わたくしが努力していたのは、あなたの為ではありません
アンジェリカ・エインズワース伯爵令嬢と、隣領のロベルト・フォールズ伯爵令息は、物心つく前からの付き合いだった。
領地同士が近く、家格も釣り合い、年齢も近い。季節の良い日には互いの屋敷を行き来して庭を走り回り、雨の日には書庫で本を読み、領地の祭りでは顔を合わせる。兄妹のようだと笑われることもあれば、もう少し育てば婚約もあり得るのではないかと、大人たちが冗談めかして口にすることもあった。
アンジェリカ自身も、幼い頃はその言葉にそれほど違和感を覚えなかった。ロベルトは明るく、行動力があって、子ども同士の遊びの中ではいつも先頭に立っていた。少し強引なところはあったが、それも頼もしさの一種だと思っていたし、何より気心が知れている。まったく知らない家へ嫁ぐよりは、そういう相手の方が気楽かもしれない、とぼんやり考えたこともある。
アンジェリカには歳の離れた兄がおり、家を継ぐのは兄だ。令嬢である彼女はいずれ、家のためにどこかへ嫁がなければならない。ならば、気心の知れたロベルトの元へ行くのが一番の幸せなのだろう。幼い彼女は、漠然とそう信じていたのだ。
けれど、成長するにつれて、そんなに単純な話ではないのだとわかってきた。
伯爵家の娘として嫁ぐ以上、それに見合うだけの教養と作法を身につけていなければならない。家柄さえ釣り合えばいいわけではなく、どこへ出しても恥ずかしくない淑女であることが求められるのだ。
しかし、田舎での生活には限界がある。この辺境では腕の良い家庭教師を雇うのも難しく、学べることは限られていた。刺繍といえば実用的な繕いものばかり、語学といえば古臭い教本が一冊あるのみ。そこで、父はアンジェリカを王都にある『王立学園』の淑女コースに通わせることに決めた。ちょうどその頃、ロベルトもまた、領地経営を学ぶために一足先に王都の学園へ発っていった。
「ロベルト様、王都でも頑張ってくださいね。私も一年後、必ず追いかけますから」
「ああ、任せておけ。アンジェリカ、お前も田舎で変な虫がつかないように気をつけろよ」
ロベルトが王都に発つ直前、2人はそんな言葉を交わしたのだった。
彼が王都へ行って最初の数ヶ月は、筆まめな彼から定期的に手紙が届いた。学園の授業の難しさ、都会の空気の速さ、そんな内容が綴られていた。けれど、半年を過ぎた頃、その便りはぱったりと途絶えた。
忙しいのだろう。アンジェリカはそう自分に言い聞かせ、慣れない王都行きの準備に明け暮れた。
そして一年後。期待と不安を胸に学園の門を潜ったアンジェリカを待っていたのは、想像もしなかった「再会」だった。
******
王都の学園に入学して数日。
同級生たちとはまずまずうまくやれていた。王都の令嬢はもっと鼻持ちならないものかと思っていたが、案外そうでもない。むしろ新しい友人たちは、アンジェリカが真面目に学ぶ姿勢を好意的に受け止めてくれた。
そんなある日の放課後、アンジェリカは校舎の回廊で、見知った横顔を見つけた。
「ロベルト!」
懐かしさに声を弾ませ、駆け寄ろうとして――その足が止まった。
彼は確かにロベルトだった。けれど、知っているロベルトではなかった。髪は洗練された長さに整えられ、制服の着こなしも妙に気障っぽい。田舎では陽に焼けたやんちゃ坊主だった顔立ちが、王都の空気で妙に垢抜けて見える。もともと顔の造形は悪くなかったのだと、その時になって初めて気づいた。
そして彼の左右には、二人の令嬢がぴたりと寄り添っていた。
「あら、あなたがアンジェリカ・エインズワース?」
つんと顎を上げた巻き髪の令嬢が、こちらを値踏みするように見た。
「ロベルト様につきまとっている方ですわね」
「え?」
「田舎では馴染みだったからって、王都まで追いかけてくるなんて。少しは身の程をお知りになって?」
あまりに唐突で、アンジェリカは目を瞬いた。
「待ってください。私はただの幼馴染で――」
「まあ、“ただの幼馴染”ですって」
もう一人の令嬢が扇の向こうで笑う。
「正式な婚約者でもないくせに、周りにはそう見せておいて、既成事実を作るおつもりかしら」
「いえ、ですから――」
「アンジェリカ」
そこでようやく、ロベルトが口を開いた。懐かしい名を呼ぶ声音は、なぜだか芝居がかっていた。
「君はもう少し、王都の流儀を学んだほうがいい。田舎の頃と同じ距離感で来られても困るんだ」
アンジェリカはぽかんとした。困る?何が?
