第2話-16 ハウス・クリーニング バスタブからのスカイダイビング
俺は駆け出した。
それにつられて、零雨と麗香も走り出す。
それを見たチンピラ共は、高笑いを上げ、二人乗りバイクを発進させる。
予想通りだ。
だがしかし、俺はここから先はノープラン、誰かそんな俺に突っ込めるなら突っ込んでみろ。
なけなしの金で買った食料品をそう簡単に諦められる訳がない。
やるだけやってみるか、そういう気持ちで走っている。
全速力で走る俺の速さに同調して駆ける零雨と麗香。
そして、俺の駆ける速さで逃げて行くバイク。
ちくしょう、完全に遊ばれてる。
どうすりゃいい?
バイクといえど、原付ではなく、ワンランク上の最高速が3桁のいいバイクだ。
いくら移動が速い零雨と麗香でも、バイクの最高速に対応できるかと聞かれると、
人間の構造上の耐久限界がそこまで高いとは思えず、
追い付くのは難しいと判断せざるを得ない。
走り出してからどれぐらい経っただろうか、
俺は既にバテバテモードに突入してから久しい。
バイクの野郎は、更に調子に乗って俺のバテバテの速度に落としやがった。
くわぁーーー、コイツらうぜえ!
俺達は騎手に目の前にニンジン垂らされて、
それ食べたいが為に走るアホ馬そのものじゃねーか!
「コウくん止まって!」
かなり後ろから麗香の声が聞こえた。
止まりたくなかったが、いつまでもこれを続けてても、きりがない。
俺は走るのをやめた。
俺が走るのをやめたのを見たチンピラ共は、
ケラケラと耳障りな笑い声を辺りに響かせながら逃亡、
十字路の角を右に曲がって俺の視界から消えて行った。
人生終わった……
一週間分の食費の被害で運が良かったかもしれない。
俺の財布はズボンのポケットの中だ。
「コウくん、今から取り返しに行こうよ」
いつの間にか近くにいた麗香が俺の肩をポンと叩く。
「取り返すっつったって、もうバイクはどっかに行っちまったし、ここがどこかなのすら……」
俺はそこから先が言えなかった。
それは決して悔しくて言葉が詰まったからではない。
顔を上げると、俺のマンションが堂々と建っていたからだ。
「零雨ちゃん、どういうことか教えてあげて」
麗香は零雨に何かを説明させるようだ。
「……あの人間二人と、麗香のバッグに……マーカーをつけた」
「マーカー?」
「そう。
ここはステージ25……私と麗香の管轄下にある。
いくら相手が人間の思考という……高度で複雑な不確定要素を
……持っていたとしても、
私の管轄からは逃れることは……不可能。
よって、彼らをシュミレートしている……コードを追跡するのが最善……と判断。
現在も継続して……監視している。
現在、ここから西へ約……890メートル離れたところで、
同じく西方面に……向かって平均時速23km/hで……逃走中」
「……と、そういうことなの」
麗香は自慢げに胸を張る。
……チート全速力だな。
コイツらにしかできない超能力捜査だ。
「つーか、そんなことできるなら、もっと早く走らせるのをやめろよ。
俺はもうバテバテだ」
零雨が言う。
「……追跡プログラムの作成とデバッグ、組み込みに……時間がかかった。
成功するまでは……追跡しておくべきと判断した」
追跡っつっても、向こうからすりゃ、ただの《おふざけ》だったけどな。
「デバッグがどうたらこうたらは俺にはわからんが、
そんな案があるということは、もしかしたら取り返す方法とかもあんのか?」
俺はちょっと期待して言った。
「もちろんあるわ!
