第2話-4 ハウス・クリーニング 50円と もやしの塩ゆで
近所のスーパーまでは徒歩で約15分。日用品から衣類、自転車、さらにはテナントとして旅行代理店まである、総合的な店だ。
こういうタイプの店には、もしかしたら正しい呼び名があるのかもしれないが、一応、ゲームも携帯電話も同じ《ピコピコ》として一括混同して認識する、ある人種の思考回路を適用して、この店をスーパーと呼ぶことにしよう。
「あ゛~……やっと着いた……」
バテバテのチカが言う。
「何でお前ら(俺と零雨と麗香)はそんなに体力が……残ってるんだよ」
ジョーもバテている。そりゃ、チャンネル戦争を二度も元気いっぱいに繰り広げりゃ、バテるに決まっている。
冷房の入った店に入ってすぐのところにひっそりと設置されている長椅子をチカが見つけたようだ。
「ちょっと休憩させて」
俺達は長椅子に座った。座ると同時にみんなが、ふう〜とため息をつき、あまりの見事なハモり具合に俺達は笑った。
俺達が今座っている椅子は、階段の近くにあり、注意して見なければ見過ごされてしまうような、そんなところにある。もちろん、俺達以外に座っているものはいない。
「俺、今思ったんだけどさ、時間節約のために手分けして買い物をした方がいいんじゃね?」
ジョーが提案する。
「あ、それがいいかも」
チカも賛成。
「そっちの方が効率的ね」
麗香も賛成。
「…………」
零雨は何も言わない。何か言えよと思うが何も言わない。
俺も賛成したいところなんだが、残念ながら財布には1万円札が1枚のみ。もちろん、俺の持っている最後の紙幣であり、リアルな命綱でもある。
「俺も案としては賛成なんだが、俺の財布には1万円札しか入ってない。手分けして買い物をするのはあいにく無理だ」
俺が告げると、チカは言った。「そうだ、じゃんけんしよ!」と。
「は?」
ジョーは脈絡のないチカの発言に、いや、俺を含めたチカ以外の全員が脈絡のない発言にクエスチョンを返した。
「ほら、いくよ? 最初はグーッ! じゃんけんポン!」
チカの合図で強制スタートし、俺達は慌てて手を出す。じゃんけんゲームは零雨も麗香も知っていたようで、何の問題もなく反応することが出来た。
じゃんけん一回目、引き分け。
「あいこでポォン!」
じゃんけん二回目、引き分け。ポォン! ってなんだよ。
「あいこでポォン!」
じゃんけん三回目にして、決着がついた。しかしこれはアレか、ゴリ押し系の新手のボケか何かだろうか。
結果、零雨の一人負け。
「コウ、ちょっと失敬☆」
「あ、こら返せ!」
チカは笑みを浮かべながら俺から財布を取り上げると、零雨に持たせた。
「零雨ちゃん、何か飲み物を5人分買って、1万円を崩してきて」
零雨はコクリとうなずくと、立ち上がって行ってしまった。え、ちょ待て1万円……
「おい、チカ!」
「えへへ……いいじゃん、あたし達掃除頑張るからさ」
「あのな、チカ。俺はあの1万円から今日買い物をした金額の残りで2週間ほど食っていかなきゃならん。今の俺にはジュース代が激痛なんだ」
俺は一ヶ月1万円生活よりもハードな、二週間5,000円以下(推測)の生活をせねばならぬのだ。
ああ、CDプレーヤーなんて買わなけりゃよかった、などと今更ながら後悔する俺であるが、欲しかったものには変わりない。
「大丈夫、何かあったらお金、私が貸してあげるから」
明らかにその場凌ぎの言い方をしているチカに、俺はカチン。しかしよくよく考えればジョーと麗香もこの話を聞いている。つまり、不利なのはチカの方だと気づき、とりあえずこの場は見逃してやることにし、平常を装った。いかんいかん、こんなところで取り乱しては。
少し経って、零雨が白のポリ袋をぶら下げて帰ってきた。
「あ、お帰り!」
零雨は依頼主のチカに俺の財布とジュースを渡すと長椅子に座る。やはり無駄のない動きだ。
「ありがとう」
チカは袋の中を見た。直後、チカ硬直。
「天然水……」
チカは袋からペットボトルを取り出した。
なるほど、確かに天然水だ。ただの「水」。
あー……ただの「水」というと販売業者や愛飲者から抗議書が届きそうだ。言い直そう。
なるほど、確かに天然水だ。
ただの「どっかの自然の奥深くから採取した(らしい)、純水にミネラルという不純物を含み、味わいのある液体」
天然水は、他の飲料よりも安いという(俺が勝手に定義した)法則から、飛ぶ金が減ったのだから、喜ばないわけがない。
ただしチカの一言で実際に被った被害総額、計450円(レシートより一本90円)は、普通のジュースを購入した時の被害総額、概算500円(一本100円と仮定)に比べるとその軽減された被害はたったの50円という微々たるものである。
しかし、一万円の20分の1近くがこれで消失してしまったわけで。そう考えるとこれは地味に馬鹿にできないダメージだということに気づくだろう。
たかが50円、されど50円。だからといって侮ってはいけない。50円あればもやしを1袋買ってもお釣りが来る。これ重要。明日からしばらくの間、飯はもやしの塩茹でだけになるかもしれないからな。たった一袋のもやしが、俺の命を明日へとつなげてくれる、重要なライフラインになるかもしれない。
