第3話-8 音楽祭と妹 人との違いと差別
俺達は住宅街にいる。
学校から歩いて十五分の距離の住宅街の場所にチカの家がある。
麗香の家から近い。
何の用事で行ったのかは忘れたが、
俺は以前一度だけチカの家に嫌々呼び出されたことがあるため、
今回が初めてというわけじゃない。
何の用事で行ったんだったか───そう、思い出した。
去年、俺達が高一として過ごしていた夏休みも残り三日に差し迫った時だった。
あん時は確か「夏休みの宿題を写させて」とチカが電話を寄越してきたんだったな。
あいつはこちらの返答も待たずに、
「とにかく今すぐ来て!」とだけ言い残して電話を切っちまった。
その時俺は困った。
チカの住所が分からねえのにどうやって行けばいいんだよ、と。
それともう一つ。
俺も誰か宿題を写させてくれる仏のような人を探している最中だったのだ。
断ろうとしつこく電話を掛けること六回。
「何よ!?」とチカに半分理不尽にキレられながら俺の事情を説明をするも、
なぜかそれがまたチカの逆鱗に触れ、小一時間ほど罵倒されまくった。
電話を切れば良かったものを、わざわざよく無駄に耐えたもんだよ。
最終的には
「写させてくれる人を探すにも宿題を写すにも
一人より二人の方が効率いいからあたしの家に来て」と住所を教えられ、
渋々チカの家に行ったわけさ。
あの時は俺のコネでジョーをチカの家に呼んで、
宿題を写させてもらったおかげでギリギリ間に合った。
当時チカはジョーと違うクラスだったため面識がなく、
見知らぬ人を家に上げるのは抵抗があったようだが、
ジョー本人は快諾してくれていたことを告げると渋々家に上げることを認めた。
そっからだな、チカとジョーが親しくなったのは。
まあ俺にとってチカの家には散々な思い出しか残っていないんだが。
「ここが我が木下家住宅だ」
家の前に来た時、チカの兄こと、トン高OBの木下匠先輩は
俺達を振り向いて、家をビシッと指さす。
チカの家は住宅街の中でも一回りほどデカイ。
茶色のレンガの三階建てのその家は、周囲に気品をばらまいてくれてやがる。
剪定されてからまだ間もない塀の植え込みは青々とし、
敷地に入ると見える、十五メートル四方ほどの庭の隅には
いくつもの花が彩っている。
こんな上品な家に似つかわしくないバイオレンス少女がいることで、
誰もが憧れるような理想的な住宅環境が逆に、リアルな現実を見せている気がする。
リビングに通された俺達は、匠先輩が出してくれた茶を一気飲みする。
零雨と麗香はやはり飲まない。
美羽は茶ではなくジュースが良かったようで、不機嫌そうに茶を飲み干した。
「チカ、お前が学校でケガさせた友達を真心込めて手当するんだ、ほれ」
「うわっ!とっと……」
匠先輩は救急箱をチカにイスを投げてくれたお返しとでもいいたげに剛速パスする。
それを何とか受け止めたチカは、ゴト、と重く鈍い音を立てて救急箱を床に置いてそれを開いた。
「……零雨、ゴメン」
「この程度の……損傷で死ぬことはない。
……安心して」
「今だからそんなこと言えるのだろうけど、
あんな無茶してもしあんたが大怪我してたら、
あたしその場で自殺してたはずよ?」
その時には既に零雨の傷口は血で塞がれていて、
応急処置も手遅れに等しい状態であったが、チカは一応一通りの応急手当を施した。
「さてと、そんじゃいよいよみなさんお待ちかねの地下室に行くとしようか」
俺は一度チカの家に行ったことがあるといったが、
当時行ったことのある部屋はリビングとトイレだけで、
当時の俺がトイレを借りるため、リビングから出ようとしたところ、チカが
「あたしの家を探検しようなんて馬鹿なことは考えてないでしょうね?
