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俳句 楽園のリアリズム(パート7-その1)


 ちょっと胸をはって言っておきたいのですが、詩などというものに縁のなかった方でもこの本(にはまだなっていませんけど)のなかの俳句でポエジーをほんの少しでも味わえるようになったなら、いまの段階でも(あるいは、その時点で)私の作品のなかで、ふつうの詩を読んで、とりあえずはそれなりの詩情や詩的な喜びや慰めは感じとることができるのではないかと思っています。

 (それをさらに高いレベルで実現させるためには、全部で150句を3句ずつ50回にわたって、ほとんどがバシュラールのひとつの言葉の助力だけで味わっていくことになる前回の(パート6・完結ーその3)の本文だけを、俳句のポエジーは一度味わえばそれでおしまいというものではないのだし、150句もあるので少しだけでいい、どこでも好きなところをくりかえし何度も味わっていただくことをおすすめします。残りの32作品をくりかえし読んでいただくことと並行して、それを何度も読んでいただけたなら、効率よく、確実に、ご自分の詩的想像力や詩的感受性や詩的言語感覚を育成することにつながるはずです。ほかの作品の10倍はくりかえし読まれていい、詩的想像力などを養うにはうってつけなシンプルな内容なのに、予想に反して、令和7年10月の時点でなぜかそれほど読んでいただいていないので、ここに追加してPRしておきます)

 俳句ではポエジーがすべてですが、ふつうの詩(や短歌)では、純粋なポエジーほどではない詩情に、意味作用による人生的な感動や喜びがプラスされることになります。
 それにしても、私の作品をくりかえし読みこんでいただければそのうちいやでも両方味わえるようになるはずですが、俳句の純粋なポエジーと意味作用による人生的な感動や喜びや慰めが加味された詩(や短歌)の不純なポエジーと。人生の喜びとして、どちらのほうが上ということになるだろうか。
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