繊細ヤクザに正論パンチ!
「ひどい!!ジェシカ様も、私のことバカにするんですね!」
ヴァインシュタイン公爵家の豪奢なラウンジに、張り詰めた金切り声が響き渡った。最高級のダージリンの香りが漂い、優雅な午後のひとときを楽しんでいた参加者たちは、一斉に声の主へと視線を向けた。
「人の弱さや悲しみを平気で嘲笑い、踏みつけて悦に浸るような人が選ばれて、私のように弱者に寄りそう作品を紡ぐ繊細な人が選ばれないなんて……ひどい世の中ですわ!」
目の前には、まるで悲劇のシンデレラのように床に泣き崩れる令嬢の姿があった。
シルル・ニスカジェラ男爵令嬢。華奢な肩を小刻みに震わせ、両手で顔を覆いながら、大粒の涙を床の絨毯に染み込ませている。しかし、周囲の誰一人として彼女に歩み寄り、慰めの言葉をかける者はいない。皆、ひたすらに冷ややかな視線を送るか、関わり合いになるまいと目を逸らしているだけだった。
私は、冷めかけた紅茶のカップをソーサーに静かに置き、小さく息を吐いた。一体どうして、こうなってしまったのか。
――事の始まりは、数ヶ月前にさかのぼる。
*****
刺繍、詩作、絵画。
これらは、我が国の貴族が嗜む娯楽であり、同時に文化形成の根幹を成す重要な要素である。
決して必須の義務というわけではない。剣術や武芸に秀でる者が尊ばれるように、芸術の分野において卓越した才能を示すことは、貴族社会において大きなプラスとなり、己のステータスを確固たるものにする。
かくいう私も、詩作をこよなく愛する者の一人だ。
学生時代には、王家が主催する栄えある『王選詩作集』に作品が選出されたこともあった。その実績が、ついこの間ヴァインシュタイン公爵家に嫁いだ私の評価に、全く関係していないと言えば嘘になるだろう。
そう、この趣味はただの個人の楽しみという枠に収まらない。特に貴族女性にとっては、知性と感性の豊かさ、そして教養の深さを示す重要な指標であり、ひいては婚姻の場においても大いに有利に働く武器となるのだ。だからこそ、皆がこぞって腕を磨き、素晴らしい作品を生み出そうと努力を重ねるのである。
もちろん、芸術的才能だけが全てではない。家格の釣り合いは当然のこと、一般教養、社交界でのマナー、空間の雰囲気を盛り上げるウィットに富んだ会話、そして何より誠実な人柄が重視される。以前、私と親しくしていた子爵令嬢の友人は、刺繍も詩作も絵画もてんで駄目であったが、見事な乗馬の腕前と快活な性格が評価され、辺境伯に見初められて嫁いでいったという例もある。何が幸いするかはわからないが、自分を磨く努力が報われる世界であることは確かだ。
何はともあれ、私はヴァインシュタイン公爵夫人としての社交界での仕事の一環として、邸宅のラウンジを開放し、「詩作クラブ」を運営することになった。
詩作クラブと言っても、息詰まるような厳しい修練の場ではない。週に一度、木曜日の午後に公爵家のラウンジに集まり、静かに執筆に勤しむもよし、お茶を飲みながら創作論を熱く語り合うもよし。参加者から求められれば、私がこれまでの経験を活かして講評やアドバイスを行うこともある、という和やかな集まりだ。
公爵家の威光もあってか、クラブはまたたく間に社交界で人気を博した。男女問わず参加を歓迎していたため、共通の趣味を持つ者同士の出会いの場としても機能し始めたのである。カップルで連れ立って参加する者もいれば、この詩作クラブでの交流がきっかけで惹かれ合い、見事婚約に至ったという喜ばしい例も既にいくつか生まれていた。
