第3話-6 音楽祭と妹 連続「写」撃
あれから十五分、美羽も泣き止み、話はチカ抜きで進むこととなった。
「私としては、自作曲をやってみたいかな?」
俺の聞き間違いでなければ、麗香は確かにそう言った。
「誰が曲作るんだよ?俺にはそんな小洒落たセンスなんざ持ち合わせてねえぞ」
聞いてるだけで耳を塞ぎたくなるようなちゃっちい曲より、
プロが作った曲の方がいいのは火を見るより明らかだ。
俺はそのつもりで言った。
「作詞・作曲はみんながいいなら私が作っても……」
麗香の意志は堅そうだ。
が、俺が公衆の面前で恥をかかされることが確定してしまった今、
俺が出来ることといえば俺の心理的被害を最小限に押さえ、
精神を正常に保たせるように努力することだ。
大体、服選びのセンスすらもない麗香に作曲は無理だろ。
恐らく麗香が作った曲、それはそれは素晴らしい曲になること必至。
「俺、思ったんだけどさ、」
ジョーが口を開いた。
「さっきの玉城先生の話を聞いてたら、
何も一曲だけしか披露できない訳ではなさそうだし、
この際、やりたいやつ全部やったらどうさ?」
「お前、練習が大変になるだろーが。
今から盆休みまで二十日程度しかねえのに、そんな余裕あるのか?
それに、楽器の扱い方から何から何まで独学でやるんだぜ?」
「私に任せてっ!」
そんな勢い余りあるメガホンボイスで俺達の会話に入りこんできたのは、
教室のドアをガラガラ…バン!と荒々しく開けて再登場したチカだった。
「私の兄貴の中にバンドやってるのがいるから、お願いして教えてもらえばいいのよ!
楽器も一通り持ってるみたいだし、練習も出来る!」
ほう、これは俺自身もビックリのご都合主義的な展開。
それよりもだな……
「チカ、なぜお前は全身びしょびしょに濡れてんだ?」
「プールのシャワーで頭冷やしてきたのよ。
お陰で落ち着いたわ」
「服着たままでか?」
「どうせすぐ乾くんだからいいでしょ?」
「そもそも、夏休みはプールは閉鎖されてるはずだ。
敷地に入れたのか?」
「まあね、意外と簡単だったわよ」
俺は日頃から感じていたこの学校の設備のセキュリティーの弱さを憂いつつ、
お怒りモードから復帰したチカの話を聞いた。
「今日はその兄は大学の講義とバイトがある日だから、
今日家に帰ってきたら聞いてみる。
オッケーもらえるかどうかは分からないけれど、
やるだけやってみるから。
で、何やるの?」
ジョーが答えた。
「俺はさっき言ったとおり、有名アーティストの楽曲の中にやりたい曲がある。
麗香は自作曲がやりたいんだってさ」
チカは零雨に顔を向けるも、すぐに視線を逸らして言った。
「零雨は、やりたいのはある?」
「……何でもいい」
その会話はドライアイスが放つ冷気のように、ツンとしていて冷ややかだ。
やはり空気的にはさっきの気まずい雰囲気が尾を引いている。
「そ、じゃあ何が決まっても文句はないのね?」
「……ない」
「そういうチカは何がやりたいんだ?」
俺が問うと、チカは俺に視線を合わせたが、すぐにうつむいた。
「私は……ジョーと一緒で普通にやりたい曲をやりたい」
「なあ、また出直そうぜ?
俺さ、こんな雰囲気でやってても意味がないと思うんだけど、どうよ?」
ジョーがエクセレントな提案をしてくれた。
こんな暑い教室と気まずい空気からおさらばする方法、《出直す》。
喜んで賛成させてもらう。
「それでいいんじゃね?
どーせ、チカがこのままじゃどうしようもないだろ?」
というわけで、俺はめでたく家に帰ることができたわけだ。
現実逃避してるだと?そうだが、何か文句あるか?
次の日の会議は、やはり教室で行われることになった。
メンバーは昨日と同じ、
俺、チカ、ジョー、零雨、麗香、オマケの六人だ。
チカの機嫌も直り、さらに担任が冷房を効かせてくれた。
快適な環境の中、俺達は机を寄せて、向かい合って座っている。
「俺さ、やりたい曲のCD持ってきたから、聞いてくんねえかな?」
ジョーがまず最初に切り出し、
持ってきた安っぽいCDプレーヤーを机に置き、ディスクを入れて流した。
昨日の別れ際に、自作曲希望の麗香と、無希望の零雨以外は、
やりたい曲が入ったCDを持ってくる約束をしていたのだ。
ジョーがやりたかったのは邦楽で、
説明によると、誰でも知ってる某アーティストの新曲らしい。
「俺、この曲気に入っててさ、やるならこれやりたいんだ」
ふ〜ん、あっそ。
「麗香は自作曲で多分まだ出来上がってないと思うから後にして、
コウ、あんたは何がやりたいの?」
チカが俺を指差した。
「チャルメラ」
「?」
「ラーメン屋のあれだよ、メロディーが
『.・′ ̄・. .・′・.・─』のやつだ」
チャルメラが某楽曲管理団体共の
支配下にある可能性があるから正確な音程は述べない。
俺は鼻歌で歌ってやった。
キラキラ星よりずっと簡単だ。
「それ、本気で言ってるわけじゃないよね?」
「いや、マジの話なんだが。短くて何が悪い?」
「あはっ、だって、ドと(ピー)とミの三音しか…「ぉおっと、やりたいCD持ってきたんだ」
危ねえやつだ。
そんなこと言ったら音程が分かっちまうじゃねーかよ。
某楽曲管理団体共に金ふんだくられるとか、リアルにゴメンだからな?