「ロベルト、わたくし、ただあなたにご挨拶を――」
「挨拶ねえ」
彼は肩を竦める。
「そんな田舎臭い風貌で”挨拶”なんて言われても。
都会の淑女はもっと洗練されているよ。
たとえば刺繍一つとっても違う。セリーヌ嬢のハンカチを見てごらん」
隣の令嬢――セリーヌというらしい――が、誇らしげにハンカチを広げた。そこには繊細な花々が、今にも香り立ちそうなほど見事に刺されていた。
「あなたにこのような刺繍ができまして?」
言うなり、セリーヌはそのハンカチをアンジェリカへ向かって放った。
受け損ねれば顔に当たっていた距離である。アンジェリカは反射的に受け止めたが、周囲の視線が一斉に集まり、場が騒然とした。ロベルトは満足げに、いかにも“困った幼馴染に手を焼く僕”という表情を作ってみせた。
「まあ、無理に張り合わなくてもいいよ。アンジェリカは都会の洗練された令嬢には勝てないだろうしさ。
でも、いつまでも田舎頭で婚約者ヅラされると、困るんだよね。婚約すらしてないのに、付き纏わないでくれ」
ロベルトは満足そうに笑い、令嬢たちを連れて去っていく。取り残された回廊で、しばし静寂が落ちた。やがて、そばで一部始終を見ていた同級生が、呆れたように呟く。
「……何、あれ?」
「わたくしも知りたいわ」
アンジェリカは正直にそう答えた。
(……もしかしたら、あれが『思春期のこじらせ』というものなのかしら)
アンジェリカは逡巡した。ロベルトは元々、顔だけは良かった。田舎では比較対象がいなかったから気づかなかったが、都会の洗練された環境に身を置いたことで、彼は自分の「顔面という資産」の価値に気づいてしまったのだ。そして、自分の価値をさらに高めるためのスパイスとして、「自分に執着する田舎の女」と「それを跳ね除ける悲劇の令息」という配役を用意したのだろう。
いい迷惑だ。
アンジェリカはその日のうちに、実家にことの顛末をありのままに書き記した手紙を出した。ロベルトが妙な方向にこじらせていること。どうやら王都では、幼馴染だった自分の存在を使って、“昔から慕ってくる田舎の娘に執着されて困る人気者の僕”という立場を演出しているらしいこと。アンジェリカは本人の知らぬところで、彼に未練がましく付きまとう女として扱われていること。そして何より、このような状況ではフォールズ家との縁談は絶対に望まないこと。
最後に、こう書き添えた。
『ロベルト・フォールズとの婚約話は、今後一切ありえません。わたくしは王都で自分を磨き、家のためにも、自分のためにも、より良い縁談を自分の手で掴んでみせます』
手紙を書き終えたあと、アンジェリカは机の上にセリーヌのハンカチを広げた。腹立たしい出来事ではあった。けれど、刺繍そのものは認めざるを得ない。糸の重ね方も、陰影のつけ方も、地方で見たものとはやはり違う。
「……なるほど。これが王都の淑女の嗜みなのね」
だったら、覚えればいい。
その日からアンジェリカは刺繍に打ち込んだ。最初は単なる対抗心だった。けれどやってみると、これが妙に面白い。糸の選び方一つで花の表情が変わる。図案を考える工程は小さな設計に似ていて、集中すると時間を忘れた。指先に針を刺して涙目になりながらも続け、数か月後には学園内の手工芸品評会で銀賞を受賞した。ちなみに、同じコンテストに応募してたセリーヌ嬢の作品は佳作だった。
その知らせが広まった頃、アンジェリカは再びロベルトと遭遇した。隣には、また違う令嬢を侍らせて。
「へえ、最近は刺繍が得意になったそうじゃないか」
ロベルトの口元に浮かぶのは、いやに意味深な笑みだ。
「僕に認められたくて必死な姿、実に滑稽で可愛いよ」
アンジェリカは無言でまばたいた。どうしてこの人は、自分のことを世界の中心だと思えるのだろう。
