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病弱な幼馴染を優先する婚約者へ。で、彼女は何の病気ですの?

掲載日:2026/08/25

 芳醇なダージリンの香りが、午後のサロンにゆるやかに満ちていた。

 磨き上げられたティーテーブルを挟んで向かいに座る婚約者、オリバー・ジェラストンは、落ち着かない様子で何度も壁の時計へ視線をやっている。私とのお茶の席だというのに、その心はもう別の場所にあるのだと、隠そうともしない態度だった。

 その行き先がどこなのか、私にはとっくに分かっている。


「オリバー様。今日も幼馴染のフェラシアさんのお見舞いに行かれるのですか?」


 静かに問いかけると、彼は一瞬だけばつが悪そうな顔をしたものの、すぐに「仕方のないことだ」とでも言いたげな表情を作って頷いた。


「ああ。悪いね、ルリエラ。けれど、あの子は本当に身体が弱いんだ……今も熱が下がらず苦しんでいるらしい。僕が顔を見せないと、すぐ不安になってしまうんだよ」


「まあ」


「君なら理解してくれるだろう?病人を見捨てるような真似はできない」


 慈悲深い自分に酔ったような言い回しに、私は心の中だけで冷たく笑う。

 私との約束を何度も破っておきながら、よくもそこまで立派な台詞が吐けるものだ。

 『フェラシアは俺がいないとだめなんだ』『ルリエラは強いから、僕がいなくても大丈夫だろう?』そんな尤もらしい事を言いながら、オリバーはいつも幼馴染を優先し、私を蔑ろにし続けた。以前は注意した事もあったが『ルリエラがそんな冷たい女だとは思わなかった!』と怒鳴られてから、私はもう彼を諭す事をやめた。


「ええ、もちろんですわ。オリバー様はお優しいのですね」


 そう返しながら、私はティーカップをソーサーへ静かに戻した。


「ですから、今日はぜひお伺いしたいことがあるのです」


「……伺いたいこと?」


 私は何気ない顔で首を傾げる。


「フェラシア様は、何のご病気ですの?」


 オリバーはパチリと目を瞬いた。


「ですから、ご病名ですわ。そこまで熱心にお見舞いなさっているのですもの、当然ご存じなのでしょう?」


「いや、その……詳しいことは聞いていない。ただ、ずっと熱が続いていて、ひどく弱っていると……」


「まあ」


 私はわずかに目を見開いた。


「何の病気かもご存じないまま、あれほど頻繁にお見舞いへ通っていらしたの?」


 オリバーが口を閉ざす。そこで初めて、自分の答えがどれほど不用心なものだったか気づいたらしい。


「それは……フェラシアが僕を頼りにしているからだよ。病名なんて関係ないだろう。つらい思いをしている彼女を励ましたかっただけだ」


「本当に?」


 私は穏やかな声のまま問い返した。


「もし、それが人にうつる病でしたら、どうなさるおつもりだったのかしら」


 彼の表情がぴたりと固まる。


「たとえば空気感染するものだったら?あるいは原因不明で、まだ広がり方も分かっていない病だったら?貴方は何の警戒もなく彼女の部屋へ通い、そこからご自宅へ戻り、我が家へも顔を出し、社交の場にも出ていらっしゃるのよ」


「そ、そこまで大げさな話では――」


「大げさではありませんわ」


 私は静かに言い切った。


「高位貴族の振る舞いは、そのまま周囲に影響を与えますもの。万が一、貴方が病を運び、屋敷や社交界へ広めるようなことがあれば、貴方お一人のお立場で済む話ではありませんでしょう?」


