第2話-17 ハウス・クリーニング チンピラ無双
「……マーカーをつけられた……人物はこの建物の中にいる」
公園から歩いて1分、廃墟になった5階建ての建物の前で零雨は立ち止まる。
建物の前には、10台以上のバイクが駐輪してあり、どれもよく手入れされている。
廃墟を見上げると窓ガラスはなく、打ちっぱなしのコンクリートの壁に、
錆びた鉄筋から出た茶色いエキスが染み付いていて、寂しい雰囲気が漂っている。
夏の夜中に廃墟の建物の中に潜入……ハハハ、肝試しそのまんまだな。
唯一違うのは、中に生きた人間がいるということだ。少なくとも11人以上。
麗香は不安そうな顔を俺に見せ、
「やっぱり、コウくんは危ないから公園で待ってて」
と言う。
「心配してくれる気持ちは分かるが、
なら、なぜ俺はわざわざスカイダイビングしてここに来たんだ?」
「…………ごめんね」
麗香はまた謝る。
「何かあったら、コウくんの携帯電話に連絡するから」
「そんなもの、中で没収されたら終わりだぞ?」
「大丈夫、携帯がなくても、連絡しようと思えばできるから」
携帯がなくても……チートか?チートだよな?
まさか緑の公衆電話に10円玉積んで連絡するわけじゃあるまいし。
「それは嘘じゃないよな?」
「私が今までに嘘ついたことある?」
この質問は、俺はどうかと思う。
まだ会ってから日にちも経ってない。
「……分かった、けどよ、あまり相手を怒らせんなよ?
そうなったらたまったもんじゃねえ」
麗香は大きく縦に首を振る。
「うん、分かった」
そういって建物の中に入ろうとする零雨と麗香を見ていたが、
あることを思い出して引き止める。
「ちょっと待った」
二人が俺を見る。
「何か勧められても、全部断るのを忘れんなよ。
変なもの、危ないものかもしれないからな」
二人はそれを聞くと、ゆっくりと建物の中へと入っていく。
さて、チキンな俺は公園へと向かう。
零雨と麗香がもし男ならば、足取りは少しは軽くなっていただろう。
俺も情けねえな。
適当なベンチを見つけ、腰掛ける。
目の前には、400メートルトラックが丸々入りそうな、広い砂地の広場が広がっている。
零雨と麗香は俺をここに連れてきて、一体何をさせたかったんだ?
空を見上げると、あのぶよぶよの入道雲がへばりついている。
はあー、何にもすることがねえ。
今何時だ?
携帯電話で確認すると、午後9時だ。
普段ならばこの時間帯は日曜の夜だから……どうでもいい。
そういや、ここはどこだ?
ダイブしているとき、眼下に都市が広がっていたことから推測すると、というか
チンピラのアジトがある時点で、ここが港区であることは明白だ。
ピリリと携帯電話が鳴る。
「うおっ!とっとっと……」
ポケットから携帯電話を危うく取り出し損ねて砂の上に落としそうになる。
……セーフ。
で、発信元は……なんだ、チカだ。焦らすなよ。
「……もしもし」
《もしもし、コウ?》
「ああそうだが。どうしたんだ?」
《いや、昼は悪いことしちゃったかなーって思って》
今はそれどころじゃないんだよチカ。
零雨と麗香がチンピラ集団の中に突入してって、
例のバッグを取り返そうっていう大事なときだ。
何でこんなタイミングにどうでもいい電話をしやがる!?
「ああ、気にするな。
確かにあの天然水とソフトクリームの出費はクリティカルヒットものだったが、
多分……なんとかなる」
《その言い方、絶対今ピンチでしょ?》
「!!!」
ギクリ。
落ち着け、チカは俺がここにいることは知らないはずだ。
冷静に対応していこう。
「……大丈夫だ。
お前は昼飯作ってくれた、もう罰ゲームは終わったじゃねーか」
《そうだけど……
あのさ、私ついさっき、コウがどれだけ生活が苦しいか
調べてみようと思って調べてみたの》
余計なお世話だ。
人の懐事情を穿鑿しようとするな。
この本能おせっかいが。
「で?」
《『で?』って、強がっちゃって。
あんた、一食100円台の生活しないと2週間だっけ?持たないよ?》
「ああ、知ってる」
《知ってて何でそんな余裕かませるわけ?