そんなことをしたら家から二度と出れないと思いなさい」
と、そんなことは一ミクロンも考えておらず、
それどころか早く帰ってゆっくりしたいとさえ思っていた俺に、
完全無欠のカンチガイ理論をあたかもお前の考えていることは全てお見通しだと言わんばかりに言い切り、その上、厚かましくも俺に釘を刺した。、
俺は必要最低限の部屋の移動、すなわちトイレしか行くことが出来なかったのだ。
探検する気もない俺が、あの時リビングとトイレ以外に
どこかの部屋に立ち寄る可能性は、例えチカが俺に戯言をかまさなかったとしてもまず有り得ないわけなんだが。
それにしても、あの時俺は長時間にわたってリビングにいたのだが、
なぜ匠先輩と会わなかったのか不思議だ。
なぜか異様に長い階段を降り、
鉄の分厚い扉を開けて地下室の中に入ると、まずその広さに俺は驚いた。
天井は高く、まるで空き地のような一つのコンクリの打ちっぱなしの大部屋。
多分木下家の敷地全面を地下空間に仕立て上げたのだろう。
どこの地面を掘り返してみても、
この地下室を構成するコンクリートが現れることは間違いないと言い切れる。
上にある家屋を支えるために部屋の中に一定間隔で立っている柱は異常に太い。
その壁には吸音材が取り付けられ、天井に取り付けられた暖色の光を放つ電球がずらり。
部屋に入ってすぐ右の足元を見ると、中身不明の段ボールが積んである。
これは何だ?
「でっけえ部屋だなぁ、おい」
ジョーの声が響く中、一行は部屋を観察しながら匠先輩の後をついていく。
てか、部屋の中が響いてるとか壁の吸音材の意味無しだな。
匠先輩は言う。
「うちの親父は建築士なんだ。
まあ、丸く言えば建物を設計する仕事の人。
この家は親父が自ら設計した家で、ちょっとやそっとじゃびくともしない」
「へえ、そうなんですか」
麗香が返す。
「なんでも、例え一階から三階までが地震やら台風やら洪水やらで潰れたとしても、
この地下室だけは潰れないよう作ってあって、
一トン爆弾が直撃してもびくともしない設計になってるんだとさ。
そうそう、部屋の入口にある段ボール、あれの中には保存食が一月分入ってるのさ」
「もはや地下要塞っすね」
俺はすぐに突っ込んだ。
どうりで地下に続く階段が長いわけだ。
コンクリが分厚い分、階段も必然的に長くなる。
まあそれにしても平和ボケし、堕落しきった日本には必要のない作るだけ無駄な耐久性を兼ね備えた家だこと。
家族を愛する気持ちがそうさせたのか、
ただの自己満足のためにやらかしたのかは分からないが、
こんなことをする財力を持つチカの親父の収入が気になる。
聞く勇気など俺にはないから聞かないが。
「このお部屋涼しいね」
俺の右手を占領している美羽は言った。
しかしこの部屋に冷暖房設備はなく、気温は全て自然任せの仕様のようだ。
もし、もしもだ、日本がどっかの国と戦争したり、あるいは侵攻してきたりして
この町にそれこそ一トン爆弾なりクラスター爆弾なりが降ってきたとしよう。
辺り一面が火の海になるのは当然のことであるが、
この場合、この地下室に逃げ込んで生き延びられるかと聞かれると、首をかしげざるを得ない。
なぜなら、この部屋が蒸し焼き状態になる可能性があるからだ。
第二次世界大戦末期の日本では、空襲時には防空壕に逃げ込んだらしいが、
直撃は逃れられても防空壕の中が蒸し焼き状態になり、
命を落とした人が大勢いたらしい、という話をどこかで聞いた。
当時の防空壕は地面に穴を掘っただけの脆弱な作りで、
防空壕への避難はかえって危険だったことを考えると、
このチカの家の地下室と比べてはいけないのだろうが、
地下室という共通項があれば、誰だって比べてしまうものだろう。
「これが俺の愛する楽器だ」
匠先輩が埃が被らないように覆っていた布を外し、
自慢げに見せてくれた楽器は……リアルに本格指向のやつじゃねえか。
ドラムやらベースやらギターやら、どれも綺麗に手入れされている上、
どうやら使い始めてから間もないものらしい。
買い替えたのか?
「こんな立派な楽器、高そうだな……」
ジョーはドラムセットをまじまじと見つめて言った。
匠先輩は答えた。
「いや、実はこれ、貰い物なんだ。
あ、これは俺のバンドの楽器じゃねえからな?