そんな華やかな噂が王都中に蔓延したのか、あるいはどこからか聞きつけたのか。ある日の午後、三人の若き令嬢が連れ立ってクラブを訪ねてきた。
「あの……突然の訪問をお許しくださいませ。私たち、こちらの詩作クラブの素晴らしい噂をお聞きして、ぜひ参加させていただきたく……」
三人は少し緊張した面持ちで、言いづらそうにそう切り出した。話を聞けば、彼女たちは王立学園の同級生らしい。とはいえ、私も学園を卒業してすぐに公爵令息であるルートヴィッヒ様と婚約、結婚の運びとなったため、彼女たちとさほど年は変わらない。だがその初々しい姿に、かつての自分の学園生活を思い出し、自然と頬が緩んだ。
「ようこそいらっしゃいました。ここは詩作を愛する方ならどなたでも歓迎いたしますわ」
快く招き入れると、三人はホッと安堵の表情を浮かべた。彼女たちの名前は、ソフィア・レンツ子爵令嬢、エルザ・ノイマン男爵令嬢、そしてシルル・ニスカジェラ男爵令嬢といった。
エルザとソフィアは、
「著名な詩人方の作品に触れ、自らの表現力を高めたいですわ」
と目を輝かせて語り、シルルは、
「わたくし、ここでなら素晴らしい出会いがあるかもしれないって……あ、いえ、もちろん詩作の腕も磨きたいと思っておりますわ!」
と頬を染めながら語った。
(良いご縁を見つけるための参加かしら)と内心で推測したが、さして気にするほどのことでもなかった。社交の場において、良き出会いを求めるのは貴族として当然の振る舞いでもあるからだ。
彼女たちがクラブの一員として加わり、エルザとソフィアは熱心に執筆に励み、他の参加者との交流を楽しんでいた。
一方シルルは、私がかつて選ばれた『王選詩作集』に自分の作品が掲載されることを、半ば執念のように夢見ているらしかった。なんでも、学園に入学する前から五年間、毎年応募しては落ち続けているのだという。彼女が初めて参加したお茶会の席で、その悔しさを涙ながらに語った時のことはよく覚えている。
「五年間……五年間も心を込めて書き続けて、応募し続けたのに、審査員の方々には無視されてばかり……。わたくし、こんな仕打ちってないと思いますわ」
「新作も一生懸命書いているんですけれど、どうしても世の中の不条理への悲しさとか、誰にもわかってもらえない寂しさとかが先立ってしまって……。こんな暗い詩じゃだめだって、頭ではわかっているんですけれど……どうしても涙が止まらなくて……」
潤んだ瞳で周囲を見回し、儚げに俯くその姿は、確かに庇護欲をそそるものだったかもしれない。周囲の令嬢や令息たちも、創作の壁にぶつかる苦しみや、評価されない焦燥感は痛いほど理解できるため、彼女の言葉に深く同情した。
「そんなことありませんよ。シルル様の真っ直ぐな感性は、きっと誰かの心に届くはずです」
「ええ、諦めずに書き続ければ、いつか必ずシルル様の詩作を楽しみにしてくださる方が現れますわ」
皆が口々に優しい慰めの言葉をかけると、シルルは「ありがとうございます……でも、でも……」と、さらに哀れみを誘うような言葉を重ねるのだった。周囲からの同情や、優しい慰めを延々と引き出そうとするための発言であることは明白だったが、そういう気分になる時もありますわと、皆気を遣って彼女を励まし続けた。
それから毎週、三人は欠かさずクラブに参加するようになった。エルザとソフィアは、真剣に執筆に励んだり、新しくできた友人たちと作った作品を見せ合い、和気藹々と建設的な意見交換を楽しそうにしていた。しかし、シルルだけは違った。
