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「あなたが奥様なんですよね?」いいえ、その方の妻という役は先月で終わっておりますので、ご用件はご本人へ

最終エピソード掲載日:2026/08/05
玄関の外で、見知らぬ女性が泣いていた。

夫の恋人だと名乗った。

クレアは、その人の名前を知らなかった。

子爵夫人になって、十年になる。

屋敷の朝の茶も、客間の椅子の向きも、彼女が決めてきた。

冬の夜半に起きて、温室の火を見るのも彼女の仕事だった。

もうひとつ、誰も数えない仕事があった。

夫の前で、妬いてみせることだ。

愛されているか確かめたがる人の隣で、十年続けた。

その朝、クレアは何も言えなかった。

怒りを探したが、出てこなかった。

十年前なら形になったものが、もう手の届く場所に無かった。

泣いている人は、修羅場を用意して歩いてきた。

けれど、渡せるものが彼女には無い。

用意された舞台は、そこで成立しなくなった。

その夜、夫のほうが先に離縁の言葉を口にする。

クレアは取り乱さず、必要な書き付けの数を尋ねた。

そして翌朝、温室の鍵を自分の帯へ移す。

彼女がやめたのは、妬いてみせることだけではなかった。

屋敷の朝が、少しずつ変わっていく。

茶の味が変わり、客の帰る時刻が早くなる。

妬かれることを愛だと思っていた人は、妬かれなくなった日から何を失うのか。

数え終えるまでに、どれだけの時間がかかるのか。

その頃、彼女はもう別の場所で、乾いた葉の匂いを嗅いでいる。
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