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第6話-17 代理救済プロトコル 8 - リンネ・エルベシアは諦めない


 ――息ができる。


 そのことに気がつきました。

 ゆっくりと目を開けると、そこには見覚えのある天井、迎賓館。割り当てられた部屋のベッドに、私は仰向けで寝ていたのです。


 "コウさん。コウさんは!?"


 つい数秒前まで、コウさんを救うための水中にいた。そう理解しながらも、長い休息を取っていた感覚。

 エクソアはゆっくり起き上がると、ベッドに腰掛けてぼんやり外を眺めます。


 ……うそでしょ?


 窓の外に広がるのは、もう何度目かも覚えていないほど見た、あの日の天気、雲の形。私は、再び過去に戻っていたのです。

 過去に戻るときは、いつも何かしら夜に寝て朝起きたら、という流れでしたが、今回は違ったようです。

 水中でぼんやりしてきたと思った次の瞬間には、過去に戻っていました。


 んああくそっ!!

 コウさんの吐き捨てるような呻き声。水面に激突する飛行艇。骨が歪むような衝撃。水没したコクピット。コウさんを助けに水中に潜った私に、彼が示した身振り。


 もういい。俺はもうダメだ。お前は生きるんだ――

 あれだけの偶然を重ねて、コウさんの近くまでいけたのに。あとすこし、もうちょっとで救えるところまで、辿り着いたのに。

 私とエクソアが築いてきた努力はすべて、無かったことになったのです。


「…………。」


 しばらく、放心していました。

 最後の力で私を掴んで、力づくで水面に押し上げた彼。意識を失って痙攣(けいれん)する彼の記憶が巡ります。

 世界がなかったことにしても、エクソアが全てを忘れても、私は忘れられそうにありませんでした。


 ベッドに腰掛けているエクソア。鼻で小さく溜め息をつくような仕草が、過去を浮遊していた私を引き戻します。

 私を演じるそれ。ぼんやりとした様子で、いったい何を考えているのでしょう。


 エクソア。あなたは、どうしてエルベシアの力を使わなかったのですか――

 水中の出来事。何度も叫んだ私の意思を、受け取らなかったエクソア。その理由尋ねたくても、あのときのエクソアは、もうここにはいません。

 あそこでエルベシアの力を使えば、コウさんの足を噛んだままのコクピットの口をこじ開けて、彼を救えたかもしれないのに。


 "いま、あなたが初めて見る窓の外の光景を、私はずっと、何度も見てきました――"


 改めて。私がこれまで経験してきたことを、エクソアに話しかけます。

 コウさんが未来の離水試験で死んでしまうこと、私とエクソアでそんな未来を変えようと頑張ったこと、そして、失敗して戻ってきたこと。


 今度こそはできる。そう思ったのです。助けられると思ったのです!

 これが、神罰でしょうか。私がどうあがこうと、エクソアの檻の中で、出口のない世界を永遠に彷徨い続ける運命なのでしょうか。


「…………。」


 "コウさんを助けられるのは、私達だけ。次があれば、今度こそ、あなたはエルベシアの力を使ってでも、助けてほしいのです"


 ――いいえ。


 いいえ……?

 もしあなたが、「はい」と答えるならば、右手で髪をかき上げて。「いいえ」と答えるのならば、手で鼻に触れて。そう伝えてから話し始めた、これまでの経緯。

 エクソアは、私が何も質問していないところで、手で鼻を掻いたのです。


 "エルベシアの力を使ってでも、助けてほしいのです"


 ――いいえ。


 これまでコウさんを救うために動いてくれたエクソア。なのに、ここにきてどうして……


 心を爪で引っ掻かれたような、裏切られた気分でした。そうなら、どうにかして私に伝えてほしかった。

 けれども、きっとエクソアに私を邪魔する意図はないはず。そうでなければ、水中であんなに頑張ることはない。

 私の中でくすぶる納得いかない気持ちは捨て置いて、私はエクソアにいくつか質問をします。

 やはり、エクソアはコウさんを救うことそのものには賛成していると分かりました。


 ただ、エクソアは、エルベシアの力を使わない――正確には、エルベシアの力が使えないのだと分かりました。

 その理由を尋ねてみても、「はい」と「いいえ」しか答えないエクソアから答えを引き出すことは容易ではなく、結局深入りせず、そういうものだと理解するに留めました。


 つまるところエルベシアの、他人から魔力を貰わねば生きられない、種族としての代償を払う一方、その能力を封じられているのです。


 受け入れたくはないけれど、合点がいきました。

 あのとき。水没したコックピットで、私がエルベシアの力を使ってと何度叫んでも、エクソアにはその能力がなかったのです。ずっと、私の肉体の地力だけでコウさんの挟まった足をどうにかしようとしていたのです。


 私が地上組として離水試験を伴走すると、コウさんは水没したコックピットの水流に阻まれて溺れてしまう。かといって、私が飛行艇に乗ると、コウさんの足が挟まって抜け出せなくなってしまって、結局溺れてしまう。