期待していいわよ!」
麗香が期待の発言。
これは頼もしい。
「でね、コウくん、あのバッグを取り返すのに、コウくんの家の適当な部屋を一つ貸してほしいの」
「なぜ?」
「むふふ……見てからのお楽しみ」
お楽しみとかいいから早く取り返そうぜ、と言いたかったが、
麗香の回復スマイルを見ていると、言いづらくなってしまう。
「ま、まあ期待しとく」
俺はこんな返事しかできなかった。
俺の家に手ぶらで帰って来た俺達三人は、零雨と零雨は適当そうな部屋を探すといって、
昼間に友達総出で掃除した家の中をあちこち動き回る。
俺はこの間、どうしても落ち着いていられなかった。
リビングに入って、
この間買ったCDプレーヤーに一番のお気に入りのCDを入れ、
少々大きめの音量で鳴らしてソファーに腰掛け、
足で貧乏ゆすりをしながらそれを聴いていた。
落ち着け、俺。
まだ生活の希望が失われた訳ではない。
零雨と麗香がいるじゃないか。
心で言い聞かせても、そうそう落ち着くものではない。
気がつけば、俺はプレーヤーの音量をどんどん上げていた。
恐らく俺は音楽に現実逃避したかったのだろう。
「俺……らしくないな」
まったく、口は悪いわ、何もしないわ、俺はちっちぇ男だな。
今に始まったことじゃねえが。
そう思いながら呟き、プレーヤーの音量をもとの大きさまで下げる。
本当は下げたくなどなかったのだが……近所迷惑になるからな。
リビングを見渡す。
夕方まで、ここで5人、いや、零雨を除けば4人か、まあそんなことはどうでもいい。
大人数でバカ騒ぎしていた時を思い出す。
ジョーがあんなこと、こんなことをやらされていたが、あれは爆笑ものだった。
思い出すと、思わず口が変形してしまう。
「俺、一人で笑ってんのか……キモ」
キモい、塩をかけられたナメクジを触るときの感触ぐらいキモい。
俺が自分にツッコミを入れた瞬間、エンジンの如くアイドリングしていた足も大人しくなり、
音楽の力も、もう必要なくなった。
なに、お前は女子高生に俺のピンチを助けてもらおうとでも思ってるのか?
そんな問いが、ふと頭に浮かんだ。
そうだ、その通りだ。
だが、いくら彼女達の姿が女子高生であっても、それは真の姿ではない。
本当は、何百億年以上も世界を見つめてきた、姿を持たない管理人だ。
だから、姿が女子高生だとしても、二人には失礼だが、
中身は超人クソババア、美化するなら神だ。
そこまで思って、俺はまた突っ込んでしまった。
「《超人クソババア》って、どんだけセンスがイカレちまってんだよ、俺。
中学校にでも戻りたいのか?」
ああ、地味に調子取り戻してきた気が。
そこに麗香が俺を呼びに来た。
「コウくん、準備ができたから、今から取り返しに行こう」
「……ふう、分かった。行くか」
俺は腹を決めてCDプレーヤーの電源を切り、立ち上がる。
玄関に行こうとすると、麗香が俺の腕を掴んだ。
「どうした?」
「そっちじゃなくて、こっち」
麗香に引っ張られるまま、俺がたどり着いたのは浴室。
浴室の入り口に、さっきまで履いていた俺の靴がちょこんと置いてある。
「なぜ俺の靴がここに?」
「浴室から出発するの」
はあ?
とうとうイカレちまったか?
麗香が浴室のドアをガラッと開けると、零雨が普通に立っていた。制服姿のな。
外から見た感じ、どこも変わっていないように見えるのだが、
麗香に促されて靴を履き、浴室のバスタブを覗き込んで絶句。
「……おい、ちょっと聞くぞ。
このバスタブの底面が抜けて、禍々しい程真っ暗闇の、
まるで世界の終焉を連想させるような奇妙な空間が奥に広がっているが、
これは一体何なんだ?」
麗香はにこりと笑う。
「さっき二人組の動きが止まって、なんか……本拠地っていうの?」
「アジトか?」
「そうそうアジト。場所は分かったんだけど、結構距離あるのよね、直線で4キロぐらい。
で、そんなに時間もかけてられないから、ワープしちゃえっていうことでね……」
「で、どこにワープすんだ?
まさかアジトのど真ん中とか言わねえよな?」
「えっとね、確か零雨ちゃん、さっき詳細地図書いてたよね?
ちょっと貸してくれる?」
麗香は零雨から昼間にペットボトルの識別に使ったのと同じ付箋紙を受け取り、俺にそれを見せた。
付箋紙にはアジトの場所と、その周辺の略図が書いてある。
よくもまあこんな小さい紙にこんなに情報載っけたものだと感心するほどだ。
それによると、アジトから約50メートル離れた大きな公園の隅に到着することになっている。
「目的地はそこ。
ワープは私、コウくん、零雨ちゃんの順番ね。
それから、安全のために先の人が入ってから30秒待つことを忘れないで、特にコウくん」
安全のため……何か引っ掛かるが、そういうことなんだろう。
「じゃ、お先ね!」
麗香はバスタブに腰をかけてそう言うと、するりとバスタブの奥の穴へと落ちて行った。
恐ええ……暗闇の先が見えないから余計に恐い。
なんちゅうハードでホラーな仕様だコノヤロー。
こんなの、常人には飛び込む勇気なんぞあるわけねえ!