「いえ、ロベルト様。私はただ、自分の能力の向上に努めているだけで……」
「隠さなくてもいい。男を惹きつけるために必死になるのは、淑女の性だからね。だが、残念ながら、刺繍ができる程度では僕の心は動かない。淑女というのは、知性も伴わなければならないんだ」
彼は隣の令嬢の肩を抱き寄せた。
「彼女を見てごらん。ルミエーレは二ヶ国語が堪能なんだ。通訳なしで外交官と会話ができる。君のような、訛りの抜けない田舎者に、言葉の壁を越えることができるかな?」
「くすくす。ロベルト様、あまり彼女をいじめないであげて。言葉を操るには、育ちというものが出ますから、彼女には無理ですわ」
ルミエーレ嬢が鼻で笑った。アンジェリカは静かに頭を下げた。
「……貴重なご意見、ありがとうございます。淑女とは語学も堪能であるべきなのですね。大変勉強になりました」
「はは!素直なところだけは取り柄だな!」
ロベルトたちはアンジェリカをバカにするように笑い、その場を去っていった。
その日の夜、彼女はまた実家に手紙を書いた。
『どうやら、王都の淑女には、刺繍の腕だけでなく語学も重要であるようです。エインズワース家に利がある婚姻を結べるよう、頑張って身につけます』
やると決めたら早かった。
朝の予習、夜の復習、移動中の単語暗記。発音で何度も舌がもつれ、聞き取りで心が折れかけながらも、アンジェリカは根気強く学んだ。その結果、半年後には三か国語を操れるまでになり、学内の語学討論コンテストでルミエーレ嬢を打ち負かしてしまった。
その頃になると、アンジェリカはだんだん気づき始めていた。ロベルトの言うことは癪に障るし、ひどく鬱陶しい。だが、あの男が誇らしげに掲げる“王都の優れた淑女像”は、情報としてはそこそこ役に立つのである。刺繍が良いというなら練習する。語学が必要というなら学ぶ。どうせなら全部、自分のものにしてしまえばいい。そうしているうちに、世界が広がっていった。
美容もそうだった。三度目にロベルトが現れた時、彼の隣には流行に敏い令嬢が立っていて、髪型だの化粧だの、王都の洗練だのを語った。アンジェリカは内心でうんざりしつつも、その日のうちに美容関連の書籍を読み漁った。
すると、これもなかなか奥が深い。色彩の相性、顔立ちとの調和、肌質に合わせた手入れ、骨格に合わせたシルエット。流行をただ追うだけが美ではない。自分に似合うものを見極めることこそ、本当の意味での装いなのだと知った時、アンジェリカの中で何かが変わった。
これまでは特に考えず、なんとなく流行りの淡い色のふんわりしたドレスを選んでいたが、実際アンジェリカのスレンダーな体には鎖骨の見えるすっきりした首元と、深みのある落ち着いた色の方が映えた。鏡の中の自分が、少しずつ見違えていく。
「……面白い」
誰かのためではない。自分という素材を正しく理解し、最も美しく見せる方法を知るのは、純粋に楽しかった。
そこから先は、もはや半分意地、半分趣味だった。
ロベルトは懲りずに、次々と“優れた令嬢”を連れてきた。
ダンスが上手い令嬢がいれば、アンジェリカは舞踏教師に頼み込んで徹底的に練習し、学園の舞踏会で最も美しいと称賛された。
算術に明るい令嬢がいれば、家計管理や商会帳簿の読み方にまで手を広げ、淑女コースにいながら経営コース上位陣も驚く成績を取った。
乗馬に長けた令嬢がいれば、エインズワース領で鍛えた基礎を活かして洗練された乗り方を身につけた。
剣術に優れた騎士コースの令嬢を見せつけられた時には、さすがに淑女として剣を極める必要はないだろうと思ったが、それでも護身術として学んでみれば、これまた面白かった。
