第2話-3 ハウス・クリーニング 分解された俺のエアコン
俺が行く準備を整い終えたのは、俺がさっさと手早くしたおかげで、出発目安時刻の午前10時になる20分前だった。
つまり、俺は支度を10分で終えたのだが、当然ながらそれを褒めたたえてくれる奴はいない。
俺は早朝の珍客どもが集まっているリビングに入った。
「俺はいつもこの時間はこの番組を観てるんだ!」
ジョーの声が聞こえる。
「その番組、どこが面白いの? 私はこっちが観たいの!」
反論するのはチカ。
ジョーはテレビのリモコンを片手に、チカはテレビ本体のボタンの前に立ってのまさかのチャンネル争い。おいおい……俺の家で何やってんだよ。しかも勝手にテレビの電源入れてるし。
おまえらは修学旅行の宿泊先でチャンネル争いをする学生かと。
たった1日ぐらい、テレビを観なくたっていいだろ? と言ってやりたいところだが、幸か不幸かこの二人の気持ちが分からないわけではないから困ったもんだ。俺もテレビは大好物だからな。
だから、こんなところで俺の許可なくテレビをつけた挙げ句、チャンネル争いを展開するなぞ、言語道断!潔く腹を斬れい! とは言いにくい。
というか、むしろ俺もチャンネル争いに参加したい。というのも、俺がここで独り暮らしを始めて1年と4ヶ月、チャンネル争いをすることは、当然常識的に考えてありえないわけで。
もちろん、独りでチャンネル争いをプレーできないわけではない。
例えば、片手でリモコンを、もう片手でテレビのスイッチに手をかけ、自分ともう一人のキャラクターを、声色を変えながら一人二役で演じればできる。
ただし、試合結果は、完全に計算し尽くされた出来レースだ。
さらに一人でやってると虚しくなって、無性に恥ずかしくなる、万が一他人にその場面を目撃された場合、プレーヤーは頭のオカシイ人にしか見えないという、なんとも素晴らしいオプションまでついてくる。
コアでちょっと変わったマゾヒストの方におすすめの、俺イチオシのゲームだ。
いつだったか、俺も無性にチャンネル争いがしたくなって、夜中に一人、リモコン片手にやろうとしたが、プレー直前に強烈な羞恥心に襲われ、あわや大惨事になるとこを未遂に終わった記憶がある。素人にはおすすめできないと、俺はその時悟ったね。
あれは今思い出しても、「なぜ俺はあの時……!」と拳を握りしめながら、そう思わずにはいられん。
自分以外の敵がいてこそ、有意義なチャンネル争いができるわけだ。
さて、思慮にふけるのもこれぐらいにして、止める側の立場にいる俺は、残念ながら現在開催中のチャンネル戦争を止めねばならない。
「おいこら、なに人の家でチャンネル争いしてんだよ! ほら、リモコンよこせ」
「え~」
ジョーは言う。
「『え~』じゃねぇよ。ここは賃貸だが一応は俺の住んでいる家だ。家主の俺の言うことに従ってもらわないと困る」
ジョーはため息を一つつくと、素直に応じた。よしよし、いい子だ。
さて、問題はチカだ。彼女はここぞとばかりにチャンネルを変え、ソファにでんと居座っている。
「ほらチカ、お前もだ」
俺はそう言ってリモコンの電源ボタンを押す。
「ちょっと、せっかく観ようと思ってたのに!」
「テレビを観たい気持ちは俺も痛いほど分かるが、今日ぐらい耐えろ。それに、チカが観れてジョーが観れないのは不公平だろ?」
そう言うとチカは、ムスッとした顔でわかった、と言った。
これで一件落着、と。鳩的解決主義万歳! ちょっと中国語風に言ってみた。あ、簡体とか、繁体とかは絶対に気にするなよ。あくまで「中国語風」だからな。だいたい、俺の断りもなしに勝手に触るなんざ失礼だろう。
ドガガガガガ、カランカランカラン……
ん? 今のは何だ? ベランダから聞こえてきたが。
そういえば、零雨と麗香がいない。ベランダか?