バンドの楽器は使いまくってボロボロ、恐らく学校の楽器より酷い有様だ」
「貰い物って、それにしては状態良すぎじゃないっすか?」
「俺のオタク仲間が中学時代、株に興味もって、
それで名もなきベンチャー企業かどこかそこらへんに投資したところ、
今頃になって急成長、言い換えればバカ当たりしたんだとさ。
その会社は今は知らない人もいはいないぐらい有名になってる。
そこがどこかは言わないけどな」
そこは俺としては非常に気になるところである。
「それで、もうウン億以上儲けて、
『俺、こんなに金使い切れねえから』っつって俺にこれを
プレゼントしてくれたわけさ」
匠先輩、そいつの家に行って、ちょっと金庫開けてくるから住所教えてくれ。
俺なら使い道は山ほどあるからな。
金庫に閉じ込められてる諭吉さんも喜ぶし、国の景気も良くなってwin-winだぜ?
「あいつ、儲けた金のほとんどを銀行に振り込んだところ、
やろうと思えば預金の利息だけで生活できるんだとさ」
「もはやVIPレべルじゃないっすか」
「まあ、あいつはそんだけ収入がありながら、
『栄枯盛衰、こんな状態なのは今のうちだけさ』と言って、
あまり贅沢しないから倫理観、金銭感覚ともに正常を保っているところがすごいところさ」
さっきの金庫の話は冗談だったが、
そんな奴だと言われると盗みに入るもんも良心が痛んで流石に躊躇するだろう。
「さてと、せっかくここに来たんだから、一曲ぐらい演奏聞きたいもんだよな?」
匠先輩はギターをアンプに繋ぐと、ギターを弾きながら歌い始めた。
誰がどう聞いてもアニソンにしか聞こえないのだが、
メロディーをギターで弾きながら歌に熱中しているしているところを見ると、
やはりそれなりの実力があることは明らかだ。
つーか、この人半端なく楽器も歌も上手い。
こんな腕を持つ人間をチカは講師と呼ぶようなレベルの人じゃないと言っていたが、
普通に講師って呼べるレベルじゃねえか。
「(歌詞割愛)〜♪っと……
まあ俺はこれぐらいしかできねえ。
こんな俺でいいなら教えてやるけど、どうだい?」
「お兄ちゃん、すごいじょうずだったよ!美羽もやりたい!」
美羽はペチペチと小さな拍手をして喜んだ。
この歳の子供にはまだ、匠先輩の趣味は理解できないだろうな。
少なくとも美羽はそうだ。
振り返ると、チカが下唇を噛みながら震えていた。
その表情は、誰がどう見てもいい表情ではなく、顔は紅くなっている。
……そうかなるほど、そういうことか。
俺はチカを察した。
このDV少女は、現在進行形で
兄の匠先輩の趣味をまるで自分の汚点のようにでも思っているのだろう。
《世間的にあまり良いイメージのない趣味をあたしの兄が持ってる》
男の俺には乙女心が分からないが、まあそんな複雑な心理が働いているに違いない。
そうなってくると、当然チカは兄の趣味を俺達をはじめとする知り合い、
友人にバレないようにするはずだ。
今気がついたのだが、
その証拠に、さっき偶然思い出した一年前初めてチカの家に言った話と繋がる。
チカはあの時俺をトイレとリビング以外の立ち入りを強く禁じた。
今さっきまで、俺は一年前のチカの言動の意味が全く理解できていなかったのだが、
ここにチカが禁じた理由が隠されていると仮定すると、話が合いそうだ。
匠先輩の所属しているバンドが、いわゆるオタクバンドであること、
そしてさっき先輩の「バンドの楽器は使い込んでズタボロ」発言、
そして先輩のあの楽器の操る上手さを考えると、
匠先輩がオタク趣味をエンジョイしだしたのは最近の話ではないと容易に推測できる。
つまりそれは、俺が一年前にチカの家に行った時、
先輩は既にそういう趣味を持っていたという可能性が高いということだ。
となると、兄の趣味を隠しておきたいチカにとって、
俺に家の中でウロチョロされることは絶対に阻止しなければならない重要事項である。
チカのすることだ、あんな言い方をしてもおかしくはない。
まあ兄の趣味がどうたらこうたら、そんな小さいことで騒ぎ立てるのは感心しない。
ダラダラと見ていて睡魔が襲われそうになるほどの長ったらしい説明をしたが、
俺がこの思考を巡らせたのはほんの数秒間だ。
「チカ、お前の兄はスゲエな」
俺以外誰もチカのことを気にしなかったため、
俺は震えるチカのとなりに並んで言ってやった。
チカは意外そうな顔をして俺の顔を見る。
「え?……それ嘘でしょ?」
「いや、真剣な話、俺はお前の兄を見てカッコイイと思うね」
「あんな兄のどこがいいのよ?」
「今の曲、全部独学で学んだんだろ?