一寸先は闇という言葉があるが、正にそれだ。
「……30秒経過」
零雨が飛び込みの許可を与えてくれたが、こんなの自殺する覚悟がねえと絶対無理だ。
高飛び込み10メートル、そんなかわいいもんじゃない。
せめて、こんなダークな空間じゃなしに神々しい、
白く光り輝く幻想的な空間にして欲しかったぜ。
それなら俺も躊躇なく飛び込めそうな気がする。
「……システムに負担がかかっている。
これ以上は……待てない」
バスタブを覗き込んだまま躊躇う俺の背中を、コイツはドン、と押しやがった。
「あっ!コラ押すな、押すな!」
俺は頭からバスタブに突っ込む形になりながらも、バスタブのふちを手でしっかりと掴んで落ちぬよう耐える。
どっかのバラエティー番組でよくあるシチュエーションだ。
言っとくが、チキンとかそういうレベルじゃねーからな!
この穴は本能的に無理だ!全く笑えねえ!
「……その要望には応えられない」
零雨はとどめの一押しを、俺に。
キュル、という音が俺の手から鳴り、それは静止摩擦力の限界を超えたことを俺に教えた。
「うわっ!」
頭からという見事なまでに最悪の体勢で穴に突入した俺は、痛みを覚悟した。
俺、今日何回こんな「うわっ」とか「ちょ、ごっ!!」みたいな
奇声を上げればいいのだろうか?
穴の中はひんやりしていたが、突然湿り気のある、生暖かい風が俺の顔に当たった。
同時に目に入るのは公園の地面……ではなく、幻想的で美しい、ライトアップされた広大な街だった。
一体何がどうなってる?
まず現状整理だ。
俺は今、目的地であるはずの公園ではなく、なぜか夜景が見える位置にいる。
次に、俺は頭から穴に突っ込んだ。
そして、夜景のライトアップがどんどん大きくなってきている。
……考えたくはないが、俺って今、都市上空で自由落下中?
真上を見上げると、公園らしきものがある。
確かにあの付箋紙上に印された地図の通りの位置にいるようだ。
零雨と麗香の鬼畜っぷりには度肝を抜かれるぜ。
地図上では目的地にいるが、実際はその遥か上空にいると。
パラシュートもない状態で突き落とされた俺が、生き延びられる訳がねえだろ。
遥か下から声がする。
「コウく〜ん!遅いから心配しちゃったじゃな〜い!」
麗香だ。
「俺を屍にするんじゃ意味ねーだろが、このバカヤロー!」
落下しながら会話という、シュールの極みといえるシチュエーションの中、
人生最期の言葉を麗香に投げかける。
まさか死に際の言葉が罵声になるとは思いもしなかったぜ。
地面までもう時間がない。
俺は目を閉じ、静かにその時を待つことにした。
いつの間にか、姿勢が頭からではなく、背中から落下する体勢になっているが、どうせ死ぬから関係ない。
そう思った途端、背中に押し返されるような力を感じた。
パスン、快い音が聞こえ、風が止んだ。
「私だってバカじゃないんだから、簡単にコウくんを死なせる訳無いでしょ?」
耳元で聞こえた麗香の声に、俺は目を開ける。
なんでまた逆お姫様抱っこされてんだ、俺は。
……なるほど、落ちてくる俺をお前がキャッチする予定だったわけか。
「分かったから、まずは下に下ろせ」
人差し指を地面に向けて指さす。
「……コウくんのバーカ」
麗香は俺を微笑む。
「バカはいいから早く下ろせ、恥ずかしい」
「誰もいないから……」
「誰かいるとかいないとか、そういう問題じゃねーよ。
この逆お姫様抱っこ自体が恥ずかしいと言ってる」
俺がふと見上げると、遥か上空から白い物体が落ちてくるのが見えた。
同時に麗香も顔を見上げる。
「あ、零雨ちゃんだ」
零雨は速度を下げる事なく、地上に接近している。
「おいおいおいおい……」
減速しろ減速!