ファーストフード店の100円商品で二週間食いつなぐつもり?》
「その発想はなかった。
いいこと聞かせてもらった。サンキュー」
《・・・あれ?速い……》
「どうした?」
《いつもと比べて通話料金の加算速度が速い……
コウ、今どこにいるの?少なくとも近所じゃないわよね?》
ドキッ!!
鋭い奴だな……
「ん、まあちょっとな」
《『ちょっと』って、あんたお金がないのにどうしてそんな遠くにいるの?
どこにいるかは知らないけどさぁ》
「あー、……いつも金欠のときに行く激安の店があってだな、
そこが俺の家からちょっとばっかし遠い。
今、店の駐輪場にいる。
自転車で帰ろうとしていたところに、ちょうどお前から電話が来たってわけだ。
たぶんそのせいだろ」
《ふ~ん、そう》
納得してねえな、こいつ。
結構現実味のある話だと思うんだがな……
《まあ、あんたをピンチの崖に追いやったのはあたしだし、
ホントに生活に困ったら少しだけ援助してあげるから。
言っとくけど、あたしの小遣いからの出費だから、期待はしないでよ?》
「どうも、そりゃ心強い」
《正直に喜んだらいいのに……》
俺は今それどころじゃねえんだよ。
《ま、帰り道に気をつけて。バイバーイ♪》
ツー…ツー…ツー…
勝手に切りやがったが、これはこれでいい。
俺は携帯電話を閉じたが、同時に着信音。
今度は電話ではなくメール、発信者は……麗香だ。
メールの中身を見る。
……終わったな。
メールによると、
あいつらは犯行を認めた上で、
「帰してほしければそれ相応の対価を支払え、無理ならさっさと帰れ」と言ってきたらしい。
で、対する麗香は「力ずくでも取り返す」と言ったそうだ。
変に挑発してどうする、ドアホ。
それで、向こうが1対1の直接対決総当たり戦の連続試合を提案、二人はそれを受け入れたらしい。
チンピラもチンピラで女子高生になんちゅう無理難題を押し付けやがる。
そして受け入れた2人もまた……
そういういきさつで、「近くの公園の一番広いグラウンドで行うから離れてろ」だとよ。
つまり戦場はここらしい。
……お前らがそこまでしてんのに俺だけ逃げ回ってるようじゃ情けない。
男の意地、ぜってーこのベンチから動かないからな!
ちょうどその時、零雨と麗香がチンピラを引き連れやってきた。
チンピラの人数が多い、多過ぎだ。
80人はいる。
俺と麗香は目が合い、口元が小さく動く。
《バカ》
彼女の口は確かにそう言っていた。
そうだ、俺はバカだから動かねーよ。
お前らもお前らでバカだろうが。
俺から約15メートル先で、2人と80人ぐらいのチンピラが向かい合う。
15メートル、結構遠いようで、案外近い。
一人目の相手が2人にそれぞれ現れた。
サル……いや、チンピラ社会のしきたりなのかはよく知らないが、
彼らは素手で闘うらしく、危険そうな物体を手に持っているやつはいない。
それぞれの相手は、2人に近づくと中腰になり、こう言った。
「お嬢ちゃん、威勢がいいのは分かるが、
家でパピーとマミーが待ってるんじゃねえのか?
その綺麗な顔に傷がつかないうちにさっさと家に帰りな」
周りのやつが笑う。中に、見覚えのある二人組もいた。
それよりも今言った奴の口調が俺そっくりでなんかいらつく。
零雨と麗香は同時に即答。
「「嫌」」
もし同じシチュエーションで俺に言われたら、
しっぽを振って喜んで帰って行くところを、あたかも当然のように拒否。
「……お嬢ちゃんよ、なめてんじゃねーぞ!