努力は、裏切らなかった。語学も刺繍もできて、装いにも迷いがなくなると、周囲の見る目も露骨に変わった。気づけばアンジェリカは学園の中で、「静かだが品があり、何を学ばせればすぐに吸収し、しかもそれを自分のものとして磨き上げる令嬢」として、かなり人気の存在になっていた。
*****
そうして二年が過ぎた。
学年末に催されたパーティーは、最高学年である4年生を送るための盛大な夜会だった。アンジェリカは深い青のドレスをまとい、友人たちと穏やかに歓談していた。すると見覚えのある、しかし今ではもう見飽きた顔がこちらへ近づいてくる。
隣には、最近編入してきた娘がいた。元平民だったが、最近男爵家の庶子であると判明し引き取られた令嬢だ。
「アンジェリカ」
ロベルトはわざとらしくため息をついた。
「俺に振り向いて欲しくて色々成果を上げているようだが、彼女のような慎ましさこそ、男が守りたくなる美徳なんだよ。何でもできるようになればいいというものじゃない。男を立てる女じゃないと。女ってのは少し隙があるくらいが可愛いんだ」
その言葉を聞いた瞬間、アンジェリカは妙にすっきりした。ああ、この人から学ぶことは、もう本当に何もないのだと。
「ロベルト様。今までありがとうございました」
「……は?」
「あなたのおかげで、王都で何を学ぶべきか、よくわかりましたもの。
自分の能力と価値を高め、エインズワース家の娘として、最良の縁談を引き寄せることが私の責務でしたから、ロベルト様の”助言”は大変参考になりました」
ロベルトの顔が、少しだけ引き攣った。
「……何をごまかしている。僕に振り向いてほしくて、刺繍も語学も美容も頑張ったんだろう?認めればいい。僕という男を失いたくなくて、そこまでしたんだと」
アンジェリカは小さく首を振った。
「ロベルト様。わたくしは何度も申し上げました。私たちは婚約しておりませんし、わたくしはただの幼馴染として接していただけだと。……ですが、それも今日で終わりです。ロベルト様も、素敵な御令嬢たちとお幸せになってくださいませ」
「一体何を……」
「わたくしは本日、この学園を去ります」
ロベルトが眉をひそめる。
「何の話だ。君はまだあと二年あるだろう」
「いいえ。わたくし、本日で卒業ですの」
「……何?」
「成績優秀につき、飛び級が認められました。ですからこの後は、王宮で王子妃教育を受けることになっておりますの」
ロベルトの表情が、目に見えて崩れた。
「……王子妃教育?」
鸚鵡返しに呟いたあと、彼はようやく我に返ったように声を荒げる。
「ど、どういうことだ!お前、何を言って――」
「私の婚約者に、何か用かな?フォールズ伯爵令息」
静かだがよく通る声が、背後から響いた。ざわめきが広がる。人の波を割って姿を現したのは、第三王子エリック・ラシュレイ殿下だった。整った礼装姿の彼は、そのままアンジェリカの隣に立つ。あまりに自然な所作で肩を庇われ、アンジェリカは胸の奥がふわりと熱くなった。
「エ、エリック第三王子殿下……!」
ロベルトの声が裏返る。
「なぜアンジェリカに対して、婚約者などと……!」
「なぜも何も、そのままの意味だ。アンジェリカと私は、婚約者同士なのだよ」
エリックは淡々と言った。
「元々、私の卒業に合わせて婚約を発表する予定だった。
だがアンジェリカ嬢が飛び級で卒業したので、王子妃教育を先に受けてもらうことになっただけだ」
「そんな……!俺というものがありながら……!」
「聞き捨てならないな」
エリック殿下の冷徹な声が、凍りついた夜会の空気をさらに切り裂いた。
「俺というものがありながら、だと?フォールズ伯爵令息、君は大きな勘違いをしているようだ。そもそも、彼女は君の幼馴染というだけで、婚約者でもなんでもないんだろう?君自身がそう言ってたじゃないか」
