第3話-7 音楽祭と妹 空中鬼ごっこ
それはショットガンで俺の頭をゼロ距離で撃ったような凄まじい衝撃だった。
あまりのショックに頭が吹っ飛んでしまったのではないかと、
思わず手で頭が首の上にちゃんと乗ってるか確かめてしまったほどだ。
安っぽいCDプレーヤーから発せられるその音は、
俺が今まで本番で出来るだけ目立たないように地道に小細工しても、
みんながやりたいと言った曲がプロ並みの完成度だったとしても、
こいつは核ミサイルで全て無に帰すのと等しい破壊力。
インパクト強すぎだ。
「……マジでこれやるの?」
ジョーは面喰らっている。
「……協力がいるならやるしかない」
チカは机に顔を突っ伏したまま答えた。
どうやら恥ずかしくて顔向けできないらしい。
そこまで恥じる必要はないと思うぞ、俺は。
「お前んとこの兄さんって、こういう趣味があったんだな」
「それ言わないでよ!」
チカが持ってきたのはアニメソング、略してアニソンと呼ばれる部類のモノだ。
耳なし青狸とか、海鮮一家とか、そういうメジャーなものではなく、
オタクっぽい、というか明らかにオタク系。
俺の近くの知り合いにも同系統のやつはいるし、
俺自身もそういうのはあまり気にしないタイプである。
そいつが俺にそういう系統の話を持ちかけてきても、別に抵抗もない。
さらっと聞き流したり、相槌を打ったり、時々返してみたりしている。
ただそれは《受け身》の状態での耐性で、こっちから発信することになるなど、
テレビが放送電波を発信するほど有り得ない話で、想定すらしていなかった。
「ま、趣味は人それぞれだからな。
趣味自体をマジョリティーなのかマイノリティーなのかで判断したり、
ステレオタイプで捉えてしまってはいかんだろ。
そういう俺も、チカから不本意ながらも《モヤシオタク》の称号を授けられた身、
ある意味マイノリティーなオタクの一部分に入ってるのかもしれんしな」
下手すると、もしかしたら俺は《モヤオタ》という
オタクの中の新しい分野を切り開いてしまったのかもしれない。
CDからは、女声の声優とおぼしき声がハイテンションで聞こえてくる。
よくもまあこんな高いキンキンの声を出して喉を痛めないものだ。
この曲に関して、零雨と麗香は特に変わった反応は示さなかった。
「元気が出そうな曲だね」
麗香は言う。
「……そうだな」
「やってもいいんじゃないかな?
私にはこの曲の何が問題なのか分からないけれど、
もし高い声が出ないんだったら、私が歌ってもいいよ」
麗香は無駄に純粋だな。
チカは突っ伏した顔をわずかに上げた。
「え?イヤじゃないの?」
「何言ってるの?イヤなんてことがあるわけないじゃない」
「オタクが聞くような曲なのよ?」
「オタクさんが聞いたって誰が聞いたって、音楽には変わりないでしょ?
誰が聞くかで曲を判断しちゃいけないと思う」
麗香の理論は正論だから困る。
この曲を本番でやったならば、後で周囲から生暖かい目で見られること必至だ。
俺達はそれがちょっと嫌なのだが、どうやら彼女にはそれが分からないらしい。
「俺はこの曲はゴメンだけど、これやったら練習に講師がつくんだろ?
どっちも捨て難い……」
「ジョー、あたしの兄貴は《講師》何て言えるレベルじゃないから、
あんまり過度に期待しないほうがいいわよ?」
「聞き捨てならん言葉を聞いたな」
聞き慣れない爽やかな声が教室の入口から聞こえてきた。
睡眠中の美羽を除く全員が入口に注目する。
教室のドアを開けたまま柱に手を突いてもたれ掛かっている男は、
俺の顔見知りではない。
男は片手を上げて挨拶した。
風貌は今時の流行を捉えている、長身の大学生。
顔立ちも整っていて、なかなかのイケメンだ。
「ちょっとお兄ちゃん!
なんでノックの一つもせずにドア開けちゃってるワケ?
てゆーか勝手に話に入ってこないで!」
チカはその男に怒鳴り散らすと、
白いCDが回転しているプレーヤーの電源を切った。
スピーカーが黙る。
話によるとチカの兄らしい。
「悪い悪い、高校の近くを通ってたら、俺の嫁のキャラソンが流れてきててよ、
お前今日学校行くと言ってたし、
もしかしたらお前が流してんのじゃねえかと思ったんだよ。
で、音楽に釣られているうちに気がつけばこの教室の前にいたわけだ。
ちょっと中を覗いてみようと手をかけたところ、すんなり開いたんでな」
ハーメルンの笛吹き男もこんなおっきな人間が寄ってきたと知ったら、
「こんなはずじゃなかった!」と笛を放り出して一目散に逃げるに違いない。
しかもイケメンの口からサラっと「俺の嫁」発言……
いや、例の俺の知り合いもその言葉をよく口にするし、
向こうから熱く語ってくれるお陰で、愛する気持ちはよく分かる。
しかし少子高齢化が進む今の世の中、
最終的な結婚相手は是非立体でお願いしたいところだ。
「そもそもなんであたしの高校にすんなりと入ってこれちゃうの?
