第6話-23 代理救済プロトコル 15 - 既視感
ブワアッ――
一瞬、プロペラが吠える音。
桟橋から離れ、空気を蹴るように川の中央へゆっくり向かう飛行艇。
その光景を、動きだしたわだちの荷台の上で、私はブロウルさんと眺めていました。
本当に、これで良かったのでしょうか。
私はまた、取り返しのつかない過ちを犯そうとしているのではないでしょうか。
ガルさんの運転するわだちは、伴走開始地点へ進んでいきます。ガタゴロと、石畳の上で音を立てるわだちの車輪。揺れる荷台。
どんどん遠く離れていく飛行艇。私の手が、言葉が届かなくなっていく。
あの中にいる、コウさん、クラリさん、グレアさんの三人がいるのです。
"エクソア……私は、正しいことをしているのでしょうか"
エクソアは答えません。過去の時間軸の未来は知っていても、私がいる時間軸の未来は、私にも、エクソアにも分からないのです。
「そっからあのぉー、直線の終わりの先でぇ、道の曲がりが急になってますから――余裕もって曲がれるようにお願いします。ちょっとこの乗り物の性能は、うちらでは把握してないんで――」
わだちに近づいてきた兵隊さんの声が聞こえます。
過去の時間軸で、人々の喧騒に負けじと張り上げる、幾度となく聞いたその言葉。
変えられる未来。変えられない未来。変わってしまう未来。
些細なことですべてが変わってしまう世界で、完全に予想できる未来なんてないのです。
あるのは、未来に対する確からしさだけだと。
「お前ら。分かってると思うが、笛が鳴ったらアレを追っかけるためにかっ飛ばすからな。ちゃんと掴まってろよ」
コウさん、ごめんなさい。
やっぱり私も失敗するのが怖いです。みんなが死んでしまう未来は、もうたくさんです。
あの現場で見た惨状。子供の泣き声……ガレキになった機体から流れ出た血が、濡れた路面に希釈されて渦を巻く、あの光景が頭から離れないのです。
だから少しだけ――ひとかけらでいいから、私にも失敗する勇気をください。
失敗する私を、どうか許してください。
ピイィィ――
街の建物に反響する、遠く甲高い笛の音。
容赦のない、乱暴な加速をわだちに命じるガルさん。
エクソアが私の身体を操って、アオリを両手で掴んで加速に耐えます。
先に飛びだした私達の後を追うように、飛行艇が、咆哮を上げながら動きはじめます。
速度が上がっていくわだち。 ブーン、キーンと荷台下の魔導モーターが、甲高い音を立てて唸ります。
「うおっと!」
地面の凹凸の衝撃を直接受けて跳ね上がり、空転した動輪が地面を擦る音。同時に跳ね上げられる私とブロウルさん。
これまでと変わらず、同じように。
空気を無理やり押し分けて突進するわだち。
ボオォ――私達を猛追したかと思えば、あっという間に置き去りにしていく飛行艇。
水切り石事故が起きるなら、もうじきです。
どうか、起こらないで。どうか、止まって。胸が締め付けられるような思いで、願うしかありません。
お願い! なにか変わって!
ウオアァ――!
沿道の観衆から歓声が湧き上がります。
――なにも、変わらない!!
機体表面を、大量の川の水が滝のように流れ落ちながら、あるいはプロペラの猛烈な風で吹き飛ばしながら、飛行艇が浮かび上がります。
その光景を、私は両目ではっきりと見ていました。
"ああ、失敗した!"
「うおおお飛んだ!! リンちゃん!! 飛んでるぜ!!」
私の肩を掴んで、ブロウルさんが叫びます。
ものすごく嬉しそうに、私の顔を見て、白い歯を見せて笑います。
「やったぜ! やっぱボスは天才だな!」
「…………。」
エクソアは何も言いません。
言葉だけで行動を変えるなんて。やはり、人はそう簡単に変わらなかったのです。
コウさんは飛ばしてしまいました――いま見ている光景が、先の時間軸の悲劇の記憶と重なります。
上昇しない飛行艇。旋回できない飛行艇。飛行艇は轟音を立てて、最悪の結末に駆け込んでいく未来です。
"――まだ終わってない!! エクソア!! 信号灯を持って、『止まれ』と送って!! 早く!!"
まだ、引き返せる。まだ、やり直せる。まだ、できることがある!
もしかしたらまだ、クラリさんに信号を見る余裕があるかもしれない。
送る言葉が一つで足りないなら、言葉を二つ! 二つで足りなければ、三つ! 伝わるまで、未来が変わるまで!!
飛行艇が川面ギリギリを低高度で飛んでいる間は、戻れるはず。
諦めたら、そこで未来は確定してしまう。
他の何よりも速く地上を駆け抜けるわだち。
私の脇で、飛んだ飛行艇に夢中になって歓声を上げているブロウルさん。走るわだちの風が私達の髪を巻き上げ、耳元で風切り音が叫ぶ中でも、彼の突き抜けるような声が聞こえます。
エクソアは姿勢を崩さないよう、アオリを片手に掴んだまま、振動する荷台の上で跳ねる信号灯に目を向け、手を伸ばします。
振動で取っ手の金具が鳴る信号灯――あと少しのところで、届かない。
"早く、時間がないの!"