零雨の予想落下地点には俺と麗香がいる。
麗香も気がついたようで、ひょいと俺を抱えたまま下がる。
早く降ろせってんだ麗香。
近づいてくるにつれ、零雨の様子が明らかになった。
乱回転の状態で落ちてくる。
「これやべーんじゃねえの?」
「ちょっとこれは……」
麗香も心配そうに見つめる。
結構大きな地響きがした。
俺が麗香にキャッチされた場所には、うつぶせの状態のまま、
身体が半分、砂の地面にめりこんだ状態の零雨。
「……………」
「……………」
嫌な沈黙。
俺を突き落としてから今までの間、零雨に何があった?
「零雨ちゃん、なんで失敗なんか……」
麗香がポツリ。
「俺も謎だ」
俺がお姫様抱っこという他人には見せられない状況にあることさえも忘れ、
しばらく零雨を観察していると、腕が動いた。
両腕を地面に立て、白く長い髪を垂らしながらゆっくりと起き上がるその姿は、
和製ホラー映画のワンシーンのようで、気味が悪かった。
立ち上がり、首を2,3回左右にパキパキ鳴らしながら振ると、直立の体勢になる。
ワープ完了とでも言いたげだ。
「どうしたの?
珍しく失敗するなんて」
麗香が零雨に問いかけると、零雨は答えた。
「プログラムの終了に……時間がかかった」
「……それは後でも大丈夫でしょ?
何のためにワープの出口を1キロ上空にしたのか、分かってる?」
俺はなぜあんなところに出口を作ったのか、微塵も知らない。
注意される零雨と注意する麗香の会話は、まるで部下と上司を思わせるような雰囲気だ。
上司のような麗香は、部下のような零雨にゆっくりと話す。
俺の立ち位置?
麗香に抱えられている無様な俺は……聞かないでくれ。
奇跡的に零雨にケガはなく、一通り零雨を注意した麗香は、
やっと俺を地面に下ろしてくれた。
地面の感触が懐かしい。
ちなみに、何でワープの出口が1キロ上空にあったか、
零雨と麗香の会話を聞いて分かった。
答えは簡単、《ワープホールの存在がばれない様にするため》であった。
たったそれだけのために俺はスカイダイビングを堪能せねばならなかったのか……
「さ、早いとこバッグを取り返して、帰ろう」
麗香は俺にごめんねとも言った。
「まあな、あんな連中は社会のゴミみてえなもんだ。
俺はあんまりそういうやつらとは関わりたくねえし、さっさと帰って風呂に入りてえ」
俺は自分自身の、麗香に逆お姫様抱っこを長時間されるという、
不可解なシチュエーションによって狂った調子を正すため、
ちょっときつく言ったのだが、
それが麗香のスイッチを押してしまったようだ。
「社会のゴミ……」
麗香は何かを思い出すように言う。
「ゴミはきちんと《掃除》して片付けないとね♪」
麗香の声が急に明るくなった。
「麗香、お、お前今何をしようと言ったのか理解できてんのか?」
麗香は頷いた。
「彼らに罰を与えて矯正させるんでしょ?」
ま、まあ正しいんだろうけど、ニュアンスが微妙だな。
というか、恐ろしいこと言いやがる……
本気で戦うつもりなのか?だとしたらそれままずいだろ、どう考えたってよ。
ここは素直にどうにかしてバッグを取り返して帰る、それが賢明だと俺は考えるね。
完璧なハト派(自称)を名乗る俺にとっては、
暴力による解決なんてゲスの極みであると確信しているし、
チカみたいなかわいいレベルならまだしも、
そういった本気の戦いに関わることは本能的に嫌う。
「おい麗香、俺はやつらとやりあうのはおすすめしない。つーかやめろ。マジで。
第一、俺達の目的はバッグを取り返すことで、やり合いをしに来たんじゃないだろ。
やりあいをするのはやむを得ずの最終手段だ。いいな?」
俺が麗香を牽制すると、彼女はそうだねと言った。
ここで零雨が口を開く。
「……『やむを得ない』と判定する……基準は何?」
「物理的に攻撃されそうになった時とか、俺達のうち誰かが向こうに捕まったとか、そういう状態になった時」
零雨はそれ以上何も聞かなかった。
「じゃあ、出〜撃!」
麗香は声を張り上げる。
「夜中に騒ぐな、近所の住民に迷惑だろ」
俺達は公園を出て、オレンジ色のナトリウムランプが地面を照らす、片側一車線の道に出て、
零雨と麗香が付けたという、《マーカー》に向かって歩きだす。