第2話-2 ハウス・クリーニング 早朝の来客
日曜日の朝。俺が寝ていると、ありえないはずのインターホンの音が聞こえてきた。
「ピンポーン」
……誰だ? まさか、こんな早くにあいつらが俺の家を見つけられるわけがねえ。何せ、俺の住所も行き方も教えてないんだから。
きっと宅配便か何かだろう。それに今は朝の八時半を回ったところ。それにしては少々早い気もするが。
「はい、どなたです?」
俺はインターホンの受話器を取る。
「コウー、起きてる?」
……ガチャ。
今、チカっぽい声が聞こえてきたような気がするのだが……きっと今のは幻聴だ、うん。起きたてだから頭が回ってないんだ。
それから幻聴に突っ込んでおくと、寝てるやつがどうして来客の応対などできる? 寝てるとでも答えておけばよかったか。
俺が受話器を戻してそう考えていると、またもやインターホンが、しかも凶悪な連打攻撃が俺を襲う。
ピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーンピンポーン……
俺は今寝ぼけてるから、こんな幻聴が聞こえるに違いない。一回水で顔を洗った方が良さそうだ。
俺はさらに加速するインターホン連続攻撃の悪夢の中、洗面所の蛇口を捻る。
蛇口からは、夏の生暖かい水が勢いよく流れている。俺は冷たい水で顔を洗いたい。洗面器に水を貯めてそんなかに冷蔵庫の氷でもぶち込んで冷やすか。それにしても耳障りだ。
ピピピピピピピピ……
それにしてもインターホンの連打攻撃がひどい。かの名人は一秒間に16連打も出来たらしいが、何故かは解らん、明らかにインターホン攻撃が16連打どころでは済まされない激しさなのだ。
俺は仕方なくぬるい水で顔を洗うと、一応この音が幻聴でないことが分かった。当然俺は即この攻撃の停止を求めるべく、インターホンの受話器へと飛んだ。
「ちょっとコウ!あんた何してんの?早く開けてよ!」
そんなチカの声と共に攻撃は止んだ。
……しかし何故俺の家がばれた? 何故チカの声がインターホンから飛んでくるのだ? ぼけから完全に覚めた俺は、この不可思議な状況の理解に苦しむ。
俺が今右手に握っているのは電話の受話器であってほしいところだが、残念ながら確かにインターホンの受話器だ。つまりチカは俺の家の前に間違いなくいる。
「『コウ』という方は存じ上げておりませんが……人違いではないですか?」
大人しく騙されて帰ってくれねえかな……
「嘘!その声は絶対コウだって!とぼけたって無駄よ!」
騙されるわけねえか。……それにしても、一体どこで俺の住所を調べ上げたんだよ。お前の情報力には感服するよ、全く。
「とにかく、みんな暑くて死にそうだから、早く中に入れて!」
「断る。」
俺が、はいそうですか、と素直にドアを開けるわけねえだろ。つーか、皆で雁首揃えて来てんのかよ。インターホンにカメラがないから初めて知った。
「断る!?おとといOKしたのはどこのどいつよ?」
「東ドイツ」
「……ふざけるのもいい加減にして! 明日、学校でぶっ飛ばすよ?」
……なぜ、こいつはこんなにも実力行使が好きなのだろうか? まあいい、男には諦めも肝心だ。どうやって家を調べたのかは知らんが、家に来ていいと言ってしまった以上、開ける他ないだろう。
ここで意地張って明日、目に青あざが出来ることになるのは絶対に避けたい。学校でアザの理由を聞かれたら、それこそ恥さらしもいいとこだ。俺が嫌がっているのを承知で押しかけてくるとは、血も涙もない奴である。
「……はあ、わかった、ちょっと待ってろ」
俺はそう言い捨てて、受話器を戻し、部屋着のまま玄関に向かう。玄関のドアのレンズを覗くとなるほど、ジョーも零雨も麗香もいる。
俺はドアを開けた。
「開けるの遅すぎ!何回インターホン押したと思ってるの!?」
汗まみれのチカがたらたらと愚痴を垂らしているが、気にしない。
それよりインターホンが無事で何よりだ。賃貸だから、備品が壊れたらいろいろな面でだるい。
特にインターホンを壊れたまま放置したり、買い換えと称してカメラ付きのインターホンにレベルアップ出来ないあたりが。
「まあ、へどが出るぐらい汚い家なんだが、それでもいいなら入っていい」
俺がそういうと、全員が俺の家に入ってきた。
ここで一つ気になったのは、麗香と零雨が全く汗をかいていないことなんだが、ジョーもチカもいるし、今は指摘しないで黙っていた方が良さそうだ。
「はあ〜、涼しいぃぃー」
チカが冷房の入ったリビングに入ると、そう言ってエアコンの涼風にあたりだす。ジョーも暑かった〜、と言ってソファに座る。
「でも、このエアコン、雑菌の納豆みたいなニオイがする。コウ、最後にエアコンを掃除したのはいつ?」
チカが聞いてきたから、今年は時間がなくてやってない、去年の夏に掃除したきりと伝える。俺もこのニオイは気になってはいたんだが……