殿下はアンジェリカを引き寄せ、守るように一歩前に出る。その堂々たる佇まいに、ロベルトは気圧されて数歩後ずさった。
「君は彼女が、自分に振り向いてほしくて必死に努力していると吹聴していたようだが……事実は全く異なる。彼女は自分の能力を高めるために必要な努力をしていただけだ。
……どちらかというと必死だったのは、私の方だよ」
「……は?殿下が……必死?」
ロベルトだけでなく、周囲の貴族たちからも驚愕のどよめきが上がる。
「アンジェリカ嬢が学園に入学した直後から、水面下で何が起きていたか君は知らないのか?彼女が刺繍で入賞し、語学で圧倒的な才を見せ、自らを最も美しく見せる装いをも手に入れた時……高位貴族の嫡男たちの間で、彼女の取り合いが始まっていたんだよ。私もその一人に過ぎなかった」
エリック殿下は、隣に立つアンジェリカを愛おしげに見つめた。
「彼女は誰の手も安易に取らなかった。常に自分を高めることに真摯で、媚びる隙もなかった。だから私は、王子という立場に甘んじるのをやめた。彼女に振り向いてもらうために、彼女が挑む全てのジャンルで、私も死ぬ気で努力した。彼女が三ヶ国語を操るなら私は五ヶ国語を、彼女が算術を極めるなら私は国家予算の編纂を……。
彼女という唯一無二の光に相応しい男だと認めてもらうために、私はこの二年間努力してきた。君のように令嬢と遊んでいる暇など一秒もなかったのだよ」
アンジェリカは、殿下の少し荒れた指先にそっと触れた。
「でも、刺繍までしなくてもよかったのに、殿下」
「……君に認められたかったからね。必死だったんだ」
二人の間に流れる、互いへの深い敬意と信頼が滲む空気。それを見せつけられたロベルトは、顔を屈辱と困惑で歪ませた。
「でも!!アンジェリカ、お前は俺のことが好きだったはずだ!あの田舎で、ずっと一緒に……!」
「いい加減に見苦しいぞ、フォールズ伯爵令息」
エリック殿下の瞳から体温が消える。
「君は、彼女が自分を好きだと思い込むことで、自分を保っていたんだろう?だが、私には見えていたよ。君が彼女に当てつけの令嬢を連れてくるたび、その陰で君がどれほど執着に満ちた目で彼女を追っていたか。
……君は、彼女が好きだったんだろう?
だが、自分の手に負えないほど完璧になっていく幼馴染が怖くて、優位に立ちたくて、あんな幼稚な真似を繰り返した」
「……っ!」
核心を突かれたロベルトの顔から、一気に血の気が引いた。アンジェリカは、癪に障るロベルトを冷徹な一言で切り捨てた。
「ロベルト様。もし仮に、あなたのこれまでの無礼が『好意』の裏返しだったのだとしても――これだけは言わせていただきますわ。
あんなに意地悪をされて、人前で恥をかかされて……それでもあなたを好きでい続ける令嬢が、この世のどこにいるとお思いなの?傲慢も休み休み仰ってくださいませ」
「あ、ぁ……」
ロベルトは、まるで魂が抜けたかのようにその場に膝をついた。
隣に侍っていた男爵令嬢は、王子のあまりの威圧感と、自分が単なる「当てつけの道具」に過ぎなかったという事実に顔を青ざめさせた。
「最低……!」
彼女はロベルトの頬を鋭く引っぱたくと、ドレスの裾を翻して逃げるように去っていった。周囲の貴族女性たちからも、蔑みの声が上がる。
「幼馴染をダシにして令嬢遊びをなさっていたの?」
「最低だわ」
刺さるような視線の中、ロベルトはただ、床に落ちた自分の影を見つめて震えることしかできなかった。
*****
後日、ロベルト・フォールズは学園を去ることになった。
表向きは自主退学。だが実際には、成績不振に加え、数々の令嬢がらみの素行不良が積み重なった末の、事実上の追放処分だった。
