第3話-11 音楽祭と妹 人間には理解できない理由
確かな手応えを手に感じた。
人を金属バットで殴る感覚。
俺は零雨と麗香の後頭部を思い切り殴った。
俺に殴られた零雨と麗香は床にうつぶせに倒れてしまった。
繰り返し言っておくが、俺は好きで殴っているわけじゃない。
零雨と麗香に有無を言わさず「とにかく殴れ」と言われたからで、
面倒なことにならないうちに、俺に殺意はないことをここに表明しておく。
「おい………大丈夫か?」
俺は零雨を揺さぶってみるが、目を閉じて倒れたまま動かない。
……ちょっと、これやばくねえか?
「おい起きろ零雨!おい!」
どんなに強く揺さぶっても、どんなに耳元で大きな声を出しても、反応しない。
ただ、幸いにも生きてはいるようで、背中が一定のペースで上下し、
鼻に手を近付けると、確かに呼吸しているのが確認できた。
これは麗香も同様だった。
いや、リアルにどうするよ、コレ?
目を覚ますのを待つか?それとも救急車を呼ぶか?
仮に救急車を呼んだとしよう。俺は一体どうなる?
救急車で病院へ緊急搬送されて、すぐに後頭部の打撃痕が発見され、
通報した俺はその時点で殺人未遂容疑が固まり、場合によっては即逮捕だ。
逮捕された場合、俺は容疑を認めるしかないから、
この案件はすぐに裁判所で刑事事件として裁かれることとなる。
俺の年齢や彼女達の状態なども加味され、
執行猶予がつくかどうか分からないが、とにかく実刑判決が下されるだろう。
=……俺、人生終了。
しかも零雨と麗香には日本国籍があるのかどうか分からないから、
下手をすると彼女達が書類上では「存在しない」人間であることが
バレてしまう可能性も残る。
こうなってしまうと零雨も麗香も学校に留まっておくことができなくなる。
昼のワイドショーでチカやジョー、担任の先生などへの突撃取材がなされ、
顔にぼかしが入った状態の彼らのインタビュー映像が全国ネットで配信されまくる。
そう考えると俺は生きた心地がせず、気分が悪くなって立っていられなかった。
零雨と麗香は相変わらず地面に伏せたまま起き上がってくれない。
心臓がバクバクと鳴り、全身が震えている。
人殺しをして逃亡し、全国に指名手配されたある人が捕まり、
「捕まって良かった」、
「こんなに気持ちが楽になるならもっと早く出頭しておけばよかった」、
と言ったという話を耳にしたことがあるが、今の俺はその気持ちがよく分かる。
ああ、極道者と戦ったあの時のように生き返ってくれないだろうか。
もし代替の身体が無限ではなく三つまでしか用意されていなかったとしたら、
残機を使い切った麗香は永遠に動かない。
零雨は確かまだ一機残っているはずだから、起き上がってくれるはずだ。
もしこのまま零雨と麗香が目を覚まさなかったらどうなる?
数十にもおよぶ平行世界の管理人である彼女達を潰してしまった俺に、
どんな罪よりも重い罪を犯したということで、
彼女達の持ち主であるUSERが罰を与えるだろう。
罪悪感半端ねえ。
…………ああ、マジ死にてえ。
俺はこれ以上の思考を脳が本能的に諦め、
その場にへたりこんで横になった。
「もう、俺なんてどうなったっていい――――」
その呟きはリビングの壁に吸い込まれていった。
俺がやったことは人間として最低のことだ。
金属バットで人を殴った。それも後頭部を、だ。
いくら本人から直接頼まれたからといって、それはしてはならないことだった。
「……もう、出頭しようか」
一時間経っても、零雨と麗香は息はあるものの起き上がってはくれない。
俺は携帯電話を手にとった。
1、1、0。
あとは通話ボタンを押すだけだ。
このボタンを押せば、気持ちは楽になるだろう。
だが、押してはならないような気もして、なかなか押せずにいた。
その時、物音が聞こえた。
ハッとその方を見ると、身体を僅かながら動かしている零雨がいた。
「おい!大丈夫か!俺が誰だか分かるか?」
俺に支えられ、ゆっくりと起き上がった零雨は、俺の顔をまじまじと、無表情のまま見つめた。
「あなたの名前は……足立光秀、愛称……コウ、現在十六歳」
合ってる。
良かった、無事だった。
「……最終テスト合格」
零雨はまばたきを一つ、そういった。
最終テスト?何がテストだったんだ?
