お前を愛することはない?夫は殺人鬼?……はぁ。散々だ。
「お前を愛することはない」
今朝、形ばかりの婚礼を挙げたばかりの夫、ジャック・リヴィア男爵は、初夜のベッドで寝台の端に座る私を見下ろし、酷薄な笑みを浮かべて言い放った。
(あーあ、本当に散々だなあ)
私、ポメラ・ノートンは、心中で深く深くため息をついた。
子爵家に長女として生まれたものの、私の人生は実母が亡くなった十歳の時に終わっていた。後妻として入ってきた継母と、その連れ子である義妹のマリエッタに、私は徹底的に虐げられたからだ。豪華な自室はマリエッタに奪われ、私は隙間風の吹き込む屋根裏部屋に追いやられた。ドレスはマリエッタのお下がりどころか使用人以下のボロ布を着せられ、食事は残り物を漁ることで凌いだ。
父親はといえば、美しく愛嬌のある義妹ばかりを可愛がり、私には完全に無関心だった。私が熱を出して倒れても「怠けるな」と鞭打たれる始末である。
さらに最低なことに、父親はリヴィア男爵から私宛へ持ちかけられた縁談に、一言も相談なくふたつ返事で頷いた。男爵が「結納金」として提示した、ありえない量の金貨に目が眩んだのだ。「あの薄汚い娘が、これほどの富をもたらすとはな」と下劣に笑う父親の顔を思い出すだけで吐き気がする。
リヴィア男爵は社交界でもすこぶる評判が悪い。なんせ、過去三人の奥方が全員、嫁いで一年以内に「謎の失踪」を遂げているのだ。まともな親なら絶対に娘を嫁がせたりしない。そんな相手への、身売り同然の輿入れだった。実の親にゴミのように厄介払いされるなんて、全くもって散々だ。
わずかながら、「実は悪評は誤解で、不器用なだけの溺愛ルートが待っているのでは?」という王道テンプレを期待したポメラだったが、先ほどの「愛することはない」宣言でそれも見事に打ち砕かれた。
(まあ、愛なんてなくても普通に暮らせれば……)
と、心の中で割り切ろうとした矢先だった。不意にジャックが私の肩を強く掴み、乱暴にベッドへと押し倒してきた。そのまま重い体躯で馬乗りになり、私を見下ろす。
あれ?今「愛することはない」と言ったばかりでは?愛はないが欲望は満たす、という最低なパターンだろうか。
しかし、そういうわけではないと直ぐに分かった。ジャックが懐から鈍く光る狩猟用のナイフを取り出したからだ。
「お前を愛することはないよ」
ジャックは私の頬を刃の腹で撫でながら、ねっとりとした狂気の笑みを浮かべた。
「……だって、君はこれからここで死ぬんだからね」
身の毛もよだつ告白だった。
「僕はね、人間が絶望に顔を歪ませて死んでいくのを見るのが、何よりも大好きなんだ。過去の妻たち?失踪なんかするわけないだろう。全員、この僕が解体して庭の肥料にしてやったのさ。
いなくなっても誰も探さないような、実家からゴミ扱いされている令嬢を選んで娶り、殺す……安全で最高の娯楽だ。
君も、まずは逃げられないように四肢の筋を切り裂いて、一晩中泣き叫ばせてあげるからね」
狂気の殺人鬼による凄惨な死の宣告。新婚初夜にこんなサイコパスな告白を聞かされるなんて、本当に私の人生、散々だ。
私は天井の豪奢な天蓋を見つめ、本日二度目のため息をついた。
*****
その頃。遥か頭上、雲の上に広がる天界の管理室では、新米女神が頭を抱えて震えていた。
「あわわわわ……どうしましょう、とんでもないミスをしてしまいました……!」
以前、女神は誤って『日本』という国で生きていた若者の命の糸を断ち切ってしまったのだ。完全なる不慮の事故だった。あまりに可哀想なので、お詫びとして記憶を持たせたまま、別の世界の裕福な貴族として転生させてあげたのだが……。
先ほど、事後報告のためにその若者の『魂の履歴書』をよくよく調べて、女神は悲鳴を上げた。その若者、前世で『大量の人間を殺していた』のだ。