「じゃあ、このエアコンも掃除しないとね。コウ、エアコン洗浄スプレーはある?」
チカが言う。
「あー、多分ないから買いに行かなきゃならん」
「ねえ、コウくん、メモ帳か何か持ってない?」
突然麗香が聞く。
「あるけど、何に使うつもりだ?」
俺が問い返すと、「家の掃除に必要な買わなきゃいけないものをリストにして、みんなが書き込んでいったらどうかなって思ったの」と答えた。
「なるほどな、それで、その買い物の代金は誰が支払うんだ?」
チカが言った。
「あんたの家の掃除なんだから、あんたが払うのが当然でしょ!」
常識的に考えればその考えは正解なのだろうが、正直、そこまでして掃除をするつもりはない……というのも、先日、思い切ってちょっと値の張る
CDプレーヤーを買い、今は金欠状態。よって、節約中なのだ。
「あー、やっぱり台所『だけは』清潔だな」
「俺のこと馬鹿にしてるだろ、ジョー」
こんな感じで約15分。俺の家を一通り視察したお客様は、次々と必要なものをリストアップしていく。それに比例して膨らむ支出の2文字に怯える俺。
「こんなもんでいいかしら」
チカがそう言ってリストアップの終わったメモ帳を、ジョーに。
「こんなもんだろ」
ジョーはメモ帳を麗香に。
「うーん……私は分からないけど、こんな感じなのかな〜」
麗香は曖昧な返事をして零雨に渡す。
「…………。」
零雨はちらりとみると無言のままチカへ返す。何か言えよお前。麗香と零雨は(俺達が普段やってるような)掃除なんてやったことがないだろうな。
「コウ、今からこれを買ってくるから、お金!」チカはそう言って手を差し出す。他人に何の躊躇もなく、金銭を要求するその図太さに俺は呆れた。
「……まだ朝の8時台だ。店が開いてないに決まってるだろ。とりあえず何を買う予定なのか、ちょっと見せろ」
メモ帳には、エアコン洗浄スプレー、雑巾、中性洗剤、バケツ、スポンジ、たわし、掃除機、ゴミ袋、ラバーカップ(トイレのあのスッポン)、消臭剤、芳香剤などなど――20の品物がリストアップされている。
「あー、まず掃除機は却下。家にある」
俺がそういうと、チカが反論。
「あの超ふっるい掃除機使うの!? せっかくだから新しいの買った方がいいって!」
掃除機は俺が実家から持ってきたやつで、確か製造から20年は経ってる。だが、ちょっと掃除するので掃除機新調しましたなどというのは、「一度着た服はもう着ない」などと抜かすようなものと同類、すなわち金持ちの専売特許であり、一般人がそれを行うなど狂気の沙汰もいいところである。
「まだ動くうちはダメだ。それに今俺は金欠だから、買う金がねえ。ましてやこんな暑い中、持って帰るのもきついだろ。掃除機用の紙パックで十分だ」
「そ、そうね。紙パックでいいわよね」
チカがやすやすと持論を撤回したのは、掃除機を持って帰るという重労働をさせられるリスクを回避する為であるということは、俺が「こんな暑い中、持って帰るのもきついだろ」と言った時のチカの表情から明白だった。
俺はチカの華奢な《掃除機》の文字の後ろに、「用の紙パック」と書き加える。《掃除機 用の紙パック》筆跡が明らかに違って違和感があるが、字は読めるから気にしない。
どうでもいいことだが、高校生が、しかも男が朝から掃除機用の紙パックを友達の間で話題に出すこと自体、ジョーからすれば予想外で突発的、つまりゲリラ的な会話だったらしく、どう反応すればいいのか困ってる様子だ。生活臭のある話題で悪かったな、ジョー。
他にも、布団叩き(騒音になるため禁止されている)、衣類用防虫剤(まだ未使用のものがある)、台所のまな板(実家から持ってきたやつで、相当古いが家に新品がある)など、8つの品物が削除、変更され、最終的に購入予定リストには15品目があがった。
「これでいいな?」
俺は仕上がった購入リストを皆に見せる。
特に異論は出なかったから、メモ帳をテーブルの上に置く。リストの品物買うだけで、五千円は確実にサヨナラだ。俺は、明日から両親からの生活費その他諸々が届くまでの約二週間、爪に火をともす、いや全身に灯油をかぶって火をともすぐらいの覚悟で生き延びる決心をした。
購入リストの吟味で、気がつけば時計は午前9時半になっている。俺はまだ歯も磨いてないし、着替えもしていない。早朝の来客で起こされたのだから、仕方がないといえば仕方がない。面倒だが、本気で買い物に行くらしいから行く準備をせねばならん。
今日は家でダラダラする予定だったんだが、まさか炎天下の買い物をしに行くことになるとは……
「まだ朝の9時半だ。10時になったら出掛けよう。俺、ちょっと支度する。インターホンで起こされたから、まだ歯も磨いてないし、着替えもしなくちゃならん」
俺は大きな背伸びを一つ、そういい残して洗面所に向かった。