 いったいどうすれば……

 八方塞がりで右往左往する感覚に飲まれかかったとき、私にはまだ手札が残っていたことを思い出します――そもそもコウさんの直接救済の機を逃すまいと、寄り道しただけだということを。


 私がコウさんの救出に失敗したときの予備として、見ていた機内の状況。

 コウさんを救う手がかりとして、私は情報を過去に持ち帰ってきたのです。

 機内の記憶そのものは、何も答えてくれません。それでも、エルベシアの力を使わなくても、どうにか事態を打開する切り札、あるいは手がかりになるはずです。


「…………。」


 リンネ・エルベシアは諦めない……そう、諦めない……

 子供の頃からずっと、ずっと――差別を、嫌がらせを、肩身の狭い苦しい思いをしながら耐えてきたのです。たかだか……そう、たかだかこの程度のことで、どうして諦められましょうか。

 ましてや、私は一度身を投げて肉体を失った精神体のようなもの。この、永劫同じ時間を巡り続ける世界で、私の存在意義は、もはや彼を救う他ないのです。


「リン様、朝食の用意ができております」


 過去の時間軸では、体感でちょうどいまくらいに、エクソアは腰を振って踊っていた気がします。その瞬間、私の部屋の扉を開けて、メイドのメルさんが私に伝えます。

 エクソアはベッドに腰掛けたまま、上半身をひねって「ありがとうございます」と一言返すと、立ち上がって部屋をあとにします。



 エクソアが朝食を取って、食器が皿を鳴らしているときも、食後の空き時間を自室で過ごしているときも、私は漠然と未来から持ち帰った記憶を反芻していました。

 この時間軸で、私がすべきこと。観測したことから、何か手がかりを探すこと。見たもの、観測したものに意味付けできなければ、それは無意味な、ただ漫然と捨て去られる情報でしかないのです。


 機内で躓いて転びかけた時間軸――コウさんが私に気づいて、仲間の命を預かる不安を吐露してくれた時間軸。

 桟橋で躓いて川に落ちた時間軸――時間軸。

 どちらもエクソアが躓いたのは、偶然でしょうか。必然でしょうか。

 その前には、転ばなかった時間軸もあります。うーん……同じ行動をさせても、同じように転ぶ確証はありません。

 直前の時間軸で飛行艇に乗り込む口実を得たのは、本当に運が良かったのかもしれません。



 何も見えず、何も浮かばず、ただグルグル回る無駄な時間がすぎて、私は答えの出ないまま、迎賓館の正面に停められた、わだちの荷台に乗りこみます。


 試験場――あの桟橋へ向かう、わだち。その荷台で揺られながらふと、私は水面で一度跳ねて川に沈んだときを思い出します。桟橋で躓いて、前に崩れた姿勢を立て直そうと橋まで駆けて、中途半端な飛行で水面で一度跳ねたときです。

 跳ねた瞬間、水面が平手打ちしたように鋭く弾いた感覚があって、とても痛かったことを。


 ……。

 …………。

 …………あーっ!!


 突然、直感的な閃きが駆け抜けました。それは流星が夜の湖に流れ落ちて、湖面に光の波紋が立ち、ぶわっと広がっていくような感覚でした。確証はないけれど、すべてが繋がった気がします。この世界を書き換える鍵を見つけたのです!


 桟橋で跳ねたこと。私が、その身をもって水切り石現象を体験したのならば、同じ水切り石現象に遭遇している飛行艇も、同じく水面から強く押し返されているはずです。

 水切り石現象で水面を跳ねた飛行艇。その機首が、再び水面に押しつけられる――もし、より強く押しつけられるのだとしたら、水面はより強く押し返そうとするのではないでしょうか。


 飛行艇の翼は、私達の翼と違って、羽ばたくことはありません。ただ、滑空状態で翼を広げているだけです。

 水面を跳ねる機首の、上向く角度が大きくなったとしたら? 翼が大きな揚力を得て、一瞬だけ飛び跳ねるように持ち上がり、浮かぶはずです。


 そのまま飛び立てれば良いですが、もし速度が不十分なら? 再び水面に落ちてきます。再び水面に、きっとより強く押し返されます。

 加速する飛行艇なら、飛び跳ねる距離も高さも大きくなる――私が体験した飛行艇の動きとも大きくズレません。


 水切り石現象が始まっても、コウさんは操縦桿に手を置くだけで、特に操作している様子はありませんでした。

 つまり何もしないと、水切り石現象はひどくなるのです。


 これはただの仮説です。私の思いつきです。

 けれども、私が見てきたこと、体験したこと、全て合点がいくのです。


 私が変節点を探ろうと、コックピットでコウさんと会話した時間軸。

 私の「飛行する様子をどう思い描いていますか」という質問に対して、コウさんは「スッと飛ぶ」という曖昧な感覚しか持ち合わせていませんでした。

 水切り石現象が始まって機体が跳ねても、彼はそれが死の予兆だと理解していなかった――だから跳ねが著しくなるまで機体の操作をしなかったのだとしたら。


 もし、私の推理が正しいのなら――コウさんの命を救うのは、私ではありません。彼自身なのです。



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