エクソアが一歩踏み出して、ぐいと手を伸ばします。指先が取っ手に触れた――その瞬間、わだちの跳ね上がるような大きな衝撃が荷台を突き上げて、信号灯を飛ばします。
板張りの荷台の上で音を立てて、足元まで転がってきた信号灯。
私はその光景に既視感が、見覚えがありました。
最後の時間軸、コウさん達を乗せた飛行艇が、市街地へ墜落していく世界。
あのとき、飛行艇の針路がおかしいことに気付いたブロウルさん。彼が飛行艇に「戻れ」と信号を送るために、信号灯を探して奪い取るようにつかみ取ったあの瞬間。
信号灯は同じ場所、同じ向きに転がってきたのです。
エクソアは信号灯を拾い上げて、視線を飛行艇に向けます。
私は、見ている光景が信じられませんでした。
信号灯に気を取られている間に、水面から離れ、浮かび上がっていたはずの飛行艇が、川を切り裂いて、水飛沫を上げながら水面を走っていたのです。
私は一瞬、飛行艇が姿勢を崩して水没したと思いました。
いつの間にか、飛行艇のプロペラが放つ音が、消えたように小さくなっていた。その様子が、水切り石事故で川に沈んでいく時間軸の飛行艇を思い出させたのです。
"止まった……?"
ガルさんが加速をやめて、わだちの速度が徐々に落ちていきます。
直線の川、私達の前方に、着水して水上を滑走する飛行艇、徐々に減速していく飛行艇の後ろ姿が見えました。
初めて見た景色。私が見たかった景色でした。
「リンちゃん、今のスゴかったな!」
信号灯を持ったまま呆然とする私――エクソアに、ブロウルさんが興奮冷めやらぬまま私の肩を揺さぶります。
エクソアは、そう、ですねと戸惑った様子で彼に答えます。
「アイツならなんかやりそうとか思ってたけど、マジでやった! 機械って飛べるんだな!!」
「ブロウル。俺の記憶に違いがなけりゃ、川沿いを飛んで上昇する手はずだったろ。川に降りたってこたぁ、何か問題があったってことだ」
カラコロと駆け足で走るわだち。運転席のガルさんが一瞬後ろの荷台にいる私達に振り向いて、二人のうちどちらか、やっぱりブロウル、お前様子を見てこいと言います。
「ちょっと行ってくる!」
意気揚々とアオリに足を掛け、颯爽と翼を広げて飛んで行くブロウルさん。
ガルさんはわだちを停めて、一息ついて肩を下ろします。
"本当に、止まった……"
私は、エクソアの視界を介して見る、この光景を信じられませんでした。
ダメだと思ったのに。いったいなにが、起こったのでしょうか。
何も知らず、遠く川の上に浮かぶ、赤茶けた機体。水飛沫に濡れた大きな翼が、日光に反射して、瞬くようにきらめきます。
「かなり速かったな。あんな乱暴に水の上を走って、バラバラになんねえか心配したぜ」
ざわめき混じりの歓声が広がる、観衆の大合唱の中で、ガルさんは、運転席から振り向いて私に言います。
ガルさんの遠く背後、動くことをやめた飛行艇が、流されるようにゆっくり左へ回頭していくのが見えます。
「そうですね」
エクソアは、手に信号灯を持ったまま、ガルに短くそう返しました。
私は、未来を変えたのでしょうか。コウさん達を救えたのでしょうか。
それとも私の意図していなかった何かが、偶然この結末を引き寄せただけでしょうか。
私は、心にまだ重い不安と疑念を抱えていました。
飛行艇は止まった。世界は、人々の歓声とともに、桟橋と同じような少し暑くて穏やかに流れていました。
けれどもまた同じように、悲惨な未来へ転がり落ちるのではないかと不安が湧き上がってきます。
コウさんたちが、水切り石事故を回避できたと思ったら、市街地へ墜落したのと同じように。
私は、私の記憶にない未来にいることは確かでした。
三秒後のこと、五秒後のこと。何も予測できない未来に、辿り着いたことだけは。
*
その日、飛行艇が川面を駆けることは、もうありませんでした。
コウさんが、今のままでは飛行艇を飛ばせないと判断したのです。
私達は、桟橋に戻って、コウさんたちを待つことになりました。
身体の自由が利かない私は、行動こそ起こせませんでしたが、その内心、魂が抜けるほどに肩の力が抜けました。
私は、市街地に墜落する惨劇にコウさんを誘導して、中止の判断をするまでの時間を稼ぐ賭けに出た。
あまりにも不確かな賭けでしたが、その余白の時間で、飛行艇は飛ぶのをやめたのです。
待っていると、本部で試験を見守っていた工業ギルドのナドさんとザグールさんも桟橋に駆けつけました。
彼らは私達に、飛行艇が飛んだのを見たか、と興奮気味に尋ねました。
「俺達が作ったんだよ! 機械が空を飛んだんだよ! 成功だ!」
飛行艇が接岸するやいなや、ナドさんとザグールさんの二人は、開きっぱなしの扉から飛行艇に飛び込んでいきました。
桟橋に立っていた私とガルさんには、飛び込んでいった二人が中で何を語っているのかは、遠すぎて聞き取れませんでした。
ザグールさんの通るような強い声が、嬉しげに響いていたことだけは、確かでした。
桟橋に戻ってきたコウさんに、ガルさんが途中で止めた理由を尋ねました。彼は、操縦桿が重すぎたのだ、と答えました。
機体が速くなるに従って、操縦桿が重たくなったのだそうです。
「まあ、あんな高速で飛ぶ巨体の針路を、人の腕っぷしだけで押し曲げて変えようって作りなんだろ。無理もねえ話だな」
コウさんの言葉に、ガルさんが納得したように返しました。
設計の考慮に入れられてなかった――そう言って自分で片方の腕をさするコウさん。
成功させようと、相当頑張ったのでしょう。
彼の手が震えていました。




