"病弱な幼馴染"を完治させたら、なぜか怒られました
婚約者とのデート中に、彼が別の女のもとへ呼び出される……それだけ切り取れば、ずいぶんと惨めな話に聞こえるだろう。
だが私――フラウ・ベルネスは、そのたびに感情を呑み込んできた。なぜなら相手がただの幼馴染ではなく、本当に病気を抱えた患者だったからだ。
「ルードル様、大変です!レニ様がまたお熱を!」
王都でも評判の菓子店で、ようやく二人きりの時間を過ごせると思った矢先だった。慌てた様子の使いが駆け込んできて、店内の空気が変わる。周囲の客がちらりとこちらを見る中、向かいに座っていたルードルは眉を寄せた。
私の婚約者であるルードル・エウレイアは、代々優秀な医師を輩出している名門・エウレイア伯爵家の令息だ。エウレイア家は王立病院の経営も任されており、彼自身も若くして王都有数の医師として第一線で活躍している。そして、レニ・フォルシュは彼の幼馴染であり、長く彼が診てきた患者でもあった。
レニは『灰白病』という、特別な病を患っている。人にうつる病気ではないが、著しく体の抵抗力を奪う厄介な病だ。少しの風邪や疲労からすぐに体調を崩してしまう。
もし彼が医者でなければ、例え使者から呼び出しがあっても「私が行ってもどうにもならないでしょう」と断るのが普通だ。しかし、ルードルは王立病院を背負って立つ立場の医師であり、さらにレニとは幼い頃からの付き合いということもあって、彼女の主治医的な立場にいた。だからこそ、簡単に無下にすることはできないのだ。
「……今日は婚約者であるフラウとの大事な予定があると、病院には伝えてあるはずだ。他の当直の医師を派遣するように言ってくれ」
ルードルは眉間を揉みながら、使いに向かって冷たくそう返した。しかし、私は小さくため息をつき、彼の手を握った。
「行ってあげて、ルードル。幼い頃からの付き合いでしょう?主治医のあなたが診てあげるのが、彼女も一番安心するわ」
「しかし、フラウ。せっかくの君との時間が……」
「いいから。私は大丈夫よ」
私がそう背中を押すと、ルードルは申し訳なさそうに私にキスを落とし、急いでレニの元へと向かっていった。
彼が呼び出される時の半分くらいは、レニが本当に熱を出して苦しんでいる時だ。しかし、残りの半分は「ルードルの顔を見たらすっかり治っちゃった!」と元気に笑っているらしい。そういう時、彼は呆れ顔ですぐに私の元へ帰ってくる。仮病や大げさなアピールが混ざっているのは明白だったが、半分は「本当の発作」である以上、安易に切り捨てるわけにもいかないのだ。
(病気なのだから仕方ない。私が行っておいでと言ったんだし)
そう自分に言い聞かせるものの、たびたびデートを中断される私は、当然ながら面白くなかった。デートの時だけでなく、誕生日や記念日、研究発表の祝いの席でまで、ルードルはたびたび席を立つことになっていた。
そして、その度に溜まりに溜まった私の鬱憤は、やがて別の方向へと爆発することになる。
私は子爵令嬢でありながら、王国病院の研究チームに所属する『薬師』である。もちろん、家の都合で適当に箔をつけるために勤めているわけではない。本気で研究がしたくて、薬で人を救いたくて、その道を選んだ。
ルードルとはそこで知り合った。臨床を重んじる彼と、理論と調合を担う私。意見をぶつけ合い、時には喧嘩しながら、同じ患者を救いたいという一点だけは一致していた。
「ええい、こうなったら徹底的にやってやろうじゃないの……!彼女の病気が治れば、誰も邪魔する人はいなくなるんだから!」
私は自分のイライラを、すべて仕事にぶつけた。自らプロジェクトを立案し、灰白病に効く特効薬の開発に没頭したのだ。寝食を忘れ、ルードルが心配するほど研究室にこもりきった結果——ついに、その薬は完成した。
徹底した臨床実験を行い、安全性も問題ないと証明されたその新薬は、瞬く間に多くの患者を救った。もちろん、王国の正式な支援を受けて、レニの元にもその薬は届けられた。私は王国から表彰され、ルードルも「君は本当に素晴らしい」と誇らしげに抱きしめてくれた。
「おめでとう、フラウ。君は本当にすごい」
「あなたの症例記録がなければ完成しなかったわ」
「いや。最後まで諦めなかったのは君だ」
その夜だけは、呼び出しもなく、私たちは静かに祝杯を交わした。
これでやっと、レニに呼び出されてルードルとの時間を邪魔されることはなくなる。そう、安心していたのだ。
*****
最初の1ヶ月は、何事もなく平和だった。レニの体調も安定し、ルードルが途中で離席することもなくなった。私たちは仕事終わりに食事に行き、休日には公園を散歩し、当たり前の婚約者らしい時間を積み重ねた。