 ようやく彼も、自分がただ「優しいことをしている」のではなく、ひどく軽率な行動を取っていた可能性に思い至ったようだった。目に見えて顔色が悪くなっていく。


「……フェラシアは、そんな……」


「でも、ご安心くださいませ」


 私はにっこりと微笑んだ。


「あまりに心配でしたから、私の方で医師と調査できる者を手配して、フェラシアさんのご病気を調べさせていただきましたの」


「……は?」


 オリバーの目が見開かれる。


「調べさせた?君が?」


「ええ」


 私はあっさり頷く。


「感染の恐れがある以上、初動は早い方がよろしいでしょう?これは婚約者として当然の配慮ですわ」


 彼の喉が、ごくりと鳴った。

 顔色はすでに青を通り越して、灰色に近い。


「それで……結果が分かったのです」


「……っ」


「彼女も隠しておきたかったのでしょうね。お気の毒ではありますわ」


 そこで私は、一拍だけ置いた。


「フェラシアさんの病は、花柳病(性病)でしたの」


 がたん、と大きな音がした。

 オリバーの手元で傾いたカップから、熱い紅茶が膝へと零れている。けれど、本人はそんなことも感じないらしい。ただ唖然としたまま、こちらを見つめていた。


「可憐で儚げな方に見えても、実際にはずいぶん華やかな交友関係をお持ちだったのですね。下町の酒場へも出入りし、複数の男性と深い仲になっていたとか」


「そ、そんな、馬鹿な……」


「ええ、公表できないのも無理はありませんわ。令嬢が性病だなんて、あまりに体裁が悪すぎますもの」


 私はハンカチを取り出し、そっと膝の上に落ちた紅茶へ目を向けた。


「お召し物が濡れておりますわ。後でお着替えなさってくださいませね」


 それから、まるでよい知らせを伝えるかのように、私は明るく言った。


「でも、本当に良かったですわ、オリバー様」


「……なに、が」


「花柳病は、空気でうつるものではありませんもの。飛沫感染もしませんし、ただ同じ部屋にいたとか、お見舞いに通ったとか、その程度ではまず感染しませんわ」


 彼の喉仏が激しく上下する。

 私はその変化を見つめながら、さらにやさしい声で続けた。


「つまり、『直接的な性的接触』さえなければ、何も問題はないということですわ。貴方はただ幼馴染を気遣って、お見舞いを続けていただけですものね。でしたら安心ですわ」


 今度こそ、彼の顔から完全に血の気が失せた。唇がわなわなと震え、こめかみに汗が滲む。息の仕方すら分からなくなったのか、呼吸は浅く、肩が小刻みに上下していた。

 その姿を見れば、もう十分だった。彼がフェラシアの部屋で何をしていたのか。

 ただベッドのそばに座り、手を握って励ましていただけではないと、自白しているも同然だった。


「まあ……どうかなさいました?」


 私は椅子から立ち上がり、彼のそばへ歩み寄る。


「ひどくお顔の色が悪いですわ。熱でもおありなのではなくて?」


「あ……あ、あ……」


「一応、明日にでも検査は受けてくださいませね。私の方でちゃんと手配しておきましたから」


「け、検査……」


「ええ」


 私はそっと彼の肩に手を置いた。


「もちろん、疑っているわけではありませんのよ。でも、念には念を、ね?万が一、貴方がその病に罹っていたら……この婚約は即刻白紙になり、貴方はご実家からも勘当されるでしょうから」


 びくり、と彼の肩が跳ねる。

 私はそれを気にした様子もなく、するりと手を離した。


「それでは、私はこれでお茶会を失礼いたしますわ。フェラシアさんのお見舞い、どうかお気をつけて行ってらっしゃいませね」


 私は優雅にカーテシーをして、その場を後にした。背後から聞こえてくるのは、乱れた呼吸と、歯の根が合わずにかちかちと鳴る、情けない音だけ。

 けれど振り返りはしなかった。

 彼がこれから一生抱える恐怖と後悔に比べれば、私のささやかな婚約破棄の手間など、安いものだ。


 サロンを出た私は、廊下の窓から差し込む午後の日差しの中で、ひとつ静かに息を吐いた。あとは検査結果が彼を追い詰め、家同士の話し合いが婚約を終わらせる。私がわざわざ声を荒げて責め立てる必要など、最初からなかったのだ。

 だって、最も彼を怯えさせるのは、私の怒りではない。

 彼の体の中に、確かに入り込んでしまった“結果”そのものなのだから。

お読みいただきありがとうございます!短くサクッとざまぁシリーズです。自業自得ですね!

少しでも面白いと感じていただけたら、★評価、ブクマしていただけると励みになります!


---補足---

オリバーは伯爵家次男、ルリエラは伯爵家の一人娘。オリバーは婿入り予定でした。

フェラシアは男爵家令嬢、という設定でした。

「病弱な幼馴染を優先する男」って、寄り添ってる自分に酔ってるだけで、相手の病気とかそういうのに無頓着そうだなぁ・・・と思って生まれた作品です。

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言われてみれば危機意識がないですね。 まぁ、目的は見舞いじゃなさそうですから違う方に意識をとられていたのかもしれませんね。
性病は意外と洒落にならない物が多い。 独身及びそんな娯楽がない地方民には関係ない話なんですけどねっ!!!!!!!!!! (滝のように流れる血涙)
病弱幼馴染と自分の婚約者が仲良くしすぎているときの対処方法は、これが一番かも(笑)! 結果が出るから、無駄な時間を費やさなくて済むもんね。 しかし、貴族は、特に令嬢は、婚約前に念入りな健康診断を受けさ…
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