「ヤ、ヤバい奴を転生させてしまいました……!なんて恐ろしい魂なの……!」
手違いとはいえ、血に飢えた狂人を平和な(?)異世界に解き放ってしまった。もしその本性が暴走したら、一体どれほどの犠牲者が出るか分からない。
「どうか、どうか何事もなく……大人しく生きていてくれていますように……!」
女神は蒼白な顔で祈りながら、下界の様子を恐る恐る覗き込んだ。
しかし、女神の祈りも虚しく、下界のベッドの上では今まさに惨劇が起ころうとしていた。
*****
「さあ、まずは右手からだ。いい声で鳴いてくれよ?」
ジャックがナイフを高く振り上げ、私の手首を目掛けて振り下ろした。
――その瞬間。
私の身体は、染み付いた反射神経に従って動いていた。 ふんわりとしたネグリジェ姿とは思えない滑らかな動きで、振り下ろされる腕の軌道から手首をずらし、彼の手首を下から掴む。そして、彼の体重と振り下ろす勢いをそのまま横へと受け流すように引き込みながら、ベッドに沈み込んだ自分の腰を強く跳ね上げた。
「うぉっ!?」
重心を完全に崩された男爵の巨体が、あっけなく真横へと転がり落ちる。 私は素早く起き上がると、体勢を立て直そうともがく彼の右腕を掴み、関節の可動域の逆方向へ思い切り捻り上げた。
「ガァッ!?」
骨が砕ける鈍い音と同時に、ジャックの悲鳴が上がる。私は手からこぼれ落ちたナイフを空中でキャッチすると、うつ伏せに押さえつけた男爵の背中に膝を突き立て、その首筋にピタリと冷たい刃を当てた。
「え……?あ、れ……?」
床に顔を押し付けられた男爵が、痛みに顔を歪めながら間抜けな声を漏らす。
「人を殺すなら、ペラペラと喋って隙を見せちゃダメよ。素人さん」
私が冷たく言い放つと、ジャックは信じられないものを見るように目を剥いた。無理もない。か弱き子爵令嬢が、自分を組み伏せているのだから。
私の中身は、日本から転生してきた元・暗殺者だ。日本で任務帰りに理不尽にトラックに撥ねられ、よく分からないが女神とか言う人に謝られてこの異世界に転生させてもらっていた。
暗殺者とはいえ、前世では生きるために仕事として殺しを請け負っていただけで、趣味で人を殺すこの変態男爵とはワケが違う。今世はなるべく真っ当に生きようと思っていたのに、また手を血に染める羽目になるなんて、散々だ。
でもまあ、前世の記憶があってよかったと、今ほど感謝したことはない。
私は手首のスナップを利かせ、一切の躊躇なくナイフを真横に引いた。
「ヒュッ……」
短い風切音の直後、ジャックは声を上げることもできず、血の海に沈んで動かなくなった。
私はベッドのシーツでナイフの血を拭い、息絶えた男爵を見下ろす。
「あーあ、つまらない殺しをしてしまった」
心底うんざりしながら呟いた。そして、この部屋で理不尽に殺されていったであろう『三人の奥様方』に向けて、小さく言葉をこぼす。
「遅くなってしまってごめんなさい。まとめてで失礼ですが、仇は取りました」
私はドレスに着替えると、寝室を出た。
この屋敷の人間も、おそらく同罪だ。妻が失踪しているのに気づかないはずがない。執事やメイドの多くは、男爵の異常癖を知りながら口をつぐみ、後片付けを手伝っていたのだろう。私は音もなく屋敷を巡り、手向かってくる者、逃げようとする悪党どもを淡々と処理していった。最後、執事だけはわざと逃がしてやった。もちろん、自分の顔は見られていない。きっと彼なら、「旦那様がご乱心だ!屋敷の者を皆殺しにしている!」と都合よく騒ぎ立ててくれるだろう。
私は男爵の金庫から貴重品や宝石を大きな袋に詰め、小さめの馬車に積み込むと、屋敷のあちこちに油を撒いて火を放った。業火が狂気の館を包み込んでいく。
「さて、ついでにあのゴミ屋敷も掃除しておくか」
私は馬を一頭拝借し、実家であるノートン子爵邸へと向かった。