だからこそ、二か月目のある夜、久しぶりに「レニ様の具合が悪い」と報せが来た時、私は思わず無表情になってしまった。
ルードルはすぐに駆けつけ、深夜になってから研究棟へ戻ってきた。疲れ切った顔で私の机の前に立つ。
「おかしい」
その一言に、私は顔を上げた。
「何がです?」
「症状が灰白病そのものなんだ。しかも、以前より悪い。薬を継続しているなら、ああはならない」
ルードルは頭を抱えて悩んでいた。私の作った薬の完璧さを信じているからこそ、自分の診立てが間違っているのか、それとも未知の合併症かと考え込んでしまっているのだ。そんな真面目な彼を見て、私はある確信を抱いた。
「……ルードル。私に考えがあるわ」
私は彼に耳打ちし、とある作戦を提案した。
数日後。再び「レニが倒れた」と緊急の呼び出しがかかった。しかし、レニの寝室のドアを開けて登場したのは、ルードルではなく、私だった。
「なっ……!なんで、あんたがここにいるのよ!」
ベッドで弱々しく横たわっていたはずのレニは、私を見るなり起き上がり、あからさまに不機嫌な声を上げた。
「ルードルは今日、外せない大事な用事があってね。代わりに私が来たの。私は薬師だし、灰白病の特効薬を開発した第一人者よ?多少はお役に立てると思って」
「帰ってよ!私が呼んだのはルードルよ!あんたなんかに診てもらうことなんてないわ!」
「そうはいかないわ。ルードルがあなたの症状をとても心配していたもの。特効薬が効かないなんて、前代未聞の事態だわ。もしかして、薬の保管方法を間違えた?それとも、何か別の病気を併発しているのかしら」
私がわざとらしく首を傾げると、レニは鼻で笑った。
「あんな薬、全然効かなかったわ!あんたの作った薬なんて、ただのゴミよ!だから治らないのよ!」
「ふふっ、そう?まあでも、効かないのは当然よね」
「はあ?なに開き直って……」
「だってあなた、あの薬を飲まずに捨てていたでしょう?」
部屋の空気が止まる。
レニの指先が、シーツをぎゅっと掴んだ。
「何を根拠に」
「処方された薬の量は減っているのに、あなたの血中からは薬効成分の痕跡が一切検出されていなかったの。それに、窓辺のあの鉢植え。薬の成分に反応して土が変色しているわ。ずっとあそこに捨てていたのね」
私は一歩、ベッドに近づいた。
「どうして薬を飲まなかったの、レニ様」
沈黙は長くなかった。
彼女はふっと乾いた笑いを漏らし、やがて憎々しげに私を睨んだ。
「どうして?そんなの決まってるじゃない」
その声には、もう病人の弱々しさは欠片もなかった。
「あんたのせいよ」
私は黙って聞いた。
「ルードルは昔から私のものだったの。具合が悪いって言えば、すぐに飛んできてくれた。苦しい時も、怖い時も、そばにいてくれた。なのに、あんたが現れてから変わったわ。あんたが婚約者になって、あんたが仕事でも隣にいて、あんたが……全部持っていった!」
「ルードルは物ではありません」
「うるさい!」
レニは叫び、咳き込んだ。肩を上下させながら、それでも歪んだ笑みを浮かべる。
「病気になれば、ルードルは戻ってきてくれる。だから薬なんていらなかったのよ。少し苦しいくらい、我慢すればよかった。そうしたら、また私を優先してくれるもの」
悲劇のヒロインのように叫ぶレニ。しかし、その言葉が寝室に響き渡った直後——背後のドアが、静かに開かれた。
「……今の言葉、本当かい?レニ」
「ル、ルードル……?お父様、お母様まで……」
ドアの前に立っていたのは、冷ややかな目をしたルードルと、顔面蒼白になったレニの両親だった。そう、最初から彼らはドアの外で待機し、すべてを聞いていたのだ。
ルードルはゆっくりとレニのベッドに近づき、医師として、かつてなく厳しい声で告げた。
「君は、自分がどれほど愚かなことをしたか分かっているのか?薬は、最初に少しだけ飲んでから中途半端にやめると、体内の病原が薬に対する『耐性』をつけてしまうんだ。そうなれば、もう通常の薬は効かず、病気はさらに治りにくくなる」
「え……?」
「今の君の症状はその典型だ。次に大きな発作が来れば、肺や心臓に取り返しのつかない後遺症が残るかもしれない。最悪――死ぬぞ」
最後の一言は、冷酷なまでに明確だった。
レニは息を呑んだ。さっきまでの激情が嘘のように、その目が怯えに揺れる。
「し、死ぬ……?そんな、大げさよ……だって、私はただ……」
「ただ、構ってほしかった?」
ルードルは彼女の言葉を引き取った。
「君がどれだけ不安だったか、苦しかったか、僕は知っているつもりだった。だからできる限り応えようとしてきた。でも、それは医師としてであって、恋人としてではない」
