第6話-23 代理救済プロトコル 14 - 未来からの手紙
私の目的は、ただ一つ。
コウさん、グレアさん、クラリさん――誰も、死なせないこと。ナクルの人達を誰も、殺さないこと。
「コウ。お前、死ぬんじゃねぇぞ」
久々の感覚。
あの日の強い日射し。川の水面の輝き。
水流に押される飛行艇が桟橋を押して、軋ませる音。
私は、あの日の桟橋に立っていました。
「ヤバいと思ったら、あんたなんかさっさと見捨てて脱出してやるわ」
「あー! グレアさんひどい! 私はなるぅを見捨てたりなんかしないのです!」
グレアさんが意地悪そうな顔でコウさんを見て言ってのけた軽口を、小柄なクラリさんが尻尾を立てて、グレアさんを見上げて指差しながら咎めます。
最後の時間軸で見た、ブロウルさんが空を見上げて、目から溢れた涙が頬を伝って輝く様子。言葉にならない溜め息のような声。
あのとき私――エクソアは、迎賓館から退去したら「自分の家に帰る」と言ったけれど。
「そんなことをしたら、誰もグレアさんを助けようって思わなくなります!」
「……だってよ、グレア」
「そうよね。クラリちゃんは私が抱えてでも助けてあげるわ。そこの薄情者と違ってね」
グレアさんとクラリさん、コウさんの声。あれほど聞き飽きた会話なのに、とても懐かしい。
あの時間軸の私の家より、いまいるこの世界の、この世界の桟橋で自由にしているみんなと、一緒にいる方が心地いい。
ここは、私の存在を許してくれる唯一の場所だったのだと。ここが、私の心の家だったのだと。失ってはじめて体感したのです。
私は、重い女です。あれだけボロボロになっても、結局みんなを諦めきれなくて、エクソアと一緒にここにいるのです。
みんなの声。熱いくらいに暖かい日射し。涼しい風。穏やかな川の水音……ああ、いまこのときばかりは、エクソアに身体に奪われていて良かったかもしれません。
懐かしさで気持ちが溢れて、しゃがみこんで泣いていたでしょう。
過去の時間軸のことを知らないエクソアが、私の身体を動かしているから、私は何事もないかのように桟橋の上に立つことができていました。
コウは『引く』ことを知らなかったのかもしれねぇ。あんだけ飛行艇の動きが鈍けりゃ、どっかであいつも不安を感じたはずだ――
桟橋に立つ私の脇で、ゆっくりと揺れる飛行艇、タノン号。ガルさんの言葉を思い返します。
私は今までずっと、試験がうまくいくように、ちゃんと飛ぶためにはどうしたらいいか。その最善の結果をどう手に入れるかばかり考えていました。
でもこの離水試験は、進めてはいけなかったのです。飛ばしてはいけない。やめさせないといけなかったのです。
でもどうやって――いいえ、私はその答えを知っています。
私がコウさんを救おうと動き始めたときから、その答えを私はちゃんと知っているのです。
それも、その答えを私に教えてくれたのは、他の誰でもない、コウさんです。
「あーもーやってらんないわー」
主翼の日陰で、桟橋に腰掛けて涼むグレアさん。
普段から、コウさんと阿吽の呼吸の彼女。彼女が体験した、墜落して崩壊していくコックピット。とても恐ろしかったことでしょう。
「川には入るなよ?」
「入らなーい!」
ガルさんの忠告を軽く返して、そんなグレアさんの元に駆け寄るクラリさん。
飛行艇が航路を逸脱して、みんなが信号を送ったのに、返事をしなかった彼女。確証はないけれど。きっと、返事するより大切なことを、頑張ろうとしたはずです。
崩壊した荷室に何時間もずっと取り残されて、寒く、苦しかったでしょう。
私が、なんとか止めてみせます。
命の危機が迫っていたことは、市街地を飛んでいる時には、きっと分かっていたはずです。
けれどもグレアさんも、クラリさんも、逃げなかった。