もともと彼は、アンジェリカを嫉妬させたい、自分の方が上だと思い知らせたい、そんなくだらない見栄から、あちこちの令嬢に手を出していた。だが、その実どの娘にも本気ではなく、誰も彼も“アンジェリカに自分の価値を誇示するための飾り”程度にしか考えていなかった。
当然、その報いはきた。
都会の火遊びと割り切って付き合っていた令嬢は、「あら、王子殿下の不興を買った男なんてお断りだわ」とあっさり彼を捨てた。
自分が当て馬にされていたと見抜いた令嬢は、激怒してさっさとロベルトを見限った。「他の女を嫉妬させるための道具にされるなんて冗談じゃない」と、彼に向かって酒を浴びせたという噂まである。
アンジェリカに刺繍や語学でコテンパンに打ち負かされた令嬢たちに至っては、プライドに火がつき「あの女に負けるもんか!」と更なる努力に没頭。気づけば己を磨く楽しさに目覚め、「ロベルト様? あんな薄っぺらい男、もうどうでもいいですわ」と、完全に彼を視界から除外してしまっていた。
逆に本気になってしまった令嬢の中には、彼の心が自分にないこと、しかもずっとアンジェリカを意識していたことに気づいて取り乱し、学園内で泣き叫んで刃傷沙汰一歩手前となる大騒動に発展した。その騒ぎは教師陣の耳にも入り、退学勧告の決め手の一つになったという。
結局、最後までその場に取り残されたのはロベルト一人だった。
フォールズ伯爵家も、さすがにこれ以上は庇いきれなかった。学業は低迷、素行は最悪、そのうえ王族の婚約者にまで執着して騒ぎを起こしたとなれば、嫡男として立てておく理由がない。真面目で実直だった弟が急遽後継ぎに据えられ、家督を継ぐことが決まった。
ロベルト本人は領地の片隅にある古い施設へ送られた。名目は再教育。だが実態は、早朝から日暮れまで働かされる、ほとんど更生施設のような場所だったという。華やかな王都で令嬢たちを侍らせ、「僕に認められたくて必死だね」などと笑っていた男の末路としては、あまりにもみじめで、そしてよく似合っていた。
一方、アンジェリカは。飛び級卒業後、正式に第三王子妃としての教育をスタートさせた。その厳しさは学園の比ではなかったが、彼女の表情はいつになく晴れやかだった。
「アンジェリカ、今日の政務演習の回答、実に見事だった。……だが、私も負けてはいないよ。この新しい経済政策の草案を見てくれ」
「まあ、殿下。またそうやってわたくしを追い越そうとなさる。……でも、嬉しいです。わたくしが努力すればするほど、殿下がそれに応えてくださるのが」
二人は執務室の窓辺で、互いの成果を突き合わせながら笑い合う。誰かのために自分を偽るのではない。誰かの顔色をうかがって立ち止まるのでもなく。愛する人の隣に胸を張って立つために、自分を磨き続ける。その「必死さ」こそが、今の二人にとって、何よりも誇らしく、甘やかな絆の証だった。
「これからも、わたくしを退屈させないでくださいね、エリック様」
「ああ、約束しよう。君という至高の淑女に、一生見放されないようにね」
高め合う二人の未来に、もう、過去の影が差すことは二度となかった。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
婚約もせずに、「幼馴染」ってだけで勝手に自分のものだと勘違いしてる男の哀れさたるや…。
好きな子に意地悪しちゃう男の心理も、全然理解できません。
婚約してない令嬢がどんどん"令嬢としての価値"を上げていったら、そりゃ相応しい縁談が舞い込んできますよね。今更気づいてももう遅い、逃した魚は大きい。
アンジェリカは環境適応型の努力系天才令嬢でした。第三王子と一緒に、国の外交を担って活躍していきます。
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