レニの瞳から、ぽろりと涙が落ちた。
「僕の愛する人は、フラウただ一人だ」
静かで、けれど決定的な宣言だった。
「君のところへ来ていたのは、患者だからだ。君が大事でないわけじゃない。幼馴染として心配もしている。だが、君が望む意味で、僕が君のもとへ戻ることはない」
「……いや……」
「レニ」
今度は母親が駆け寄った。泣きながら娘の手を握る。
「お願いだから、ちゃんと治療を受けてちょうだい……!あなたを失うなんて、お母様、耐えられないわ……!」
父親も目を潤ませて頷いた。
「私たちが悪かった。甘やかしすぎたのかもしれん。だが、今はそんなことを言っている場合ではない。ちゃんと治そう、レニ」
レニはしばらく何も言わなかった。
それから、崩れるように顔を覆って泣き出した。
「死にたく、ない……」
その泣き声を聞きながら、私は静かに息を吐いた。
怒りが消えたわけではない。散々振り回されてきたのだ。恨み言の一つや二つ、言ってやりたい気持ちもある。
けれど同時に、この子は本当に愚かで、幼く、そして病に人生を縛られてきたのだとも思った。
だから私は、薬師として言うべきことだけを口にした。
「だったら、生きるための選択をしましょう、レニ様。次はもうありません」
その夜のうちに、レニは王立治療院の集中病棟へ移された。
耐性がついてしまった病の再治療は困難を極めた。薬への強い反発作用が起き、最初の二週間、彼女は高熱と激しい呼吸苦に苛まれ続けた。
なお、ルードルが彼女の主治医を務めることはなかった。私情が治療の目を曇らせると、彼自身が毅然と判断して担当を外れたからだ。代わりに王立病院のベテラン医師が治療を引き継ぎ、私は薬師として、彼女の体質に合わせた新たな投与計画を一から組み直した。
それから三か月後。
レニはずいぶんやつれたものの、無事に峠を越えた。さらに半年後には特効薬の改良版を用いた治療を実施した結果、日常生活に支障がない程度まで回復し、病もほぼ寛解状態に入った。本人いわく、二度と治療を軽んじるような真似はしない、とのことである。
一方の私たちはといえば。レニからの理不尽な呼び出しが完全に消滅したことで、ルードルとの甘く穏やかな時間を存分に満喫している。最近は一緒に暮らす新居を探し始め、結婚式の準備で忙しくも幸せな毎日だ。
ちなみに。だいぶ懲りて、しっかりと反省したらしいレニの近況だが——
「先生!本日のお花です!あと焼き菓子も作りました!それと、今日はちょっとだけ髪型を変えたんですけど、どうでしょう!?」
以前より血色の良くなったレニが、白衣姿の青年医師にきらきらと熱を帯びた瞳を向け、小走りで追いかけていく。聞けば、彼女は彼を追って看護師になるための勉強を始めたらしい。
彼女に付きまとわれている――もとい、熱烈に慕われている青年は、レニの再治療を担当した新しい主治医だ。院内でも寡黙な仕事人間として有名な彼だが、今は見事なまでに頭を抱え、逃げるように早歩きをしている。
その騒がしくも微笑ましいドタバタ劇を隣で眺めていたルードルが、同情とも呆れともつかない、なんとも言えない顔になった。
「……懲りていないんじゃないか、あれは」
「懲りたからこそ、今度は健康な状態で正面から口説いているのでしょう」
「そういう問題かな……」
「少なくとも、病気を理由に人を縛ろうとはしていないわ」
そう言うと、ルードルは小さく息をついてから、私の肩を抱き寄せた。
「なら、もういい。あとは彼女の新しい主治医殿に任せよう」
「ずいぶんあっさりしているのね」
「これからは、愛する婚約者との時間だけを大切にしたいからね。今まで我慢させてしまった分、君をうんと甘やかしたいんだ」
耳元で囁かれて、少しだけ頬が熱くなる。見上げれば、ルードルは以前よりずっと甘く、迷いのない顔で私を見つめていた。
病気は人を弱くする。けれど、弱さを言い訳にして誰かの心を縛りつけることは、きっと間違っている。私たちは少し遠回りをしてしまったけれど、その分だけ、互いを想う絆は強くなったはずだ。
「……覚悟しておきますね」
だから今度こそ、誰にも邪魔されない、二人だけの穏やかな未来を歩んでいくために。私は彼の手をしっかりと握り返した。
ここまでお読みいただきありがとうございました!
レニは医師の青年を追いかけ回してますが、ちゃんと休憩時にアプローチしているので、仕事の邪魔はしていません。そしてその医師も意外と満更でもなかったり?してます。
ちゃんと分別はつくようになっているのでご安心を。
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