第3話-18 音楽祭と妹 Offence And Punishment
それから日は沈んでまた日が昇った朝十時。
「時間は三十分。用意、始めっ!」
匠先輩はパン、と大きな音を立てて手を叩いた。
地下室に設置された大型テーブルを囲んでのテストが始まったのだ。
問題用紙と解答用紙は一緒になっていて、その理由は先輩いわく
「紙とプリンターのインクの使い過ぎでこの歳で親に怒られた」ことが原因で、
同時に紙資源の節約を命じられたかららしい。
それでもともと試験時間一時間の予定だったテストを急遽三十分版に圧縮し、
テスト用紙の枚数を減らしたそうだ。
どうりでテストの印刷文字が小さいと思ったら……
回答欄もミニマムサイズまで圧縮されてしまったため、
答案を枠内にきれいに詰め込む技術が必要になってくる。
が、中にはどうしても収まりきらなかったり、
文字が潰れてしまったりと、このテストは書きにくさの最高峰といえる代物。
言っておくが、俺は昨日家に帰ってから久しぶりに猛勉強したおかげで、この程度の問題は余裕だ。
実際のところ、猛勉強というより、自然に興味を持ったことを調べていたら、
いつの間にかテスト範囲コンプリートしてたという感じだ。
零雨と麗香、チカのシャーペンの動きも滑らかで、
唯一頭を抱えているのは、俺の隣に座っているジョーだけだった。
「うう……分からん…………」
テスト中の私語厳禁は万国共通のルールだ。
俺はそう横で独り言をのたまうジョーを尻目に、さらさらと答案を埋めていく。
美羽は匠先輩の横で俺の言い付け通り、静かにテストが終わるのを待っている。
チラリ、横から視線を感じた。
気のせいかと思えば、また見られている気がする。
そっと横を見れば、俺の答案を絶賛カンニング中のジョー。
姑息な野郎め…………フッ、そんなヤツは俺がお仕置きしてやろう。
俺は別にチカに負けて昼飯と夕飯の支払いをするようなことになっても構わない。
零雨と麗香はどうかは知らんが、ここは教育的立場からジョーを矯正せねばならん。
俺はテストの答案を書き終え、俺は机に突っ伏して寝るをするふりをする。
めんどくさがりの学生がテスト終了までの時間を潰すのによく利用する常套手段だ。
その際、テスト用紙はジョーに見えるように偶然を装いさりげなく置いておく。
「サンキュー、コウ」
俺が親切心で見せているとカンチガイのジョーは、俺だけに聞こえるように言い、
それまで黙っていたジョーのペンが走り出す。
第一段階、成功。
「テスト終了まであと五分だ」
匠先輩ははっきりとした口調で言った。
それが、俺の作戦行動開始の合図。
俺は眠たそうな目を擦りながら自分の答案に目を通す。
「うわ、回答が一個ずつ下にずれてやがる。
道理で最後の問題の回答欄がないわけだ」
俺は消しゴムをテスト用紙にこすりつける。
それを聞いたジョーの方からも、慌てて消しゴムで用紙をこする音が聞こえる。
「テスト終了だ」
匠先輩は俺達からテストを回収する。
ちなみに言っておくと、俺はテストの回答はズレてない。
最初から正しい位置に回答を書いてある。
俺がカンニングに協力していると思い、
完全に信頼したジョーは、俺の「ずれてやがる」の呟きを真に受けて、
自ら進んでテストの回答欄を一つずつずらしたわけで、
そんな回答がテストでいい点を取れるはずがない。
「コウ、ありがとさん」
俺にそっとお礼を述べるジョー。
いやいや、礼を言われるほどのことはしてねえから、マジで礼とか要らねえよ、うん。
これくらいの教育的指導は惜しまねえし、
それに後のジョーの愉快な反応が見れそうだし、それで十分さ。
これはあくまでも俺流の指導法である。
荒療治だという声も聞こえてきそうだが、そこはそこ、ご勘弁頂きたい。
テストの答案はすぐに採点されて返却された。
「千賀の点数は七十四点だ。
まあ、狙った点数ぴったりだったし、そこそこの成績だ」
匠先輩は淡々と答案を返していく。
「嵩文さんと神子上さんは優秀だね、満点だ」
この時点で、俺達の平均点五十点は確実となった。
「足立くん、君も結構いい成績だ。
千賀が『あいつはめんどくさがりの要注意人物』なんて失礼なことを言ってたけど、
点数を見る限りそうは思えないなあ、俺は」
「どうもっす」
俺はテストを受け取る。六十八点。
俺が『めんどくさがりの要注意人物』なのは認めるが、
恥をかくぐらいなら多少だるくても行動はする。
つうか、思った以上に点数取れてねえな……
よく見れば、潰れて読みにくい文字がある解答は全部×になっている。
匠先輩が漢字などの覚えていない文字をわざと潰して正解かどうか判別させにくくして、
採点者を惑わせマルをもらおうという作戦は通用させない方針なのは、
この採点結果を見ればすぐに読み取れるのだが、いくらなんでも厳しすぎだろ。
「牧田くん、残念だね。回答欄が一個ずつズレてるよ。……六点」
「ぬあああぁぁぁにぃぃぃぃいいいいい!?」
ゴーヤを食ったような苦い顔の匠先輩からテスト用紙を受け取ったジョーは、俺をギッと睨みつける。
ざまあみろ、自力でやりゃもう少しは取れただろうものを。
「フハハ!お前六点!?
どうしたんだ?勉強疲れか?」
「……ただのミスだよ」
ジョーは不正行為をした手前、表立って俺を糾弾することは出来ない。
彼の今の発言もそれを理解してのものだ。
「さて、四人の平均点の計算した結果、
六十九点と残念ながら千賀の点数の七十四点に及ばなかった。
約束通り、昼飯と夕飯は奢ってもらうよ」
「ジョー、今回は完全にお前が足引っ張ったな」
「……うるせー」
「あーあ、今月買おうと思ってたCD、諦めるしかねえかな〜」
「………………」
ジョーはばつが悪そうに下を向いた。
繰り返すが、俺は別に奢ることになっても構わないと思っている。
お袋が普段の三倍の仕送りをしてくれたお陰で家計的にも余裕があるしな。
俺がコイツにこう言ったのは、
コイツに対していい薬になると思ったからだが、良薬は口に苦し、
ジョーにとってはかなり精神的に喰らっているようだ。
もともとは勉強して来なかったのだから自業自得であるが。
ジョーは下唇を噛んで拳を握り締めた。体が少し震えている。
あれ、ジョーってそんなにナーバスな野郎だったか?
「コウ、回答欄が一つズレただけなのに、そんな責めることないでしょ?」
チカがジョーの肩を持った。
俺はジョーのしでかしたことをここで公にするつもりはない。
例え公にしたとしても、今のジョーの状態を見れば、
ただ彼のプライドをズタズタにするだけ、
つまり傷口に塩を塗るだけであることは明確であり、
幸いにも俺はそこまでやるほど性格はひねくれてなどいない。
だから俺はこう答えることにした。
「そうだな。ジョー、次からはそんな馬鹿なことすんなよ」
ジョーにしか伝わらない、暗号化された俺の真意だ。
真意をしっかり読み取ったらしい彼はゆっくり頷いた。
「ああ、もう二度とこんな馬鹿はしないよ」
さて、今日の財布の中には五千円札が一枚と千円札が二枚。
今日はいくら財布から消えて行くだろうか。