深夜。音もなく忍び込んだ実家のサロンでは、両親と義妹が上等なワインを空けながら酒盛りをしていた。
「いやぁ、男爵からの結納金!あの醜い娘がこれほどの金貨に化けるとはな!」
「本当ですわ、お父様。今頃あの気味の悪い男爵に泣かされているのかと思うと、胸がすっとしますわ」
「ふふっ、これであの陰気な顔を見ずに済むわね。明日は王都で一番高いドレスを買いに行きましょう。今日の買い物も楽しかったわ!」
私を売った金で豪遊し、私の不幸をゲラゲラと笑い合う家族。もはや一欠片の情も湧かなかった。
「こんばんは。ずいぶんと楽しそうね」
私がサロンの扉を開けて姿を現すと、三人はまるで幽霊でも見たかのように悲鳴を上げた。
「な、なぜお前がここにいる!?」
「抜け出してきたのよ。あなたたちにお礼を言いたくて」
私は静かに微笑みながら、男爵のナイフを構えた。命乞いすら許さない、一瞬の作業だった。暗殺者にとって、酔っ払った素人三人を仕留めるなど、息を吐くより容易い。
「さて、金庫の中身をいただいて……おや」
地下の金庫室の重い扉を開けた私は、思わず眉根を寄せた。男爵から受け取ったのであろう金貨の山。その横にある鉄檻に、重々しい首輪をつけられた銀髪の青年が繋がれていたのだ。頭にはピンと立った獣の耳が生えている。どうやら希少な狼の獣人らしい。身体中には真新しい鞭の跡があった。私を売った金で、こんな悪趣味な高級奴隷まで買い込んでいたとは。人間の業の深さには心底呆れる。
警戒心も露わに唸り声を上げ、私を睨みつける彼を一瞥し、私は手にしたナイフで檻の錠前と彼の首輪をあっさり叩き斬った。
「私はこの家を捨てるわ。あなたも好きにしなさい」
気まぐれにそう言い残し、金庫の中身を根こそぎ奪って屋敷を出たのだが――なぜかその獣人の青年は、傷だらけの身体を引きずるようにして私についてくると、黙って馬車の荷台に潜り込んできたのだ。
「……まあ、荷物番くらいにはなるか」
私は小さく肩をすくめ、手綱を取った。
夜明け前。馬車を走らせながら、私は外の新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。手元には男爵家と子爵家から巻き上げた莫大な資金がある。自分を縛る家族も、忌まわしい夫も、戸籍も、もう何もない。
前世の記憶を活かして、隣国で美味しいお茶とお団子を出す『和カフェ』でも開いちゃおうかな。――そんなことを考えながら、私は御者台で手綱を握り、夜明けの道をひた走ったのだった。
*****
それから、丸一年が経った。
「ポメラ様!新作の桜餅、すごく美味しいです。貴女は本当に天才ですね!」
隣国の王都の片隅。私が開いた『和カフェ』の厨房で、銀色の狼耳と尻尾をパタパタと揺らしながら、彼――ルカが極上の笑顔を向けてくる。実家の地下牢から気まぐれに拾い上げた獣人の彼は、なぜか私を「命の恩人であり、唯一の主」だと慕い、すっかり店に居着いてしまった。
おかげで予定していた「おひとり様スローライフ」は崩れ去ったが……まあ、顔はすごく私好みだし、店の看板エプロン男子として繁盛に貢献してくれている。毎日尻尾を振って一途な愛を向けてくるこの大型犬との生活も、まあ、悪くはない。
「前世も今世も、本当に散々な人生だったけれど……」
私は淹れたての温かいお茶をすすりながら、幸せそうに桜餅を頬張る彼を見て小さく微笑んだ。
「まあ、最後くらいはハッピーエンドでもいいわよね」
かくして、元暗殺者令嬢の血生臭い復讐劇は、甘いお茶の香りと共に、これ以上ないほど穏やかに幕を下ろしたのだった。
お読みいただきありがとうございます!!
短文サクッと、スッキリするような話に挑戦して見ました。青髭の逸話×異世界恋愛を混ぜた感じですね。
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