ギターの弾き方から歌の練習までをよ。
バンド仲間と練習したにしても、
あそこまで持って行くには相当苦労したんじゃねえか?」
「そ、そんなのあたしの知ったことじゃないわよ!
向こうが勝手に上手くなっただけでしょ?」
俺は一息ついて話した。
「……もし、今お前の兄が演奏した曲が人気アーティストの曲だったら、
お前は俺の発言に『知らねえ、勝手に上達したんだろ』と同じ答えを返したか?」
「……何が言いたいの?」
「持ってる趣味がどうとか、
そんな下らない基準で人間の好き嫌いを決めてねえか?」
「くだらなくないわよ!」
「ほう、なぜ?」
「あたしまであんなやつと一緒にされちゃうじゃない
兄がオタクでも、あたしはオタクじゃないから、一緒にされちゃ困るのよ」
「そう言うと思ったぜ、バカチカ。
今言った台詞の《オタク》を《奴隷》に言い換えてみろ。
『兄が奴隷でも、あたしは奴隷じゃないから、一緒にされちゃ困るのよ』
あらびっくりのあからさまな差別用語に早変わり」
「意図的に差別用語になるように置き換えただけの、
ただの悪質な言葉遊びなだけじゃない」
「いつからお前のおつむは単細胞化が始まったんだ?
じゃあお前、この空欄に『悪質な言葉遊び』じゃなくなる単語を入れてみろ。
《兄が( )でも、あたしは( )じゃないから、一緒にされちゃ困るのよ》」
「・・・・・・」
チカは俺から目を離してうつむいた。
「言えねえだろ?
どんな単語を持ってきたって、差別的ニュアンスは残る」
「でも、オタクとか気持ち悪いじゃん」
「それはなぜ?
少なくとも俺はそんな風には思えないね。
お前から『モヤオタ』の称号を授かった俺としては、
俺を侮辱してるようで、いや、間接的に侮辱してるのが分かるから、
実際のところ内心はらわた煮え繰り返ってるわけなんだが、
それは一旦置いといて聞く。
なぜ気持ち悪い?」
「コウは気持ち悪いと思わないの?
平面に恋する人間なんて、有り得なくない?
電車を愛する人とか、パソコンばっかりいじってる人とか、
そういう自分の好きなものにものすごく執着する人とかさ」
「俺の質問の答えになってないんだが……まあいい。
それならバイクを愛する人間は気持ち悪いオタクだということになるよな?
宝石やらブランド物やら切手やらを収集するのも気持ち悪いんだろ?
料理人が毎日毎日仕事場で修業してる姿すら気持ち悪いんだろ?
そんな考え方を拡張して一般化すれば、お前の言うように
『自分の好みのものを懸命にやる人は気持ち悪いオタクである』
という結論にたどり着くわけだ。
そうなると、ずっと髪のことを気にしてストレートになる方法を
捜し求めているお前は、気持ち悪い髪型オタクってことになる。
あれ?お前自身が気持ち悪いオタクになっちまったぞ?
この現象をどう説明する?」
「それは────」
「な?こう考えるとお前の兄の趣味は別に特殊なものでもないだろ?