彼女は毎週やってきては、自分の作品がいかに世間に理解されていないか、自分がいかに不遇であるかを嘆くばかりだった。最初は親身になって同情し、慰めていた参加者たちも、次第に疲弊していった。
「もっと情景描写を具体的にしてみては?」
「明るい希望を暗示する結末にしてみると印象が変わるかもしれない」
と、いくら真摯なアドバイスを送っても、彼女は「でも、わたくしの世界観が壊れてしまいますわ」「皆様はわたくしの悲しみが理解できないのですね」と、暖簾に腕押し。耳を貸すどころか、自分を否定されたと被害者ぶる始末である。
「また落選しましたわ……。この五年間、わたくしが身を削って何を書いても無視されてばかり。なのに、わたくしの周囲の人ばかりが軽々と飛び立って、賞をもらっていく。わたくし、それをずっと一人で耐えて我慢して……」
「わたくし、この残酷な世界を憎んでしまいそうだわ……」
ある日、見かねた年長の伯爵夫人が、優しくも真っ当な指摘をした。
「シルル様、公募に受かることや評価されることばかりを考えるのではなく、ご自身の作品の向上そのものに目を向けてみてはいかがかしら?あなたは本当は、どんな詩の世界を描き出したいの?」
するとシルルは大粒の涙をこぼし、
「わたくしの今までの努力を否定するのですか?……傷つきました」
と泣き出してしまった。
ラウンジは気まずい沈黙に包まれ、誰もが腫れ物に触るような視線を彼女に向けるようになった。このような騒ぎが度重なり、熱心にアドバイスをしていた者たちは一人、また一人と彼女から離れていった。
最終的に、彼女は誰からも相手にされなくなり、ぽつんと一人で席に座っては、周囲に聞こえよがしな深いため息をつき、皆に気まずい思いをさせるだけの存在となっていった。
*****
季節が変わり、詩作クラブの庭園の薔薇が見事に咲き誇る頃。シルルと共にクラブに入会した二人の同級生に、素晴らしい吉報が舞い込んだ。
まずエルザが、歴史ある民間の出版社が主催する新人賞を見事受賞し、詩集の出版が決まった。そしてもう一人のソフィアは、このクラブで知り合い、共に詩を語り合ってきた侯爵令息から求婚され、晴れて婚約の運びとなったのである。二人にとって、まさに喜ばしい門出であった。
クラブでは、二人の喜ばしい報告を祝して、ささやかながらも華やかなお茶会が開かれた。最高級のケーキと紅茶が振る舞われ、参加者たちは二人の努力と幸運を心から祝福した。
「エルザ様、本当におめでとう!あなたの詩、情景が目に浮かぶようで素晴らしかったもの」
「ソフィア様、お幸せにね。結婚式には素敵な詩を贈らせていただくわ」
ラウンジが祝福の拍手と笑顔に包まれる中、突如として場違いなすすり泣きが響き渡った。見れば、シルルが顔を両手で覆い、肩を震わせて泣き出しているではないか。
「ひぐっ……ううっ……ごめんなさいっ……」
「シ、シルル様?どうされましたの?」
「わたくしっ……お友達の幸せを、心から祝福しなきゃいけないのはわかっているのっ……!でもっ、どうしても……自分が惨めでっ……どうしてわたくしだけが、いつまでも誰にも認められず、独りぼっちなのかと……うわぁぁん!」
ラウンジの空気は一瞬にして凍りつき、冷ややかな困惑といたたまれない沈黙が広がっていった。せっかくのめでたい祝賀の席である。主役である二人の友人を差し置いて、なぜ今、自分が悲劇のヒロインとして振る舞おうとするのか。
(こんな時でさえ、自分のことしか考えられないの?)