俺がサッシに手をかけ、軽く手前に引くと、簡単に開いた。鍵が開いているということは、二人は確実にベランダにいるな。
「零雨、麗香、ベランダで何して……」
俺はそう言いながらベランダに出たのだが、あまりのインパクトの強い映像を見てしまったため、思考が停止。
「…………ちょ、おい零雨! お前何やってんだ!早く元に戻せ!」
零雨はどこから持ってきたのかは知らないが、ドライバーを持って、エアコンの室外機を分解している。さっきの音は、室外機の外枠を外す音だったらしく、室外機の薄汚れた大きな羽根が生暖かい風をHello☆と顔を出しながら元気に回転している。
あっぶねぇ。
俺が注意しても、零雨はエアコンの排気にスカートをヒラヒラせながら、
こちらをちらりと見るだけで、分解をやめようとしない。俺は部屋に戻って零雨の安全確保のため、エアコンの電源を切った。
ジョーとチカが文句を言っているが、無視。
「零雨、ちょっと分解するのやめろ」
俺が言うと、近くで欄干に体重をかけ、外の景色を眺めている麗香が言った。
「零雨ちゃんは無意味なことはまずしないわ。きっと何か考えがあるのよ」
「なるほど、分解する理由がね……って、人んちのものを勝手に分解していい理由になるか!」
零雨がエアコンの室外機を分解する理由が、俺にはさっぱり解らん。俺は零雨の作業を覗き込んでみる。零雨は緑色の電子基板を露出させると、一つの部品をブチッと引きちぎり、俺に渡してきた。あ、壊したなコイツ。
俺のエアコン……
その部品は上面が銀で、十字状に溝が入れられてある。側面が黒いビニルのようなもので覆われた円筒形の部品で、下の方から針金状の導線が二本伸びている。
「このエアコンは……もってあと約92時間。今コウが持っている電解コンデンサの……防爆弁の作動が原因で動かなくなる。早急に交換する……必要がある」
でっかいコンデンサ?ボウバクベン? どこの宇宙語だそれは。俺が分かったのは、エアコンが危篤状態で、何の役割を果たしているのかよく分からんこの部品を交換すれば、エアコンは延命できるということである。それと、零雨がこのクソ暑い夏の時期にエアコンを見事破壊してくれたこと。
「ほらね。零雨ちゃんは無意味なことはしないって分かった?」
麗香が言った。
「まあ……」
俺は言葉を濁す。内心のツッコミは「分かるか!」である。
「その部品……貸して」
俺は零雨にでっかいコンデンサなるものを返す。
「この部品は……電気をためる部品。この上面の銀色の部分……膨らんでいる」
零雨はその部分を指で示した。なるほど、確かに膨らんでいる。で、防爆弁ってどこについてる?
「この十字状に入れられた……溝が防爆弁の役割をする。 部品の中に封入された電解液が……劣化することで気化し、 その圧力で……爆発、周辺に被害が……及ばないよう、 圧力を調整する……それが防爆弁の役割」
んー……何となーく分かった気がする。
俺は、防爆弁というやつが、コイツが劣化して吹っ飛ぶのを防ぐ部品で、作動するとそれきり、という風に解釈させてもらった。
「正直言うと、よくは理解できていないんだが、とにかく、交換しなきゃならんのだな?」
学校の成績に関係のない、よく分からん小難しい話は聞き流しておくのが一番。そういうわけで俺が聞くと、零雨は頷いた。どちらにせよ、壊したなら直してもらわにゃ困る。
そこで気になるのがこの部品の値段だ。それと、どこで売ってるのかもだ。
「それでだ、零雨。そのでっかいコンデンサとやらはいくらぐらいするもんなんだ?」
俺が言うと、零雨が突然固まった。あれ? そんなに深く考え込まなくても、これぐらいの値段、でいいのだが。
零雨は何か言っている。
「そのでっかいコンデンサとやらはいくらぐらいするもんなんだ?――認識失敗――再認識――そのでっかいコンデンサとやらはいくらぐらいするもんなんだ? ――認識プログラムエラー?……プログラム正常。問題の解析開始――語句に分解………」
まさか、俺が零雨をバグらせた? 何か俺は重大なミスを犯してしまったのか?俺がやらかした感、というか、確実に俺がやらかしたな……
「あーあ、コウ、やっちゃったね……」
麗香が外の景色から俺に視線を変えて言った。
「もしかして、俺って相当ヤバイことした?」