そう考えると、俺の返ってきた財布の中で何気なく居座っている50円が、光り輝く命のチケットに見えてきた。
やばい、幻覚だ。よし、明日あたり病院の先生に診てもらって……金がないから無理。明日の朝、起きたときには財布にどれだけ残っているのだろうか。
「……まあいっか」
チカは呟いて、俺達に水を配る。
俺は、現金から変換された天然水に想いを馳せる。そうだ。もやしが云々よりも、まず1万円がこれで崩されなければよかったのだ。
ちくしょう、こんなもん大事に飲んでやる。
ジョーとチカは何の躊躇もなく詮を開ける。おお、他人のお金を使った割りには何の躊躇いもねえとは、これはまた。
俺は開けるべきか取っておくか少し悩んだが、腹を決めてパキッと詮を開けると、ジョーが言った。
「お金がどうこう言ってても、結局は飲むんじゃん」
「しょうがねえだろ、もう買っちまったんだからよ」
「あれ?、零雨と麗香は何で飲まないの?」
チカはペットボトルを開けずに持ったまま座っている二人に声をかける。
「あ……うん、後に取っておこうかなって」
零雨と麗香が飲食をする場面を、俺は見たことがない。昼休みの学校、みんなが昼食を和気あいあいと食べているとき、二人は揃って教室から出てどこかへ行ってしまう。
隣のクラスの俺の友人の話によると、昼休みが始まると、校舎の屋上で二人が背中合わせになって、ぼんやりと空を見つめているのをよくみかけるのだという。
なぜそんなところにお前がいるのかと友人に尋ねてみたが、何かを隠すようにうやむやな返事をするだけで、結局答えてはくれなかった。
二人は10分程すると教室に戻って、俺達の話の中に合流する。そんなパターンが二人が引っ越してきてからごくごく自然的な流れで定着していた。
「ふーん、そう。でも熱中症にならないように気をつけてよ。せっかくの日曜日が台なしになっちゃうから。私もみんなも」
残念ながら、ここに約一名、日曜日どころか、二週間分の生活が台なしになりそうな人がいる。
……もちろん俺だ。
「そろそろ、行こっか。 みんな、この袋の中に飲みかけのやつ入れて」
チカは白いポリ袋にみんなの飲みかけを回収しようと立ち上がった。
「ちょっと待った」
ジョーが物申す。
「みんな同じペットボトルだから、一緒に入れてしまったら見分けがつかなくなるじゃん?」
もし、一緒に入れてしまった場合、未開封の零雨と麗香を除いて、3つのペットボトルが持ち主不明になるわけだ。
つまり、3分の2の確率で、ジョーまたはチカと間接キスをしてしまう。
チカならまだ許容範囲ぎりっぎりだが、ジョーと男同士のキスは俺は無理。俺はBL趣味は一切ないし、間接キスを想像しただけで……うん。
ただ、俺は個人の自由は尊重したいと思っていることだけは頭に入れといて欲しい。
「見分けがつくように目印付けておこうぜ」
ジョーが言うと麗香が反応した。
「付箋紙持ってきたけど、使えるかな?」
麗香ナイス!
「俺、筆記用具持ってきてっから、付箋紙に名前書いて貼っとけば間違いないだろ」
俺は購入リストにチェックをする為に持ってきたペンを見せた。
「いいじゃん、お前ら、ナイス!」
ジョーはグッと親指を突き立てて、爽やかに笑った。
俺達は親指ほどの大きさにちぎった付箋紙に名前を書いて、ペットボトルのふたに貼った。
「これでよし!」
チカは回収したペットボトル入りの袋を右手に持って、さらに言った。
「じゃんけんしよ」と。
また性懲りもせず、じゃんけん……
「で、今度は何のためだ?」と俺が聞くと、チカは自信満々な表情で答えた。
「買い物をするとき、二人組に分けたほうがいいと思うの。だってほら、5人がバラバラになると確かに効率的だけど、つまんないでしょ?だから、ジャンケンで勝ったほうと負けたほうと二人組み作ったほうが楽しそうじゃん」
こうして始まったジャンケン・リターンズ~誰となるかはお楽しみ~というゲーム(命名は俺)。
誰だ今、痛いネーミングとか言った奴は? ……すまない、薄々分かってると思うけど、俺センスないんだ。もやしの塩茹でで食いつないでいくことに免じて許してくれ。
とにかく始まったジャンケンで、俺と零雨、チカとジョーと麗香の2グループになった。
ジョーの顔が若干いやらしいが、人間だから仕方がない。ただジョー、気をつけろ。チカからはぶん殴られる可能性が、麗香からは下手すると消されるかもしれんぞ。
お前の両隣にいるのは爆弾(特に麗香は実に危険)だということを自覚しておけ。と、言いたいところだが、言えない。
その代わり、優しい優しい内なる俺が、今日のジョーの無事を祈願して、今度お百度参りに行ってくれるそうだ。安心しろ。
……今度がいつになるのかは分からないがな。
俺と零雨のペア、意外に安全かもしれない。零雨に変なことを俺が言わなければ。
こうして、ようやく買い物が始まったと、そういうわけだ。