「あるなら最初から出しなさいよ!」
チカは俺を必要以上に笑いながら睨んだ。
手を出し、そのCD貸してとチカが言ってきたので渡してやった。
昨日とは打って変わったチカの行動に、
俺は少し気味悪さを感じたが、人間には気分の浮き沈みがあることを考えると、
さほど重要なことではないかもしれん。
気にするな、俺。
俺が選んだのは洋楽。
英語の歌詞の内容、メロディ共に秀逸だと感じるものを選んできた。
一度聴いただけでは英語の歌詞の内容が分からない奴(俺も含め)は、
メロディーだけでも楽しんでおけばいい、ということだ。
俺の好きな曲だが、こんなふざけた音楽祭ステージの演奏に使うことは、
その曲を汚すことにもなりかねない。
なぜなら、俺は楽器に触った経験がないからだ。
リコーダー程度ならあるが、
ギターやらドラムやら鍵盤楽器やらに触ったことなど一刹那もなく、
さらに楽譜の五本線の左隅にくっついてる、
ヘンテコリンなクルクルの記号の意味、
あれは楽譜を読む上では超基本らしいが、全く分からない。
その上、ドレミのドはどこの位置?状態の上に、音符の長さも小学校の頃習ったきりで、
♪が八分音符だということだけ辛うじて覚えているような有様だ。
結局のところ、俺の記憶が蒸発しやすい脆弱な海馬の中に楽譜関係の情報は、
♪=八分音符しか残っていないのだ。
もしそんな俺が、音楽祭までの短期間に普通に演奏できるようになったとしたら、
その曲がその程度の難易度の曲だったと証明してしまうことにもなりかねず、
それはその音楽製作に携わった人間の価値を落とすことに直結するかもしれない。
アーティスト及び関係者の皆様、申し訳ない。
そういうわけで、俺が予めここで代表して謝罪しておく。
チカが俺が持ってきたCDの再生をふと止めた。
「ねえジョー、今気がついたんだけどさ、
新曲ってことは、楽譜はまだ売ってないんじゃないの?」
「……意外なところに盲点発見」
「ダメじゃん!」
「耳コピすれば出来ないことはないんだがなぁ……」
「何、曲を聞いてそっから楽譜作るの!?」
「ああ。音程は絶対音感がある人がこの中にいれば作業は簡単だと思うんだ。
誰か絶対音感持ってる奴はいないか?」
絶対音感とは、ある一つの音を聞いただけで、
その音がドレミファソラシドのどの高さかが感覚的に分かってしまう能力のことだ。
当然のことであるが、俺はそんなオプション能力は装備されていない。
「……私なら……できる」
零雨が言った。
「零雨、ホントに出来るの?」
チカは意外な様子で言った。
音階なんてもんは、周波数的に決まってるわけで、
例えばある高さの《ラ》は440Hz、
言い換えれば一秒間に440回空気が振動したときに聞こえる高さだと
決まっているという話を聞いたことがある。
音楽を周波数的に考えれば、機械的に耳コピできるはずだ。
楽器の音の高さを何ヘルツか解析して、それを楽譜に載せるだけだ。
今の技術ではそれがなかなか難しいらしいが、
零雨の頭ん中は、旧型とはいえど人知を遥かに越えた何かが搭載されているわけで、
そんなごつくて変態的な処理能力とチートがあれば、こんなことぐらいお手の物のはずだ。
当然、麗香にも同じことが言える。
「やったことは……ない。
……でも、絶対音感はある」
表情一つ変わらない、冷たい声。
彼女は恐らく何があっても、
自ら言い出したことについては責任を持って行動するだろう。
それも機械的で、残酷なまでに。
失敗すれば始めから何回でもやり直し、障害物があれば容赦なく排除する。
これも麗香にも同じく通ずる。
思い出したくないが、俺が極道の皆様に港まで招待された時がそうだ。
俺が連れ去られる前、
麗香は「何があっても私達が絶対に守ってみせるから」と俺に言った。
その言葉に嘘偽りは欠片も存在せず、
途中、俺を守ろうとして射殺されるという失敗をしながらも、
最終的には約束通り、二人で協力しあいながら俺に銃口を向けたやつら共々、
異世界に置き去りにし、さらに分塵にまで分解して消してしまった。
恐らく彼女達の中では、
《約束=絶対に遵守しなくてはならない規則》
というアンドロイド思考が行動をする上での指針の一つになっているのだろう。
そんな奴が自分から楽譜作りに名乗りを上げたのだ。
「じゃあ零雨、お願い」
零雨はうなずいた。
「おっとっと……」
「麗香、どうした?」
麗香は何かを支えているようだ。
「隣に座ってた美羽ちゃんが、急にもたれ掛かってきたの」
美羽が珍しくおとなしいと思ってたら、寝てたのか。
小一で学校で寝る癖つけるのはちとオススメできんな。
美羽は口を少し開けたままで、首が据わっていない。どうやら熟睡の模様。
麗香は寝てしまった美羽を元通りに座るよう、あれこれやってみるが、
どうしても麗香の方に身体が傾いていってしまう。
「麗香、あんたもう抱いてやりなよ。
美羽は麗香のこと、お母さんとでも思ってるんじゃない?」
「でも私、こんなちっちゃい子の世話したことないから……」
「諦めなよ、麗香。
その子の触手があんたの腕に巻き付いてるよ」
「わわわわわ……」
麗香が恐る恐る確認すると、腕にしっかりと抱き着いた美羽が寝息。
「そんな怖がることないでしょ、相手はかわいい子供なんだから」
「う、うん……」
麗香の狼狽ぶりにしびれを切らしたチカが立ち上がった。
「もう、そんなに子供が怖いの?