「零雨ちゃんが壊れてしまうほどの問題ではないと思うけど、ほっといたら、零雨が自力で問題が解決するまで、ずっとこのままね……」
「俺は何をしてしまったんだ?」
「えーとね、零雨ちゃんに、突飛なことは言わなかった? 例えば、話が急にねじれたとか」
特に思い当たる節は……ない。
「あのね、気がついてると思うけど、零雨ちゃんの理解力は、私よりも劣ってるし、あなたにすら劣ってるの。私は一応最新版だから、抽象的表現までならある程度高度な表現でも理解が出来る。零雨ちゃんの場合は、認識するプログラムは軽量だけど、古くて低機能だから、認識機能は脆弱なの」
ふーん、なるほど。ちょっと面倒くせえな、零雨がバグると。そんな会話をしている間にも、零雨はブツブツと呟いたたままだ。
「でっかいコンデンサ、でっかいコンデンサ、でっかいコンデンサ……
話に関連性の……ない単語……でっかい……でっかいの意味……でかいの促音化表現? でかいは……大きい……この電解コンデンサの形状……円柱に酷似……でかいに……関連性なし……この電解コンデンサのサイズ……比較的小型……でかいに関連性……対義語、関連性低いが要確認……でっかい……過去の対話の類似した語調……電解……そのでっかいコンデンサとやらはいくらぐらい? ……置換……その電解コンデンサとやらはいくらぐらい? 検証……修正完了」
突然零雨はバッと俺のほうを向く。あまりに突然の出来事に、俺はビビッた。
「おお……な、何だ?」
「この部品は大型の……コンデンサではない。このコンデンサは大型……ではなく小型に……分類される。なお、この部品の種別は……でっかいコンデンサではなく、電解コンデンサ」
あ、俺、聞き間違いしてた? だからこんなこうなったのか……気をつけよう。
「俺の聞き間違いだったみたいだな。ごめん」
俺が謝ると、零雨は何事もなかったかのように話しだす。
「閑話休題。この電解コンデンサは……市場に大量に流通している……汎用性の高い部品。それほど値段は……かからないはず」
零雨に聞いても、結局具体的な値段は分からなかった。
俺も話を元に戻すと、エアコンは俺の生命線だ。簡単にポックリとくたばってもらっては困る。まして二週間後には夏休みという、エアコンの本領発揮する時期をひかえているのだ。
「そうか……とりあえず、二人とも部屋に入れ。お前らもそろそろ買い物に行く準備をしとけよ。あと、これは今日中に直してもらわないと困るからな」
零雨は分かった、とうなずいて、先に部屋の中に入っていった。
「零雨ちゃんがブツブツ言うのは、自分が何を考えているのか、私に理解してもらって、問題解決の助言をもらいやすくするためなんだけど、あんな風にブツブツ言ってたら普通の人に怪しまれちゃうよね?」
麗香は眉をひそめながら苦笑した。
「ははは……まあな」
俺はこの二人がプログラムであると実感した。
「聞き間違いぐらいは簡単に修正できるように、私が後で教えておくね」
麗香は俺にそう言って部屋に入ったので、俺も部屋に入った。
ところで、話は急に変わるが、俺には一つ気になっていることがある。それは零雨と麗香が学校の制服姿だということだ。それほどおかしくはないが、日曜だし、私服を着てきてもいいと思うのだが……このことについてはまた後で聞こう。
で、リビングに戻って早々、第二次チャンネル戦争が勃発してるのはなぜだ? ジョー対チカの構図は変わらず。しかも前回より明らかに激しい。
ジョーがリモコンを持って、テレビの前に立ちはだかるチカに体当たりで突撃、リモコンの信号をテレビに伝えようと躍起になって……ってお前らいい加減にしろ。
「ちょっとコウ、なんでエアコン切ったの?」
テレビの前で仁王立ちをして、ジョーのリモコンからの信号を絶賛ディフェンス中のチカが言った。
「ちょっとエアコンの調子が悪いんだとさ。零雨が教えてくれた。つか、てめーら何またテレビつけてんだよ!」
俺はテレビのコンセントを引っこ抜いた。
「あーっ!コウ!ちょっと何すんの!」
「もう10時だ。ほら、買い物に行くぞ。ここにいたってエアコン使えねえから蒸し部屋になるぞ」
まったくこいつらは……
俺がこいつらの熱きテレビ魂に、深い畏敬の念をおぼえたのは、言うまでもない。