「う、うう―――」
麗香も起き上がった。
目をこすり、麗香は壁に掛けてある時計を見上げた。
「あ……うまくいったみたい」
「……何がうまくいったんだよ?」
「最終テスト」
「・・・は?」
麗香は後頭部をさする。
「痛むか?」
「う……うん、ちょっとだけ」
「悪かった、いくらなんでも少し強く殴りすぎたか」
「ううん!謝ることはないよ!
思い切り殴ってって、頼んだの私だし」
麗香は微笑んだ。
「……そろそろ教えてくれ。
《最終テスト》が何だったのかを」
「これはね、私達が、強い衝撃を受けた時、気絶するかのテストだったの」
「?」
俺はそう言われてもあまりよく理解できなかった。
「だからね、コウくんが私達の頭を殴って、気絶するかどうかのテストだったの」
「気絶して何になるんだ?」
俺は率直に疑問をぶつけた。
「今までの私達は、殺されることはできても、気絶することはできなかったのよ。
これは私達にとって、大事なことだって気がついて、それで……」
「……このアホが!」
「ヒクッ!」
麗香はびくつき、固まった。
それでも俺は言う。言わせてもらう。
言わないと気が済まない。
「俺がこの一時間、どんな気持ちでここにいたのか、お前ら分かるか?」
零雨は首を横に振った。
正直でよろしい。
「お前らなあ、言っておくが金属バットで人を殴るというのは、
テンプレートな殺人方法の一つに挙げられるほどの凶悪なものだぞ?
いくらやってくれと頼まれたとしても、
やった俺からすりゃ、相当なストレスがかかるんだよ。
お前らが事前の説明もなくただ殴れとぬかしやがるからなおさらだ」
「そうだったの……」
「いくらお前らがプログラムだとしても、
少なくとも人間の姿をしている限り、こっちとしては心配せざるを得ないんだよ」
「ごめんなさい」
「麗香だけじゃねえぞ零雨、お前もだ。
俺に協力を依頼するのは構わないが、俺に負担をかけないでくれ」
「……理解した」
ところで、気絶する機能を備えた零雨と麗香だが、
そんな機能はどこで使うんだ?
普段の生活をしていれば気絶なんてまずしねえってのに。
俺からすれば、はっきりいって無駄な機能だと言いたい。
しかし、USERが絡んでくるとなると、話は別だ。
創世者と考えられるUSERがテストを命令した。
そこには人間の持つ、地球上最高性能を誇る(と、思われる)
一五〇〇ミリリットルのしわしわの脳みそをもってしてさえも理解できない、
高度な理由が隠されているに違いない。
と考えてみたものの、どう考えてもやはり意味はないような気がして納得がいかない。
……考えるのも面倒臭くなってきたからここらで考えるのも終わりにしておこう。
「麗香、」
「何?」
美羽の部屋のドアノブを掴み、ロックを解除した麗香は振り返って俺を見た。
「そういえばお前、作曲のほうは進んでるか?」
麗香は俺から視線を逸らした。
「作るといっても、どうやって作ればいいのか分からなくて……
楽譜の読み方は電子資料を探して読んだから分かるんだけど、
作曲の仕方だけはどうしても見つからなくて、困ってるの。
どうしたらいいと思う?」
「俺に聞かれたってだな…………」
困るというものだ。
音楽を聞くことはあっても作曲はしない俺に、
ノウハウは当然一切持ち合わせていない。
麗香の言った《電子資料》とは恐らくインターネットのことだろう。
「実はその相談も兼ねて来たんだけど……」
「悪いな、チカなりジョーなりに聞いてくれ。
俺は力になれそうにない」
「それが、二人にはもう聞いちゃってて、
匠先輩にも聞いたんだけど、
≦己の表現したい熱い気持ちをただつらつらと旋律に変え、
歌詞に変え、根性と愛情を持って作っていけばいい!