こうやって(美羽を)乗せて、ほら麗香手出して!
ちゃんと落ちないように抱いて……ほらできた、『お母さん』」
チカは麗香の前に美羽を置き、後ろから回り込むようにして抱かせた。
「コウ、このまま麗香に抱かせてもいいよね?」
「いいんじゃねえの?
チビもその方が落ち着くだろ」
ったく、美羽の奴、同級生に迷惑かけやがって。
麗香が顔赤くして困ってんじゃねえかよ、ハハハ……
どちらかというと親子というより、姉妹みたいだ。
顔は似てねえし、血も繋がってないが。
チカはニヤニヤしながら携帯電話を取り出すと、麗香にカメラを向ける。
「こ〜んな麗香はなかなかお目にかかれないからね〜
ほら麗香、こっち向いて」
「?」
チカは有無を言わさずパシャリ。
「ちょっと!」
「何がイヤなの?ほのぼのしててすっごく和むよ!」
そう言ってもう一枚。
「俺も撮っとこーっと」
ジョーがカメラを向ける。
写真集作ってるわけじゃねえんだからよ、
チカはべつに差し障りはないが、
ジョー、お前が撮ると美羽が汚れるからやめろ。
「零雨も撮っちゃいなよ!今のうちだよ?」
「……そう」
零雨はどこから持ってきたのか、
ブランド名なしのミステリアス一眼レフカメラを向け、超高速連写で撮影。
どうやら零雨は「撮っちゃいなよ!」を命令として捉えたらしい。
カメラから出る、古い映画のフィルムを回すような音が響く。
「コウは?撮らないの?」
「あ?俺?携帯忘れてきた。
後で写メ送ってくれ」
「コウくんまで私を……!」
零雨がガトリング砲の“連写”を中断した。
どうやら弾切れ(フラッシュメモリーの容量不足)らしい。
素早い手つきでメモリーカードをカメラから抜き出すと、
新しいカードを入れてまた連写を始めた。
その時間、わずか二秒。
熟練者による銃の弾倉交換レベルの無駄な素早さ、スゲー。
カメラのバッテリーの持ちも尋常じゃねえし、
こういう手のカメラは冷却が必要だとも聞いたのだが……
どうやら零雨のカメラはただのカメラじゃないらしい。
十分程盛り上がったところで麗香を除くみんな落ち着き、閑話休題。
結局零雨はメモリーカード十八枚、容量にして140GB以上を美羽と麗香のツーショットに費やした。
馬鹿としか言いようがない。
俺はチカに聞いた。
「そういやチカ、お前は何がやりたいんだ?
CDは持ってきてるんだろ?」
俺が言うと、チカは手を突き出した。
「ああ、その前にちょっと聞いて。
……昨日、うちの兄貴のバンドの楽器を借りられるかどうか、
あたしが聞いてみるって言ったの覚えてる?」
なんか言ってたな。
「一応、そのことについては『いつでも来い』って大歓迎で迎えてくれたんだけど……」
「だけど?」
ジョーが相槌を打つ。
「だけど……一つ条件があるって言われたの」
「どんな条件?」
「…………」
チカはしばらく黙り込んで、恥ずかしそうに言った。
「……この曲をステージでやってくれたら全力で協力するって」
チカはレーベルに何も印刷されていない真っ白なCDを机の上に置いた。
どうやら家で作ってきたCDらしい。
「……あたしはこれを再生する勇気がないから、
コウ、悪いけどあんたやってくれない?」
「俺が?」
「そう」
「別にいいが、再生するのに勇気がいる音楽ってどんなもんだよ?」
「聞いたら分かるわよ。
……い、言っとくけど、これはあたしの趣味じゃないからね!」
俺はCDを受けとって、プレーヤーに突っ込んだ。
なんかチカから鉛色の重厚なオーラが吹き出してる。
俺は再生ボタンを押した。
それが自爆ボタンであるとも知らず。