女だからといって容赦しねえ!」
麗香の相手のチンピラがつかみ掛かろうとするが、
ぴょんと右へと回避、チンピラはスカを喰らって麗香の横を通りすぎる。
「その動き見てるとあなた、弱いわね」
分かったような口を叩く麗香にチンピラはチッと舌打ちすると、
ざけんじゃねえと声を張り上げながら本気で殴りにかかる。
沸点が液体窒素並に低い野郎だ。
常温で沸騰してんじゃねーよ。
零雨の相手のほうも殴りにかかるが、零雨に顔面を片手で押さえられ、無言で押し返される。
そのとてつもないパワーで押し返されたチンピラは背中から倒れ、地面をこすりつけながら、順番待ちのチンピラの列の先頭の足元に。
一方麗香は相手の胸倉を掴み、斜め上方に投げ飛ばす。
射出角45゜のベストな角度で発射されたチンピラは、放物線を描きながら目測5メートルの遊覧飛行。
うつぶせの状態で地面と激突したチンピラは、小さくうめき声をあげる。
プールに飛び込んで腹打ちしたような、というと分かりやすいだろう。
最初の二人が一刹那のうちにやられてしまうのを見たチンピラ集団は、
涼しい表情の零雨と麗香に目を見張る。
「おい、大丈夫か?」
チンピラ集団の中から3人、麗香に投げ飛ばされ悶絶しているチンピラに駆け寄る。
これがサル社会の仲間意識ってやつか。
仲間意識を向ける方向さえ間違っていなければ、
こいつらは善良な一市民であっただろう……と俺は推測する。
「肋骨にヒビがいったかもしんねえ!」
駆け寄ったチンピラの一人が叫ぶと、チンピラ集団の零雨と麗香に対する目が変わった。
「おい、誰がケガさせろつった?
一対一のタイマン勝負は中止だ」
ボス猿は俺に指を指す。ゲッ……
「おい、部下の失態は上司の失態、
こいつの治療代250万と慰謝料250万の合わせて500万、きっちり耳を揃えて払えよコラ!」
……俺、ボスと勘違いされてんな。
あと、出来たらアバラの治療で
どんな最先端の治療を受ければそんな金額になるのか、興味を引くところだ。
「オラ、行くぞ!」
ボス猿の合図とともに、総勢約80名の男が零雨と麗香に襲い掛かる。
ウオォォオオ!
近所迷惑にならない方がおかしい程の声の馬鹿でかさで吠えながら、
二人を取り囲む。
やべえ、これって警察呼んだ方が良くね?
ていうか、今までなぜ気がつかなかったんだ俺は?
俺が110番しようとズボンのポケットから携帯電話を取り出した時、麗香が叫んだ。
「コウくん危ない!」
急いで顔を見上げると、チンピラが空から降ってくるのが見えた。
「うおっ、危ね!」
とっさの判断でベンチから逃げる。
さっきはベンチから動かないって言った俺だが、まだ死ぬには時期尚早というもんだ。
飛んできたチンピラはベンチに激突、ものすごく痛そうだ。
零雨に目を向けると、チンピラの足を両腕で掴んでぐるぐる振り回している。
振り回されたチンピラは、遠心力を強制チャージ、
ハンマー投げの選手そっくりの体勢の零雨は、
チンピラが固まっている方向に投げ飛ばす。
サングラスを装備した人間砲弾は目標に見事的中、固まっていた集団が将棋倒しになる。
変わって麗香は、目の前の敵の顔面パンチ、蹴り上げ、アッパーなど、
複数方向から同時に繰り出してくるさまざまな技をニコニコしながら全回避、
同時に後方から襲い掛かろうとしたチンピラに、無駄だとばかりに後ろ蹴り。
なんか見てるとチンピラチームボロ負けじゃねーかよ。
てめーら一応喧嘩強いんじゃねえの?