赤と青の中間は紫じゃない!緑だっていいじゃないか!≧
って言ってくれたの。
でも、正直何言ってるのか分からなくて。
それで、最後の望みでコウくんの所に……」
「それは残念だったな、ならば諦めるのも視野に入れておくべきだな」
「え〜、そんなぁ……」
それにしても匠先輩の助言は意味不明だ。
特に後半の《赤と青の中間は紫じゃない!緑だっていいじゃないか!》は
完全に何を言いたいのか理解不能だ。
こう言いたいのだろうという抽象的なニュアンスすらも読み取り不可な表現をするぐらいだ、
もしかしたら匠先輩なら
零雨と麗香が気絶テストをせねばならなかった理由が分かるかもしれんな。
麗香は拳を握り締めた。
「絶対に、ぜったいに作りたいの!お願い!助けて!」
「頼まれてもムリだって言ったろ?」
「自分で作らないとどうしても疑問が解けないような気がするの!」
「俺にその分野の知識がない以上、手助けはできん。
足し算が理解できない者同士が集まったって足し算ができないのと同じなんだよ」
俺に作曲に関する情報、知識がない上に、麗香もないのだ。
集まったって出来るはずなどない。
そういう作曲に関する本とか、家にあれば貸してやりたいところだが……
……本、貸す?
そうか!あそこならば何かあるだろ。
「麗香、図書館は行ったことはあるか?」
「図書館?行ったことはないけれど……」
「そこに行けば何かヒントでもあるんじゃねえのか?」
「そっか、そうかもしれないわね。
図書館って、どこにあるか、分かる?」
「さあ?まあ少なくとも市内に一つはあるはずだ」
俺はそういってパソコンを立ち上げた。
図書館のウェブサイトはすぐに見つかった。
市内には十五の図書館があるが、
その中でも一番大きい中央図書館は港区にあるらしい。
紹介画像には、《図書館の窓から海が見える》の文字がある。
外観も改装されたばかりらしく、綺麗だ。
「ここに行けば、なにか分かるんじゃねえか?」
麗香は嬉しそうにしながら、首を縦に振った。
「ところで零雨は、楽譜作りはどうだ?」
「……問題ない、完成している」
「さすがだな」
ただの耳コピだから麗香ほどは難しくはないだろうが、
それすらもやったことのない俺にとっては、難しいことのように思えた。
「じゃあコウくん、行こう!」
「……は?」
「図書館だよ、『図、書、館』!」
「お前一人で行けばいいだろうが」
「図書館の利用の仕方とか、私分からないからついて来てほしいの!」
「図書館の人に聞けば大体分かるっつーの」
「でも、一人よりも『友達』と一緒に行った方が楽しい」
そこにタイミング悪く美羽登場。
「どこいくの?としょかん?」
「何処も行かねえよ」
「まだ決まったわけじゃないけれど、
今日図書館に行きたいなって、お話してたの」
「余計なことをてめえ!」
「あ、何かごめん」
俺は恐る恐る謝る麗香から美羽に視線を向けた。
そこには俺の予想通り、ニカァ、と笑う美羽がいた。
「美羽も行きたーい!」
「来るなあ!」
結局、俺は図書館に行くという名目で、
家から引きずり出され、ギンギンの太陽光が照る中、外出することになってしまった。