第3話-23 音楽祭と妹 救世主はスーパーボール!?
零雨は精密機械のような動きでスーパーボールを慎重に掬い上げる。
一つ。二つ。三つ。
……破れた。
ダテ虫眼鏡に穴が空いた。
「……おしまいだな」
俺がそういうと、
零雨は坂本にダテ虫眼鏡を返す。
その時、零雨の白い手が坂本の手と触れた。
何でもない、自然の成り行きの一場面だった。
しかし坂本は零雨に目を合わせると、すぐに視線を逸らす。
零雨はちょこんと首を傾げて坂本をじっと見つめる。
「……おーい、坂本。
意識が逝ってるぞー、こっちに戻って来い」
俺が話し掛けても反応しない。
「オイ、聞こえてるか?……オイ坂本!」
「ふぇ?あ、わりい、意識がお花畑に飛んでいってた」
「……お前っていっつもそんなんだよな。
ボーッとして、何、お前は悟りでも開くつもりか?」
坂本はハハハ、と苦笑した。
「サービスありがとな」
俺が礼を述べると同時に零雨が俺をつつく。
「……スーパーボール……もっと欲しい」
「そんなに気に入ったのか?」
「……大量に欲しい」
謎めく発言に俺は困惑するほか術がない。
「大量って、具体的にどんだけだよ」
「……千から二千」
「あー……そんなに手に入れて、何するつもりだ?」
「……使う」
「いや、使うのは分かる。
俺が聞きたいのは『何の用途に使うか』ってことだ」
俺と会話していても無駄だと考えたのか、零雨は坂本に顔を向けた。
「……坂本、さん」
「あ、何か?」
零雨が敬語で話し掛けるのに驚いて、坂本まで敬語。
「……これ……大量に欲しい……です」
「すみません、商売柄、一人に大量に渡すことはできないんです。
……えっと、スーパーボールを仕入れた所なら紹介できますけど。
僕が仕入れてきたので」
「坂本、そこはここから近いのか?」
俺が聞くと急に砕けた言い方で坂本は答える。
「ここから北東へ歩いて十分ほどの所にある小さな工場だ。
ほとんど知られてないけれど、
あそこは夏になると工場で作ったスーパーボールの直販してる。
行ってみればすぐわかる。ゴムみたいな臭いがするから。
夕方五時までやってたと思うから、今日買うなら早めに行った方がいい」
零雨はそれを聞くと何も言わずおもむろに立ち去って行く。
足の向かう先は……校門。
「嵩文さんのああいうミステリーなところ、俺は好きだな……うん、惚れた」
坂本は零雨と触れ合った手を見つめる。
「坂本……悪いことは言わねえ、あいつとはあまり関わらない方がいいぞ。
散々な目に遭う、つうか、お前一人で対応できるような奴じゃない」
俺が坂本と会話している間も、零雨は俺から離れていく。
「なんだコウ、俺と嵩文さんがくっつくのが嫌なのか?
……やっぱ他の男に取られたくない感じ?」
「……ちげーよ。とにかくあいつは特殊すぎる。
お前の今後の人生のためにも、そいつとくっつこうとするのはオススメしない。
付き合うなら死ぬ覚悟で臨まなきゃならん相手だ、ということを俺は忠告しておく」
「確かに髪とか容姿は特殊だけど、他に何かあんのか?
まあ、神子上さんのいつも笑ってるあの顔もいいかなって正直思ってたりするクチで……」
「この色男、処置無しだな。この末期症状が。
……いいか、チカ、零雨、麗香の三人は爆弾、
特に零雨と麗香はツァーリ・ボンバ級の核爆弾と思って良い。
予言しておこう。
もしお前が運よく麗香と付き合うようになったとしても、それは長くは続かん。
的中率は自信満々、堂々の百パーセントだ」
「ツァーリ……ボンバ?」
「冷戦時代に旧ソ連が作り上げた史上最大の核爆弾のことだ。
実際に爆破実験を行い、威力は広島の原爆の三千倍以上、
その衝撃波は地球3周したらしい」
「何でお前、そういうのに詳しい?」
「昨日テレビでやってからに決まってんだろ。
もともと興味ねえ分野の話だし、テレビで垂れ流されてきたのを偶然傍受したんだよ」
「……で、嵩文さんと神子上さんのどこにそんな危険因子が?