兄妹といえど不審者として突き出すわよ!」
「無駄無駄、忘れたのか?俺はこの学校のOBだぜ?
それに先生に顔見知りはいっぱいいいるんだよ」
なるほど、この男は俺達から見て先輩に当たるわけか。
そりゃ確かに無駄だろう。
俺もこの乱入者を排除してやりたい気持ちが強いのだが。
「あの、誰ですか?」
名前を聞くために、とぼけたジョーが自称OBに聞いた。
「あ、俺?
俺は木下千賀、十七歳だ。
特技はキレることで、悩みは髪質。
ついでにスリーサイズは……」
「いい加減にしろっ!この変態!!」
チカは机に両手を突いて立ち上がり、座っていたイスを掴む。
それと同時に零雨も立ち上がり、動き出す。
「あんたのせいであたしがどれだけ大変な思いをしてると思ってるの!!」
チカはイスを勢いよく下投げでOBに向けて投げる。
チカの渾身の馬鹿力で斜め上方四十五度の、
遠距離に飛ばすには物理的に最も理想的だと言える
発射角度で放出されたイスは、宙を乱回転しながら舞う。
その放物線の終点の×マークは、その男の顔面についているようだ。
チカが投げたとき、
零雨は俺達が寄せている机に上靴のままよじ登り、その上を走り抜けていた。
机の端で踏み切った零雨は高く舞い上がり、両手を伸ばす。
伸びる手の先には乱回転するイス。
この状況は、もはやスロー映像なしでは語れない。
両腕で顔を庇うようにして着弾を待つ兄、容赦なく襲ってくるイス、
その後方からイスの進行方向を変えるべく放物線を描きながら追い掛ける零雨。
零雨はイスが着弾する直前に両手でしっかりと捉え、
イスの軌道をずらすことに成功、兄の横をイスを持った零雨が飛ぶ。
ここまでは良かったのだが、ジョーやチカがいる手前、
チート能力で空中浮遊するわけにもいかず、
零雨は碁盤の目状に並んだ机の列に身を投じることになった。
ガラガラガシャン、と大きな音を立てて落ちた零雨とそのイスの姿は、
イスに座って呆気にとられていた俺には見えない。
美羽を抱えている麗香と、現状理解ができていないOB以外の
全員が立ち上がり、零雨の元へと走り寄る。
「大丈夫か?」
零雨が落ちた周りの机のうち、二、三個が落ちた時の衝撃で倒れ、
その中の一つの机に落ちてきた時運悪く何かが引っ掛かったらしい。
零雨は倒れた机の下敷きになっている。
ガタ、と机が動いた。
どうやら零雨は無事のようだ。
この程度でくたばるはずがないと言った方が正しいのかもしれないが、
あまりにも薄情な発言になりかねないので、その表現は控えることとする。
「……大丈夫、特に……目立った問題はない」
零雨は上にのさばる机を押しのけて立ち上がった。
「大丈夫じゃねえじゃんかよ!」
ジョーの言葉は正しかった。
頭を怪我しているらしい。
雪のように白い髪の一部が赤く染まり、
ツー…と額から流血しているのが確認できる。
「ば、馬鹿なことしないでよ!
何で関係のない零雨がしゃしゃり出てくるの?」
「……あなたの危険な……行動によって、
……彼が大怪我をする可能性が……大きいと結論づけた」
だからってお前が怪我しちゃ意味ねえだろ。
イスが危険とかどうかと議論を交わす前に、
そもそも零雨の行動の方が危険だということを自覚しろ。
ジョーは力んで言った。
「だからって、あんなぶっ飛んだやり方以外にも何か他に方法はなかったのか?