どうして墜落してしまったのかは分からないけれど。きっとコウさんを信じて、飛行艇を信じて、最期の瞬間まで頑張っていたに違いありません。
"エクソアさん。コウさんと、話がしたいです"
私が飛行艇に乗れば、それだけで未来が変わってしまう。だから、飛行艇には乗りません。
飛行艇が航路を逸脱するには、何かしらの原因があるはずです。もし今日、この試験をどうにか中止させたとしても、次の試験で原因が取り除かれなければ、きっと同じように水切り石事故を起こすか、市街地に再び墜落してしまいます。
ただの時間稼ぎで終わってしまいます。それでは、みんなを救ったことになりません。
先に飛行艇に乗り込んだコウさんを追って、私、エクソアも木の渡し板を伝って飛行艇に乗り込みます。コウさんに会いに行ってくれているのです。
"コ、コウさんに会ったら――『飛ぼうと水上を滑っていて、機首が跳ね上がったら、機首を抑えて。でも、押さえこみすぎて川に沈まないように』と……そう伝えてください"
最後の時間軸で、私がコウさんに助言した言葉。水切り石現象の回避に成功した言葉。そして市街地墜落を招いた、元凶の言葉。
言いたくなかったけれど、私は勇気を振り絞って、エクソアに語りかけます。
むわりと熱気が漂う機内。コックピットを探すエクソア。そこに彼の姿はありません。
コウさんが機内の熱気を追い出して換気するために、戸や観測口を開けているのです。
間もなく、エクソアは飛行艇備え付けのハシゴに乗って、機内から天井の蓋を開けようとしているコウさんを見つけます。
エクソアは、ちょっとズレた感じでコウさんに言うはずです。
「あの、コウさん。水の上を滑るときは、少しだけ機首を空に向けると、いい気がします」
「お、おう……」
コウさんは、少し驚いたような様子で私を見つめます。
私は続けて、前回の時間軸でエクソアにどう言ったかを思い出しながら、できるだけ記憶に忠実に語りかけます。
"大事なことなので。コウさんには、前言ったことでも、何度も繰り返し伝えて"
「空を見ながらゆっくり持ち上げるみたいに飛ぶと、いいかもしれない、と思いました」
「あー……そうだな、確かに」
「前にも言っていたらごめんなさい」
これで、この時間軸の飛行艇は、市街地の墜落する未来へ進みます。
前回と同じです。でも、ひとまずはそれでいいのです。それが必要なのです。
コウさんは両足をハシゴに乗せたまま、視線を天井の蓋に移して手を伸ばします。
蓋を横に動かそうと、ぐい、ぐいと横に力を入れる彼の身体が、ハシゴの上で揺れます。突然ガラゴロと軽快な音がして、蓋が開きました。
外からの光が差し込んで、斜めから照らされる、コウさんの姿。
私はエクソアの視界を介して、既視感を感じながら見ていました。コウさんの反応は、直前の悲劇の時間軸と全く同じです。
これで、水切り石現象は回避できるはずです。コウさんが死んでしまうまでの時間を稼げたはずです。
「ありがとな。心配してくれて。やれるだけのことはやる。ダメだったら、骨は拾っといてくれ」
「…………。」
「俺は生き返らせてもらえるほど徳の高い人間じゃないんだ、お前と違って」
コウさん、シャレにならないんです。骨は拾ってくれって言葉は。このままだと、本当にあなたの骨を拾うことになるんです。
だから、とても緊張します。
私がここからちゃんと出来るかどうか。すべて、それにかかっています。
"エクソアさん。マズいと思ったら、自分で失敗を選ぶ勇気も、大切だと伝えて! 試験の成功なんかより、誰も死な……みんなが生きていることが大事だって、伝えてください!!"
「正直、俺も――」
「……あの」
「ん?」
コウさんが何か言いかけたとき、エクソアの言葉が被ってしまいます。
彼は私の言葉を待っているようでした。
”言って!”