現に見てみろ、美羽はお前の兄にくっついて離れそうにもないし、
ジョーだって嫌な顔せずに、むしろ好意的に接してるじゃねえか。
お前の兄の趣味が恥だなんてステレオな考えは古い。
友人の分際で何をこしゃくなこのクソ野郎と思うかもしれないが、一応言っておく。
お前の兄の趣味、認めてやったらどうだ?」
「……いまさら認めようったって無理よ」
「ま、俺の言いたいことは大概言わせてもらったし、後はどうするかはお前の自由だ。
俺が必要以上に干渉する義理もない。
ただ覚えておけよ、
お前がもし兄の趣味を気持ち悪い最低の趣味と考えていても、
今みたいにあからさまに言わなけりゃ、俺は別に構わないと思ってるが、
同じ趣味を持つ何万、何十万、
下手すりゃ何百万人の人間を敵に回すかもしれないということをな」
チカは拳を握りしめたまま、何も言わなかった。
確かに世の中にそういう趣味や好みに対する偏見やら差別やらは
しぶとく残っているのも疑いようのない事実である。
その根源はというと、俺が考えるに、やはり集団心理が関係していると踏んでいる。
このことについてダラダラとまたさぞ知っているかのように語りだすのは
面倒臭いし延々と翌朝まで語らないと終われねえ気がするし、
自己陶酔しているといわれのない因縁をつけられては堪らんから詳細は省くが、
簡単に言えば周囲の人間と同じような思考や生活をしていると、
深層心理のなかで集団のなかにいる自分と他人の僅かな違いが目立ち、
そこに優劣を本能的に求めてしまう、というものだ。
あいつはみんなと同じ趣味を持ってるから普通の人間、
こいつはみんなと違う趣味を持ってるから異端な人間、
それを象徴させる歴史的な話といえば、
かの有名なコペルニクスが唱えた地動説についてのいざこざだ。
分かりやすく言うと、
何か俺達の住む大地の上を太陽やら月やら星々がくるくる動いてるし、
これって俺達地球が世界の中心だっつー証拠じゃね?
と人間が見た目だけで判断し、さらにとんだ独りよがり属性までついた天動説が、
あろうことかローマ法王がそれが正しいと公の場で口走って宣言したために、
それが正しいとされてしまっていた中世のヨーロッパ。
そこに「よくよく天体を観察したら実は太陽の周りを俺達が回ってるっぽいぜ?」
と言い出したコペルニクスが異端者と言われて宗教裁判でなんちゃらという話だ。
「コウくん、聞こえてる?」
「ん、何か言ったか?」
何回か俺に話しかけていたらしい麗香にやっと気づいた俺は、少し慌てて返した。
少し考えすぎたな。
最後に言っておこう。
俺が匠先輩から出されたあの条件を嫌がったのは、
そうした自分が趣味差別をしていることに気がついていない輩から、
変な目で見られたくないからで、
周りの理解がありさえすれば、俺はこの条件を何の気無しに呑んでいたに違いないことを。
「だからね、コウくんはどんな楽器が得意なの?って」
「笛が得意だ」
「笛?」
「中でも口笛は得意だぜ」
麗香は目を細めた。
「そういう意味じゃなくて、この中にある楽器の中で……っていう意味なの」
「ああ、そういうことか」
つまり誰がどの楽器を扱うかについての話だったわけだな。
その前に場の空気をもっと読もうぜ、俺。
……うーむ、ここはやはり取り扱いが簡単そうな楽器を言った方が良いだろう。
楽器持つだけで精一杯とか話にならねえからな。
とはいっても、どれも触ったことのない楽器だから、
どの楽器の扱いがどうとかわかんねえぜ、ハハハハハ……
「俺はどの楽器も触ったことねえからな、得意なものなんてねえ」
バンドセットの隅の方に、カラオケとかでよくあるマラカスがあるのだが、
いくら簡単だからといって得意なものはマラカスだと言ってしまうと、
舞台の上で俺一人がやる気なさそうに隅でマラカス振ってるとか、
見てる方は面白いかもしれないが、
やってる方はほぼ百パーの確率で壮絶極まりない羞恥と注目に晒されることになるため、全力でボツだ。
そんなことを考えていると、つい口から事実がポロリと出てしまった。
「さて、これは参った……
音楽祭に出るぐらいだから誰か一人は経験者がいるもんだと思ってたんだけどな、
まさか全員初心者だとは思いもしなかった」
匠先輩は頭を抱え込んでいる様子で……ってお前らも経験無しか!
ジョーとか、少しギターあたりをかじってそうなイメージがあったのだが。
「ここで云々嘆いても仕方ない。とにかく先に進もう」
匠先輩の一言で、俺達はどの楽器を使うのかの話し合いが始まった。