。
ヘーゲルの頭の中の設計は俺には見えないが、必要数が多いという意見は、言葉を交わさずとも通じ合う。
魔導モーターは、まだ特注品である。一つ作るのに必要な金額は安くない。それが、24個。
「やっぱり、送風機は共用して数を減らしていいと思います」
「じゃあ、モーターの総数は……」
「配置次第で、13個から24個ですね!」
「やっぱ多いな! ふははは!」
「在庫5、6個程度じゃ、全然足りねぇっすよ! ハハハハ!」
「全然足りねぇじゃーん!」
顔を見合わせて、一緒に笑うしかなかった。
操縦桿に直結で補助する方法なら、数は減らせるかもしれませんけど!
ヘーゲルは笑いながら言う。
「操縦席周りって部品が集中してて、空間的に置き場所ないんですよね?」
「ない。あんなモーターを置ける余裕はないっ!」
「じゃあそれなら必要経費なので、ちゃんと予算くださいよ」
「予算もなぁ、俺のカネじゃねぇしなぁー」
「ベルゲン様ですよね。領主のお金でやりたい放題ですか」
「そ。領主に大金つぎ込ませてトぶ男、それが俺だよ」
「ひどい言い方!」
笑いの余韻をかき消すように、ヘーゲルが突然「おおっと!」と声を上げる。
届かない腕を伸ばした先で、グレアが寝落ちしたまま、身体を横倒しにイスから落ちそうになったのだ。
近くにいた俺が身体を支えると、のっそりとグレアが顔を上げて、黙って眠そうな目をこちらに向ける。はよ終われと言わんばかりの圧を送って、再び目を閉じる。
グレアは寝るなら横に落ちないように足を広げて踏ん張って寝ればいいんだが、それは胸に秘めて黙っておくことにした。
「でも紙も何も書かずに、ちょっと話をしただけで、ここまでポンと話が出るのはすげぇよ」
ヘーゲルのような専門家に巡り会えて助かった。俺が続ける言葉に、ヘーゲルはただの物好きですよ、と返して続ける。
「神使様は我々に魔法を授けてくださった――私は専門の魔法使いでも学者でもありません。
しかし機械を触っていると、彼らが未だ到達していない別の近道を探検しているようで――飛行艇が形になって動く様子も、その道もまた正しいと証明されていくようで、とても、とても心が躍るものです」
ひとまず用件はわかった、他に何かあるかと聞かれ、俺はないと答えた。
それを聞いて、ヘーゲルはパンを握ったまま背伸びをして、グレアさんもお疲れのようですし、今晩は休ませてはいかがですか、と言う。
「明日以降でいいですから、最大操舵時の索の移動量と、索にかかる操舵力の上限を教えてください。バネと制御入力の設計に関わるので」
「あー……それなんだが、操縦が重い問題は倍力装置の他にも、広すぎる動翼の舵角上限を小さくして、代わりに動翼に与える力を強化する方向からも解決したいと思ってて」
「じゃあ、そっちの対応次第ってことですか」
「まあそうなる。ヘーゲル先生には悪いが」
ズン、と机の上にパンを持ったヘーゲルの手が置かれる鈍い音がした。机の上に置かれた材料や工具が鳴る音が響く。
「時折、コウさんはお忘れになるきらいがあるように見受けられますが。この分野で先生と呼ばれる筋合いはありません」
「私は、いや、工業ギルドの誰一人として、飛行機械に精通した人なんていませんよ。みな飛行機械の門を叩く素人です。他分野の知見を飛行機械に転写できないか。未知の領域が自分の知見の相似形である可能性を探っている。それが本質ですよ」
「魔導モーターだって、駆動素子の不触石に魔力源を近づける斥力で駆動する。分かっていることも、再現できることも、そこまでです。投入する魔力の強さに対して、得る駆動力も熱も、魔法の相場と比較すると異常に小さい。まるで、我々の関知し得ない次元に吸いこまれているような、不気味な低効率の仕組みを、まだ何も知りません」
「あなたが無事、生きて神都の国王との謁見をする。目的が達成できて初めて、飛行機械の専門家と呼ばれる資格を得られると思いますが。私を先生と呼ぶのは、成功してからにしてください」
ヘーゲルの口調は、笑っているわけでも怒っているわけでもなかった。彼が俺を見る顔は、レンズ越しの真剣な眼差し。
せ、先生ェ……