俺が言うのはいろんな意味で変な話だが、もっと頑張れよ……
電話は……いっか。だるいし。
それからおよそ30分程戦闘を繰り広げ、
チンピラは零雨と麗香に一撃も当てることができないまま惨敗。
戦闘不能になったチンピラが横たわっているという、
ドラマでアリガチな光景が目の前に広がっている。
文意的には矛盾しているが、《良く見かけるシュールな場面》と表現するとしっくりくる。
「もう終わり?
バッグ返してくれる?」
ウ~ン、と大きく背伸びをしながら麗香は問う。
まるで軽い運動をしたあとのようだ。
「……勝手にしろ!」
このボス猿が叫んだ一言で、チンピラ無双は終了。
零雨は、アバラの折れたらしいチンピラの前に立つと、
「…ケガはあと少しで完治する」
と、意味深な発言をして、ベンチの横で傍観していた俺に向かってくる。
麗香は前々から欲しかったプレゼントをもらったような笑顔とともに、
Happyオーラを散布しながら廃墟へと一人向かう。夜中に、だ。
取り返した嬉しさというのは理解できなくはないが、
時、所、場合を考慮すると、どの方向から見ても麗香のスマイルには怖さが前面に出る。
「なあ、零雨」
俺の目の前で立ち止まっていた零雨に質問。
「こっからの帰りはどうすんだ?」
「……通常の手段を……用いて帰る」
「つまり、徒歩か?」
零雨はコクリとうなずく。
今現在、午後9時半であること、ここが俺の家から直線で約4キロの距離があることを考えると、
帰宅は10時半以降になるのは間違いないだろう。
交通機関を利用しようにも、所持金が少ないためボツ。
はあ~と、やり場のない溜息を吐きながらグラウンドを眺める。
くたばって立ち上がることすらままならなくなったチンピラが、今だに倒れ伏している。
「持ってきたよ~!」
明るい声、麗香がたくさんのバッグを持って戻ってきた。
茶色のブランド物のバッグや、白のお洒落なバッグ、花柄のバッグなどなど……
恐らく全部ひったくりの被害に遭ったバッグだろう。
やつらがどうやって盗んだのかは知らないが、ウエストポーチもある。
これ盗んだ奴、神業だよ、マジ。
「中身は無事だったよ」
麗香の大きなマイバッグには、
大量のもやしをはじめとする食料品、ファッション雑誌数冊などがちゃんと入っていた。
「おお、そりゃ良かった。
餓死せずに済んだぜ」
麗香は、不吉なことを言わないでよ~と言って地面にバッグを一列に並べた。
見ているチンピラはさぞ悔しいだろうな、ハハハ……
「で、他のバッグはどうするんだよ?
持ってきたはいいが、俺の家に置いてはおけんぞ」
「中に携帯電話が入ってるのもいくつかあるみたいだし、ここで持ち主に電話してみる」
「チンピラの前はさすがにマズイだろ!」
というわけで、結局、俺の家に帰りながら電話することになった。
女物のバッグを三人で手分けして持った。
零雨と麗香は似合うからいいが、
男の俺が女物のバッグを持って出歩くなど、通常であれば絶対にしない行為だ。
ではなぜそれを今しているのか、それは二人に対して感謝しているからだ。
「あ、はいはい……いえいえ、とんでもないです!偶然見つけただけですから……」
麗香は今3人目の携帯電話に電話しているところだ。
チンピラをボコボコにして取り返したとはとても言えないため、
近くの公園に放置されているのを発見したという設定にしてある。
今言った麗香の「偶然見つけた」とはそういう意味だ。
やはり、こういう場面では男から電話がかかってくるより、
女の人から電話がかかってくる方が、相手も安心するだろう。
《男性よりも女性の方がコミュニケーションをとりやすい、》
なるほど零雨があの時言ってたことは、間違いではない。
ただ、男としての俺は少し切なくなった。