俳句 楽園のリアリズム(パート7-その1)
いよいよ後半(第2部)のはじまりです。今回の終わり近くで、どなたにも人生へのあこがれと郷愁を感じさせてくれるにちがいない、私の大好きな大木実の「陸橋」というおなじタイトルの詩を2篇読んでみることになります。詩を味わうための下順として、詩を味わうのに十分な程度の詩的な能力をご自分のものにする必要があるなんて言ってきましたが、このあともなんども読むことになる大木実の詩はやさしい散文を行分けしただけのようなだれにでもすぐに味わえる詩ですし、まだ借り物のような詩的能力でも、今回は24句の俳句のポエジーに、まるでご自分のもののように生き生きさせられた詩的想像力や詩的感受性や詩的言語感覚でもって、大木実の詩2篇を読んでいただくことになります。
次回と(パート8-その1)だけは第2部でもふつうの詩は出てきませんし(パート10・全)と(パート12・全)では逆に詩だけを読むことになりますが、それ以外では、今回とおなじように俳句のポエジーに活性化された詩的想像力や詩的感受性や詩的言語感覚でもって、最後に何篇か詩を味わうことになります。つまり、ほんとうを言うと、第1部の俳句でほどほどのポエジーを味わえるようになった方は、ふつうの詩でそれなりの詩的な喜びを味わうことなどわけないこと。前半と後半に分けてみたのも、第1部でじっくりとご自分の詩的想像力や詩的感受性や詩的言語感覚を養って、第2部に出てくる66篇の詩でいきなり本格的な詩情や詩的な喜びを体験していただきたかったからにほかなりません。
俳句ではポエジーがすべてですが、ふつうの詩(や短歌)では、純粋なポエジーほどではない詩情に、意味作用による人生的な感動や喜びがプラスされることになります。
それにしても、私の作品をくりかえし読みこんでいただければそのうちいやでも両方味わえるようになるはずですが、俳句の純粋なポエジーと意味作用による人生的な感動や喜びや慰めが加味された詩(や短歌)の不純なポエジーと。人生の喜びとして、どちらのほうが上ということになるだろうか。
グーグルのAIモードで、山崎久和の「俳句 楽園のリアリズム」における俳句の純粋なポエジーと詩や短歌の不純なポエジー、と検索したら、こんなことまでAIが即座に、私の作品に即して解説してくれました。間違った回答もあるので、そのつもりで利用していただけたらと思います。
俳句 楽園のリアリズム(パート7ーその1)
2025/06/28 16:47
(改)