「失敗する勇気もまた、成功と同じくらい大切かもしれません」
これだけ多くの人が集まる大規模な試験です。私が「試験を中止しましょう」と説得することは不可能です。
でもコウさんが、彼の意思で「引き返す」ことを判断するなら話は別です。
コウさんは飛行艇計画の中心人物であり、飛行艇のことを一番良く知っています。
彼の判断に、誰が異を唱えられましょう。
これは、命がけの試験。
どの時間軸のコウさんも、ちゃんと飛べるか、いつも不安で押しつぶされそうでした。
だから、これまでの時間軸で試験の書類を直前まで見て確認していたし、機内に異常が無いかも点検していました。私に「落ち着いて一人になる時間をくれ」とさえ言ったのです。
「…………。」
そして、コウさんは同乗者の命を何よりも優先する人です。
事実水切り石事故の時間軸、川に沈んだコックピットで。彼は自分よりグレアさんを、彼は自分より私を助けようとしました。
そんな彼が試験を完遂しようと空を飛んでしまったのは、ガルさんが言ったように、領主ベルゲン様のお力添えが、工業ギルドの皆さんの協力が、観衆の期待が、そして彼自身の成功させたい強い思いがあったからに違いないでしょう。
市街地に墜落した原因は、私を含めて誰も分かっていません。機内で何が起きていたのかは、コックピットにいたコウさん達しか知りません。
だから私は、彼が二つの気持ちの葛藤の末に、試験失敗を決断するよう誘導することに賭けるのです。
試験を中止すれば、きっとコウさんなら飛行艇が航路を逸脱した原因も持ち帰ってくれると、信じるのです。
「失敗しても、生きていればまた――やり直せます」
エクソアはそう言って、木の床板に視線を落とします。
奇跡が起きました。私が伝えたくて、少し言葉足らずだったかもしれない言葉を、エクソアが綺麗にまとめて伝えてくれたのです。
この賭けに失敗したら、飛行艇は再び市街地を飛んで、再び九人の犠牲者を出すことになるでしょう。だけど、止めるならここしかありません。
だからお願い。コウさんの心に届いて……!
「……そうだな」
「こんなときに、水を差すようなことを……気分を悪くしたらごめんなさい」
「リンの言葉が純粋な心配なことくらいは、鈍感な俺だって分かる」
コウさんの目が、少し優しくなります。果たして、彼の心に届いたでしょうか。
人が誰かの心や考えを、言葉や行動で変えることは、とてつもなく難しいことです。私のこれまでの人生で、それを痛いほど思い知らされてきました。
だからでしょうか。言ったそばから不安が、膨らむ泡のように大きくなっていくのは。
「……なあリン、初飛行に成功したら、みんなで寄ってたかって、ベルゲンにオゴらせて、豪勢にメシ食いたいよな」
「そう、ですね――」
エクソアは困ったように笑います。
本当に伝わったのでしょうか。きっと彼はこのまま、前の時間軸でも聞いた、コウさんが白身魚を食べたいという話をするのでしょう。
「地上組――ガルとブロウルに何が食いたいか、聞いといてくれないか?」
「…………。」
「俺は、そうだな――焼き魚が食いたい。赤身も乙だが、脂の乗った白身が気分だな」
あのときと同じように、コウさんが私の手とって、冷えた両手の指先で、私の手を優しく包み込みます。
エクソアは少し驚いた様子で、彼の握る両手を見つめます。
私は知っています。今日は少し暑いくらいなのに、あなたの手が冷たいのは、緊張しているからでしょう。試験が恐ろしいからでしょう。
あなたの恐怖は、決して杞憂なんかではないのです。だから、引き返して。
「試験中に困ったことがあれば、ブロウルを頼るといい。変態ではあるが、あいつの人柄は間違いない」
ええ。コウさんの言うとおり、ブロウルさんはすごく優しくて強い人でした。私にはもったいないほどに、本当に温かい人でした。
けれど、今は違うのです。私が一番困っているのは、あなたです。
引き返すと決断してくれること。それはコウさん、あなたじゃないとできないんです。
「ありがとうございます――コウさん、どうかご無事で」
だから本当に、お願いします。
みんなのために、無事に帰ってきてください。
最後の時間軸で残されたブロウルさん、ガルさん、そして私の三人からの、未来からの手紙を、どうか、どうか受け取ってください。