(そんなに辛いのなら、欠席するという選択肢はなかったのかしら)
(きっと自分が主役で、常に慰めてもらわれないと気が済まないのよ)
声なき非難が、空間を満たしていく。
これ以上この場を台無しにさせるわけにはいかない。私は公爵夫人として、迅速にその場を収めるために彼女のそばに歩み寄った。
「シルル様。お気持ちが落ち着くまで、別室でお休みしましょうね。さあ、こちらへ」
彼女の腕を優しく引き、ラウンジから離れた静かな客間へと連れ出した。メイドに冷たい水とタオルを用意させ、彼女を一人にして頭を冷やさせることにした。
その数日後、クラブの常連である令嬢から、少し困ったような様子で耳打ちされた。
「ジェシカ様、実は少し耳の痛い噂を耳にしまして……。シルル様が、他のお茶会などで『ジェシカ様に皆の前で冷酷にお茶会を追い出された。わたくし、ただ涙を流しただけなのに、そんなに酷いことをしましたでしょうか』と涙ながらに訴えているそうなのです。それを真に受けて同情する者もいるとか……」
私は思わず眉間を揉み解した。あのお茶会の空気を壊した挙句、私が悪者にされているとは。げんなりとした疲労感がどっと押し寄せてきたが、まともに相手をするのも品位を欠くと思い、深く追及しないことにした。
*****
そしてついに、年に一度の最大の芸術イベントである『王選詩作集』のコンテスト結果が発表される日がやってきた。
その日は朝から王都中がその話題で持ちきりになり、我が公爵家にも早くから結果の速報が届けられた。入選を勝ち取った者たちの歓喜の声と、落選に涙をのんだ者たちの溜息が、王都の至る所で交錯する一日となった。
それから数日後。発表を受けて初めてとなる詩作クラブの日がやってきた。今日は夫であるルートヴィッヒ様が「公務が早く終わりそうだから、ジェシカの顔を見に少し顔を出すよ」と言っていたため、私はいつもより少しだけ心を弾ませながらラウンジへと向かった。
ラウンジは、いつも以上の熱気に包まれていた。受賞した者や、惜しくも落選した者がおり、それぞれが自身の作品を振り返り、反省点や次のコンテストに向けた展望について前向きに話し合っていた。私は希望する者たちの作品を手に取り、一つひとつ丁寧に講評や分析を行い、より良くするためのアドバイスを送っていた。落選して涙を流す者ももちろんいたが、彼らの涙は決して後ろ向きなものではなく、創作への情熱ゆえの美しい涙であった。
――ただ一人を除いて。
クラブの開始時間から少し遅れて、シルルがラウンジに姿を現した。顔色は青白く、足取りはおぼつかない。今にも倒れそうな様子で、フラフラと歩いている。彼女が登場した瞬間、ラウンジの空気が少しだけ重くなったのを感じた。
流石にこのまま放置するわけにもいかず、私は声をかけた。
「シルル様、お顔色が優れないようですが、大丈夫ですか?」
その言葉は、彼女にとって待ち望んでいた合図だった。
「うぅっ……ひぐっ……」
シルルはその場に座り込み、さめざめと泣き始めた。
「わたくしっ……なんで、なんでこんなに無視され続けなければならないの?!ただ、ほんの少しでも選ばれたいだけなのに……5年間、小さな賞一ついただけませんでしたわ……こんな仕打ちってないわ……」
「このまま誰にも選ばれずに、孤独に死んでいくんだわ……!一体、どうしたらいいっていうのよぉ!誰か教えてよっ……」
周囲の参加者たちは、またか、というように視線を逸らし、関わり合いになるのを避けるように距離を取った。誰も彼女の言葉に応えようとはしない。
最初に声をかけてしまった手前、このまま見過ごすとまた「無視された」とか言われかねない。私は彼女の声に応え、正面から講評をすることにした。
「シルル様。あなたの詩作は、言葉の響きは綺麗ですが、主題が全くはっきりしていないのが勿体ないですわ。現在は、物語調で起承転結がはっきりしており、読者の感情を揺さぶる劇的な展開を持つものか、あるいは古典的韻律を重んじた伝統的叙情詩、つまり厳格な定型に則った格式高いものの二極化が進んでおります。あなたの作品は、そのどちらにも属していないのが問題だと思いますの」
「うっ……ううっ……」