奇跡的にイスを掴んで直撃を避けられたから良かったものの、
失敗してれば怪我人が二人になるところだったんだぜ?」
「……では問う。
……私と彼女の投げたイスとの……位置関係と……状況を考慮した上で……
あなたが……私ならどのようにして……彼の怪我を防ぐのか、
……その方法を教えてほしい」
ジョーは言葉に詰まった。
確かに零雨とチカは互いに簡単に手が届かない位置にいた。
どうしても彼の怪我を防ごうというならば、今のやり方しかなかったのかもしれん。
教室が静かになる。
「う〜ん……」
美羽がお目覚めになられた。
「あ、美羽ちゃんが起きた」
「お母さん……?」
美羽は自分の腹に巻き付いている白い腕を母親の腕と勘違いしているらしい。
「ごめんね、私は美羽ちゃんのお母さんじゃないの」
麗香は美羽を床に立たせた。
振り返って麗香の顔を確認した美羽は照れながら言った。
「お母さんと間違えちゃった」
美羽はそれから急に何も言わなかった。
あまりに静かな教室に、チビはチビなりにこの空気を読み取ったらしい。
「どーしたの?」
「ちょっとな」
俺の隣に付いた美羽に答えた。
「あ!おねーちゃん!頭から血が出てるよ!」
全員の注目を浴びる美羽は、
ポケットから小さな布袋を取り出して中のものを零雨に渡した。
美羽はいつも怪我した時の為に子供用バンソウコウを常時携帯している。
親が通学中に怪我をしたら自分で応急処置ができるようにと、
美羽に持たせたのが始まりで、
今では美羽の中ではバンソウコウなしでの外出は不安になるんだとか。
「はい、セロテープ」
惜しい、七十点だ。
「美羽、それはバンソウコウだろ」
「あ、そうだっけ?」
零雨は受け取ったバンソウコウをジロジロ観察する。
使用法が分からないのか?
子供用とだけあって、
バンソウコウには小さい子供が使用時に喜ぶように企画、迎合設計することで、
バンソウコウ市場におけるシェア拡大をもくろむメーカーと、
キャラクターの著作権を持つ会社との
ライセンス契約によって使用が認められたキャラクターが印刷されている。
「……ありがとう」
「それね、白い紙をはがしてね、いたいところに貼って使うんだよ」
「……分かった」
零雨はやはり使い方が分からなかったらしく、
美羽から使い方の簡単な説明を聞くと、すぐに出血しているところに貼った。
美羽の説明の仕方は正しかったのだが、
零雨が怪我した場所は頭髪に隠れてしまっている。
つまり零雨は、正確には怪我した位置の髪にバンソウコウを貼ったわけで、
当然それが傷口を塞ぐことはなかった。
「零雨……ナイスボケ」
苦々しく親指を突き立てたジョーは、零雨に突っ込んだ。
「髪の上じゃ使えねえからな。
零雨、それは剥がして台紙に戻しておけ」
俺は言った。
おもむろに髪からバンソウコウを剥がした零雨は、
剥がした際に抜けた髪がバンソウコウに付着したのを綺麗に取り去り、
台紙に戻してポケットにしまい込んだ。
「申し訳ない、間接的とはいえ俺の妹が怪我をさせてしまって」
今まで黙っていた自称OBが口を開いた。
「何よ、こんな時だけ兄貴面して……」
「お前は少しばかりお口にチャックして反省しろ。
……確か俺がこの学校にいたときは夏休み中、保健室は開いてなかった気がする。
んー、そうだな、俺の家に来るといい。
応急処置も出来るし、家の地下室に楽器がしまってあるんだ。
一度、楽器もどんなのか見ておきたいだろ?」
「でもそれって、今さっきの曲をやることが前提なんすよね?」
ジョーが恐る恐る聞くと、
自称OB(本名が分からないからこう呼ぶしかない)は言った。
「いや、そのことについてなんだけど、
なんつーか、妹のせいで怪我人が出てるわけだし、
この場に居合わせた兄貴的に、責任を取る必要があるだろ?」
そりゃ、チカがこのような行動を取らせるようなことをした元凶はお前だから、
そっちの観点から見ても責任は取るべきだ。
むしろこっちの観点から責任取れ。
「兄としてはもうこの際無条件貸し出ししていいかなと思っている」
今この自称OBが撤廃を持ちかけている条件は、
百次元だろうとゼロ次元だろうと、どんな次元からの視点で見ても、
自称OBの自己満足の為に取り付けたものであることは簡単に推測できる。
これは俺の単なるあてずっぽうの予想で、正確性や根拠はないのだが、
この自称OBはただ自分の妹に自分の好きなことをやらせたいがために
こんな条件を出したのではないかと俺は踏んでいる。
まあとにかく状況がガラッと変わったからここで一旦整理しよう。
まず、チカの兄のバンド所有の楽器と講習を受けるためには、
例のアニソンの発表が条件だった。
次に、そのことに関していろいろ言ってると、兄ご本人登場、チカが暴れる。
最後に、今、チカの行動の謝罪ということで条件撤廃の話が出ている。
意外にわかりやすくまとまったな、俺。
「ま、とにかく家に来い、後輩」
「……あの、とりあえず名前を教えてくれませんか?」
麗香は立ち上がる。
「呼ぶときに困るんで……」
自称OBは言った。
「俺の名前は木下匠だ」