俺には全く想像がつかない……嵩文さんは分からなくはないけれど」
はっきり言って、あの二人は全身が危険因子で出来ている。
何をするにしても危険だ。
現に、麗香と初めて会った日に裏で
合格確率24%(零雨の計算による)の適性検査を俺にしていたとか、
正直笑い話にもならなかったし。
いや、だって不適合と判断されたらコッソリ殺されるとか鬼畜以外の何者でもない。
今はあの時とは大分様子が変わってきたが、危なくないわけではない。
「死にたくなけりゃ、近づかないほうがいい。
自己陶酔気味の中学生のような発言に聞こえるかもしれんが、
お前がどうなっても俺は助けには行けねえから」
俺はそこまで言って辺りを見回すが、零雨は既に校門を出て行ってしまったようだ。
姿が見つからねえ。
「悪い、ちょっと俺、もう行くわ」
俺も校門に向かった走り出す。
後ろから俺を引き止めようとする坂本の声が聞こえてくるが、これ以上付き合ってるヒマはない。
教えられた通り、北東の方角へ突き進んで行くと、前に零雨が歩いているのが見えた。
「零雨!無言で行こうとすんなよ……」
暑い中走ったせいで、背中は汗でぐちゃぐちゃに濡れているのが分かる。
零雨は俺をじっと見つめる。
いや、見つめられても困るんすよ。
「……だいたい、そんな大量のスーパーボール、何に使うんだよ?」
すると、零雨は途切れ途切れに自分の考えていることを喋った。
多分正しく理解できているとは思うが、相手が相手だけに表現ミスがないとは限らない。
それでも、俺は俺なりに零雨の考えを読み取ったつもりである。
「それはいくらなんでもアレじゃないか?」
零雨は首を横に振った。
「……ホームセンター……にも行く」
「出場時間に間に合わないなんてオチは、マッピラゴメンだぜ?」
「……オチ?」
「ん……なんでもない」
「……コウ、私の考え……は正しい?」
「……わかんねえ。だが、賭けてみる価値はあるかもしれん。お前のその『考え』に」
零雨が考えていたのは、恐らく音楽祭始まって以来の不足メンバー補填法に違いないだろう。
成功するかどうかは分からないが、パフォーマンスにもなるだろう。
俺としては目立ってしまうのがやはりどうしても気に食わないのだが、
メンバーが足りない手前、何をしても目立つことを思えば、
もうどうでも良くなってきたってのが本音だ。
俺と零雨は工場に向かった。
***
「に、二千個もいるんですか!?」
俺からの買い注文を聞いた五十代後半ぐらいの工場長が目を丸くして聞いてくる。
俺と零雨は工場の事務所の中にいる。
「はい、今すぐ必要なんです」
「今すぐって言われても、そんなに急には用意は……」
「そこをなんとかお願いしたいんです」
完全敬語状態の俺は口下手な零雨に代わってこのような感じで交渉中。
俺の心臓は現在激しいビートを打っているのが分かる。
あまり他人とは喋らない俺が、
急に見ず知らずのオッサンに無理な頼み事をするわけだから、そうならない方がおかしいだろう。
「あなた達、買うお金は、あるんですか?」
「あ……えっと、三千円じゃ、足りないですよね」
俺は財布を覗いて言う。
現実問題、買う金ねーのに売ってくださいって言ってるわけで、
「厚顔無恥もいいところ、どんだけ顔面分厚けりゃそんな発言が出来んだタコ!」
といわれるような要求なのは百も千も承知だ。
「そうですね。
うちはねえ、どこでもそうなんですが、
中小企業はみな自転車操業やってるようなもんなんで……
急な買い注文はうれしいんですが、こっちも原材料にお金が……」
「どうにかなりませんか?」
「そもそもあなた達はうちのスーパーボールで何をしようとしてるのか、
出来れば教えてくれません?」
俺が事情を説明すると、工場長のオッサンは苦笑した。
「それはいくらなんでも無茶苦茶な挑戦じゃありません?」
「これしか方法が思い付かないんです。
それに、俺の隣にいる彼女が、そういうのが得意なんですよ」
「そういうのって……得意不得意というよりも、出来る出来ないでは?」
「とにかく、お願い出来ませんか?
お金はまた後で現金で払いに来ます。
俺の高校の生徒手帳、ここに置いていきますから」
ここで俺の生徒手帳を工場長に渡せば、
俺は住所から電話番号までの一括を預けたことになる。
こうすれば、商品を買うだけ買って料金を踏み倒されるという、
向こう側の心配を打ち消すことが出来るかもしれん。
「う〜ん……そこまでいうなら、やってみましょう。
ただし、後で代金はしっかり払ってもらいますからね?」
「ありがとうございます!」
俺は深々と一礼し、隣の頭をがっしり掴んで零雨にも強制一礼。
「足立……さん?」
俺の生徒手帳を見て工場長は言った。
「はい」
「足立さん、はい、覚えました」
それから工場長は零雨をまじまじと見つめて一言。
「それにしても、最近の若者の美的センスはおじさんにはよく解りませんな」
「あの、彼女の髪は、先天的なものだそうで……」
これは零雨が転入してきたとき、担任が説明した。
本当はこの世界に下りるときにカラー指定をしなかったからだが、
一応「そういうこと」になっている。
「ああ、すみません、もうこれ以上のことは聞きませんから」
察したように工場長が俺の言葉を遮った。
「えっと、これから俺達、
ホームセンターにも行かなくちゃいけないんで……またここに戻ってきます」
「分かりました。何とかして用意しましょう」
俺は工場長と握手した。
順番が回ってこねえうちに、ホームセンターにも行かねえと。