シルルは顔を伏せ、ただ泣くばかり。これではなんだか私が彼女をいじめているみたいではないか。
しかし、私は主催者として言葉を続けた。
「『王選詩作集』というものは最新の流行作を集めるものですから、ある程度大衆の心を掴む、大衆受けする要素を計算して書かなければならないわ。もし、ご自身の内面を静かに吐露する、伝統的な古典様式寄りの作風を貫きたいのであれば、民間の公募や、より格式を重んじる貴族院の公募に出してみるのも手ではないかしら?」
するとシルルはバッと顔を上げ、涙で濡れた顔を歪ませて叫んだ。
「大衆に媚びろっていうんですか!?」
金切り声がラウンジに響いた。
「わたくしには、わたくしだけの世界観があるんです!誰も傷つかない、優しい詩。そんな詩でデビューしたいと願うことって、罪なんですか!?」
「ですから、その作風に合った場所を探すべきだと――」
「もう、民間の公募や貴族院の公募にも出したんです!それでもダメだったんです!」
さめざめと泣き崩れる彼女に、私は冷静に尋ねた。
「あら、そうなの?ちなみに、どこに出したのかしら?」
「……『青の月』新人賞と、貴族院の『春風賞』ですわ……」
「それだけ?」
「え……?」
「世の中には多くの公募があります。たった二つ落ちただけで全てを否定されたように嘆くのは、いかがなものかしら」
シルルは顔を真っ赤にして立ち上がった。
「ひどい!!ジェシカ様も、私のことバカにするんですね!人の弱さや悲しみを平気で嘲笑い、踏みつけて悦に浸るような人が選ばれて、私のように弱者に寄りそう詩作が選ばれないなんて……ひどい世の中ですわ!」
私が諦めとともにため息をつこうとした、その時だった。
「はっはっは!!シルル嬢は随分と自信家だな!!うん、自信があることは大いに結構なことだぞ!!」
重厚なオーク材の扉が開き、鼓膜を震わせるような腹底からの豪快な声が響き渡った。そこに立っていたのは、予定通り早めに公務を切り上げてやってきた、私の夫であるルートヴィッヒ・ヴァインシュタイン公爵だった。
ルートヴィッヒ様自身は、詩作をはじめとする芸術分野にはてんで疎い。本を読むより剣を振るう方が性にあっているような人だ。しかし、「ジェシカが一生懸命頑張っている姿を見るのが、俺は何より好きなんだ!」と公言し、こうしてクラブに顔を覗かせてくれていたのだ。
突然の公爵の登場に、シルルは怯んだように一歩後ずさった。
「そ、そんなこと言ってません……自信なんて……」
ルートヴィッヒ様は楽しげに笑いながら、歩み寄ってきた。
「ん?廊下から聞いていたが、シルル嬢は『大衆なんかに媚びない』と言っていたではないか?さらに選ばれないことに対しても『自分は無視されている』と。それはまるで、己の作品は絶対的に素晴らしいのに、審査員の目が狂っているとでも言いたいようだな!」
「ち、違いますわ!そんなつもりじゃ……」
「わっはっは!今まで一回も賞をとったことがないというのに、『自分の作品は当然選ばれるはずだ』と思えるなんて、いやはや、すごい自信だなと思って感心したのだ!素晴らしいポジティブさじゃないか!」
悪意のない、しかし核心を突いた豪快な言葉がラウンジに響く。
「そんな……わたくし……こんなに傷ついているのに……!」
「ん?よくわからないが、傷ついているからと言って、周囲の者を困らせていい理由にはならんぞ。ジェシカをはじめ、皆お前に真っ当なアドバイスをしてくれているじゃないか」
ルートヴィッヒ様は朗らかに笑いながら、思い出したように言葉を続けた。
「そういえば、審査員の一人である文部卿から、先日困り果てた様子で相談をされてな。『ニスカジェラ男爵家のご令嬢から、なぜ落としたのか、自分は何回応募したと思っているのか、大衆向けの詩作ばかり受からせて情けはないのか、というような恨み言の手紙が何度も届いて困惑している。公爵夫人のクラブの会員らしいが……』と。これには俺も驚いたぞ!」
その言葉に、ラウンジ中が息を呑んだ。私も知らなかった事実だ。まさか、そこまで常軌を逸した行動に出ていたとは。
私は静かに一歩前に出た。ここからは、主催者である私がはっきりと告げなければならない。
「シルル様。そんな情けや慈悲で受賞させてくれるほど、甘い業界ではありませんわ。詩作は紙とペンさえあれば誰にでもできる。だからこそ、受賞というのは厳しい道なのです」
私の冷ややかな声に、シルルの肩が跳ねた。
「それに、他の努力している作品を”大衆に媚びてる”とバカにして、審査員にそのような手紙を送るなんて、シルル様にとってもデメリットしかありませんわ。
受賞した際には、式典での作法や、出版に向けた細やかな連絡のやり取りが発生します。常識を欠いた厄介な方を、どこの誰がわざわざ受賞させるものですか。詩作家としての矜持を、忘れてはなりませんよ」
シルルは、悲劇のヒロインめいた仕草で両手で顔を覆い、甲高い声で叫んだ。
「ひ、ひどい……っ!わたくしはただ、純粋な詩を愛しているだけなのに!誰にも認められない傷ついた心を、少しだけでも癒やしてほしかっただけなのに!そうやって冷たい正論で人を殴るなんて、ジェシカ様は血も涙もない悪魔ですわ!」
「……悪魔、ですか」
「そうですわ!わたくしのような繊細な人間が、どれほど社会の理不尽に苦しんでいるか……あなたのような恵まれた人間には、一生わからないんですわ!」
自分の傍若無人な振る舞いを棚に上げ、他者を責め立てるその態度は、まさに「繊細さを武器にした暴君」そのものであった。私が内心で深い溜息をついた時、ルートヴィッヒ様が口を開いた。
「おいおい、ジェシカだって最初から全て恵まれていたわけじゃないぞ。彼女にだって、落選が続いて悔し涙を流した夜があったのだ。だがな、その度に彼女は決して他人のせいにせず、何がいけなかったのか自分の作品を見直して改善していたのだ」
ルートヴィッヒ様が私の方に目をやり、優しく微笑む。
「いつも勝気なジェシカがしょぼくれるところも可愛くてな、そういう時は俺が優しく膝枕を――」
「ルートヴィッヒ様!」
私は顔から火が出るほど赤くなり、慌てて彼の言葉を遮った。
「なんだ、事実だろう?ジェシカがあまりに可愛いと、自慢したくなるのが夫の性というものだ」
ルートヴィッヒ様はケラケラと笑い、私は羞恥心で顔を両手で覆い隠した。
完全に居場所を失い、誰からも擁護されないことを悟ったシルルは、憎悪に満ちた目で私たちを睨みつけた。
「……もう、詩作なんてやめますわ!ジェシカ様のせいですわ!!」
「ん?やめたらいいんじゃないか?」
ルートヴィッヒ様が、心底不思議そうに首を傾げた。
「ひ、ひどいっ……!」
「詩作は義務ではないぞ?そんなふうに自分を卑下する道具として使われるのも、詩作という文化に対して失礼だからなあ。辛いなら一旦やめて、剣でも振って体を動かすといいぞ!筋トレも最高だ!鍛えた分だけ強くなる!!」
「バカにしてるんですか?!……みんな揃いも揃ってひどいことばかり!もう、わたくしに関わらないでください!!」
「誰も関わろうとしていないぞ?変なことを言う令嬢だなぁ」
そのあまりにも身も蓋もない正論に、シルルは顔を真っ赤にし、ワナワナと震え上がった。
「……っ、もういいですわ、二度とこんなところ、来てやるもんですか!」
ベタな捨て台詞を吐き、彼女はラウンジから逃げるように走り去っていった。
バタン、と重い扉が閉まる音が響く。静まり返ったラウンジで、ルートヴィッヒ様は頭を掻きながら私を振り返った。
「もしかして、俺はまた言い過ぎたのか?ジェシカ」
その言葉に、ラウンジにいた参加者たちは一瞬ぽかんとした後、耐えきれずに吹き出した。
「いいえ、公爵様」「わたくしたち、心の底からスッキリいたしましたわ!」と、次々に声が上がる。悪意の一切ない、純粋な正論の刃。それに救われた皆の安堵の笑い声が、ラウンジに明るく響き渡った。
*****
シルル・ニスカジェラが詩作クラブを去ってから、ひと月が過ぎた。クラブには再び平穏が戻り、エルザやソフィアたちをはじめ、皆が真摯に芸術と向き合う素晴らしい場所として機能し続けていた。
そんなある日、とある事件の報せが舞い込んできた。
シルルが、『王選詩作集』の審査員長に対して、ついに「殺害予告」を送りつけたというのだ。『私の才能を理解しない愚か者は、死をもって償うべきだ』という過激な手紙と、刃物が同封されていたらしい。
彼女は根本的なことを忘れていた、いや、理解していなかったのだろう。『王選』という名が示す通り、審査員のトップには、名目上とはいえ王族が名を連ねているのだ。王族に対する殺害予告。それはもはや、個人の逆恨みや悪戯で済まされる問題ではない。
「国家反逆罪」
それが、彼女に下された罪状であった。男爵家は即座に取り潰しとなり、彼女は王都の地下深くにある冷たい牢獄へと繋がれたと聞いた。いずれ処刑されるのか、毒杯を賜るのか、今の私には知る由もない。
落選は苦しい。選ばれないことはつらい。
周囲が先に進んでいくように見える時、自分だけが暗い部屋に取り残されたように感じることもある。
けれど、その苦しみは、他人を踏みつける免罪符にはならない。
弱さは、誰かを傷つける権利ではない。悲しみは、努力しない理由にはならないのだ。
自らの悲劇に酔いしれ、他者を責め続けた「悲劇のシンデレラ」は、自らの手で本当の、内部からの破滅を招いてしまったのである。
数日後。
穏やかな午後。自室でペンを走らせる私の傍らで、ルートヴィッヒ様が楽しげにお茶を飲んでいた。
「そういえば、ルートヴィッヒ様は文部卿と親しかったのですか?」
ずっと気になっていたことを尋ねてみる。あの日のラウンジで、彼が文部卿から直々に相談を受けていたと公表したことが不思議だったのだ。
「ん?なんというか、最近親しくなったのだ」
「最近、ですか?」
「ああ。シルルという娘に、ありもしない噂を流されて困っていただろう?お茶会を追い出した冷酷な公爵夫人だとか、なんとか」
「……よく覚えていらっしゃいますね」
「当然だ。ジェシカは厳しいところもあるが、意味もなく他人に辛く当たることは絶対にないからな。何か事情があったのだろうと思ったのだ。それでなんとなく詩作の関係者と関わりを持つようにしてるうちに、文部卿と親しくなった。あ、でも無理に親しくなったわけではないぞ?文部卿と話す、効率的な筋トレや肉体科学の話はとても勉強になるのだ!」
誇らしげに胸を張る夫を見て、私は思わず毒気を抜かれて微笑んでしまった。私のために動いてくれていた不器用な優しさが、胸にじんわりと染み渡る。
その日、私は新しい詩を書いた。題は、まだない。
美しいだけの言葉ではなく、優しいだけの祈りでもなく、苦さも醜さも含めた、人の心の詩にしたいと思った。
書きかけの紙を覗き込んだルートヴィッヒ様が、私の背後から嬉しそうに言う。
「いい詩になりそうだな、ジェシカ」
「まだ一行目ですわ」
「一行目からして、俺の妻は天才だ」
「そういう甘やかしは不要です」
「む。では、俺も講評しよう。まず字が綺麗だ」
「それは詩の講評ではありません」
「次に、悩んでいる横顔が美しい」
「……ルートヴィッヒ様」
私は振り返り、じっと夫を見上げた。彼は少しだけ黙ったあと、真面目な顔で言った。
「……主題がはっきりしていて、いいと思う」
私は思わず笑ってしまった。
「よろしい。少しは詩作クラブの主催者の夫らしくなってきましたわね」
「なら、ご褒美に膝枕を」
「いたしません」
「では、俺がする」
「もう。今は詩を書いておりますの」
そう言いながら、私はペンを取った。窓の外では、春の風が木々を揺らしていた。
紙の上に、まだ形にならない一節が生まれる。
私はそれを、静かに掬い上げた。
お読みいただきありがとうございます!
太陽の騎士様の正論パンチと溺愛第二弾でした。公爵家の膝枕文化は一体なんなんだ。
エルザとソフィアの視点はあまり語られてないですが、彼女たちからしても、シルルはいわゆる「フレネミー」ってやつだったのかもしれませんね。
少しでも面白い!スッキリ!と思っていただけたら、★評価ブクマしていただけると嬉しいです!
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前作「え〜婚約者さん厳しい〜(笑)私ならそんなこと言わないのになぁ」はこちら(もっと下にあるリンクからも飛べます)
https://ncode.syosetu.com/n6844ma/




